四季歳華譚~守護候補生たちの日常譚~

 皐月快晴(さつきかいせい)は困惑していた。なぜか五分前に初めて出会った少女に名前を呼ばれ、饅頭を口に放り込まれ、涙目になって抱き着かれているこの状況に。胸がドキドキと高鳴り、正直にいって少し苦しい。締め付けられるようだ。しかし、これは恋じゃない。

   ***

 二時間半ほど前のこと。

 皐月快晴は、同郷の守備兵の護衛を受けて中央に到着した。

「よーし、着いたぞ」

「おおぉ、春大橋(はるのおおはし)だ~……」

 目の前に架かる橋の大きさに、快晴は思わず声を漏らした。快晴を無事に送り届けた皐月守(さつきもり)の男は、ほっとしたように笑みを浮かべる。

「大きいなぁ……ついに来たんだ」

「おう、この橋を渡れば中央だ。長旅ご苦労さん。妖怪も何匹か出たが、ちゃんと切り抜けられたな。中央は安全だからもう心配いらないさ」

「おっちゃん、ここまで色々ありがとう!」

 と、その時。川から突風が吹き上げ、橋を歩いていた男の子の手から、赤い風車が離れ、舞い上がった。

「あ……!」

 男の子が声を上げるより早く、風車は橋の欄干を越えた。快晴は反射的に地を蹴る。体が高く、高く舞い上がった。周囲から小さな悲鳴にも似たどよめきが上がる。伸ばした指先が棒を捉え、そのまま危なげなく地面に着地した。手の中で、赤い花びらがまだ回っていた。

「はい、どうぞ」

 男の子に風車を差し出すと、男の子は目を丸くしたまま何度も頷いた。周りの人々からは拍手交じりのどよめきが広がる。

「おお……見事だったぞ、快晴!」

 皐月守の男が誇らしげに言う。

「餞別に伝えておくが、お前との連携はなかなかやりやすかったぞ。お前は目が良い。俺が次にどこへ動くか、ちゃんと見えていたな。このままいけば、きっと立派な守護になれるさ」

「へへっ。なんだか照れるなぁ」

 快晴は頭をかきながら笑った。

「よし、お前の目的地は学生寮だな。そこまで送っていくか?」

「うーん、まだ日も高いから、ちょっと街中を見てから行きたいなぁ」

「そうか。寮はここをずっとまっすぐ行って小一時間ほどの所だ。有名だから人に聞けば迷う事もないだろう」

「それなら、俺たちは見学してから行きます」

「じゃあ、ここでお別れだな。俺は宿へ向かう。達者でな、快晴! 晦(かい)にもよろしくな」

「はい、お世話になりました!」

   ***

 皐月守と別れた後、快晴は橋の欄干越しに見える景色を堪能しながら、晦と他愛のない話をしていた。晦は欄干の上に立ち、快晴を見下ろしている。黒い羽に覆われた艶やかな体に、赤い袖なし羽織、頭に小さな頭襟(ときん)を乗せたその姿は、どこからどう見ても化け烏である。

「俺、やっぱり素質あるのかな?」

「はいはい、お世辞お世辞。真に受けるなよ、恥ずかしいヤツめ」

 晦がいつもの調子で憎まれ口をたたく。

「しっかし、全く周り見てなかったな」

 呆れたような声だ。

「体が勝手に動くんだよ。なんせ明日から俺も守護なんだから」

 快晴が拳を握って目を輝かせた。

「候・補・生な。おもちゃ取ってやったくらいで粋がるなってーの。って、ひばりなら言うぜ」

「う、うるさいぞ!」

 守護なめんな、と六つ上の姉にデコピンされる風景を想像し、快晴が額を押さえた。晦はそんな様子にやれやれと首を振ってみせた。

「さてと。俺様は優雅に空中散歩と洒落込みますかね」

「一緒に行くんじゃないのか?」

「まずは色々調べなきゃならないだろ? 下からじゃ見えないことが沢山あるんだよ」

 晦はそう言い残すと、身軽に飛び立った。

「どうせ遊べる場所でも探しに行くんだろ!」

 快晴は高度を上げる晦に向かって叫んだ。

「う、うおっほん! じゃ、じゃあまた後でなー。迷子になるんじゃねーぞー!」

「ならねーよ!」

 飛び去っていく晦の背を見送りながら、快晴は小さく肩をすくめた。

   ***

 橋を渡りきり、大きな門――春大門(はるのだいもん)をくぐる。時刻は丁度、午後二時半を回った頃だった。

 門をくぐって快晴の目に最初に飛び込んできたのは、大通りの先の丘の上に立つ桜の木だった。四季の木、というものらしい。噂や本で目にするよりもはるかに大きなその木に、快晴は中央へ足を踏み入れたことを改めて実感した。

