瑞鳳の雪は鉄砂の王に溶かされる

軟禁生活に入って数日。
することがなく、ただあてもなく玉瞬宮をうろついていた雪玲は、ふと漂ってきた湯気の匂いに誘われるように厨房へと辿り着いた。
そこには、鉄砂国の兵に怯えきった見知らぬ下女たちが身を寄せ合うように控えていた。

気晴らしに――思い立ったものの、包丁すらまともに握ったことのない雪玲に、立派な膳など作れるはずがない。
唯一作れるのは、幼い頃に父の屋敷の台所番の厨老女から見よう見まねで教わった、不格好な握り飯だけだった。

下女たちの助けを借りて炊き上がった熱い飯が、火傷を負ったままの右手に容赦なくしみる。
雪玲は顔をしかめ、痛みを必死に隠しながら飯を握った。
形は不揃いでいびつになり、塩加減すら合っているのか自信がない。
それが余計に、己の無力さを突きつけられているようで腹立たしかった。

朱塗りの盆の上に並んだ不格好な握り飯を見下ろし、雪玲の脳裏にふと、黒い誘惑がよぎった。

(いっそ、毒を盛ってやろうか)

傍らにいる下女の一人は薬草の知識が、少しばかりあるという。
命じれば、毒に類する野草を用意することも不可能ではないだろう。
あの男さえ死ねば、と暗い激情が渦巻く。
だが、もしそんな真似をすれば、真っ先に疑われるのは自分であり、手伝わされたこの罪なき下女たちも残酷な拷問を受けることになる。

雪玲は固く拳を握りしめた。
国を滅ぼした彼を深く憎んでいる。
それでも、自らの矜持と、他者を巻き込まないという人としての線だけは決して越えられなかった。

「いやはや、宮の主が、随分とまた素朴なものをお作りになる」

背後から唐突に降ってきた声に、雪玲は弾かれたように振り返った。
厨房の入り口の柱に寄りかかっていたのは、支配者の影として付き従う男――烏月だった。
いつからそこにいたのか、前髪の奥の細められた双眸が、雪玲と盆の上の不格好な飯を交互に見て、面白そうに弧を描いている。

「……監視役なら、私が毒でも仕込んでいないか隅々まで検分なさったらどうですか」

「滅相もない。そのような度胸も、周囲を巻き込む残酷さも、貴女には持ち合わせていないでしょうから」

見透かしたような烏月の言葉に、雪玲は唇を噛んだ。
手のひらの上で転がされているようで腹立たしい。
足早にその場を立ち去ろうと盆を持ち上げた雪玲の耳元へ、すれ違いざま、烏月がふわりと毒を含んだ囁きを落とした。

「随分と退屈を持て余しておいでだ。そういえば……お父上の安否を知りたくはありませんか?」

ピタリと、雪玲の足が止まった。
盆を持った指先が白くなるほどに力が入る。
振り返った雪玲の切迫した視線を正面から受け止め、烏月は薄く笑った。

「殿下は今夜、仮宮の政務室にお一人です。戦利品としての『愛嬌』を見せるおつもりがあるなら、その手作りの夜食でも持参してはいかがです。運が良ければ、殿下も少しは口を割るかもしれませんよ」

それは明らかな挑発であり、雪玲のちっぽけな自尊心を煽る暗い罠の匂いがした。
だが、父の生死が分からないまま檻の中で虚ろな時間を過ごすことには、もう耐えられなかった。
あの男が今、一人でいる。
直接問い詰める機会など、この先二度と巡ってこないかもしれない。

「……行くわ」

雪玲の静かで硬い声を聞き届けると、烏月は「ご案内しましょう」と恭しく頭を下げた。
その口元が、ひっそりと満足げに歪んでいたことなど、今の雪玲には気づくよすがもない。

夜の闇に沈む後宮の回廊は、ひどく冷たかった。
やがて烏月に案内された仮宮の最奥。
あの侵略者は、瑞鳳を落としたのち、鉄砂国皇帝の代理たる『総督』として、この接収した王宮から仮朝廷を采配しているらしい。
王の座を奪い、我が物顔で祖国を牛耳るその浅ましさに、腹の底が煮えくり返る思いだった。
だが、黒檀の扉の前に立つと、雪玲の胸の奥で、激しい憎悪と、わずかな期待がないまぜになって脈打つ。
小さく息を吸い込み、雪玲は意を決して、政務室の重い扉を押し開けた。