「待て。手ぇ離せ」
朝のホームルームが始まる時刻だから、辺りに人影はない。
二年の教室がある三階から、一階に降りる階段の途中で、佑士が俺に掴まれた右手首を上下に振った。それでやっと、俺はまだ自分が佑士と手を繋いでいるみたいな状態だったことに気づく。
俺は静かに彼の手首を放した。
「ごめん……」
なんだか謝ってばっかりだ。
佑士も同じように思ったのか、片方の眉を上げる。
「おまえ最近、俺と口を利くたび謝ってばっかなのな」
図星を刺されて、少しかちんときた。
俺は階上の佑士を睨みあげる。
「じゃあ、ありがと」
「……は?」
「さっき、教室で。俺が佑士に話しかけても、怒んなかっただろ」
さりげなく庇ってくれた、とは口にしなかった。
俺の自意識過剰かもしれないし。
佑士は俺の言葉に、なぜだか驚いたような顔をした。
「話しかけても怒んねえって、どういう意味だよ」
「だって、学校では話しかけるなって言ったのは佑士だろ。その約束、破ってごめんってこと」
「ああ……話しかけるなっつうか、他人のふりな、とは言ったな……。あんま近寄ってほしくねえから。つうか、悪い、今あんま頭回んねえわ。その話、後でもいいか?」
近寄るなってなんだよ。
話しかけるな、より、ひどくなってるだろ。
余計に心の傷が開いたけれど、相手は病人だ。俺は不満を腹の中に抱えたまま、佑士を先導するように保健室へと向かった。
一階の突き当りにある保健室には、『不在』のプレートが下がっていた。
戸惑う俺をよそに、佑士は引き戸に手をかける。鍵はかかっていなかったらしい。普通に開いた。
「不在ってなってても、結構入れることが多いんだよ。たぶん、トイレにでも行ってるんだろ」
内情に詳しい。さすがサボりの常習者。
半眼になった俺を顧みることなく、佑士は「ここまででいい」と追い払うように手を振る。
俺は食い下がった。
「保健の先生いるんなら帰るけど、いないみたいだから俺もしばらくここにいる。おまえが寝るまで見張ってる」
「要らねえって」
「病人の話は聞かないことにしてるから」
引き戸と佑士の隙間を擦り抜け、半ば無理やり保健室に滑り込む。
佑士が大きくため息をついたけど、もう気にしてやるもんか。
背後でドアが閉まった。もう一回、かちゃんと微かな音が鳴る。鍵をかけたのか。
勝手知ったる部屋、とばかりに佑士はまっすぐ窓際へと直行し、マスクを外してポケットに突っ込みながら、三つ並べられたベッドのカーテンをめくって誰か眠っていないか確認している。
俺はデスクの上に体温計を見つけて、それを手に佑士へと近づいた。
「熱、測るか?」
「へーき。——おまえ、あんま近寄んな。この部屋、誰もいねえから」
差し出した体温計を受け取りもせず、佑士はそっけなく呟く。相変わらず目が合わない。
ついに俺は我慢できなくなって、佑士の胸倉を掴んで揺さぶった。相手が病人だっていうのも忘れて。
「っ、心配すんのも駄目なのかよ!」
「駄目だね。当たり前だろ」
「なんでだよ!」
いくら調子が悪くたって、佑士は体格がいいから、少し体が揺らいだぐらいだ。しかも俺より頭ひとつ分近く背も高いから、こっちは自然と上目遣いになる。
ぐ、と佑士の喉が鳴った。
逸らされていた視線が、交わる。
佑士の瞳が潤んでる。ちょっと充血した白目。黒目はというと、ふつふつと底知れない熱を湛えているようだった。あわだつ深淵。じっと見上げていると、吸い込まれそうだ。
佑士が唸った。小さく頭を振る。
かと思うと、俺の背中に佑士の両手が回っていた。
「え……?」
これは——抱きしめられてる? 佑士に?
