いつも塩対応だった義弟の溺愛スイッチを押してしまったようです

 槙は場違いなくらい穏やかに、こう告げた。

「おかしくないよ、別に。君が当事者ならともかく、そうじゃないなら個人の自由だよ。人が人を愛する権利は保障されるべきでしょ」
「はあ? 人が人を愛する権利? さっむ、脳味噌沸いてんのかよ」
「——ああ、でも、君は受け入れられないか。ねえ、戸館くん」

 穏やかな態度は崩さずに、声のトーンだけ下げた槙に、初めて戸館がたじろいだ。

「おい、槙……」
「だって戸館くんのお父さん、うちの親父と一緒に家を出ていったんだもんね。だから嫌いなんでしょ? 同性愛」
「槙……てめえ……!」
「ああ、これ、内緒だったっけ? ごめんね、俺、うっかりしちゃって。黙ってるって約束したのに、みんなの前で話しちゃったね」
 
 戸館と槙は同じ地域出身だって聞いた。だから二人の父親が知り合いでもおかしくなくて……って、この話、どこかで聞いた覚えがある。
 ——子供の授業参観で元カレに再会して、家族を捨てたRさん。
 え、それこそまさか。
 こんな偶然、あるんだろうか。
 ただ、俺はRさんの件を誰にも話してない。それにしては、あまりにも内容が合致しすぎてる。
 戸館がここまで俺たちに嫌悪感を露にするのは、父親の件があったからなのか。
 置いていかれた家族だから、なのか。

「うちの父さんがたぶらかして、ごめんね」

 俺の動揺を知る由もなく、槙は大袈裟に肩を竦めてからクラスメートを見渡した。

「みんな、動画撮ってても拡散しちゃ駄目だよ。こんな差別発言晒されたら、戸館くんの人生、終了しちゃうよ?」

 自分のスマホをこれ見よがしにちらつかせる槙に、佑士がぼそりと呟いた。

「あいつ、やっぱりやべえな」
「やっぱりって何だよ」

 俺もびっくりしてるけどさ。
 ただ槙が、戸館を止めるために、隠しておきたい自分の傷をみんなの前でさらけ出したのは、俺のせいだと思う。当の槙だって、父親を失った側なのに。
 それに本当に戸館の人生が終わっちゃったら、一因になった俺も困る。ほかの人、たとえば槙自身だって巻き込まれるかもしれないし。

「……拡散されたりしないかな?」
「大丈夫だろ。ざっと見た感じ、撮ってる奴はいなかった。槙が撮ってたとしても、拡散はあいつにもリスクがある。危ない橋は渡らないタイプだろ」
 
 地面に両膝をついた戸館は、まだ「おかしいんだよ……」なんて呻いている。
 もう立ち上がる元気もなさそうだと判断して、俺は佑士の袖口を引いた。
 あえて大きな声を出す。

「あのさ、佑士に話があるから場所、変えたい。話っていうか、——返事」

 みんなの注目が、一気にこちらへ集まった。それでいい。好都合だ。

「……俺、フラれんの?」

 笑いを噛み殺しきれてない佑士の胸を、軽く叩く。
 容赦なく逃げ道奪ってくるじゃん、こいつ。こうなったら意地だ。みんなの前では絶対言わないからな。
 でも、少しくらい意趣返ししたい。
 あと、どこまでも俺を守ろうとする佑士の優しさに報いたい。
 俺は俯いたまま、佑士の胸をもう一度叩いた。

「おまえを振るやつ、いるの? いたら見てみたい」

 そのまま待ってみたものの、あまりにも反応がない。周囲もやけに静かだ。聞き耳を立てられているのが分かる。
 まあ、佑士の一方的な気持ちじゃないんですよ、と匂わせたかった訳だから、たぶん成功なんだけど。
 たっぷりと間を置いてから、佑士が俺の手を掴んだ。

「俺ら、抜けるわ。後、頼んだ」

 坂下たちに向けてそう言い残し、早足で歩き出した佑士の耳が薄っすら赤いのを、俺は見逃さなかった。