いつも塩対応だった義弟の溺愛スイッチを押してしまったようです

 教室でも、佑士は必要以上に俺へ話しかけてこなかった。
 簡単な挨拶は交わしたけれど、それだけ。
 四限が終わり、桧垣たちと例の家庭科室で昼ご飯を食べてから教室へ戻ったら、何故か室内が異様な空気で満たされていた。
 何かあったんだろうか。今度は俺がらみじゃないよな。
 渦中にいるのはまた戸館らしく、その目の前に、クラスでもおとなしめのグループに所属している一人の女子が立ち尽くしていた。笹村さんだ。
 戸館は床に落ちた何かを上履きの先でつついていた。

「っつうかさ、こんな本持ってきて、何なん? キモい通り越して最早怖(こえ)えレベルだし、普通に校則違反じゃね?」
「それを言うなら、おまえのグラビアもきわどいし校則違反だよ。家で読め」

 冷静な口調で返しながら、野田が眼鏡の下の涼やかな眼差しを戸館の席に向けた。その机の上には、攻めたポーズを取った女の子の写真が載った雑誌が全開になっている。
 生徒会役員とはいえ、事なかれ主義の野田が注意するのは意外だ。相変わらず面倒くさそうな雰囲気を醸し出してるけど、篁が付き合うくらいだから、実は面倒見がいいのかもしれない。
 俺は静かに、戸館の足元が見える位置へと移動する。
 床にあったのは、肌色が多い表紙の漫画だった。
 うちの高校は原則、漫画や雑誌類の持ち込み禁止だ。ただ、実際は漫画週刊誌が発売日当日に男子の間を飛び交っているし、先生も薄々気づいていながら目こぼししてくれているのが現状だった。
 それでも、この本は駄目だろう。
 多分、十八歳未満は購入禁止の本だ。

「グラビアは自然っしょ。高校生でも買える奴だしよ。でも、これは十八禁だろ。買うのも読むのも駄目だろ。しかも、えぐいBL本じゃん。それこそガッコに持ってくんじゃねえよ、家で読めって言うならこっちの方だろ!」
 
 あ、ほんとだ、BLだ。
 表紙に書かれている肌色キャラは、どっちも男子だった。
 こればっかりは、戸館の言い分が合ってるかもしれない。言い方と態度は悪すぎるけど。
 持ち主らしき笹村さんは、戸館の剣幕に怯えているのか、黙って俯いていた。
 けれど、

「それ、全年齢の本だから……」

 と、かぼそい声を絞り出したのに、

「そんなんどうでもいいんだよ!」

 激昂した戸館に一喝され、身をすくめてしまった。
 いや、年齢制限がない本なら、おまえのグラビア本と条件は同じじゃん。校則違反は同じだけど、戸館が責める筋合いなんてない。
 そう頭では反論出来ても、あの中に割って入る勇気が出ない。矛先がこっちに向かうのが嫌で、ためらってしまう。
 俺だけじゃない、誰も動こうとしなかった。
 最後にもう一度本を蹴ってから、戸館は吐き捨てた。

「——腐女子とかホモとか、マジでキモいんだよ。あー、消えてくんねえかな」

 きっと、戸館は何気なく口にしたんだろう。
 「腐女子やホモ、キモい」という感性は、個人の自由だ。他人がとやかく言えることじゃない。
 けれど俺には、戸舘の発言が悪い意味で刺さった。
 もし俺と佑士が付き合ったら、俺たちは戸館にとって「キモい」存在になるのか。俺が佑士に対して抱いた気持ちも、佑士が俺に向けてくれている想いも、その三文字で切って捨てられる。
 同じ恋愛感情でも、男女だったら気持ち悪いなんて言われないのに、こと同性同士となると受け取られ方が変わってしまうんだ。
 佑士はどんな表情をしているだろう、と彼を窺い見ると、感情の読めない目つきをしていた。戸館を諫めるでもなく、ただ、黙って戸舘を見据えていた。
 佑士に何か言って欲しかった。どんな言葉でもいい、何か、戸舘に対する反論を。
 でも、佑士は動かなかった。
 代わりに動いたのは、篠田だった。戸館を脇へ押しやり、笹村さんの前に立つ。

「……水津花(みつは)」

 戸惑った戸館に名前を呼ばれても無視した篠田は、不快そうに顔を歪めながら、BL本を拾い上げた。表紙を見下ろして、さらに顔つきを険しくする。重ね塗りされたマスカラで重たそうな睫毛の下の瞳が、鋭く尖った。

「こんなもの、堂々と学校へ持ってくんな。常識だよね」

 本を突き返された笹村さんは、無言で頷いてから本を受け取り、よろよろと自分の席に戻って、そのまま机へ突っ伏した。
 俺は何も出来ず、黙って一部始終を見ていた。
 笹村さんの両肩が大きく震え出しても、ただ見ているだけだった。

「おい、スマホで撮ってんじゃねえぞ!」

 いきなり戸館が叫んだかと思うと、俺たちを睨んだ。睨まれてるのは俺でも桧垣でもない、スマホを操作していた槙だ。
 馬鹿、と言いたげに桧垣が頭を抑えた。

「槙! 消せ、この野郎!」
「撮ってないよ。DM見てただけ。落ち着いてよ、戸館くん」

 みんなの注目を浴びた槙は狼狽えもせず、スマホを持ったまま降参するように両手を上げた。
 
「っ、紛らわしい真似すんな」

 舌打ちしてからそう言い残し、戸館が自分の席に戻っていく。
 槙、と名指しで戸館が呼んだことに、軽い違和感を覚える。あいつ、俺たちの名前なんて知ってたんだ。
 手を下ろした槙が、身を屈めて俺に耳打ちした。

「俺たち、出身同じなんだ。幼馴染とまではいかないけど、今まで何回か小中とクラスメートになってる」
「ああ、だからか」
「あんな感じだけど、根はそこまで悪い奴じゃないんだよ」
「……そうなの?」

 俺は声を潜めて、疑り深く戸館を見やった。うわ、机の上に両足乗せた。そういうの、佑士は絶対しないぞ。
 
「うん、まあ、あの態度ほどには、根っこの部分は捻じ曲がってはないと思うよ。たぶん」
「言い方、めっちゃ微妙ー……」
 
 フォローになってるのか、それ。
 俺たちが不毛なやり取りをしている間に、笹村さんは友達から声をかけられ、そのまま覚束ない足取りで教室を出て行った。保健室に向かったんだと思う。
 その姿を見送って、俺は拳を固めた。
 佑士と話をしなくちゃならない。