無事に畑のネギへ力を注ぎ、へたっていた葉が、瑞々しくピンと立つのを見届けて、帰路についた。
農民達は、「香梅庭の花姫様のおかげじゃ」と喜んでくれていた。
父もそうだが、みんな、自分のことを持ち上げすぎだと思う。
父が持たせてくれた握り飯を頬張りながら、牛車の小窓から外をうかがう。
邸宅の中とは、別世界だ。
すでに荘園からは離れて、都の中に入っているが、都の中でも外れの方は、華やかさやきらびやかさとは違う、吹きだまりのような場所がある。
都で下働きをしている庶民は、そういう場所に住んでいる。
板を張っただけの家。
まだ肌寒いのに、服は薄くて汚れている。
通りすがりの痩せこけた男の人が、こちらをギロリとにらんできて、思わず小窓から離れた。
……きっと、お腹も空いているんだろう。
自分の持つ、食べかけの握り飯を見つめながら、情けなくなる。
自分は、作物を元気にすることはできても、あの男の人を助けてやることはできない。
食べかけの飯なんかをあげたら、きっと余計に怒らせてしまう。
……自分には、何もできない。
悶々としていると、急に牛車が止まった。
御者の声が聞こえる。
「おい、邪魔だ邪魔。
さっさとどいて、早く」
何事かと、すだれを上げると。
牛車の前で、自分と同い年ぐらいの男の子と、その母親らしい女の人が、地面にうずくまって震えていた。
例に漏れず、2人ともボロ布を着ている。
男の子のむき出しの足からは、血が流れていた。
おそらく、転んでしまったのだろう。
母親が、立ち上がらせようと、懸命に男の子を支えている。
「早くどけって言ってるだろう!聞こえないのか……」
「待って。動けないのよ。
こんなに痩せて、足からも血が出てるじゃない」
「しかし、姫様……」
「怒鳴ったって、動けるようにはならないでしょ」
私は牛車から飛び降りて、男の子の方へ向かう。
「痛いでしょ。大丈夫……じゃなさそうね」
男の子は、膝をすりむいただけでなく、足首もひねったようだった。
くるぶしの辺りが、はれて赤くなっている。
よく見ると、足裏は豆だらけだ。
脱げかけのわらじはすり切れて、今にも鼻緒がもげそうになっている。
「家は近いの?」
私が尋ねると、男の子は半べそで、首を横に振った。
母親が口を開く。
「私達は、山の向こうの村から来たんです。
都に、お会いしたい方がいて……」
「その方のお宅は?」
「いえ……場所が分からなくて、探しているところなんです……」
私はため息をつく。
御者の方を振り返った。
「ねえ!
このままじゃ、行き倒れてしまうわ。
屋敷で、手当てしてあげましょうよ」
「しかし、素性の分からぬ者を、お屋敷に入れるわけには」
「この身体では、悪さをすることだってできないわよ。
お願い。お父様には、私から説明するから」
「そうは言っても……」
「断るなら、もう、荘園の作物の面倒は見ない」
「えっ」
「牛車に乗るたび、きっと、今日のことを思い出して、後悔するもの。
悲しくて、力を使うどころじゃなくなっちゃう」
嘘ではない。
自分の力を分け与えるのだ。荒んだ精神状態では、出せる力も出せなくなってしまう。
「ね、お願い」
「……今回だけですよ。
お前たち、乗る前に泥と埃を払ってくれよ」
「ありがとう!脅すようなこと言って、ごめんなさい」
さ、と親子に手を貸して、乗るように促す。
親子は、気後れしつつも、小さい声で、何度もお礼を言っていた。
そんなに言わなくても、御者にはちゃんと聞こえてるのに。
それより、足が痛そうで気になる。
手当てして、少しでも良くなるといいんだけど。
