それ以降は特に波乱もなく四限まで終了し、昼休みになった。
微妙だった教室の空気は、ほぼ元通りになっていたものの、いつも通り机を寄せて弁当を食べるのは気が引けて、一人そそくさと廊下へ出ていこうとした俺の制服の裾を、桧垣が掴んだ。
「おい、新見、話がある。逃亡は許さないかんな」
「……了解しました」
「槙も! 弁当どこで食う? 外はさすがに寒いよな」
一応病み上がりなので、極寒の一月の風に晒されながらランチするのはごめんだ。
「じゃあ、うちの部室にしようか。男子限定・料理同好会」
のんびりとした口調で槙が提案する。
槙は料理男子だ。かつての我が家と同じ母子家庭で、趣味と実益を兼ねているんだとか。
俺も、彼を見習って家族の負担を減らすべきなんだけど、興味が持てない事柄にはとことん食指が伸びない性格な上に、槙たち同好会の面々は、化学の実験のごとき精確さで料理を作るから、一度見学しただけで逃げ帰った。いつの間にやら分量を量るのに分銅とか使い出していても、俺は驚かない。
「第二家庭科室か。南棟なら人も少ないし、ちょうどいいな。誰か使ってたりしないのか?」
「うちの奴らは凝り性だから、基本的に放課後しか使わないし、第二を授業で使うのは三年生がメインだから、たぶん空いてると思うよ。念のため、鍵を借りる時、先生に確認してみるね。二人は先に向かってて」
「悪いな」
「ありがと、槙」
職員室のある一階へ降りていった槙の後ろ姿を見送ってから、俺たちはガラス張りの連絡通路で繋がる別棟の南棟へと足を向けた。
南棟は基本的に三年生のエリアだ。
十年くらい前に建て替えられたらしいから、一、二年生のクラスがある本棟より新しいし、そのぶん設備も整っている。人の気配はあまりないのに、心なしか本棟の廊下より暖かい気がする。やっぱりあれかな、隙間風が入らないからか。断熱もしっかりしてそうだし。
「新見」
鍵がかかった第二家庭科室のドアに寄りかかって、桧垣が低く唸った。
「宮之原のことだけどさ。俺らにくらいは、前もって事情話しとけよな」
「ん、……ごめん」
「謝ってほしい訳じゃない。分かんだろ? いくら遠いったって、おまえらと同じ中学出身のやつ、うちの学校にゼロじゃないんだからな。少なくとも一学年下、うちの妹のクラスにはいるんだよ。おまえら兄弟、軽く噂になってるって言ってた」
「あー……」
当たり前だよな。同じ県内にある高校だ。俺たち二人が口をつぐんでいたって、隠し通すのは難しい話だったんだ。部活や塾での繋がりだってあるだろう。
あの場では桧垣が機転を利かせてくれたけど、幼馴染だなんて嘘だって気づく人間が——いや、もう既に気づいている人もいるかもしれない。
「先に打ち明けてくれてたら、口裏合わせてもっと上手くフォローできたかもしれない。それなのにさあ」
「——お待たせ。こんなところじゃなくて、中に入って話そうよ」
長身を縮こまらせ、手と手を合わせて指先に息を吹きかけながら槙が姿を現したので、いったん会話を中断する。寒がりなんだな。確かに、長話はここじゃ向かない。
家庭科室の中へ足を踏み入れると、槙の予想通り、朝からどのクラスにも使用されていなかったのか、室内は無人の部屋独特の乾いた匂いがした。
部屋の隅に重ねられた丸椅子をおのおの持ってきて、適当な銀の調理台の上で弁当を広げる。俺の向かい側に桧垣、隣へは槙が座った。
俺は箸を口に運びながら、ぽつりぽつり、佑士と兄弟になった経緯を語った。苗字が異なる理由も。
俺と同じように弁当持参の桧垣は、妹経由で知っていることばかりだったのか、適当に頷いている。
朝にコンビニで買ったらしい定番ツナマヨおにぎりの包装を剝がしながら、槙が何でもないことのように言った。
「詳しい事情はともかく、宮之原と知り合いっていうのは一年の頃から気づいてたよ。宮之原は別のクラスだったけど、あの人、目立つからね」
「一年からって、なんで分かったんだ?」
俺たちは今以上に、お互い関わらないよう過ごしていたはずだ。
あの重苦しく、目も合わせなかった日々が瞼の裏に甦る。
それなのに、今度は過剰な接触に戸惑うようになる日が来るだなんて、夢にも思わなかったな。
