武尊さまは皇子ながら、すでに自分の後宮を与えられていた。
案内された妃の部屋は庭に面した明るく広い一室。畳も柱も真新しく、寝具も鏡台も箪笥も一級品。お金ならあります! という帝の必死な売り込み策だろう。
「あ〜ごろごろ最高……」
湯浴みで旅の疲れをおとし、用意されていた白絹の小袖に着替えた。
「小鳥、下品じゃ」
「はいはい」
ごろごろしつつ、膝を立てて本を読んでいるので、はだけて足が見えているが気にしない。
明道は生きた肉体に入ったことを喜んで、お菓子や果物を食べまくってから、書物庫に行った。和歌の研究をするらしい。
「寂しくさせてごめんね! すぐに戻るからね!」
と抱きしめられそうになったが、必死で避けた。どうぞごゆっくり、と私は心から言った。
皇居の人は皆逃げたので、いつも通り自分の面倒は自分でみた。武尊さまは食事をとれているんだろうか。いや、今の体なら鹿でも熊でも山で捕って食べられそうだ。
「本人が熊のようだったけど」
私を軽々と抱えていた腕を思い出しながら、小さく言う。大きかったなぁ。
「熊がどうした」
すぱん! と部屋の襖が開いたので、私は悲鳴をあげ、その拍子に本が顔に落ちた。大急ぎで足を閉じて小袖の裾を直して起き上がった。足を襖側に向けていなくてよかった。
「武尊さま! どうされたのですかっ」
怠惰なところを見られてしまった。
「鍛錬が終わったので、遊びに来た」
「遊びにって……子どもじゃないんですから……」
だらけていたのに言える立場ではないが。
「明道は」
「書物庫です」
そうか、と武尊さまは少し嬉しそうに、正座する私の向かいにあぐらをかいた。
簾頭の私と、筋骨隆々の武尊さま。姿は随分変わったし、そばには白蛇もいるけれど、こうして二人でいるのは昔と同じだ。
懐かしくもあったし、あの頃は、一緒にいるのにどう振る舞えばいいかなんて、考えもしなかったので、変な感じ。
私がずっともじもじしていると、
「いいものを持ってきた」
武尊さまは、持参した袋の中から、玉虫色に光る鋏を取り出した。
「それは?」
美しさに目を奪われながら訊く。
「これは国宝の『龍髭鋏』、龍の髭も切れるという代物だ。これなら髪が切れるかもしれん」
武尊さまが鋏を動かすと、空気を切り裂くような、きんと鋭い音がした。
国宝にも驚いたし、龍の髭くらい剛毛だと言われているようで少々恥ずかしかったが、散髪をお願いすることにした。一人の時はよかったが、人と関わる上で前髪はうっとうしい。
あまり短くしないようお願いしてから、目を閉じる。武尊さまの指が前髪の束を掬った。
「切るぞ」
「はい」
待った。けれど、一向に髪が切られないので、ぱちっと目を開けてみた。武尊さまは鋏を持ったまま、私をじっと見ていた。目が合うと、はっとして赤くなった。
「……見ていないで、切っていただけますか」
見られていたのが恥ずかしくて、ぶっきらぼうに言う。もう一度目を閉じて、「お願いします」と強めに言った。
「すまん。では切るぞ」
武尊さまもようやく動いた。
そして──
待てど暮らせど、鋏が通ることはなかった。
またですか?と思い目を開けると、武尊さまが眉間にしわを寄せ、渾身の力で鋏を閉じようとしているところだった。
「剛毛すぎですかっ!?」
恥ずかしい!
「いや、鋏がこれ以上動かん」
「刃物除けの術が効いておるの」
ハクさまが言った。
「やっぱり。今までも、母しか私の髪は切れなかったんです」
ぐぐぐ、とますます力を込めている武尊さまに言う。
「母親だけは術の例外にしてあったみたいじゃの。世話ができんと困るし」
「なるほど?」
武尊さまは頷きつつ、眉間のしわを深くした。
「ふん!」
力任せに握る。すると、
バキン!