親子が、牛車のすみに、ちょこんと座る。
御者の合図と共に、牛車は再び動き出した。
親子は、うつむいたり、顔を見合わせたり、落ち着かない様子だ。
……そうだ、自己紹介しなきゃ。
身元が分からない人の牛車なんて、居心地が悪いに決まっている。
「改めまして、こんにちは。
私は、桐島良房の娘、ましろです。
屋敷は、ほかの人から『香梅庭』と呼ばれているの。
今、梅が見事に咲いているから、楽しみにしていてね。
……あなた方の、お名前をうかがっても、いいかしら」
母親が、はっと顔を上げる。
そして、男の子をいたわるように抱き寄せた。
「私は、山の向こうの和泉村から参りました、静と申します。
こちらは、息子の耕太と申します」
「お初にお目にかかります、耕太と申します」
そうして、深々と頭を下げる。
思ったより、ずっと、きちんとした挨拶だ。
荘園の農民達は、父に対してはともかく、女子供相手だと、もっとあけすけで失礼だったり、萎縮してボソボソ声になったりするのに。
「畑を生業にしてらっしゃるの?」
「ええ、ですが、度重なる飢饉で、生活が立ち行かなくなってしまいました。
それで、親族を頼ろうと、都へ出てきたんです」
「ご親族は、都にお勤めなのね」
「ええ……まあ、そんなところです」
私はうなずく。
確かに昨夏は、日照りが続き、どこも不作だったと聞いている。
父の荘園は、自分が力を注いで、なんとか持ち直したが、山の向こうは荘園の範囲外だ。
かなり、つらい目に遭っていたに違いない。
「ご苦労なさったのね。
屋敷では、ゆっくりくつろぐといいわ」
「ありがとうございます」
それから、とりとめもない雑談をしていると、屋敷に到着した。
いつものように、父が出迎えてくれる。
「おぉ花姫、よく戻った……
……!?
な、何奴!?」
親子が牛車から降りるのを見て、父が驚く。
私は父に駆け寄って、説明する。
「お友達よ!
ケガをされているの。
手当てして差し上げてもいいでしょう?」
「え、あ、友達?」
「お願いよ、お父様」
父は、戸惑ったように私と親子を見比べている。
すると、耕太が、痛む足を浮かせながらも、しゃんと背筋を伸ばした。
牛車の中で休んでいるうちに、少し元気を取り戻したようだ。
「お初にお目にかかります、香梅庭の君。
私は、和泉村から参りました、耕太と申します。
こちらは母の静です。
先程、姫君に命を助けていただきました」
父がぽかんとする。
「命を?」
「大げさなのよ」
耕太は、深々と頭を下げる。
「姫様にいただいた恩義は、生涯、忘れません」
「大げさなんだってば。
……ねえ、お父様、お願い。
私の初めてのお友達なのよ。
それに……私、お母様が亡くなってから、寂しくて……
お願い、この方達を追い出すなんて、言わないで」
「花姫……」
父にも、思う所があったらしい。
亡き妻と同じ年頃の女性と、愛娘と同じ年頃の童。
他人事とは思えなかったのだろう。
父は大きくため息をついた。
「……分かった。
さすがに泊めるわけにはいかぬが、日暮れまでは滞在を許そう。
屋内への立ち入りはならん。
庭で過ごすようになさい」
「ありがとう、お父様!」
「感謝申し上げます、香梅庭の君。
この御恩は忘れません」
「ああ、そうしてくれ」
私は耕太の手を取って、屋敷に上がる手前の階段に座らせた。
父は、女官を呼んで、耕太の母親の相手をさせている。
私はさらし布と、水を張った桶を用意して、耕太の所へ戻った。
膝の傷を洗って、泥を落とし、濡らした布を、はれた足首に当てて冷やす。
耕太が、ぽつりとつぶやいた。
「……ごめん」
「何が?
