いつも塩対応だった義弟の溺愛スイッチを押してしまったようです

 一人で歩く、最寄り駅までの通学路。
 こんなに静かな朝は久しぶりだ。

「……佑士のこと、家に置いてきちゃったな」

 最近は、ずっと隣に佑士がいた。引っぺがしても、撒こうとしても、はぐらかすだけで離れてくれなかった。
 俺が本気で嫌がってないのを知ってたからだ。佑士はそういう奴だ。俺が困るようなことは絶対にしない。
 その佑士が、今朝はいない。
 駅までの近道になっている小さな公園を横切って、高台をくだる小道へ出る。急な傾斜になっている石段を吹きあがる風が一段と冷たく感じるのは、真冬のせいだ。引っ越してきたばかりの頃、この道順を教えてくれた佑士がいないからじゃない。
 昨日、入籍の報告を聞いた時、俺は思いのほかショックを受けた。
 ああ、これで俺たちは本当に兄弟になるんだって実感したら、喉元までせりあがっていた告白の返事が、急激にしぼんでいった。
 両親がテイクアウトしてくれた老舗の特上鰻重は、切らずにまるまる一匹の鰻が乗っている一本重というやつで、間違いなく美味しいはずなのに、全然食べた気がしなかった。どうしてか、風邪を引いて休んだあの日、佑士が買ってきてくれた親子丼のことばかり考えていた。
 佑士と目が合いそうになるたび、逸らしてしまう。
 だって、どんな顔をしたらいいのか分からない。
 ——相手の人生を最後まで背負う覚悟がないなら、同性と付き合うのはやめた方がいいです。兄弟の縁は切れないんですから。
 俺たちは、間違いが許されない間柄なんだ。兄弟、だから。
 そう思ったら、佑士の顔が見られなくなった。
 気まずいまま朝を迎えて、避けるように家を出た。
 佑士は追ってこなかった。いつもなら、置いていこうとする俺を「逃げられると思うなよ、玲くん」なんて冗談混じりに脅してくるのに。
 考え事をしながら歩いていたせいか、無情にも快速電車の扉が目の前で閉まってしまった。
 仕方なく次の各駅停車を待っていると、一車両先の乗車位置に立った佑士の横顔を見つけてしまい、さりげなくもう少し離れた車両へ移る。
 乗換駅でも背が高い佑士は目立つから、あまり近づかないように距離を取って歩き、学校の最寄り駅に辿り着いた時、佑士の隣には篁がいた。
 篁は野田の彼女だ。公認カップルだから、クラスメートどころか、同じ学年なら大体みんなが知っている。
 だから別に、付き合ってるのかと邪推した訳じゃない。
 二人の距離が特別近かったのでもない。
 普通の、何でもない「友達の距離」だった。
 なのにどうしてか、俺は二人から目が離せなくなっていた。
 身長が低めの篁の声が聞き取りにくかったのか、彼女の方へ身を傾けて話を聞いてあげる佑士の様子が、すごく、そう、すごく自然だったから。
 どこにでもいる高校生の男子と女子。
 何も知らない人が目にしたら、カップルだと思うに違いない。
 ——お似合いだな。
 そんな感想すら浮かんで、俺は目を伏せた。
 胸が苦しいなんて、そんなことない。気のせいだ。
 二人を見ていたくないだなんて、そんな感情が湧き上がる筈がない。あっちゃいけないんだ。
 無理矢理にそう念じて、もう一度佑士たちの方に視線を戻したら、ちょうど篠田が二人の間に割って入ったところだった。
 篠田、グッジョブ。
 ……だから、そんな気持ちになったら駄目なんだって!
 俺は何度も頭を振った。
 その間に、篠田は佑士じゃなくて、篁と腕を組んでいた。優等生で落ち着いた篁と、派手で性格のきつい篠田で正反対の性格なのに、どうしてか仲いいんだよな、あの二人。
 俺はずっと蚊帳の外で、離れた場所から彼らを眺めていた。
 下駄箱の前で槙に会って、やっと息が出来るようになった。