「お待ちしておりました。姫さま」
目の開けたこのかは目を瞬かせ、唖然とした。
(……あれ、私は一体…… それにここはどこ?)
まるで時代劇に出てくるような、大きな立派な建物の前にこのかは立っていた。
赤々とした柱がいくつも並び眩しい。平安時代の貴族が住んでいたような寝殿造りの建物がそこにはあった。
建物から視線を目前に向けると、自分に対して深々と頭を下げる着物姿の女性がいる。
女性は淡い水色に百合の花が描かれた着物を着こなしていた。上品な佇まいだが、頭頂部とお尻あたりから白いふわふわとしたものが飛び出ており、このかはぎょっとした。
(……耳? 尻尾? え?)
普通の人間とは何かが違う。そう直感が働く。
混乱状態が続くこのかに顔を上げた女性が笑いかけた。びょこんと二つ生えた耳はまるで狐のようだ。
「えぇと、あの、ここは……?」
「こちらは冥府にある後宮、冥府宮でございます。私は姫さまの侍女としてお仕え致します小梅と申します」
微笑む女性の言葉はにわかに信じがたかった。
冥府、姫さま、侍女。
耳馴染みのない言葉の数々にこのかは気が遠くなる。
(冥府ってどこ? アニメとかでよく見る転生? 私、転生したの? あぁ、もうよく分からない……)
「ささ、姫さま。とりあえずお部屋に参りましょう」
小梅は混乱中のこのかの手を引き、大きな屋敷を進んだ。
「……わぁ、すこい」
長い回廊からは手入れされた庭が見える。欄干は綺麗に磨かれ、埃一つ見当たらない。そしてすれ違う人々も人間離れした美しさと特徴があった。
小梅と同じ耳や尻尾が生えていたり、目が一つだったり。
(妖の世界……なのかな?)
初めて目にする妖。しかし、不思議と恐怖は湧かなかった。
「こちらが姫さまのお部屋でございます」
襖の向こうは畳敷きの大きな部屋だった。襖や金の屏風には雪の結晶や白い花が繊細に描かれ、部屋の中央には大きな二畳台が置かれている。畳の独特な匂いが鼻に届いた。
小梅に促されるまま二畳台に座り込んだこのかは、横に置かれていた鏡台を覗き込み目を見開いた。
「……これは、私?」
鏡の中を見つめながら自分頬に手を当てる。鏡の中の人も同じ動きをするから自分で間違いないだろう。
(本当にどうなっているの……?)
社会人らしい黒髪に焦茶色の瞳だったこのかはどこにもいない。鏡に映る自分は、滑らかな銀髪に雪のように真っ白い肌をしていた。なんとなく顔立ちはこのかのままだが、髪色と青い瞳でだいぶ印象が変わる。別人のように思えた。
「今お茶をお待ちいたします」
部屋を出ていく小梅を見送ったこのかはぐるりと部屋を見渡した。
(……これはアニメとか漫画でよくみる転生よね。そもそも私どうしてこうなったんだっけ?)
思い出そうとするたびに頭がぼーっとする。自分の名前や勤め先、家族の情報は頭の中にあるはずなのに、ここにくる直前のことだけはどうしても思い出せない。
「あの、聞いてもよろしいでしょうか?」
お茶を淹れてくれた小梅におずとずと声をかける。小梅はにっこり頷いた。
「小梅さんは狐……ですか?」
「えぇ。私は雪妃さまに仕える雪狐の妖でございます」
「雪妃さま? 雪狐の妖?」
「はい。あなたさまはこの冥府宮の四夫人のお一人、雪妃さまにございます。雪女の妖ですね」
「私が雪女ですって?!」
「ここは妖の宮。住むものは皆、妖でございます」
「……」
このかは絶句した。現実離れした状況がうまく飲み込めない。確かに雪女と言われれば自分の装いに納得がいく。雪のような色白な肌や髪、高級そうな白い打掛。だからと言って「はいそうですか」とすぐには受け入れられない。
「驚かれるのも無理はありません。ですが大丈夫ですよ。皆さまはじめは驚かれますが、すぐに慣れますわ」
「……元の世界に戻れる方法は……?」
眉を顰めるこのかに小梅は首を傾げた。
「元の世界? よく分かりませんが、この後宮のことはここの最高位にあられる冥王さまに聞けば分かるかと」
「その方とはどこでお会いできるのでしょうか?」
「そうですね…… 冥王さまはお忙しいお方。簡単にお会いすることは難しいと思われます」
「そう、ですか……」
このかはがくりと肩を落とした。
不安が尽きない。
自分はどうなっているのか。
ここはどこなのか。
なぜここにいるのか。
だが、なす術もないこのかは膨れ上がる疑問を無理やり飲み込んで、小梅の話に耳を傾けることしかできない。
(分からないことだらけ…… 私、ここにいて良いのかしら)
こうしてこのかは訳が分からないまま冥府宮の妃になったのだった。