お父様にも怒られなかったし、大丈夫よ」
「そうじゃなくて、世話をかけているから」
「気にすることないわ。
いつも、庭木の世話をしてるもの」
「俺は木と同じってこと?」
「違うけど、似たようなものよ。
元気がなければ、力を分けてあげたいじゃない」
「……ましろみたいな貴族、初めて見た。
貴族は、農民から年貢を、むしり取るだけだと思ってた」
「否定はしないわ」
このさらし布だって、桶だって、農民からの年貢で賄ったものだ。
私が助けているわけじゃない。
農民の年貢で助けているにすぎない。
かすかな南風が、庭に植えられた白梅の香りを、運んでくる。
……この香りだけは、自分が作ったと言っていい、かもしれない。
毎日、周囲の雑草をむしり、虫を取り除き、必要があれば剪定もした。
虫に食われたり、病気にかかるたびに、力を分け与えては、育ててきた。
見上げると、耕太も香りに気付いたのか、庭の方を眺めている。
「いい香りでしょ」
「うん」
耕太の顔が緩む。
それが嬉しかった。
やっと、助けになれた気がして。
一緒に、咲き乱れる白梅を眺める。
庭園に広がる池には、丹塗りの橋がかかり、水面には白梅と青空が映る。
この景色が、少しでも癒しになればいい。
「そうだ、お礼をしなきゃ」
「お礼?そんな、ケガ人からお礼なんて」
「いいから。
石を持ってきて。なるべく大きいの」
「石?」
私は、疑問に思いながらも、池のほとりにある、手のひらほどの石を持ってくる。
「これでいい?」
「うん。
ちょっと、目をつぶってて」
「?」
困惑して耕太を見つめると、耕太は、私を安心させるように、私の持つ石の上に、そっと手を乗せる。
よく分からないが、とりあえずつぶる。
と、一拍置いて、手の上の石が、ずしりと重くなった。
「いいよ」
耕太にうながされて、目を開ける。
私は仰天した。
手のひらに乗っているのは、池のほとりにあった、灰白色の石ではない。
まるで宵闇のような、深い深い、漆黒の石だ。
「え、……え?」
「大丈夫。ただの鉄鋼だよ。
農具やはさみ、包丁なんかの材料にできる。
父上に渡してごらん。
貴族の伝手を使えば、高値で取引できるはずだから」
私はため息をつく。
よくよく見れば、石の形は、もとの灰白色の石と同じだ。
ただ、色や重さが違う。
「どうやったの?」
「こう……触れて、強く念じる。
そうすれば、俺は、大概のものを鉄鋼に変えることができるんだ。
おっ母は、神仏の加護だって言うけど……本当のところは何か、分からない」
「すごいのね」
「あ、……でも、この力のことは、皆には秘密にして。
しかるべき時に、しかるべき人に知らせなくちゃいけないんだ」
「しかるべき人?」
尋ねると、耕太は苦笑した。
「……実は、僕のおっ父は、帝なんだ」
「え……?」
「陛下が、和泉村に湯治に来た時に、おっ母と結ばれたんだって。
おっ母は、いらぬ争いに巻き込まれないようにと、1人で俺を育ててくれたんだけど……。
このところ、飢饉が続いて。
俺も、この鋼鉄の力で、一生懸命農具を作ったり、鉄鋼を売ったりしてたんだけど。
この力を使うと、ものすごくお腹が空くから、あんまりたくさん作ることもできなくて。
それで……おっ母は、都の方がいい暮らしができるだろうからって、名乗り出ることを決めたんだ」
「……そうだったの」
「でも、勘違いしないで。
俺は、帝に恵んでもらいに来たんじゃない」
耕太は、はっきりと断言して、私を見つめてくる。
その強い眼差しに、今度は私が居住まいを正す。
「僕は、僕の力で、この国をもっと豊かにするんだ。
飢饉なんかに負けないくらい。
それで、この国の人みんなを助けるんだ。
僕が、帝と一緒に暮らせれば、思いきり力を使っても、食べるには困らない。
今までよりずっとたくさん、力を役立てることができる」
「……すごい」
私は感嘆する。
すごいのは、耕太の力ではない、耕太自身だ。
自分の力を、そんな広大な視点で使おうとするなんて、私にはちっとも思い浮かばなかった。
