人生サブスク:他人の人生を体験するサブスク

 削除申請は、月曜の朝に届く。

 瑞穂は、先週フラグが立ったレビューをリストで受け取る。誹謗中傷、個人情報、スパム疑い。それぞれ判定理由がついている。確認して、削除して、完了にする。それが瑞穂の仕事の、一部だった。

 サービス名は「LifeSwitch」。月額九百八十円で、他人の人生を二十四時間体験できる。登録者は現在、全国で四百万人を超えていた。

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 最初にそのレビューを見たのは、十月の終わりだった。

 スパム疑いのフラグがついていた。
 内容はこうだった。

 *自分の人生に戻れない気がしています*

 一行だけだった。評価は星なし。ユーザー名は、ランダムな英数字だった。

 瑞穂はしばらくそれを読んだ。
 削除理由として「意味不明」は使えない。スパムにも該当しない。規約違反なし。
 保留にして、次へ進んだ。

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 翌週、同じような書き込みが三件あった。

 *いつのまにか、あの人の声で考えています*
 *もう私のことが、うまく思い出せません*
 *何かが薄くなっています*

 いずれも一行か二行。ユーザー名はいずれも違う。フラグの理由は「不審なレビュー」だった。

 瑞穂は上長の安田に報告した。
「規約違反ではないですよね」
「ないです」
「じゃあ保留で」
 それだけだった。

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 十一月に入ると、増えた。

 週に十件、二十件。内容は似ていたが、言葉はそれぞれ違った。

 *どちらが本物か、考えるのをやめました*
 *帰り方を、探しています*
 *誰かの目で見た景色が、自分の記憶に混ざっています*

 瑞穂はスプレッドシートに起こし始めた。
 日付、ユーザーID、文面。
 並べると、何かが見えるかもしれないと思った。

 見えなかった。
 ただ、数が増えた。

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 ある朝、ハルが膝に乗った。

 三歳の薄灰色の猫で、瑞穂が一人暮らしを始めた年に拾った。
 ハルはいつも、瑞穂が長く画面を見ていると来た。
 画面を見るのをやめろ、ということなのか、それとも別の何かなのか、瑞穂にはわからなかった。

 膝の上で、ハルは目を細めた。
 瑞穂はスプレッドシートを閉じた。

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 十一月の中旬に、運営チームでミーティングがあった。

 「戻れない」系レビューの対応について、議題に上がった。

 エンジニアの中村が言った。
「機能的には問題ないです。体験中も脳波は正常範囲。生体センサーは全部グリーンです」

 マーケの石田が言った。
「むしろこれ、バズってますよね。SNSでスクショされてる。怖い系で話題になってる。悪くないと思いますけど」

 安田が言った。
「削除しなくていいってことで。変なこと書いてくれる人は放置。話題になるなら利用しよう」

 ミーティングは十五分で終わった。

 帰り際、安田が言った。
「ところで俺、先週また使ったんだけど。今回で三十回超えた。ほんといいサービスだよ、本当に」
 瑞穂は「本当に」が二回あったことに気づいたが、言わなかった。
 安田はそのまま廊下を歩いて、自分の席とは反対方向に曲がった。三秒後に戻ってきた。何も言わなかった。

 瑞穂はメモを取りながら、手が少し止まった。
 止まったことに気づいたが、理由がうまく言葉にならなかった。

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 その夜、瑞穂はLifeSwitchを使った。

 業務確認のため、社員は無料で使える。今日で四回目だった。

 選んだのは、四十代の男性の人生だった。理由はない。ランダムを押した。

 起動すると、知らない天井があった。
 換気扇の音。かすかな油の匂い。どこかの台所だった。

 二十四時間が、流れた。

 終了して、目を開けた。
 自分の部屋だった。
 白い天井。ハルが枕元にいた。

 瑞穂はしばらく動かなかった。
 自分の部屋だ、とわかっていた。
 わかっていたが、少しだけ、手続きが必要だった。
 ここに戻るための、小さな手続きが。

 一分もかからなかった。
 だが、その一分が、以前はなかった。

 それから数日、ふとした瞬間に、換気扇の音と油の匂いが戻ってきた。台所の、あの湿った空気が。懐かしい、という言葉が浮かんで、瑞穂はそれを打ち消した。

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 十二月の最初の週、レビューの数は百件を超えた。

 内容が変わっていた。

 *その人の好きな曲が、頭から離れません。私が好きだったものが、もうわかりません*
 *使うたびに、戻るのが遅くなっています。これは正常ですか*
 *先週、鏡を見て、一秒だけ他人の顔だと思いました*

 瑞穂はスプレッドシートに追加した。
 列が増えた。「体験回数」の列を作った。
 確認できる範囲で、使用回数を拾った。

 戻れない系レビューを書いたユーザーの、平均体験回数は十七回だった。
 全ユーザー平均は四・三回だった。

 瑞穂は数字を見た。
 しばらく見た。

 それから、自分の使用回数を確認した。
 四回だった。

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 安田に報告した。

「使用回数と、戻れない系レビューに相関があります」

 安田は一瞬、瑞穂の顔を見た。何かを思い出すような間があってから、言った。

「そう」

「何か、確認した方がいいんじゃないでしょうか」

「中村に聞いたよ。生体データは問題ない。心理的な慣れの問題じゃないかって」

「慣れ、ですか」

「旅行から帰った後みたいなもんだって。しばらくすれば戻るって」

 瑞穂は「しばらくすれば」という言葉を聞いた。

「戻った人のレビューは、あるんですか」

 安田は少し止まった。
 その間が、少し長かった。

「……調べてないな」

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 調べた。

 戻れない系レビューを書いたユーザーIDと、その後の利用履歴を照合した。
 百三件中、九十一件が、レビューを書いた後もサービスを使い続けていた。
 やめたユーザーは、十二件。
 その十二件が、その後どうなったか、サービス側には知る方法がなかった。

 瑞穂はしばらくそこで止まった。

 ハルが足元に来た。
 鳴かなかった。ただ、来た。

 瑞穂は画面を閉じなかった。

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 十二月の下旬、もう一つ気になることがあった。

 レビューの言葉が、似てきていた。

 最初はバラバラだった。体験した人生も、感じたことも、言い方も、それぞれ違っていた。それが十二月に入ってから、少しずつ、同じ言い回しが増えた。

 *ここが本物です*

 その一文が、四件あった。投稿日はそれぞれ違う。ユーザーIDも違う。体験した人生も、おそらく違う。
 それでも、同じ一文だった。

 瑞穂はその四件を並べた。
 何かを書こうとして、やめた。

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 年末に、もう一件届いた。

 評価は星五つ。
 文面はこうだった。

 *ここが本物です*

 五件目だった。
 ユーザーIDを確認した。
 体験回数は、四十三回だった。直近三十日の使用ログを見ると、このユーザーは一度もサービスを終了していなかった。
 起動したまま、三十日が経っていた。
 プロフィール欄には、一行だけ書いてあった。職業:無職。以前:会社員。
 体験履歴を見ると、四十三回すべて、同じIDの人生だった。

 瑞穂はそのレビューを、保留にした。
 削除はしなかった。
 理由は、書けなかった。

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 年が明けた。

 瑞穂の使用回数は、いつの間にか八回になっていた。
 業務確認は、四回で十分だった。
 五回目以降は、理由をつけるのをやめた。
 七回目と八回目の間に何日あったか、思い出せなかった。

 ハルが膝に乗った。
 重かった。温かかった。
 知っている重さだった。

 瑞穂はハルを見た。
 知っている顔だった。
 少し確認が必要だった。
 ほんの少し、だった。