長い箸で骨を拾い上げたときの虚しい感覚を、お前は永遠に知らなければいい。
痺れた足をローファーに突っ込んで外へ出ると、やっぱりそこには颯斗がいた。お疲れさん、と言いながら近づいてきて、もうええの? と付け足す。もう終わったのか、と問うているのだ。東京に住み始めて、もうすぐで五年になるというのに、颯斗の関西弁は一向に直らない。別に直す必要なんてないのだけれど、なくならない方言がいつかこいつを関西へ連れ戻してしまうのではないかという気がして、なんとなく面白くなかった。
「これから会食だってさ」
「ほな、はよ戻らな」
「戻りたくない」
ぽろりと本音をこぼせば、眉を寄せた颯斗が「それはあかん」と言う。その声と重なって、「れーん」と呼ぶ声が、玄関の向こうから聞こえてきた。母さんだ。
「ほら、呼ばれてんで」
俺の背後を指差し、「ここで待ってるから行っといで」と当たり前のように続けた颯斗は、いつだって、何時間だって、俺のことを待っていてくれる。そのことを俺は知っていて、知った上で甘えている。
会食はここから車で移動した店で行うことを伝えた。だから待たなくていい、と付け加えたけれど、わかったわかったと返事をした颯斗は結局俺の帰りをここで待っているのだろう。
馬鹿だなあ、と思う。お人好しだな、とも。ちなみに関西出身の颯斗に馬鹿と言うと怒られる。「関西人にはアホって言うんや」と教えられて、「どっちも一緒じゃん、馬鹿みたい」と返したら結構真面目に怒られたけれど、いまだにあのこだわりは理解不能だ。
颯斗に家の鍵を預けて「みんなが出ていったら入っていいから」と伝えた。本当は、辛気臭い空気が充満した家にこいつを入れるのは避けたかったのだけれど、ずっとここでうろうろされては不審者に間違われて通報されてもおかしくない。もしそうなったら、軽く三時間は笑い続ける自信がある。
「みんなって、何人くらいや?」
と、颯斗が訊いた。
「二十人くらい?」と適当に答えたところ、
「そんなにおるんか」と驚かれる。
「うん、人気者だろ? 俺の父さん」
冗談めかすように、努めて軽く、そう言った。こんなのは、重く言うようなことではない。
みんな、俺たちを哀れんでくれている。
三十代という若さで未亡人となった母を哀れんでくれている。
中学生という多感な時期に父親を亡くした俺のことを哀れんでくれている。
どうしようもない寂しさとやるせなさを抱えながら生きる俺たち親子を、哀れんでくれている。
だから貴重な休日を使い、わざわざ集まってくれているのだ。俺はそれに感謝しなくてはいけない。この後の会食でも、失礼な態度を取ってはいけない。控えめに笑いながら、親戚のおじさんたちにビールをついでまわらなければいけない。走り回る子どもたちの相手をしたり、噂好きのおばさんの長話に付き合ったりしなければいけない。それらすべてを、俺たち親子は感謝しなくてはいけない。
どこまでが優しさで、どこまでが憐れみで、どこまでが建前なのだろうか。その境界は数年前から曖昧なままだ。
ふん、と颯斗が鼻を鳴らした。
「親が人気でも不人気でも、どうでもええな」
そして、そう吐き捨てた。きっぱりとした言葉に、思わず顔を上げる。「そうだろう?」とでも言いたげな表情をしているけれど、颯斗から言わせたら「せやろ?」なのだろう。別にどっちでもいい。どうでもいい。
心底、どうでもいいことだった。
憂鬱な気持ちはなくならない。けれど、たった数時間の会食なのだから行っても別に死にやしないかと思えた。そう思えたのは間違いなく今目の前にいる男のおかげで、つまり、結局俺はまた颯斗に救われてしまったわけだ。
再び「れーん」と声がした。今度こそ振り返る。「待ってるからなぁ」と念押しした颯斗の優しさがありがたかった。
会食会場の隅で順番に運ばれてくる刺身や天ぷらを食べながら、颯斗は子ども舌だからきっとこんな懐石料理よりも、子ども達が食べているお子さまプレートの方が喜んだだろうな、なんて考える。特にエビフライを羨ましがって、もしかしたら五歳児相手にも一口くれとねだったかもしれない。そんなことを考えている間に会食はお開きとなった。