耕太は、自分が食べるのに困って、こんなに痩せ細っても、自分の腹を満たすことより、飢饉に苦しむ大勢の人を救おうとしている。
なんて立派な人なのだろう。
私は。
父に言われるがまま、父の荘園と自分の庭のことにしか、力を使おうとしなかった。
「ちょっと待ってて」
私は耕太に一声かけて、庭に植わっている果樹の木に駆け寄る。
深呼吸して、スモモの幹に手を当てる。
力を注ぐと、枝からつぼみが顔を出し、ほころび、花が咲き、実がふくらんで熟していく。
すっかり完熟したのを見計らって、スモモを2つ、枝からもぎ取った。
耕太のところへ駆け戻ると、耕太は目を丸くしている。
「今のって……」
「私もね、力を使えるの。
自分の力を、植物に分けてあげることができるのよ」
「ましろも、同じだったんだ」
「同じだけど、違う。
あなたのほうが、ずっと立派よ」
どうぞ、と、スモモを1つ、耕太に渡す。
「貴重な鉄鋼をありがとう。
力を使うと、お腹が空くでしょ。
一緒に食べましょう」
耕太は頬張ると、にっこり笑う。
ああ、やっと笑ってくれた。ずっと、何かを背負った、苦しそうな顔をしていたから。
嬉しくて、私もスモモにかぶりつく。
「私、決めた。
私も、耕太みたいに、たくさんの人を助けたい。
みんなを助けようとする耕太を、私が助ける。
耕太は皇子様だし……まだ、私に何ができるか分からないけど……
でも、きっと助けに行くから」
「ありがとう。
すごく甘い、このスモモ」
「え、そっち?」
「うん」
顔を見合わせて、笑う。
このスモモの甘さと、風にのる白梅の香りを、私はきっと、忘れない。
農民達は、「香梅庭の花姫様のおかげじゃ」と喜んでくれていた。
父もそうだが、みんな、自分のことを持ち上げすぎだと思う。
父が持たせてくれた握り飯を頬張りながら、牛車の小窓から外をうかがう。
邸宅の中とは、別世界だ。
すでに荘園からは離れて、都の中に入っているが、都の中でも外れの方は、華やかさやきらびやかさとは違う、吹きだまりのような場所がある。
都で下働きをしている庶民は、そういう場所に住んでいる。
板を張っただけの家。
まだ肌寒いのに、服は薄くて汚れている。
通りすがりの痩せこけた男の人が、こちらをギロリとにらんできて、思わず小窓から離れた。
……きっと、お腹も空いているんだろう。
自分の持つ、食べかけの握り飯を見つめながら、情けなくなる。
自分は、作物を元気にすることはできても、あの男の人を助けてやることはできない。
食べかけの飯なんかをあげたら、きっと余計に怒らせてしまう。
……自分には、何もできない。
悶々としていると、急に牛車が止まった。
御者の声が聞こえる。
「おい、邪魔だ邪魔。
さっさとどいて、早く」
何事かと、すだれを上げると。
牛車の前で、自分と同い年ぐらいの男の子と、その母親らしい女の人が、地面にうずくまって震えていた。
例に漏れず、2人ともボロ布を着ている。
男の子のむき出しの足からは、血が流れていた。
おそらく、転んでしまったのだろう。
母親が、立ち上がらせようと、懸命に男の子を支えている。
「早くどけって言ってるだろう!聞こえないのか……」
「待って。動けないのよ。
こんなに痩せて、足からも血が出てるじゃない」
「しかし、姫様……」
「怒鳴ったって、動けるようにはならないでしょ」
私は牛車から飛び降りて、男の子の方へ向かう。
「痛いでしょ。大丈夫……じゃなさそうね」
男の子は、膝をすりむいただけでなく、足首もひねったようだった。
くるぶしの辺りが、はれて赤くなっている。
よく見ると、足裏は豆だらけだ。
脱げかけのわらじはすり切れて、今にも鼻緒がもげそうになっている。
「家は近いの?」
私が尋ねると、男の子は半べそで、首を横に振った。
母親が口を開く。
「私達は、山の向こうの村から来たんです。
都に、お会いしたい方がいて……」
「その方のお宅は?」
「いえ……場所が分からなくて、探しているところなんです……」
私はため息をつく。
御者の方を振り返った。
「ねえ!
