いつも塩対応だった義弟の溺愛スイッチを押してしまったようです

 ◆ ◆ ◆



 気づけば六限終了のチャイムが鳴っていた。
 いや、嘘だ。
 チャイムが鳴り響くのを今か今かと待ちかまえていた。
 短さに定評のある須田センの帰りのホームルームが終わったら、すぐに教室を飛び出せるよう、既に荷物をまとめていたりする。
 先に帰るなと釘は刺されたけど、俺は「うん」って答えてないし。佑士を振り切って一人ダッシュで帰る!

「それじゃあ、これでホームルームは終わり。気をつけて帰るんだぞー」
 
 終わり、の台詞の時点で立ち上がった俺のスマホに、メッセのポップアップが浮かび上がった。
 手の中で握りしめていたのが仇になった。思わず画面を見てしまい、反射的に窓際へ視線を投げる。案の定こちらを振り返っていた佑士が、唇の動きだけで「に」「げ」「ん」「な」と牽制してきた。
 駄目押しのようにスマホ画面には、

『逃げたら家でも兄弟やめんぞ』

 の文字が躍っている。
 俺は半笑いを浮かべながら机の前へ立ち尽くす。
 悠々とした足取りで、佑士が近づいてきた。

「帰るか、玲」
「……はい」
「なんだよ、その弱々しい返事は。まるで俺が脅して強要してるみたいじゃねえか」

 強要してるんだよ、佑士。
 公衆の面前で、さすがにそうは口にできないので、愛想笑いを深めて誤魔化してみた。
 窓側から数えて二列目、後ろから三番目の戸館の方をちらりと盗み見ると、不満そうに口元がへの字に歪んでいる。そのすぐ後ろの席の篠田は、もはや恐ろしくて見れない。坂下たちと会話してる佑士の姿は見かけたけど、戸館と篠田とは一度も絡んでなかった。
 斜め前の桧垣から哀れむような眼差しを浴びつつ、俺は半ば引きずられるようにしてCクラスを後にした。
 廊下で擦れ違う別クラの生徒たちの目が痛い気がするけど、たぶん、ほとんどは俺の被害妄想だ。

「え、今のってどういう組み合わせ?」
「Cクラの宮之原と……もう一人って、誰? うちの学年にいたっけ、あんなの」
「委員会同じとかじゃん」
「あーね」

 ……別に被害妄想でもなさそうだ。
 俺は身を竦めて佑士の跡を追う。
 その佑士は、俺を「あんなの」と評したメイクばっちり巻き髪女子を威嚇するように一瞥してから立ち止まり、おもむろに俺の肩を引き寄せた。弾みで、彼が巻いたマフラーが俺の首元に触れる。

「近い近い近い!」
「どこが?」
「いや近いだろ、これ」

 密着してると言っていい距離感だ。
 佑士は理解不能、と言いたげな表情で片眉を吊り上げた。おかしいのはおまえの方だから。
 俺は至近距離で直視してしまった綺麗な顔面から、出来るかぎり目をそむけ、今度は佑士を引っ張るように歩みを早めた。名前も知らない女子たちの横を通り過ぎる。

「……なんか、仲良さそうだねー」
「うん」
「宮之原、楽しそう。っていうか、嬉しそう?」
 
 ——嬉しそう。
 茶髪お団子ヘアの女子の言葉が、やけに耳の奥へ残った。
 渦中の佑士は完全無視の構えで、あくまで俺に張りつくのをやめようとしない。

「『友達』に抱きついてたんだから、こんくらい『幼馴染』なら余裕の距離だろ」
「いや、おまえは……!」
「俺は?」
「佑士はさ」
「うん」
「だから……ちょっと違うというか」
「どこが、どういうふうに、ちょっと?」
「なにもかも違うだろ!」

 埒もないやり取りをしているうちに昇降口へ到着したから、スニーカーに履き替える。この時ばかりは離してくれたけど、すぐにまた腕を取られて捕まってしまう。

「いったんキレずに言語化してみろよ」

 楽しそうに肩を揺らして笑う佑士が憎らしい。
 言語化って、それがうまく出来たら苦労しないんだよ。
 珍しく佑士が笑ってばかりいるからか、それとも俺みたいな地味——毛色が違うのと連れ立ってるのが珍しいいからなのか、明らかに周囲の注目を集めてるし。
 こんな落ち着かない状態で、ふわふわと足がつかないような気持ちの理由を見定めるなんて無理だ。
 
「佑士」
「ん?」

 何気なく返ってくる一言が、やっぱり以前までと違って格段に甘い。
 俺はあえて佑士の方を見ずに呟いた。朝にメッセでやった話の繰り返しにはなるものの、念を押しておかないと。
 
「フォローしてくれたのは分かってるけど、朝のこと、俺、まだ許してないからな」
「悪かった。おまえ、人が同じクラスにいるってのに、無神経に愛してるとか軽々しく口にするから、むかついたんだわ」
「え、そんなこと言ったっけ? 誰に?」
「これだから腹立つんだよな……」
 
 佑士が心底嫌そうに溜め息をつく。
 ああ、教室で桧垣たちに会った時か。愛してる、なんて言ったか? ——言ったな。肩を抱いたのと同じで、ただのノリだってば。
 でも、佑士は嫌だったんだよな。
 だからあんな騒動になったんだ。
 俺だって、自分の好きな人が別の人間にくっついたり、好きだって言ってる光景を目撃したら、怒りこそしないけど落ち込むと思う。
 好きな人、と考えた時に、ふと浮かんできたのは隣を歩く佑士の横顔で、俺は慌てて首を左右に振った。
 違う、これは佑士の告白に引きずられているだけだ。
 別に、好きって訳じゃない。
 払っても払っても背中へまとわりついてこようとする佑士の手から逃げるのに必死になっているうちに、校門をくぐっていた。