マイボトルの焙じ茶を大事に飲んでいると、槙が爆弾発言を投下した。
「だって宮之原、新見のこと意識してたじゃん。よく見てるよね」
「——まじ?」
佑士が俺を意識してた? よく見てる、なんてことあったか? あれだけ目が合わなくて悩んでたのに。
槙はあっさり頷いた。
「まじで。クラスが違う時は『気のせいかな』って思ってたけど、二年になってから確信した。ぶっちゃけ、新見が何か喋るたび反応するレベル」
「そうかあ? 俺は分かんなかったけど」
「桧垣は他人にあんまり関心ないじゃん。反応って言ったって、いつもあからさまに見てる訳じゃないよ。うまく言葉に出来ないけど、新見の一挙一動を気にしてる感じかな。特に、新見が笑ってる時とか困ってる時とか、宮之原の様子を窺ったら、大体こっち、っていうか新見を見てたし」
「槙や桧垣の方を見てたのかもしれないじゃん」
「あのね、俺たち宮之原と接点ないし。第一、決まって『新見が何か大きめのリアクションしてる時』、なんだよ。俺たちの時じゃないの、新見なの」
「……ふうん」
温かいお茶のせいかな、なんだか頬が熱くなってきた気がする。
俺は照れ隠し混じりに唇を尖らせた。
「大体、新見は余計なことはぺらぺら話すくせに、肝心なところで秘密主義なんだよ。おまえ、もう隠してることはないよな?」
う、桧垣、鋭い。
でも、佑士の告白については、二人には相談できない。俺だけの問題じゃないんだから。
「まだ、なんか抱えてそうな顔してるな」
「う、ん、なんというか、もう少し」
「おい……」
「まあまあ。あんまり新見を追い詰めるなよ。誰にだって、話したくても話せないことくらいあるじゃん。桧垣だって、俺たちに何もかも開けっ広げにしてる訳じゃないでしょ。言えないことの一つや二つ、あるでしょ?」
「それはそうだけどさ」
「槙ぃぃぃ……ありがとう……」
「今度は大ごとになる前に相談してよ」
「庇いきれねえようなのは、まじで勘弁な」
「ありがとう、桧垣ぃ……」
槙がやわらかく微笑み、桧垣は渋々といった体で頷く。
やっぱり友達って大事だな。
桧垣たちを見やって、俺は友達の有難みを心の底から噛みしめた。
微妙だった教室の空気は、ほぼ元通りになっていたものの、いつも通り机を寄せて弁当を食べるのは気が引けて、一人そそくさと廊下へ出ていこうとした俺の制服の裾を、桧垣が掴んだ。
「おい、新見、話がある。逃亡は許さないかんな」
「……了解しました」
「槙も! 弁当どこで食う? 外はさすがに寒いよな」
一応病み上がりなので、極寒の一月の風に晒されながらランチするのはごめんだ。
「じゃあ、うちの部室にしようか。男子限定・料理同好会」
のんびりとした口調で槙が提案する。
槙は料理男子だ。かつての我が家と同じ母子家庭で、趣味と実益を兼ねているんだとか。
俺も、彼を見習って家族の負担を減らすべきなんだけど、興味が持てない事柄にはとことん食指が伸びない性格な上に、槙たち同好会の面々は、化学の実験のごとき精確さで料理を作るから、一度見学しただけで逃げ帰った。いつの間にやら分量を量るのに分銅とか使い出していても、俺は驚かない。
「第二家庭科室か。南棟なら人も少ないし、ちょうどいいな。誰か使ってたりしないのか?」
「うちの奴らは凝り性だから、基本的に放課後しか使わないし、第二を授業で使うのは三年生がメインだから、たぶん空いてると思うよ。念のため、鍵を借りる時、先生に確認してみるね。二人は先に向かってて」
「悪いな」
「ありがと、槙」
職員室のある一階へ降りていった槙の後ろ姿を見送ってから、俺たちはガラス張りの連絡通路で繋がる別棟の南棟へと足を向けた。
南棟は基本的に三年生のエリアだ。
十年くらい前に建て替えられたらしいから、一、二年生のクラスがある本棟より新しいし、そのぶん設備も整っている。人の気配はあまりないのに、心なしか本棟の廊下より暖かい気がする。やっぱりあれかな、隙間風が入らないからか。断熱もしっかりしてそうだし。
「新見」
鍵がかかった第二家庭科室のドアに寄りかかって、桧垣が低く唸った。
「宮之原のことだけどさ。俺らにくらいは、前もって事情話しとけよな」
「ん、……ごめん」
