「内鍵が掛かってる……こんなことするのは宮之原くんね」
——こいつ、やっぱりサボりの常習犯だな。
佑士は俺の無言の追及を避けるように左腕で顔を覆った。やっと右手が解放されて、ちょっと寂しいとか思ってしまったのは秘密だ。
鍵が解錠される音がして、母さんよりやや上の年代の女性養護教諭が入ってきた。目尻に笑い皺が入った、ふっくらとした女性だ。ベッド脇に座る俺を見て、あら、と言いたげな面持ちをした。たぶん、俺みたいな地味なのじゃなくて、いつもの佑士の仲間がいると思ったんだろう。
横たわる佑士を覗き込むと、先生は大きく眉をひそめた。
「鍵なんか閉めて、あなた、まさかここに女の子連れ込んだりしてないわよね?」
「連れ込んだことねえよ、人聞き悪ィな。今日は熱があんだよ」
「珍しいわね、仮病じゃないなんて」
「体温計見ろ」
「あら? あらー、三十九度近いじゃない。じゃあとりあえず寝なさい。——で、あなたはこの子に付き添ってくれたのね」
「はい、クラスメートの新見です」
俺の名前を聞いた先生はまた、あらあら、という顔をした。
佑士は「俺の扱い、雑すぎじゃね」なんて、ぶつぶつ言っている。
「宮之原くんのお兄ちゃんの新見くんね。初めまして、よね?」
「そうですね。うちの……弟、態度悪くてすみません」
「まあ、礼儀正しいこと! 高校生らしくていいわねえ、ふてぶてしい宮之原くんみたいなのばっかり見慣れてるから、新鮮だわ。——教員には、ご家庭の事情もある程度知らされてるから、あなたたちが義理のご兄弟だっていうのは情報共有されているけど、勝手に外に漏らしたりはしないから安心してね」
先生は俺に、あとは自分が診ているから教室へ行くよう促した。
締め切られたカーテンの奥から、佑士の声だけが飛んでくる。
「昼休みに迎えにこい。おまえも付き添いで早退。一緒に帰んぞ」
「君は、我が儘言ってないで、熱があるならさっさと帰りなさい、親御さんを呼んでもいいし、担任の先生と相談してタクシーでもかまわないのよ。保健室に居座られて、ほかの生徒に伝染されたら困るの」
「……」
黙り込んでしまった佑士に、思わず俺は口にしていた。
「分かった。俺も一限、いや、二限が終わったら早退する。先生におまえの荷物まとめてもらって、後で迎えにくるよ」
俺が佑士の荷物をまとめるのは避けたいから、時間差にしよう。
ベッドを隠す白いカーテンが割れたかと思うと、すごい勢いで佑士が俺のところにやってきた。
「こら、静かに寝てなさい!」
先生の制止なんて、たぶん耳に入ってない。
俺の両肩を掴もうとして、その手が止まる。さすがに人前だからだろうか。
でも、触りたそうにうずうずしてるのが分かる。
寝乱れた髪が頬にかかって、艶っぽくも無防備な表情だ。
「——一緒に帰ってくれんの?」
なんだか、人慣れしていなかった大型犬がいきなり懐いたみたいだな。
俺は佑士の勢いに押されないよう、少し後ずさってから頷いた。
しかし佑士はせっかく空けた俺の距離——高校生の義兄弟としての適切なパーソナルスペース——を一気に踏み越え、思いきり抱きついてきた。
「荷物とかどうでもいい。このままおまえと帰るわ」
先生が見てるから!
あと、俺は荷物を持って帰りたい。食べられなかった弁当が腐って、母さんにどやされるのは避けたい。
大体、このまま早退なんかしたら、どんな噂を立てられるか、考えただけで恐ろしい。明日から不登校になるかもしれない。
俺はなんとか佑士を引きはがし、とりあえず迎えにくるまでベッドで眠るよう言いくるめた。
佑士はやっぱり熱が高いせいか、案外すんなりと俺の指示を聞いた。
カーテンを閉め、一息ついてから振り返ると、先生が微笑ましそうに目を弧にしていた。
「兄弟仲が良くて安心したわ。宮之原くんのあんな顔、私、初めて見たもの」
そんな言葉を背中に受けながら、俺はそそくさと保健室を後にした。
引き戸をきっちり閉めたのを確認してから、すぐ脇の壁に寄りかかり、ずるずるとしゃがみ込む。
許されるなら俺も保健室で寝ていたい。頭の中を整理する時間が必要だから。
——キスされたんだよ、二回も。ハグだってされた。いっつも塩対応で、俺に「学校では話しかけんな」って言ってた義理の弟に。弟っていうか、見た目も精神年齢もあっちが兄貴みたいなもんだけど、でも一応、家族会議で誕生日が八月の俺が兄、十二月生まれの佑士が弟って決まったんだから、あいつが弟だ。いや、そんな些細な話、今はどうでもいい。ふざけたことも言ってたよな、俺のこと、かわいいとかなんとか。今日はおまえの方がなんだか可愛かった癖に。ああ、だから、今はそんなことどうでもいい。
なんなんだ、あいつ。
俺、あいつの一方的な取り決めを破って話しかけたからキスされたのか?
もしかして罰ゲーム?
