渇いた夜には酒と男と処方箋 〜目立たない事務員サキの、秘密のSNS恋愛相談室〜

木曜日の夜、東京には細い雨が降っていた。

残業を終えた私は、駅へ向かう途中で足を止めた。

いつものバーの看板が、濡れた路面にぼんやり映っていた。

今日は帰ろう。

そう思った。

けれど、部屋に戻って一人で食事をする光景を想像した瞬間、足が勝手に店の方向へ向かった。

カウンターの端に座り、ジントニックを注文する。

グラスの水滴を指でなぞっていると、隣に人の気配がした。

「また会いましたね」

顔を上げた。

三十代半ばの男だった。

以前、ここで隣に座ったことがある。仕立てのいいスーツ。整った髪。仕事の愚痴を話し、私が相槌を打つと、少し安心したように笑う男。

私は名前を知らない。

彼も、私の名前を知らないはずだった。

「そうですね」

「覚えていてくれたんですか」

「まあ、なんとなく」

男は笑った。

「よかった。僕だけが覚えていたら、少し恥ずかしいところでした」

こういう会話を、私は何度も経験してきた。

相手は距離を縮める言葉を使う。私は警戒しているように見せながら、実際には、その距離が縮まることを拒まない。

「今日は一人ですか」

「見ればわかるでしょう」

「手厳しいな」

「仕事で疲れているんです」

「それは僕も同じです」

男はウイスキーを注文した。

私たちは仕事の話をした。彼は広告関係の仕事をしているらしい。私は事務職だとだけ答えた。

詳しい会社名は言わない。

住んでいる場所も、最寄り駅も言わない。

私たちは、互いの生活の輪郭を曖昧にしたまま、会話を続けた。

その曖昧さが、夜の間だけは心地よかった。