いつも塩対応だった義弟の溺愛スイッチを押してしまったようです

 Cクラスに戻った時、一限の現国の授業はとっくに始まっていた。
 後ろ側の出入口に一番近い席だったのは、不幸中の幸いだ。現国の安井先生は俺を一瞥したけれど、何も言わずに頷いた。
 俺の斜め前に座っていた友人の桧垣が、ちらりとこちらを振り返った。格好をつけた仕草で黒縁眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げる。本人はお洒落眼鏡だと思ってるけど、その眼鏡が陰キャ要素を高めている事実に気づいていないのが悲しい。黒縁は難易度が高いって遠回しに伝えてるのに、全然気づいてくれないんだ。
 こいつが保健室まで付き添ったことを伝えてくれたんだろう。助かった、ありがとう。後でジュースでも奢るから。
 そんな感謝の念を込めて、二度、三度と小さく頭を下げた。
 そして授業が終わり、一限と二限の間の短い休み時間。
 担任の須田センが佑士の荷物をくたくたのスクールバッグに放り込んでいくのを、一軍男女たちが取り囲んでいる。

「えー、センセ、佑士そんなに具合悪いのー?」
「スダセン、佑士の荷物ならおれが持ってくって。置き勉とかもあるし、勝手に触んなよ」
「駄ー目。個人のパソコンとか貴重品は、おまえらが勝手に触ると万が一の時に問題になるの」
「佑士の荷物、親友のおれが触って何が問題になんだよ、ああ?」
「あたし、保健室にお見舞いにいきたいんだけどぉ。心配だし」
「私も!」
「お、いいじゃん、俺らで行こうぜ」
「駄目、駄目。もうすぐ二限が始まるから、おまえらは真面目に授業を受けなさい」
「うぜえ」
「うっざ」
「うざくない。ほら、予鈴鳴ったぞ。宮之原はもう帰るから、今日はゆっくり休ませてやれ。な」

 こっわぁぁぁ。
 面倒くさぁぁ。
 廊下側から窓際の騒ぎを眺めていた俺は、自分が荷物を持って帰ることにしなくてよかった、と己の判断に心の中で拍手喝采する。
 時間差の早退も、あんまり目立たない……ことを願いたい。
 俺が佑士を連れ去った点は、皆、あまり気にしていないようだった。俺の影が薄すぎるってことか。複雑だけど、まあいいや、騒がれるよりはずっとましだ。
 ただ、ひとつ問題が。
 
「新見さ、宮之原と知り合いなん?」

 俺の前に立った桧垣が、非常にまっすぐな瞳でこちらを見てくるんだけど……。

「いや、なんか具合悪そうだったから、放っておけなくて」
「でも宮之原、おとなしく新見についてってた。新見も普段より、やけに強気だったしさ。なんか不思議な感じだったんだよな」

 『全然関りがない』で押し通すには少し厳しいかもしれない。
 俺は方針転換して、情報を一部開示することにした。

「俺ら、同小同中出身なんだよ。顔見知りだから、若干態度が違ったのかもしれない」
「宮之原もおんなじ地元出身なの? なんで教えてくれなかったんだよ」
「わざわざ言う話でもないかなって」
「新見って、電車三本乗り継いで通学してるって前に聞いたけど、あいつもってことか? うちみたいな普通の公立へ、あの宮之原が、意味もなく?」

 遠い高校を選んだのが仇になった。
 ただ、桧垣の言い分にも一理ある。確かに、なんで佑士はこの高校を選んだんだろう。
 
「宮之原にも理由があるんじゃないかな。……分かんないけど」
「だってあいつ、面倒なこと嫌いそうじゃん。近くにいくらでも学校あるのに、朝から電車を何本も乗り換えるなんて、俺だって無理。それに、頭良いだろ。数Bとか英語の論表とか、クラスで何度かトップ取ってたじゃん」

 佑士って、あのルックス、あの態度で結構勉強できるんだよな。
 転校したての頃は、こっちの小学校の方が授業が進んでたから、俺も勉強教わったっけ。教えるの、実はうまいんだよな。
 のらりくらりと躱しているうちに本鈴が鳴ったから、桧垣は納得いかなそうにしながらも、自分の机へ戻っていった。
 よし、二限が終わったら桧垣に捕まる前に、さっさと帰るしかない。
 明日になったら別の事件が起きて、うまく忘れててくれないかな。