そこまで考えて、首を振る。
佑士はそんな馬鹿げたことに俺を巻き込まない。そんな奴じゃない。
第一、目が雄弁に物語ってた。
俺が『特別』だって。
本気だって。
立てた両膝の間に顔面をうずめる。
「……自意識過剰、乙」
冷たい床に寝そべって現実逃避したくなる気持ちをこらえて、俺はのろのろと立ち上がった。
この火照りきった頬、果たして教室に帰るまでに赤みが引くだろうか。
——こいつ、やっぱりサボりの常習犯だな。
佑士は俺の無言の追及を避けるように左腕で顔を覆った。やっと右手が解放されて、ちょっと寂しいとか思ってしまったのは秘密だ。
鍵が解錠される音がして、母さんよりやや上の年代の女性養護教諭が入ってきた。目尻に笑い皺が入った、ふっくらとした女性だ。ベッド脇に座る俺を見て、あら、と言いたげな面持ちをした。たぶん、俺みたいな地味なのじゃなくて、いつもの佑士の仲間がいると思ったんだろう。
横たわる佑士を覗き込むと、先生は大きく眉をひそめた。
「鍵なんか閉めて、あなた、まさかここに女の子連れ込んだりしてないわよね?」
「連れ込んだことねえよ、人聞き悪ィな。今日は熱があんだよ」
「珍しいわね、仮病じゃないなんて」
「体温計見ろ」
「あら? あらー、三十九度近いじゃない。じゃあとりあえず寝なさい。——で、あなたはこの子に付き添ってくれたのね」
「はい、クラスメートの新見です」
俺の名前を聞いた先生はまた、あらあら、という顔をした。
佑士は「俺の扱い、雑すぎじゃね」なんて、ぶつぶつ言っている。
「宮之原くんのお兄ちゃんの新見くんね。初めまして、よね?」
「そうですね。うちの……弟、態度悪くてすみません」
「まあ、礼儀正しいこと! 高校生らしくていいわねえ、ふてぶてしい宮之原くんみたいなのばっかり見慣れてるから、新鮮だわ。——教員には、ご家庭の事情もある程度知らされてるから、あなたたちが義理のご兄弟だっていうのは情報共有されているけど、勝手に外に漏らしたりはしないから安心してね」
先生は俺に、あとは自分が診ているから教室へ行くよう促した。
締め切られたカーテンの奥から、佑士の声だけが飛んでくる。
「昼休みに迎えにこい。おまえも付き添いで早退。一緒に帰んぞ」
「君は、我が儘言ってないで、熱があるならさっさと帰りなさい、親御さんを呼んでもいいし、担任の先生と相談してタクシーでもかまわないのよ。保健室に居座られて、ほかの生徒に伝染されたら困るの」
「……」
黙り込んでしまった佑士に、思わず俺は口にしていた。
「分かった。俺も一限、いや、二限が終わったら早退する。先生におまえの荷物まとめてもらって、後で迎えにくるよ」
俺が佑士の荷物をまとめるのは避けたいから、時間差にしよう。
ベッドを隠す白いカーテンが割れたかと思うと、すごい勢いで佑士が俺のところにやってきた。
「こら、静かに寝てなさい!」
先生の制止なんて、たぶん耳に入ってない。
俺の両肩を掴もうとして、その手が止まる。さすがに人前だからだろうか。
でも、触りたそうにうずうずしてるのが分かる。
寝乱れた髪が頬にかかって、艶っぽくも無防備な表情だ。
「——一緒に帰ってくれんの?」
なんだか、人慣れしていなかった大型犬がいきなり懐いたみたいだな。
俺は佑士の勢いに押されないよう、少し後ずさってから頷いた。
しかし佑士はせっかく空けた俺の距離——高校生の義兄弟としての適切なパーソナルスペース——を一気に踏み越え、思いきり抱きついてきた。
「荷物とかどうでもいい。このままおまえと帰るわ」
先生が見てるから!
あと、俺は荷物を持って帰りたい。食べられなかった弁当が腐って、母さんにどやされるのは避けたい。
大体、このまま早退なんかしたら、どんな噂を立てられるか、考えただけで恐ろしい。明日から不登校になるかもしれない。
俺はなんとか佑士を引きはがし、とりあえず迎えにくるまでベッドで眠るよう言いくるめた。
佑士はやっぱり熱が高いせいか、案外すんなりと俺の指示を聞いた。
カーテンを閉め、一息ついてから振り返ると、先生が微笑ましそうに目を弧にしていた。
「兄弟仲が良くて安心したわ。宮之原くんのあんな顔、私、初めて見たもの」
そんな言葉を背中に受けながら、俺はそそくさと保健室を後にした。
引き戸をきっちり閉めたのを確認してから、すぐ脇の壁に寄りかかり、ずるずるとしゃがみ込む。
許されるなら俺も保健室で寝ていたい。頭の中を整理する時間が必要だから。
——キスされたんだよ、二回も。ハグだってされた。いっつも塩対応で、俺に「学校では話しかけんな」って言ってた義理の弟に。弟っていうか、見た目も精神年齢もあっちが兄貴みたいなもんだけど、でも一応、家族会議で誕生日が八月の俺が兄、十二月生まれの佑士が弟って決まったんだから、あいつが弟だ。いや、そんな些細な話、今はどうでもいい。ふざけたことも言ってたよな、俺のこと、かわいいとかなんとか。今日はおまえの方がなんだか可愛かった癖に。ああ、だから、今はそんなことどうでもいい。
なんなんだ、あいつ。
俺、あいつの一方的な取り決めを破って話しかけたからキスされたのか?
もしかして罰ゲーム?
そこまで考えて、首を振る。
佑士はそんな馬鹿げたことに俺を巻き込まない。そんな奴じゃない。
第一、目が雄弁に物語ってた。
俺が『特別』だって。
本気だって。
立てた両膝の間に顔面をうずめる。
「……自意識過剰、乙」
冷たい床に寝そべって現実逃避したくなる気持ちをこらえて、俺はのろのろと立ち上がった。
この火照りきった頬、果たして教室に帰るまでに赤みが引くだろうか。