「あ!?」
龍髭鋏の持ち手がぼきりと音を立てて折れて私は叫んだ。
「国宝が!」
正殿や照魔鏡に続いて国宝まで! 申し訳なさすぎる。
「すみません、私のせいで。もういいです、このままで」
「いや、気にするな。あと小鳥は前髪が短い方がかわいいと思う」
昔は前髪があったのでそう思うのだろうか。
「でも、切れないものは切れないので……」
「任せろ」
「え?」
武尊さまは自分の顔の前で人差し指と中指だけを立てて、手を鋏のような形にした。
そして、私の前髪の束をその手鋏で、
「えぇ!?」
切ったのだ! ハクさまもつぶらな瞳をさらに丸くしつつ
「人間離れした筋肉の出力と速度を使った『指のすれ違いによる超高速の摩擦剪断』じゃ……!」
と説明した。全く分からん。その間にも、髪は切り揃えられていく。
「すごい! 前がよく見えます!」
できあがりを確認しようと鏡を探すと、武尊さまに不意に顎をとられた。
「やはりこちらの方がかわいいな」
とまじまじと見られたので、真っ赤になってしまった。隠れる前髪がなくて、髪を切ったことを一瞬後悔した。
続いて後ろ髪も腰くらいまで切ってもらう。頭がすっかり軽くなった。
「本当にありがとうございます。あ、お茶でもお入れしますね」
落ちた髪と国宝の残骸を片付けてから言った。常に顔が見えているのはなんだか慣れないけれど、世界が明るくなって嬉しい。
「かまわん。俺はいつも茶ではなくこれを飲んでいる」
言って、武尊さまはまた袋の中をごそごそとした。
取り出されたのは、緑色の粉の入った瓶と、太めの竹を切ってできた蓋付きの容器だった。
「それは?」
瓶の中身を覗く。抹茶の粉だろうか。
「これは『不老帝印』と言って、異国から取り寄せた、体づくりに必要な栄養が一度にとれる夢の飲み物だ」
なんと不思議な。武尊さまはその緑の粉を竹筒の中にさらさらと入れ、水を加えて蓋をし、そしてしゃかしゃかと振り始めた。
「質のいいものはダマにならないのだ」
「へぇ! それが武尊さまの力と成長の秘密なのですか?」
武尊さまは頷いた。なんだかすごい。私も少し飲ませてもらった。抹茶味。可もなく不可もない味だった!
「その装いも異国のものなのですか?」
武尊さまが着ている、袖のない、肩と腕がむき出しになる薄手の上衣を見た。
「これは『単躯突布』と言ってな。鍛錬するのにちょうどいい」
「なるほどぉ」
他にも袋からは亜武労羅なるものが出てきた。試してみたが、四つん這いで器具を掴んだ時点で腹筋が限界になり、ぺたんと寝転んでしまった。
「武尊さまはこのような鍛錬をされていたのですね。すごいです」
起き上がると、武尊さまは何か言いかけたが、口を一度閉じてから、
「小鳥は何が好きなんだ」
と訊いた。
正直、かなり驚いてしまった。小さい頃の武尊さまは人に質問などしたことがなかった。
「昔は本が好きだったな」
覚えていてくれたことにまた驚いてから、私は少し恥ずかしくなった。
武尊さまは、こんなに変わった。小さくぼんやりした子どもだったのに、鍛錬を重ねてこんな……多少奇想天外なところはあるが、立派な男性になられた。
一方の私は小さく細く、人を不幸にする人間のままだ。流行りのものも異国のものも分からない。きっとつまらないだろう。
「今でも本が好きです」
見栄の張り方も分からなかったので、正直に言った。
「これか」
武尊さまが、積んである『恋衣草子』の二巻をとって中を眺めた。
殿方には面白いかどうか、と呟く。島にこもって恋愛に夢見ている自分が滑稽に思えた。
案の定、武尊さまはぱたんとすぐに本を閉じてしまった。
「……どんな内容だ」
「え?」
「本を読むのが苦手だ。話してくれると助かる」
「いえいえ、そこまでしていただかなくても……」
「いや、知りたいから聞いている。題名からして恋やなんかの話なのだろう?」
ぽりぽり、と武尊さまは眉の上をかいた。
「そういうことに疎くてな」
そりゃあ、国中の姫に振られているんだから、男女のことに明るいとは言い難いだろう。
もちろん私も恋愛経験なんてないのだが、本の内容くらいなら説明できる。そこで私は、まず紫小納言先生の素晴らしさを説明した。
「紫小納言先生は、人の心を描くのがとにかくお上手なのです。恋をすると、相手から文が届くだけで一日中嬉しく、返事がなければ夜も眠れないそうです。そんな繊細な心の動きを、美しく描かれるのです」
私は愛読書を胸に抱いて、力説した。
「それに、登場する殿方が実に素晴らしいのですよ! 容姿端麗、文武両道で教養もあり、和歌もお上手。何より、好きな女性が何を喜び、何に心を痛めるか、きちんと考えてくださるのです。贈り物も女性の好みや季節に合った花を選び、添える和歌にも意味があるのです」