「謝ってほしい訳じゃない。分かんだろ? いくら遠いったって、おまえらと同じ中学出身のやつ、うちの学校にゼロじゃないんだからな。少なくとも一学年下、うちの妹のクラスにはいるんだよ。おまえら兄弟、軽く噂になってるって言ってた」
「あー……」
当たり前だよな。同じ県内にある高校だ。俺たち二人が口をつぐんでいたって、隠し通すのは難しい話だったんだ。部活や塾での繋がりだってあるだろう。
あの場では桧垣が機転を利かせてくれたけど、幼馴染だなんて嘘だって気づく人間が——いや、もう既に気づいている人もいるかもしれない。
「先に打ち明けてくれてたら、口裏合わせてもっと上手くフォローできたかもしれない。それなのにさあ」
「——お待たせ。こんなところじゃなくて、中に入って話そうよ」
長身を縮こまらせ、手と手を合わせて指先に息を吹きかけながら槙が姿を現したので、いったん会話を中断する。寒がりなんだな。確かに、長話はここじゃ向かない。
家庭科室の中へ足を踏み入れると、槙の予想通り、朝からどのクラスにも使用されていなかったのか、室内は無人の部屋独特の乾いた匂いがした。
部屋の隅に重ねられた丸椅子をおのおの持ってきて、適当な銀の調理台の上で弁当を広げる。俺の向かい側に桧垣、隣へは槙が座った。
俺は箸を口に運びながら、ぽつりぽつり、佑士と兄弟になった経緯を語った。苗字が異なる理由も。
俺と同じように弁当持参の桧垣は、妹経由で知っていることばかりだったのか、適当に頷いている。
朝にコンビニで買ったらしい定番ツナマヨおにぎりの包装を剝がしながら、槙が何でもないことのように言った。
「詳しい事情はともかく、宮之原と知り合いっていうのは一年の頃から気づいてたよ。宮之原は別のクラスだったけど、あの人、目立つからね」
「一年からって、なんで分かったんだ?」
俺たちは今以上に、お互い関わらないよう過ごしていたはずだ。
あの重苦しく、目も合わせなかった日々が瞼の裏に甦る。
それなのに、今度は過剰な接触に戸惑うようになる日が来るだなんて、夢にも思わなかったな。
マイボトルの焙じ茶を大事に飲んでいると、槙が爆弾発言を投下した。
「だって宮之原、新見のこと意識してたじゃん。よく見てるよね」
「——まじ?」
佑士が俺を意識してた? よく見てる、なんてことあったか? あれだけ目が合わなくて悩んでたのに。
槙はあっさり頷いた。
「まじで。クラスが違う時は『気のせいかな』って思ってたけど、二年になってから確信した。ぶっちゃけ、新見が何か喋るたび反応するレベル」
「そうかあ? 俺は分かんなかったけど」
「桧垣は他人にあんまり関心ないじゃん。反応って言ったって、いつもあからさまに見てる訳じゃないよ。うまく言葉に出来ないけど、新見の一挙一動を気にしてる感じかな。特に、新見が笑ってる時とか困ってる時とか、宮之原の様子を窺ったら、大体こっち、っていうか新見を見てたし」
「槙や桧垣の方を見てたのかもしれないじゃん」
「あのね、俺たち宮之原と接点ないし。第一、決まって『新見が何か大きめのリアクションしてる時』、なんだよ。俺たちの時じゃないの、新見なの」
「……ふうん」
温かいお茶のせいかな、なんだか頬が熱くなってきた気がする。
俺は照れ隠し混じりに唇を尖らせた。
「大体、新見は余計なことはぺらぺら話すくせに、肝心なところで秘密主義なんだよ。おまえ、もう隠してることはないよな?」
う、桧垣、鋭い。
でも、佑士の告白については、二人には相談できない。俺だけの問題じゃないんだから。
「まだ、なんか抱えてそうな顔してるな」
「う、ん、なんというか、もう少し」
「おい……」
「まあまあ。あんまり新見を追い詰めるなよ。誰にだって、話したくても話せないことくらいあるじゃん。桧垣だって、俺たちに何もかも開けっ広げにしてる訳じゃないでしょ。言えないことの一つや二つ、あるでしょ?」
「それはそうだけどさ」
「槙ぃぃぃ……ありがとう……」
「今度は大ごとになる前に相談してよ」
「庇いきれねえようなのは、まじで勘弁な」
「ありがとう、桧垣ぃ……」
槙がやわらかく微笑み、桧垣は渋々といった体で頷く。
やっぱり友達って大事だな。
桧垣たちを見やって、俺は友達の有難みを心の底から噛みしめた。