このままじゃ、行き倒れてしまうわ。
屋敷で、手当てしてあげましょうよ」
「しかし、素性の分からぬ者を、お屋敷に入れるわけには」
「この身体では、悪さをすることだってできないわよ。
お願い。お父様には、私から説明するから」
「そうは言っても……」
「断るなら、もう、荘園の作物の面倒は見ない」
「えっ」
「牛車に乗るたび、きっと、今日のことを思い出して、後悔するもの。
悲しくて、力を使うどころじゃなくなっちゃう」
嘘ではない。
自分の力を分け与えるのだ。荒んだ精神状態では、出せる力も出せなくなってしまう。
「ね、お願い」
「……今回だけですよ。
お前たち、乗る前に泥と埃を払ってくれよ」
「ありがとう!脅すようなこと言って、ごめんなさい」
さ、と親子に手を貸して、乗るように促す。
親子は、気後れしつつも、小さい声で、何度もお礼を言っていた。
そんなに言わなくても、御者にはちゃんと聞こえてるのに。
それより、足が痛そうで気になる。
手当てして、少しでも良くなるといいんだけど。
親子が、牛車のすみに、ちょこんと座る。
御者の合図と共に、牛車は再び動き出した。
親子は、うつむいたり、顔を見合わせたり、落ち着かない様子だ。
……そうだ、自己紹介しなきゃ。
身元が分からない人の牛車なんて、居心地が悪いに決まっている。
「改めまして、こんにちは。
私は、桐島良房の娘、ましろです。
屋敷は、ほかの人から『香梅庭』と呼ばれているの。
今、梅が見事に咲いているから、楽しみにしていてね。
……あなた方の、お名前をうかがっても、いいかしら」
母親が、はっと顔を上げる。
そして、男の子をいたわるように抱き寄せた。
「私は、山の向こうの和泉村から参りました、静と申します。
こちらは、息子の耕太と申します」
「お初にお目にかかります、耕太と申します」
そうして、深々と頭を下げる。
思ったより、ずっと、きちんとした挨拶だ。
荘園の農民達は、父に対してはともかく、女子供相手だと、もっとあけすけで失礼だったり、萎縮してボソボソ声になったりするのに。
「畑を生業にしてらっしゃるの?」
「ええ、ですが、度重なる飢饉で、生活が立ち行かなくなってしまいました。
それで、親族を頼ろうと、都へ出てきたんです」
「ご親族は、都にお勤めなのね」
「ええ……まあ、そんなところです」
私はうなずく。
確かに昨夏は、日照りが続き、どこも不作だったと聞いている。
父の荘園は、自分が力を注いで、なんとか持ち直したが、山の向こうは荘園の範囲外だ。
かなり、つらい目に遭っていたに違いない。
「ご苦労なさったのね。
屋敷では、ゆっくりくつろぐといいわ」
「ありがとうございます」
それから、とりとめもない雑談をしていると、屋敷に到着した。
いつものように、父が出迎えてくれる。
「おぉ花姫、よく戻った……
……!?
な、何奴!?」
親子が牛車から降りるのを見て、父が驚く。
私は父に駆け寄って、説明する。
「お友達よ!