思い出すだけで、胸がときめいてしまう。
「しかも、先生は景色の描写まで素晴らしいのです。春の花、夏の夕暮れ、秋の月、冬の雪! 恋する者の目を通して描かれると、いつもの景色まで特別なものになるのです!」
気がつけば、私はすっかり夢中になっていた。七年間、ハクさま以外に本の話をする機会がなかったのだ。
「……はっ、熱くなりすぎました」
私は口を閉じた。早口で語り倒してしまった。
ちら、と武尊さまの方を見ると、頷きながら「なるほど」と真面目に聞いてくれていた。
「つまり、明道がしていたような、文や贈り物も大事というわけか」
「まぁ……大雑把に言うと、そうですね。『相手が喜ぶ』という一番肝心なところが無視されていましたが」
武尊さまが理解してくれたのも、引かずに聞いてくれたのも嬉しかった。
なのに、
「女の部屋に約束もなく来るのは無粋とも書いてあったのぅ」
と、ハクさまがさらりと言った。武尊さまの動きが止まる。ハクさまめ。言わないでおいたことをわざわざ。
「……もしや?」
武尊さまは、はっとしてから、眉間を押さえた。
「今までずっと、勝手に部屋に押しかけては一緒に鍛錬をするぞと誘ってばかりいたのが……まずかったのか?」
「それは、……まずいですね」
私は、深く頷いた。
「鍛錬を課題にしたのも?」
「非常によろしくないです」
「……」
苦笑いすると、武尊さまは頭を抱えた。なぜ国中の姫に振られたのか、今はっきり分かってしまった。
「まぁ、努力はされてたんですよね」
慰めになるかは分からないが、一応言った。
「いや、それもどうだろう」
武尊さまは困ったように、
「俺は今まで、本当に相手に興味がなかった。だから、自分の好きな物を一方的に押しつけてしまった」
眉の上をかいた。
「私も先ほどやってしまったので、人のことは言えませんよ」
「いや、小鳥は、たくさん話していてかわいかった」
「またすぐそういうことを、面と向かって……」
困って言うと、武尊さまは手をぽんと打った。
「こういうことを、和歌に込めるのか」
「まぁ、そういうことです」
「かわいいものはかわいいと、本人に言った方が早くないか?」
目を見て言われる。
「あえて和歌に込めるのが風情なのではないでしょうか?」
恋愛経験の乏しい二人で首を捻る。
「そういうものか」
納得できたのか、できていないのか。二日後には和歌対決なのに、と少し不安に思っていた、その時。
武尊さまのそばを、何かがごそごそと動いているのが見えた。長くて、足がたくさんの──
「きゃあ! 武尊さま、百足です!」
私は咄嗟に武尊さまの腕をとって、こちらに引っ張ろうとした。けれど、重くて無理だった。
「本当だ」
武尊さまが立ち上がると、百足は一匹や二匹ではなかった。うぞうぞとたくさんの百足が、畳の隙間から這い出してきていた。
「やだっ」
足元を百足が這って、怖くて武尊さまの背に飛びついた。
「巣でもあるのか?」
ひょいと百足を避けながら、武尊さまが呑気に言う。
「父の術のせいではないでしょうか?異性除けももちろんしているでしょうから。ごめんなさい」
「いや、かまわんが、あまり薄着で密着しないでくれると助かる」
「そんなことを言っている場合ですか! 早く部屋の外に連れていってください。たぶん私は刺されませんが、見るのが不快です」
「あい分かった」
武尊さまは私が落ちないように片手で支えつつ、ハクさまも拾ってくれた。襖に手をかけた時、
「ただいまぁ!」
と上機嫌の清玄さん、の姿をした明道が帰ってきた。武尊さまにおんぶしてもらっている私を見て、あんぐりと口を開け、
「なにいちゃついてるの!」
と勝手に怒りだした。廊下への出口に立ち塞がって「油断も隙もない!」と武尊さまを睨んだ。
「それどころじゃないの! 足元を見なさいっ」
「え?」
明道が視線を落とすと、彼のそばにももう百足が迫っていた。
「きゃああ!」
私より甲高い声をあげて、明道は飛び上がり、なんと自分まで武尊さまの背に登ってきた。
「なんであなたまで来るの!?」
「虫きらい!」
「だからって恋敵の背に乗るなんて! 狭い! 降りてよぉ落ちちゃう!」
「無理っ!」
武尊さまの背中を取り合って騒ぐ情けない二人。
「二人とも。大丈夫だから、じっとなさい」
冷静な武尊さまに言われて、「はい!」と声が重なった。
明道、なんて厚かましいやつ。譲ってなるものかと、武尊さまの肩にしっかり腕を回した。それがまるで独り占めしようとしている意地悪みたいに思えて、私ははっとした。
「掴まっていていいぞ」
二人を背負ったまま廊下に出る武尊さま。過保護術をものともしないなんて、すごい。私はやっぱり少しだけ、武尊さまの肩に回す手に力を込めた。

