四季歳華譚~守護候補生たちの日常譚~

 翌朝。快晴は目を覚ますと同時に上半身を起こし、大きく伸びをした。まだ見慣れぬ天井、まだ見慣れぬ壁。窓から差し込む温かな日差しが、舞い散る桜が、学校生活の始まりを祝福してくれているようだった。弾む気持ちそのままに、快晴は寝台から飛び降りる。

 聞き慣れた音が耳に届いて、視線を向けた。机の上に大きな黒い塊——もとい晦が、仰向けになっていびきをかいている。昨日、桃果にもらった饅頭の残りは、どうやらこいつが平らげたらしい。包み紙が周りに散乱していた。

 晦は烏には珍しく朝が弱い。快晴は、幸せそうな寝言を漏らして悶える相棒を横目に、身支度を始めた。真新しい着物はまだ体に馴染まず、腕を上げると少しぎこちない。快晴は、意味もなくもう一度、袖を通し直した。

   ***

 厳かな入学式を終え、一般課程である普通学級の教室へと向かう。快晴は一組だった。

 教室へ入ると、昨日の少女——桃果がこちらに気づいて、小さく手を振った。桃果も一組だったんだ。快晴も振り返しながら、昨日のことを思い出す。口元が自然に緩んだ。

 桃果は、それきり手元の書類に目を向けてしまった。快晴の振り上げた手が、虚しく宙を彷徨った。

 学級指導は自己紹介、注意事項と進んでいったが、快晴は桃果の方ばかり気にしていたため、あまり耳に入ってこなかった。

 初日の普通学級は昼前には解散となった。桃果に声をかけるべきか悩んでいる間に誰かが迎えに来たらしく、教室を去ってしまった。

 守護課程の集まりは十三時。快晴は鳴き声を上げる腹をなだめつつ、校内案内図を頼りに食堂へと向かった。

 日替わり定食の生姜焼きを頬張りながら周りを見渡すと、上級生を示す青や臙脂の学年章で溢れていた。これから向かう守護課程の授業は、快晴を含む特待生だけのものだ。新入生の多くは、すでに帰途についたらしい。

 快晴は、首から下げた、もらったばかりの緑の学年章を握りしめた。

   ***

 守護課程の教室は、一年から三年の教室より上、五階にある。といっても、その階の教室は二つ。授業用の教室と、畳敷きの礼法室(れいほうしつ)があるだけであった。

 期待と、ほんの少しの緊張を胸に、快晴は迷うことなく奥の教室へと向かう。

 右の引き戸に手を伸ばした瞬間だった。

 重い物がぶつかる衝撃音とともに、左側の戸が後方へ吹っ飛んでいった。

「!?」

 振り返った快晴の目に映ったのは、同じ青の馬乗り袴を身に着けた大男が、扉と共に仰向けに倒れている光景だった。炎のような赤茶の髪を中央に残し、側面を剃り上げた、見慣れない髪型をしている。

「ってーな……」

 呟くと同時に、大男は両手を使わず体を跳ね起こし、教室へと突進していった。

 快晴が教室の中へ視線を向けると、大男の向かう先に、桃果が口を半開きにして苦笑いしていた。

「あ、危ない!」

 咄嗟に教室へ駈け込もうとする。だが、大男の振り上げた拳が桃果に届く前に、先に動いた影によってそれは阻まれた。

 跳ねた黒い短髪が誰よりも早く桃果の前に滑り込み、鉢金を巻いた黒髪が斜めに割って入る。続いて、強面の侍風の大男が桃果の前に立ちはだかり、背の高い金髪の少女が、桃果の肩を両手で抱いた。

 赤茶の大男の動きが、そこでぴたりと止まった。不意打ちを食らったかのような顔をしている。

 その周りでも、それぞれが動いていた。明るい茶髪と小柄な青髪が、大男へ手を向けている。白っぽい髪の眼鏡がそれに続いた。奥では小柄な少女が震え、身なりの良い青年が心配そうに見守っている。そういえば普通学級で見かけた顔もある気がする。

「これはまた、初日から派手にやってくれたなぁ」

 快晴の後ろから、感心したような、困ったような声音が響く。

 生徒たちが揃って振り返ると、教官らしき男が、眉根を寄せつつも穏やかな笑顔を湛えて立っていた。

 男が屈みこみ、外れた扉を持ちあげようとする。快晴はもう片側に手をかけた。

「手伝います!」

 白い歯を見せて言うと、男も笑顔で応じる。

「ありがとう」

 優しそうな先生だ。二人で運んだ戸は、ひとまず廊下の壁へ立てかけた。

 その奥では、全く動じずに機械いじりをしていた少年が、ようやく状況に気づいて飛び上がり、みるみる青ざめていった。

   ***

 事の発端は、大男と青っぽい髪の少年の口論にあったという。それを止めようとした桃果が思いのほか力んでしまい、あの状況になったらしい。あの細腕のどこにそんな力が、と思ったところで昨日の状況が脳裏をよぎった。あり得る。