こうして、父親の三回忌が終わった。
痺れた足をローファーに突っ込んで外へ出ると、やっぱりそこには颯斗がいた。お疲れさん、と言いながら近づいてきて、もうええの? と付け足す。もう終わったのか、と問うているのだ。東京に住み始めて、もうすぐで五年になるというのに、颯斗の関西弁は一向に直らない。別に直す必要なんてないのだけれど、なくならない方言がいつかこいつを関西へ連れ戻してしまうのではないかという気がして、なんとなく面白くなかった。
「これから会食だってさ」
「ほな、はよ戻らな」
「戻りたくない」
ぽろりと本音をこぼせば、眉を寄せた颯斗が「それはあかん」と言う。その声と重なって、「れーん」と呼ぶ声が、玄関の向こうから聞こえてきた。母さんだ。
「ほら、呼ばれてんで」
俺の背後を指差し、「ここで待ってるから行っといで」と当たり前のように続けた颯斗は、いつだって、何時間だって、俺のことを待っていてくれる。そのことを俺は知っていて、知った上で甘えている。
会食はここから車で移動した店で行うことを伝えた。だから待たなくていい、と付け加えたけれど、わかったわかったと返事をした颯斗は結局俺の帰りをここで待っているのだろう。
馬鹿だなあ、と思う。お人好しだな、とも。ちなみに関西出身の颯斗に馬鹿と言うと怒られる。「関西人にはアホって言うんや」と教えられて、「どっちも一緒じゃん、馬鹿みたい」と返したら結構真面目に怒られたけれど、いまだにあのこだわりは理解不能だ。
颯斗に家の鍵を預けて「みんなが出ていったら入っていいから」と伝えた。本当は、辛気臭い空気が充満した家にこいつを入れるのは避けたかったのだけれど、ずっとここでうろうろされては不審者に間違われて通報されてもおかしくない。もしそうなったら、軽く三時間は笑い続ける自信がある。
「みんなって、何人くらいや?」
と、颯斗が訊いた。
「二十人くらい?」と適当に答えたところ、
「そんなにおるんか」と驚かれる。
「うん、人気者だろ? 俺の父さん」
冗談めかすように、努めて軽く、そう言った。こんなのは、重く言うようなことではない。
みんな、俺たちを哀れんでくれている。
三十代という若さで未亡人となった母を哀れんでくれている。
中学生という多感な時期に父親を亡くした俺のことを哀れんでくれている。
どうしようもない寂しさとやるせなさを抱えながら生きる俺たち親子を、哀れんでくれている。
だから貴重な休日を使い、わざわざ集まってくれているのだ。俺はそれに感謝しなくてはいけない。この後の会食でも、失礼な態度を取ってはいけない。控えめに笑いながら、親戚のおじさんたちにビールをついでまわらなければいけない。走り回る子どもたちの相手をしたり、噂好きのおばさんの長話に付き合ったりしなければいけない。それらすべてを、俺たち親子は感謝しなくてはいけない。
どこまでが優しさで、どこまでが憐れみで、どこまでが建前なのだろうか。その境界は数年前から曖昧なままだ。
ふん、と颯斗が鼻を鳴らした。
「親が人気でも不人気でも、どうでもええな」
そして、そう吐き捨てた。きっぱりとした言葉に、思わず顔を上げる。「そうだろう?」とでも言いたげな表情をしているけれど、颯斗から言わせたら「せやろ?」なのだろう。別にどっちでもいい。どうでもいい。
心底、どうでもいいことだった。
憂鬱な気持ちはなくならない。けれど、たった数時間の会食なのだから行っても別に死にやしないかと思えた。そう思えたのは間違いなく今目の前にいる男のおかげで、つまり、結局俺はまた颯斗に救われてしまったわけだ。
再び「れーん」と声がした。今度こそ振り返る。「待ってるからなぁ」と念押しした颯斗の優しさがありがたかった。
会食会場の隅で順番に運ばれてくる刺身や天ぷらを食べながら、颯斗は子ども舌だからきっとこんな懐石料理よりも、子ども達が食べているお子さまプレートの方が喜んだだろうな、なんて考える。特にエビフライを羨ましがって、もしかしたら五歳児相手にも一口くれとねだったかもしれない。そんなことを考えている間に会食はお開きとなった。
こうして、父親の三回忌が終わった。