「だッから言ったろ……離れろってよ……そこは大人しく俺の言うこと聞いとけよ、頼むから」
待て待て、理解が追いつかない。なんでだ。どうしてこうなった。
混乱する俺をよそに、佑士は俺の肩口へ額を押し当てた。ふわふわのダークグリーンのマフラーと、佑士の柔らかい髪が首筋に触れてくすぐったい。
「あー、だっる。頭ぐらぐらする」
毒づきながらも、腕の拘束は緩まない。何かが変だ。何かって、佑士を取り巻く雰囲気が。ひどく重苦しくて、とっても甘ったるい、ように感じられる。
「おい、佑士……」
「俺、いま熱のせいで理性ゆるゆるなの。保健室、ベッド、二人きりって、何もかも揃いすぎだろ。男はみんな狼なんだよ、玲クン」
「……なにそれ、意味分かんねえ」
「——本当に分かんない?」
佑士が俺に覆いかぶさるような体勢で覗き込んでくる。瞳の奥に、蕩けた熱情の火がともっているのが、確かに見えた。
俺は息を呑む。
佑士から目が離せない。左右対称って美形の条件だったっけ。やっぱり綺麗な顔をしてる。
「さっきから上目遣いばっかしやがって……」
唇に吐息がかかったと思ったら、キス、されてた。
朝のホームルームが始まる時刻だから、辺りに人影はない。
二年の教室がある三階から、一階に降りる階段の途中で、佑士が俺に掴まれた右手首を上下に振った。それでやっと、俺はまだ自分が佑士と手を繋いでいるみたいな状態だったことに気づく。
俺は静かに彼の手首を放した。
「ごめん……」
なんだか謝ってばっかりだ。
佑士も同じように思ったのか、片方の眉を上げる。
「おまえ最近、俺と口を利くたび謝ってばっかなのな」
図星を刺されて、少しかちんときた。
俺は階上の佑士を睨みあげる。
「じゃあ、ありがと」
「……は?」
「さっき、教室で。俺が佑士に話しかけても、怒んなかっただろ」
さりげなく庇ってくれた、とは口にしなかった。
俺の自意識過剰かもしれないし。
佑士は俺の言葉に、なぜだか驚いたような顔をした。
「話しかけても怒んねえって、どういう意味だよ」
「だって、学校では話しかけるなって言ったのは佑士だろ。その約束、破ってごめんってこと」
「ああ……話しかけるなっつうか、他人のふりな、とは言ったな……。あんま近寄ってほしくねえから。つうか、悪い、今あんま頭回んねえわ。その話、後でもいいか?」
近寄るなってなんだよ。
話しかけるな、より、ひどくなってるだろ。
余計に心の傷が開いたけれど、相手は病人だ。俺は不満を腹の中に抱えたまま、佑士を先導するように保健室へと向かった。
一階の突き当りにある保健室には、『不在』のプレートが下がっていた。
戸惑う俺をよそに、佑士は引き戸に手をかける。鍵はかかっていなかったらしい。普通に開いた。
「不在ってなってても、結構入れることが多いんだよ。たぶん、トイレにでも行ってるんだろ」
内情に詳しい。さすがサボりの常習者。
半眼になった俺を顧みることなく、佑士は「ここまででいい」と追い払うように手を振る。
俺は食い下がった。
「保健の先生いるんなら帰るけど、いないみたいだから俺もしばらくここにいる。おまえが寝るまで見張ってる」
「要らねえって」
「病人の話は聞かないことにしてるから」
引き戸と佑士の隙間を擦り抜け、半ば無理やり保健室に滑り込む。
佑士が大きくため息をついたけど、もう気にしてやるもんか。
背後でドアが閉まった。もう一回、かちゃんと微かな音が鳴る。鍵をかけたのか。
勝手知ったる部屋、とばかりに佑士はまっすぐ窓際へと直行し、マスクを外してポケットに突っ込みながら、三つ並べられたベッドのカーテンをめくって誰か眠っていないか確認している。
俺はデスクの上に体温計を見つけて、それを手に佑士へと近づいた。
「熱、測るか?」
「へーき。——おまえ、あんま近寄んな。この部屋、誰もいねえから」
差し出した体温計を受け取りもせず、佑士はそっけなく呟く。相変わらず目が合わない。
ついに俺は我慢できなくなって、佑士の胸倉を掴んで揺さぶった。相手が病人だっていうのも忘れて。
「っ、心配すんのも駄目なのかよ!」
「駄目だね。当たり前だろ」
「なんでだよ!」
いくら調子が悪くたって、佑士は体格がいいから、少し体が揺らいだぐらいだ。しかも俺より頭ひとつ分近く背も高いから、こっちは自然と上目遣いになる。
ぐ、と佑士の喉が鳴った。
逸らされていた視線が、交わる。
佑士の瞳が潤んでる。ちょっと充血した白目。黒目はというと、ふつふつと底知れない熱を湛えているようだった。あわだつ深淵。じっと見上げていると、吸い込まれそうだ。
佑士が唸った。小さく頭を振る。
かと思うと、俺の背中に佑士の両手が回っていた。
「え……?」
これは——抱きしめられてる? 佑士に?
「だッから言ったろ……離れろってよ……そこは大人しく俺の言うこと聞いとけよ、頼むから」
待て待て、理解が追いつかない。なんでだ。どうしてこうなった。
混乱する俺をよそに、佑士は俺の肩口へ額を押し当てた。ふわふわのダークグリーンのマフラーと、佑士の柔らかい髪が首筋に触れてくすぐったい。
「あー、だっる。頭ぐらぐらする」
毒づきながらも、腕の拘束は緩まない。何かが変だ。何かって、佑士を取り巻く雰囲気が。ひどく重苦しくて、とっても甘ったるい、ように感じられる。
「おい、佑士……」
「俺、いま熱のせいで理性ゆるゆるなの。保健室、ベッド、二人きりって、何もかも揃いすぎだろ。男はみんな狼なんだよ、玲クン」
「……なにそれ、意味分かんねえ」
「——本当に分かんない?」
佑士が俺に覆いかぶさるような体勢で覗き込んでくる。瞳の奥に、蕩けた熱情の火がともっているのが、確かに見えた。
俺は息を呑む。
佑士から目が離せない。左右対称って美形の条件だったっけ。やっぱり綺麗な顔をしてる。
「さっきから上目遣いばっかしやがって……」
唇に吐息がかかったと思ったら、キス、されてた。