「それぞれ言い分はあると思うが、暴力は校則違反だからな。二度目はないと心得るように」

 桃果が大男に深く頭を下げる。大男は小さく舌打ちして、そっぽを向いた。青髪の少年は我関せずという姿勢だ。

 教官の男は皆を見回して頷いた。

「とりあえず席に着いて。まずは自己紹介からだな」

 黒板に対して縦向きに並んだ三つの長机。向かい合って座る形らしい。どの席にも守護の腕章と、真新しい冊子が一冊ずつ置かれている。席は自由だという。

 桃果はこちらに気づいて、小さく手を振った。快晴も振り返す。

 またもそれきりだった。桃果は何事もなかったかのように、教官の方を向いた。

 なぜだか少し、肩透かしを食らったような気分になる。何がとは、うまく言えなかった。

 快晴は、空いていた中央の一番後ろの席に着いた。

 生徒たちは机に置かれた守護の証を、教官に倣って左腕の着物の縫い目辺りに装着した。特待生の教育課程である「守護養成課」。略して守護課の初日は、教官の自己紹介から始まった。

「私はこの守護課三十三期生を担当することになった水無月満(みなづきみちる)だ。教官は一回り上の守護で教員免許を持つ者が就くんだが、私も教師自体は初めてでね。頼りない所もあると思うが、君たちに寄り添える教官でありたいと思っている。三年間、どうかよろしく頼む」

 満が気取りのない言葉で会釈すると、皆の緊張は少し緩んだようであった。明るい茶髪の少年が茶々を入れた。

「よっ、満クン、格好良い!」

 満はゴホン、と咳き込んでみせ、話を続けた。快晴は茶髪の少年に見覚えがある気がしたが、すぐには思い出せなかった。

「十二の国の苗字で構成する特性上、守護は同じ苗字だらけだ。この学年にも長月が二人いるしな。今後、上の代との交流も増えるだろうから、名前で呼ぶことに慣れておくといいだろう」

 なるほど、それは確かに。快晴は周りを見渡し、彼らが自分と同じく各国の苗字を持つのだと改めて実感した。守護は十二の国の苗字を持たなければなれない。

 快晴は姿勢を正した。

「守護課の募集は三年に一度。一つ上の代は、君たちの入学と入れ違いに卒業してしまった。つまり、伝統や引継ぎはない。この代の守護は君たちが作り上げていくことになる」

 満が生徒を見渡す。

「出身も立場も違う者がひとつの教室で学ぶ。最初は摩擦もあるだろうが、それは相手を知らないからだ。ということで、堅苦しい説明はここまでにする」

 満が手を叩き、笑顔を見せる。

「そちらの端から順に、名前と出身、兵科と特技を言ってもらおうか。同期は三年間、命を預け合う相手だ。覚えておいて損はない」

 快晴は入口での一件を思い浮かべながら、それぞれの自己紹介を聞いていた。

「文月桃果です。出身は文月の山間、実家が道場なので格闘技全般が得意です。兵科は守備」

 快晴は顔を綻ばせた。入学時に伝えられた自分の兵科も、守備だったからだ。兵科は適性を見て教官が決める。同じ兵科は、いずれ任務で組む相手でもある。姉がそう言っていた。

 どの国から来た、足が速い、家族が定食屋をやっている。茶髪の少年が幼少期の友・水無月斗傘(みなづきつかさ)と判明したり、陰陽師だと名乗った眩しい人がいたり、どう見てもおじさんな侍がいたりと、興味深い時間だった。忍の里の出だと短く名乗った者もいた。あの鉢金はそういうことか、と快晴は納得する。

 それでも十二人分を聞き終える頃には、快晴の頭の中で、名前と顔と経歴がばらばらに散らばっていた。

 満は明日以降の予定を机の書類で説明し、初日の講義を終えた。教室には、誰よりも早く帰り支度を済ませて出て行った青っぽい髪の少年――師走暁(しわすあける)を除いた全員が残り、思い思いに言葉を交わしている。教師に話しかける者、知り合い同士で固まる者、積極的に輪へ入っていこうとする者、緊張した面持ちで様子を窺う者。同じ教室の中に、様々な温度が同居していた。

 快晴は斗傘との十年ぶりの再会を喜び合い、満が親戚であることを聞かされた。道理で馴れ馴れしいわけだ。