 目抜き通りは、行き交う人の熱気で溢れていた。案内板に春大通(はるのおおどおり)と書かれている。快晴はその道を足取り軽く練り歩いた。

   ***

 日が傾き始める頃、快晴は学生寮の前に立っていた。大きな建物群と、高い塀に思わず圧倒される。

「すっかり楽しんじゃったな。さて、入口は……と」

 左右を見渡す快晴を、切羽詰まったような声が背中から呼び止めた。

「快晴!」

「え?」

 快晴が驚いて振り返る。商店街の方向から全力で駆けてきた少女は、快晴の前でぴたりと足を止めた。知り合いだろうか。まるで見覚えがない。こげ茶色の外はねの髪に、赤い目をした活発そうな少女だった。よほどの距離を走ってきたのだろう、肩で息をし、上気した顔に汗が伝っている。少女はすがるような面持ちで快晴を見つめた。快晴は思わず、どきりとした。

「俺の名前……どうして?」

 おずおずと尋ねると、少女の表情に、一瞬明らかな落胆がよぎった。つられて快晴の胸がチクリと痛む。だが彼女はすぐに気を取り直し、明るくまくし立てる。

「ほら、去年の守護候補生の合宿であたしが野獣に襲われた時、助けてくれたじゃない? 格好は違うけどすぐに分かったよ。皐月快晴でしょ? 久しぶり、元気だった? 今日中央に着いたんだね?」

 その勢いに気圧されながらも、快晴はどうにか答える。

「あ、うん、そう。俺、皐月快晴。合宿は確かに行ったけど……ここにはさっきついたばかりなんだ。だからかな、今日はちょっと疲れてるのかも、なんて……」

 だから君のことちょっと思い出せない、という言葉を言いよどんでいると、少女は明るく首肯した。

「そっか、そうだよね。疲れてるなら仕方がないよ。あ、今そこでお饅頭買ってきたんだけど一緒にどう? 三十分並んでやっと買えた、中央でしか売ってない老舗のやつなんだ。疲れてる時には甘い物、って昔から言うじゃない?」

「えぇ、い、今? これから夕飯だし、それはちょっと……」

 言いかけて気づいた。饅頭が入った袋を持つ少女の手が、僅かに震えている。快晴がその様子に気を取られているのを機に、少女は袋から饅頭を取り出して快晴の右手に握らせた。無理やり手渡された包みは、まだほのかに温かく、湿り気を帯びていた。

「うん、でもまだ温かいから甘くて美味しいよ! はいどうぞ!」

 快晴は美味しそうな饅頭と不思議な少女を交互に眺めた。と、そこで少女が我慢できない様子で突然それを掴み取り、快晴の口の中に押し込んだ。

「むぐっ」

「どう? 美味しい? 美味しいよね?」

 突然の襲撃に、一瞬何が起きたのか分からなかった快晴だが、そのまま咀嚼してみれば、ホクホクの皮と絶妙な歯応えの餡の甘みが、口いっぱいに広がった。記憶を辿ってみても、これより美味い甘味は思い当たらない。

「めっちゃ、美味しい……」

 快晴が口内に残る甘みを惜しみながら漏らす。

 その一言を聞いた途端、少女の顔から強張りが抜け、崩れ落ちるようにしゃがみこんだ。

「え、君、大丈夫? どうかしたの?」

 快晴が心配して覗き込む。少女はその胸に、想像もつかない速さで飛び込み、両腕でしっかりと抱き着いた。快晴は衝撃で大きくのけ反るが、なんとか耐えた。

「そう、だよね。美味しい、よね。うん……」

 その声が湿り気を帯びていることに気づいたものの、快晴はなんと声をかけてよいのか全くわからなかった。先程の、あの表情を向けられるような覚えは、まるでない。

 少女の両腕に、ぐっと力がこもる。快晴は身動きが取れないまま、ただ焦った。初めて感じる女の子の温もりは、今しがたの饅頭よりも温かく、そして柔らかい。しかも、なぜか泣かせてしまった罪悪感まで押し寄せてくる。胸がドキドキと高鳴り、正直にいって少し苦しい。締め付けられるようだ。いや、実際に締め付けられている。酸欠だ。

「あ、あの……ぐ、ぐるじ……」

「あ! ごめん!」

 少女が慌てて離れる。解放された快晴は、荒い息のまま両膝に手をつき、大丈夫、とだけ答えた。

 少女は文月桃果(ふみづきとうか)と名乗った。明日から同じ学園の高等部に通う同級生なのだという。

「興奮してごめん。お詫びにこれも」

 残りの饅頭が入った紙袋を押し付けると、桃果は足早に寮の中へと消えていった。

「これ……夢じゃないよな……」

 一人残された快晴は頬をつまみながら独り言ちた。

   ***

 桃果が消えていった方角へ歩いていくと、寮の入口はすぐに見つかった。入寮手続きを済ませ、自室へと案内された頃には、どっと疲れが押し寄せていた。

 寝台に身を投げ出し、天井を仰ぐ。今日一日の出来事が、まるで嘘のように遠く感じられた。

 それでも、机の上に置かれた紙袋と、口の中にかすかに残る甘みが、全てが現実であったことを証明している。

 ――文月桃果、か……

 やはり思い出せない。落胆の表情と、温かな感触を交互に思い出す。一人悶々としていると、扉を叩く音が響いた。そういえば、夕飯は十九時からだと聞いていた。晦はまだ、帰って来ていない。

「まぁいっか」

 後で窓を開けて、布でも垂らしておこう。現実に引き戻された快晴は、軽く身支度を整えると、案内に来てくれた寮職員とともに部屋を後にした。