ケガをされているの。
手当てして差し上げてもいいでしょう?」
「え、あ、友達?」
「お願いよ、お父様」
父は、戸惑ったように私と親子を見比べている。
すると、耕太が、痛む足を浮かせながらも、しゃんと背筋を伸ばした。
牛車の中で休んでいるうちに、少し元気を取り戻したようだ。
「お初にお目にかかります、香梅庭の君。
私は、和泉村から参りました、耕太と申します。
こちらは母の静です。
先程、姫君に命を助けていただきました」
父がぽかんとする。
「命を?」
「大げさなのよ」
耕太は、深々と頭を下げる。
「姫様にいただいた恩義は、生涯、忘れません」
「大げさなんだってば。
……ねえ、お父様、お願い。
私の初めてのお友達なのよ。
それに……私、お母様が亡くなってから、寂しくて……
お願い、この方達を追い出すなんて、言わないで」
「花姫……」
父にも、思う所があったらしい。
亡き妻と同じ年頃の女性と、愛娘と同じ年頃の童。
他人事とは思えなかったのだろう。
父は大きくため息をついた。
「……分かった。
さすがに泊めるわけにはいかぬが、日暮れまでは滞在を許そう。
屋内への立ち入りはならん。
庭で過ごすようになさい」
「ありがとう、お父様!」
「感謝申し上げます、香梅庭の君。
この御恩は忘れません」
「ああ、そうしてくれ」
私は耕太の手を取って、屋敷に上がる手前の階段に座らせた。
父は、女官を呼んで、耕太の母親の相手をさせている。
私はさらし布と、水を張った桶を用意して、耕太の所へ戻った。
膝の傷を洗って、泥を落とし、濡らした布を、はれた足首に当てて冷やす。
耕太が、ぽつりとつぶやいた。
「……ごめん」
「何が?
お父様にも怒られなかったし、大丈夫よ」
「そうじゃなくて、世話をかけているから」
「気にすることないわ。
いつも、庭木の世話をしてるもの」
「俺は木と同じってこと?」
「違うけど、似たようなものよ。
元気がなければ、力を分けてあげたいじゃない」
「……ましろみたいな貴族、初めて見た。
貴族は、農民から年貢を、むしり取るだけだと思ってた」
「否定はしないわ」
このさらし布だって、桶だって、農民からの年貢で賄ったものだ。
私が助けているわけじゃない。
農民の年貢で助けているにすぎない。
かすかな南風が、庭に植えられた白梅の香りを、運んでくる。
……この香りだけは、自分が作ったと言っていい、かもしれない。
毎日、周囲の雑草をむしり、虫を取り除き、必要があれば剪定もした。
虫に食われたり、病気にかかるたびに、力を分け与えては、育ててきた。
見上げると、耕太も香りに気付いたのか、庭の方を眺めている。
「いい香りでしょ」
「うん」
耕太の顔が緩む。
それが嬉しかった。
やっと、助けになれた気がして。
一緒に、咲き乱れる白梅を眺める。
庭園に広がる池には、丹塗りの橋がかかり、水面には白梅と青空が映る。
この景色が、少しでも癒しになればいい。
「そうだ、お礼をしなきゃ」
「お礼?そんな、ケガ人からお礼なんて」
「いいから。
石を持ってきて。なるべく大きいの」
「石?」
私は、疑問に思いながらも、池のほとりにある、手のひらほどの石を持ってくる。
「これでいい?」
「うん。
ちょっと、目をつぶってて」
「?」
困惑して耕太を見つめると、耕太は、私を安心させるように、私の持つ石の上に、そっと手を乗せる。
よく分からないが、とりあえずつぶる。
と、一拍置いて、手の上の石が、ずしりと重くなった。
「いいよ」
耕太にうながされて、目を開ける。
私は仰天した。
手のひらに乗っているのは、池のほとりにあった、灰白色の石ではない。
まるで宵闇のような、深い深い、漆黒の石だ。
