いつも塩対応だった義弟の溺愛スイッチを押してしまったようです

 売り言葉に買い言葉で叫んだら、ぽろりと、本当に意図せず涙が一粒零れ落ち、途端に桧垣が口をつぐんだ。

「……ごめん」

 反射的に謝ると、桧垣は目を剥く。

「なんで新見が謝んだよ。ごめんな、こっちが無責任だった。——そもそも無神経なんだよ、俺。自分で分かってんだ、直さなきゃって思ってるのに、またやっちまった……」

 ぶつぶつと呟く桧垣は、いつもと様子が違う。
 桧垣が気にする必要なんてない。俺のことを思って言ってくれてるのは、痛いほど理解してるから。悪いのは、高校生にもなって、うっかり情緒がバグって泣いた俺。いや、バグだよ、まじで。
 だから俺が謝るのは当然なのに、桧垣は血の気が引いた面持ちで頭を下げた。
 左巻きの旋毛を見つめながら、俺は言葉を探す。

「桧垣……頭上げろよ、なあ」
「俺さ、この言いたい放題言い過ぎる性格のせいで、中学の時ハブられてた」

 唐突に話題が変わったので、助けを求めて槙を見る。
 え、桧垣も俺の情緒不安定につられちゃったのか。
 槙は黙って微笑むだけだ。

「うちには同中の奴もかなりいるし、どうせ隠しきれないから、俺、その話おまえにしたよな」
「ああ、うん。一年の時だっけ」

 家から徒歩通学圏だから、桧垣はこの高校を選んだって聞いた。同中出身者が多い割に、一人でいることが多かったから、俺としては話しかけやすかった。一年の時、槙は別クラだから接点なかったし。
 話してみたら、毒舌キャラだけど何となく気が合って、こうして二年になってもつるんでるんだ。
 誤解されやすいんだよな、桧垣。いい奴なのに。
 昔の同級生たちとも、腹を割って話してみたら案外うまく行くかもしれない。

「今でも俺は、同中の奴らから無視されてる。でも新見は、それを聞いてもなんも態度変わらなかった」
「え、だって桧垣、ちょっと言い方きついときあるけど、基本優しいじゃん」
「優しいのはおまえだよ!」

 勢いよく顔を上げた桧垣に半ギレで叫ばれて、俺は目をまばたかせる。
 え、褒めてんの? 怒ってんの?
 
「……ごめん、何回も。俺、まじで学習しねえわ」
「だから謝んなくていいって。びっくりはしたけど。褒めてくれてんでしょ?」
「……おう」
「ならいいって」
「そういうとこが優しいんだよ。おまえ、自覚ないかもしんないけど」

 ——おまえは優しいよ。人を傷つけない奴だ。
 そう佑士も言ってくれたっけ。
 でも、偏見の目が怖くて、その佑士を一方的に傷つけた俺が、優しい筈がない。
 向かいから身を乗り出し、興奮する桧垣を宥めるようにその肩を叩きながら、槙が後を引き取るように続けた。

「俺さ、中学は別だけど、通ってた塾の関係でもともと桧垣と知り合いだったんだよね。だから桧垣繋がりで新見と仲良くなりたいなって思った。俺も、新見は優しいと思うよ。その分、家族のこととか、先のこととか、いろいろ考えすぎちゃうんだろうけどね。そんなの考えるの、もっと後でいいのに」
「でも、うまく行かなかったら」
「新見。俺たち、十七だよ。失敗くらい、これからたくさんするよ。きっと黒歴史積み上げて生きていくんだよ」
「黒歴史……」
「そう。間違えて、後悔して、時間が経っても、また昔を思い出しては悶えてさ。おんなじだよ。俺たちみんな、一緒。絶対いっぱい間違えるよ」
 
 分厚い縁なし眼鏡の奥から覗く虹彩は、色素が透けるように薄く、グレーがかっている。槙の容貌が思いのほか整っていることに、初めて気がついた。
 俺のガン見が居心地悪かったのか、槙は口元を苦笑いの形にして椅子に座り直した。

「完璧な人生、完璧な幸福を掴めたら、それが一番だけどさ。そんなの絶対無理なんだから、今、幸せだって感じられたらそれでいいじゃん」

 まさに今、俺は幸せだって思えない。
 だって隣に佑士がいないから。
 佑士と一緒に過ごした時間、俺は間違いなく幸せだった。
 誰のことも——両親についても考えなくていいのなら、俺は、たとえ人に後ろ指を指されることがあったって、佑士と——。