翌日。外は秋晴れが広がっていた。
ふかふかの布団の中で目を覚ましたこのかは、辺りを見回しながら必死に頭を働かせた。
(ここは…… そうだわ、私昨日突然ここに辿り着いて……えっと……)
昨日のことを思い出そうとしてもなぜか頭が霞がかったようで、なにも思い出せない。
「姫さま、お目覚めでしょうか?」
不安に襲われていたこのかは、襖の向こうから聞こえる声に我に返った。
「はい、起きています」
しずしずと部屋に入ってきたのは小梅。昨日から見知った顔にほっと胸を撫で下ろす。
「おはようございます。今日も良いお天気ですよ。今日はお庭でお茶でも致しませんか?」
このかの不安を感じ取ったのか小梅は襖を大きく開き、庭を見せてくれた。
庭には大きな金木犀の木が並び、ほんのり秋の匂いを運んでくれる。金木犀の香りがやけに鼻に残った。
朝食を済ませ、身支度を整えたこのかは庭へ向かう回廊を進んでいた。
秋めいている庭には金木犀を始め、秋明菊や千日紅が咲き誇っている。赤や橙が目に優しく、見ていて気持ちが和んでいく。
(もう季節は秋なのね…… あら? 秋? 秋だったかしら……?)
昨日までいた元の世界は秋だっただろうか? 上手く思い出せないが、違う気がする。もやもやしながら歩いていたこのかは、曲がり角から姿を現した人に気付くのが遅れた。
「わ……!」
なんとか衝突を避けて前を見る。このかの目の高さには顔はなく、着物の合わせが目に入った。
「す、すみません……」
恐る恐る顔を上げたこのかは一瞬息が止まりかけた。
——この顔つき、背丈。知っている。
落ち着いた藍色の髪に深い青色の狩衣のようなものを身に纏った長身の男。背の高さも相まって威圧的に感じる。
このかは目の前に立っている人物が初対面だと思えなかった。どこかで会ったことがあるかもしれない。見たことがあるかもしれないという感覚。なにか大切なことが頭から抜け落ちているような気がしてならなかった。上手く言葉が紡げず、ぱくぱくと口ばかりが動く。
(誰……だっけ。でも私、彼を知っている気がする……)
「あなたはどなたですか?」
「……」
とりあえず何かを話そうとこのかが口を開いたのと、彼が話し出したのはほぼ同時だった。
初めて聞く声なのに、どうしてだろう。
その声を聞いていると、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
「冥王さまを前に道を開けることも無ければ、礼もないとは」
向けられた目は優しげに垂れているのに、どこか鋭くこのかを見る。
「あの…… えっと……」
口籠るこのかを怪しく思ったのか、目つきがいっそう険しくなった。
「冥王さま、鬼織さま大変申し訳ございません。このお方は昨日より入内いたしました雪妃さまにございます」
固まるこのかの背後から小梅が身を乗り出して丁寧に説明する。
(……鬼織)
「ほう。そうだったか」
鬼織と呼ばれた男の隣には落ち着いた紫色の束帯を身につけた細身の男がこのかを見下ろしていた。漆黒の髪を一つに括り、頭上には冠のようなものをのせている。目前の二人、どちらとも顔が整っていて絵になった。
「昨日からではまだ分からないことも多いだろう。こんなに可愛い子が可哀想に。怯えているではないか。鬼織、そんなに責めるでない」
宥めるように鬼織に話すが、鬼織は分かりやすく顔を背けた。
「いえ。伝えるべきことは初対面でもきちんと伝えるべきだと。今言わないと後々後悔しますので」
(……!?)
放たれた言葉にこのかは目を見開いた。身体に電気が通ったようにピリリと痛みが走る。
(何この感覚…… 後悔……? 駄目だわ。頭がおかしくなりそう)
「ほんにそなたは容赦がないのう。雪妃よ、気にするでない。少しずつここに慣れていけば良い」
「冥王さまはお優しすぎるのです。言わずにして後悔することもありますというのに。雪妃」
鬼織はため息混じりに呟くとこのかに向き直った。
「は、はい」
「知らなかったでは済まされません。寛大な冥王さまはお許しになって下さいますが、そこを突く冷たい者もここにはおりますので。自身の身を守るためにも妃としてしっかりここのしきたりを学んでください」
「……承知いたしました」
なぜだろう。この人に何かを言われると無性に泣きたくなる気がする。別に言い方がきつすぎるとか怖いとかそういうことではない。
ただ彼の言葉が心に重くのしかかり、このかの体内で何かを呼び起こそうとしている。
(私忘れているだけで、彼と面識があったのかしら? だからこんなに苦しくなるの……?)
通り過ぎていく二人の背をぼーっと眺めることしかできなかった。
「雪妃さま、大丈夫でございますか?」
二人の姿が完全に見えなくなった時、小梅がこのかの背に触れた。
「ご、ごめんなさい…… 私、失礼な態度をとってしまって。小梅さんに謝らせてしまったわ」
「いいえ。お気になさらずに」
優しく笑む小梅の笑顔はこのかを安心させてくれる。
「あの、今のは……」
「はい。この後宮の最高位にあらせられる冥王さまと後宮管理者の鬼織さまにございます」
「あの方々が……」
「えぇ。二人とも美しいお姿、それに政やここの管理も素晴らしいと女人たちの中でも狙っている方が多いのです」
「はあ」
「冥王さまはお優しい雰囲気が醸し出されていますが、鬼織さまはお優しそうな見た目や言葉遣いに反し、お厳しいと有名で。冷たい笑みの鬼の管理者と噂されております」
(……確かに、優しそうな雰囲気なのに言っていることは現実的で的確だったわ)
「今言われたこともあまりお気になさらないで下さいませ。ゆっくり慣れてければ良いのですから」
「……ありがとうございます、小梅さん」
「いえいえ。それから私は雪妃さまの侍女ですので、敬語はおやめ下さいませ」
「うっ…… 分かりま…… 分かったわ。改めてよろしくね、小梅さん」
「ささ、お庭に参りましょう」
小梅に背を押されながら庭へ向かう。
(鬼織さま、ね……)
なぜかこのかの心の中に鬼織という存在が引っかかって取れないのだった。