「え、……え?」
「大丈夫。ただの鉄鋼だよ。
農具やはさみ、包丁なんかの材料にできる。
父上に渡してごらん。
貴族の伝手を使えば、高値で取引できるはずだから」
私はため息をつく。
よくよく見れば、石の形は、もとの灰白色の石と同じだ。
ただ、色や重さが違う。
「どうやったの?」
「こう……触れて、強く念じる。
そうすれば、俺は、大概のものを鉄鋼に変えることができるんだ。
おっ母は、神仏の加護だって言うけど……本当のところは何か、分からない」
「すごいのね」
「あ、……でも、この力のことは、皆には秘密にして。
しかるべき時に、しかるべき人に知らせなくちゃいけないんだ」
「しかるべき人?」
尋ねると、耕太は苦笑した。
「……実は、僕のおっ父は、帝なんだ」
「え……?」
「陛下が、和泉村に湯治に来た時に、おっ母と結ばれたんだって。
おっ母は、いらぬ争いに巻き込まれないようにと、1人で俺を育ててくれたんだけど……。
このところ、飢饉が続いて。
俺も、この鋼鉄の力で、一生懸命農具を作ったり、鉄鋼を売ったりしてたんだけど。
この力を使うと、ものすごくお腹が空くから、あんまりたくさん作ることもできなくて。
それで……おっ母は、都の方がいい暮らしができるだろうからって、名乗り出ることを決めたんだ」
「……そうだったの」
「でも、勘違いしないで。
俺は、帝に恵んでもらいに来たんじゃない」
耕太は、はっきりと断言して、私を見つめてくる。
その強い眼差しに、今度は私が居住まいを正す。
「僕は、僕の力で、この国をもっと豊かにするんだ。
飢饉なんかに負けないくらい。
それで、この国の人みんなを助けるんだ。
僕が、帝と一緒に暮らせれば、思いきり力を使っても、食べるには困らない。
今までよりずっとたくさん、力を役立てることができる」
「……すごい」
私は感嘆する。
すごいのは、耕太の力ではない、耕太自身だ。
自分の力を、そんな広大な視点で使おうとするなんて、私にはちっとも思い浮かばなかった。
耕太は、自分が食べるのに困って、こんなに痩せ細っても、自分の腹を満たすことより、飢饉に苦しむ大勢の人を救おうとしている。
なんて立派な人なのだろう。
私は。
父に言われるがまま、父の荘園と自分の庭のことにしか、力を使おうとしなかった。
「ちょっと待ってて」
私は耕太に一声かけて、庭に植わっている果樹の木に駆け寄る。
深呼吸して、スモモの幹に手を当てる。
力を注ぐと、枝からつぼみが顔を出し、ほころび、花が咲き、実がふくらんで熟していく。
すっかり完熟したのを見計らって、スモモを2つ、枝からもぎ取った。
耕太のところへ駆け戻ると、耕太は目を丸くしている。
「今のって……」
「私もね、力を使えるの。
自分の力を、植物に分けてあげることができるのよ」
「ましろも、同じだったんだ」
「同じだけど、違う。
あなたのほうが、ずっと立派よ」
どうぞ、と、スモモを1つ、耕太に渡す。
「貴重な鉄鋼をありがとう。
力を使うと、お腹が空くでしょ。
一緒に食べましょう」
耕太は頬張ると、にっこり笑う。
ああ、やっと笑ってくれた。ずっと、何かを背負った、苦しそうな顔をしていたから。
嬉しくて、私もスモモにかぶりつく。
「私、決めた。
私も、耕太みたいに、たくさんの人を助けたい。
みんなを助けようとする耕太を、私が助ける。
耕太は皇子様だし……まだ、私に何ができるか分からないけど……
でも、きっと助けに行くから」
「ありがとう。
すごく甘い、このスモモ」
「え、そっち?」
「うん」
顔を見合わせて、笑う。
このスモモの甘さと、風にのる白梅の香りを、私はきっと、忘れない。



