息が白くなるほど冷え切った空間だった。
執務机の奥、山積みの書簡から顔を上げた燎芳の双眸が、射抜くように雪玲を捉える。
「誰の許可を得て入った」
氷点下の声に足がすくみそうになるのをこらえ、雪玲は進み出て、盆を机の端に置いた。
雪玲の後ろに鳥月が控えているのを認めた燎芳は、短く息を吐き、背を椅子に預けると、書簡を机へと放る。
「……夜食をお持ちしました」
震える声を必死に隠し、雪玲は彼を真っ直ぐに睨み返す。
「戦利品が盛った毒を恐れるのであれば、捨てていただいて構いませんが」
自暴自棄にも近い挑発。
しかし、燎芳の視線は雪玲の顔から盆の上へと移り――そこで、ピタリと凍りついた。
朱塗りの盆に乗った、不格好な握り飯。
遠い過去、飢えた瞳をしていた彼に差し出したものと、同じいびつな形。
燎芳の分厚い無表情の仮面に、ほんの一瞬、取り繕いきれない亀裂が走った。
深く沈んだ瞳の奥で、激しい感情の嵐が吹き荒れたのを雪玲は確かに見た。
次の瞬間、燎芳は無言のまま手を伸ばした。
「あっ……!」
止める間もなかった。
彼は毒見をさせることもなく、無造作にその不格好な飯を掴み、食らいついた。
塩加減すら間違えた、冷めかけの不格好な飯。
けれど彼は、一欠片の米粒すら残さず平らげていく。
毒が入っているかもしれないのに。
国を奪い、恨み骨髄に徹しているはずの捕虜が作ったものなのに。
彼は一切の躊躇なく、ただ黙々と雪玲の作ったものを胃の腑に収めた。
「……監察長官は、西の高楼に幽閉している」
やがて長い溜息とともに落ちた低い声に、雪玲ははっとして顔を上げた。
「丁重に扱えと命じてある。命に別状はない」
それは、雪玲が何よりも欲していた言葉だった。
張り詰めていた糸が切れ、目頭が熱くなる。
「……なぜ」
混乱する雪玲の問いを遮るように、燎芳の鋭い視線が、盆を下ろした雪玲の右手――火傷で赤く腫れ上がり、熱い飯を無理に握ったせいでさらに痛々しく爛れた皮膚へと突き刺さった。
その瞬間、政務室の空気が一気に氷点下まで冷え込んだ。
「話が終わったらならば……下がれ」
地を這うような、凄まじい怒りを孕んだ声だった。
呆然とする雪玲が部屋から追い出されるように廊下へ出ると、いつの間にか退室していたらしき鳥月が、闇の奥で壁に背を預けて待っていた。
「おや、ご無事で何より」
飄々と笑うその男は、絶対の君主が「あの初恋の少女」の作ったものを拒むはずがないと、最初からすべて分かっていて雪玲をけしかけたのだ。
主君が捕らわれている、ちっぽけな過去の思い出を知る男の、底意地の悪い、しかしどこか楽しげな笑いだった。
(私は……)
手の中の空になった盆を見つめ、雪玲は己の心が激しく軋むのを感じていた。
執務机の奥、山積みの書簡から顔を上げた燎芳の双眸が、射抜くように雪玲を捉える。
「誰の許可を得て入った」
氷点下の声に足がすくみそうになるのをこらえ、雪玲は進み出て、盆を机の端に置いた。
雪玲の後ろに鳥月が控えているのを認めた燎芳は、短く息を吐き、背を椅子に預けると、書簡を机へと放る。
「……夜食をお持ちしました」
震える声を必死に隠し、雪玲は彼を真っ直ぐに睨み返す。
「戦利品が盛った毒を恐れるのであれば、捨てていただいて構いませんが」
自暴自棄にも近い挑発。
しかし、燎芳の視線は雪玲の顔から盆の上へと移り――そこで、ピタリと凍りついた。
朱塗りの盆に乗った、不格好な握り飯。
遠い過去、飢えた瞳をしていた彼に差し出したものと、同じいびつな形。
燎芳の分厚い無表情の仮面に、ほんの一瞬、取り繕いきれない亀裂が走った。
深く沈んだ瞳の奥で、激しい感情の嵐が吹き荒れたのを雪玲は確かに見た。
次の瞬間、燎芳は無言のまま手を伸ばした。
「あっ……!」
止める間もなかった。
彼は毒見をさせることもなく、無造作にその不格好な飯を掴み、食らいついた。
塩加減すら間違えた、冷めかけの不格好な飯。
けれど彼は、一欠片の米粒すら残さず平らげていく。
毒が入っているかもしれないのに。
国を奪い、恨み骨髄に徹しているはずの捕虜が作ったものなのに。
彼は一切の躊躇なく、ただ黙々と雪玲の作ったものを胃の腑に収めた。
「……監察長官は、西の高楼に幽閉している」
やがて長い溜息とともに落ちた低い声に、雪玲ははっとして顔を上げた。
「丁重に扱えと命じてある。命に別状はない」
それは、雪玲が何よりも欲していた言葉だった。
張り詰めていた糸が切れ、目頭が熱くなる。
「……なぜ」
混乱する雪玲の問いを遮るように、燎芳の鋭い視線が、盆を下ろした雪玲の右手――火傷で赤く腫れ上がり、熱い飯を無理に握ったせいでさらに痛々しく爛れた皮膚へと突き刺さった。
その瞬間、政務室の空気が一気に氷点下まで冷え込んだ。
「話が終わったらならば……下がれ」
地を這うような、凄まじい怒りを孕んだ声だった。
呆然とする雪玲が部屋から追い出されるように廊下へ出ると、いつの間にか退室していたらしき鳥月が、闇の奥で壁に背を預けて待っていた。
「おや、ご無事で何より」
飄々と笑うその男は、絶対の君主が「あの初恋の少女」の作ったものを拒むはずがないと、最初からすべて分かっていて雪玲をけしかけたのだ。
主君が捕らわれている、ちっぽけな過去の思い出を知る男の、底意地の悪い、しかしどこか楽しげな笑いだった。
(私は……)
手の中の空になった盆を見つめ、雪玲は己の心が激しく軋むのを感じていた。



