2026年 9月 22 日火曜日 国民の休日
前の晩に荷造りをしていた。
夏から秋に変わる一番過ごしやすい季節で
初日は夜営でもよいと、寝袋のかわりに
ブルーのパイロットスーツをコンパクトにリュックに入れていた。
一日目
旅の予定はノープランだった。
知らない土地だから行き当たりばったりで
ガソリンスタンドやらの近くや道の駅で夜営できると経験から道の駅には必ず立ち寄る事になった。
当初は4泊5日から一週間以内を予定してそれなりの服や撮影機材などをまとめておいた。
早朝にソフトバンクの2台のスマートフォンのうち1台の充電を妨害されていて充電ができなくて
2台のソフトバンクのうち、1台を持って行った。 予備でインターネットは使えるauのTORQUE
のスマートフォンの2台と充電器などコード類や洗面用具などの生活用品をカバンにつめていた。
HARLEYのスポーツスターでの遠征ははじめてだったかので、バイクの後ろにPatagoniaのリュックの中に荷物をつめてバイクにくくりつけて準備をしていた。 NORTH FACEのリュックには撮影の為の三脚やら撮影のビデオカメラ2台などを入れていつでも出せるようにしといた。
Patagoniaのウエストポーチには財布やらタバコなどタオルやガムや飴やマスクを入れておいた。
バイク移動になるので不必要は持っていかないで
必要な物はコンビニで購入する事にしておいた。
初日の昼間にスマホと2台のビデオカメラのバッテリーの充電が、終わったので13時過ぎに
バイクで出発した。
市川三郷町の町中を抜けて農道をひたすら勝沼市までブドウを横目にひたすら走っていた。
アクセル操作にてドリフタースのズンドコ節などを流しながら走る事になった。
山梨県なのでブドウの旗ばかりで嫌になった。
甲州街道に入りすぐにまた勝沼の農道を走りながら塩山市を抜けて牧丘町の坂道を秩父国立公園の秩父トンネルの前の道の駅を目指して埼玉県に向かい一本道や曲がりくねった峠を走っていた。
自宅を出て3時間程で秩父トンネルの前のダムのある休憩所のトイレに立ち寄る所から撮影をする事にして、パーキングに立ち寄りトイレから出てからのファーストシーンだった。
すぐに牧丘町のコンニャクの看板のある道の駅
に立ち寄り、30分程 五平餅の販売カーの前で
休憩していた。 お母さんに公衆電話で連絡を入れようと公衆電話に入ったら、ジーンスに財布がなくて落としてしまったと焦りながら電話をしているフリをしていて、公衆電話からでてリュックを調べたらリュックの中に財布がありなくさないようにウエストポーチに入れておいた。
上海ではウエストポーチの中に入れといたパスポートを空港で盗まれたからかなり警戒しながら
バイクのツーリングの旅になった。
山梨県の県境から埼玉県に抜ける秩父トンネルの前で撮影して山梨県から埼玉県に入るシーンを撮影した。
長いトンネルをひたすら走りトンネルを抜けると埼玉県の秩父国立公園のカーブの続く曲がりくねった道を走っていた。
30分程で道の駅みたいな営業していない
BMXのコース場に立ち寄り、バイクや自撮りをしていた。BMXののコースを徒歩で歩いたり走っていたら野生の鹿がいたが埼玉県にもキャプテンスタッグは入る事はわかったがツキノワグマは
あまり出没しないとスタッフの人が行っていた。
埼玉県の秩父国立公園はオオクワガタやヒメクワガタの産地であり道の駅で販売していたツガイのオオクワガタが欲しくて買いそうになってしまったが我慢した。
走りながら我慢汁が出そうになっていた。
埼玉県に入ってBMXのコースで少し撮影していたけど夕方になったので
初日はそこで夜営という事にして初日の撮影は
終えてからはひたすらバイクで走るしかなく
とりあえず初日に宿泊するホテルを探しながら走っていた。看板しかあてならなかった。
バイクだとスマホで検索できないから
とりあえず山間の温泉街かスパ内藤か味のある旅館を探していたがバイクだと、予約できなかったから行き当たりばったりでガソリンを補給したりコンビニで休憩した時にホテルなどを検索していたり自分の位置や道を確認していた。
夜になってしまい埼玉県の知らない市街地の県道を走りながら宿を探していた。地名などは看板を
見て確認していた。
ホテル内藤がありそうだったがなかったのでひたすら埼玉県の熊谷市を目指して夜中までに到着すると想定してアクセルをふかしながら走しかなかった。
トイレ休憩てコンビニで缶コーヒーを飲みながら
タバコを吸って休憩していた。
看板ばかりで嫌になったが、みんなもそうだから仕方がないと思う事にした。
夜も9時くらいになりコンビニで缶コーヒーを
飲んでいた。
周りには旅館はなさそうでラブホテルなら必ずどこにでもあるから宿がなかったらラブホテルで
よいと思いながら走っていた。
ひたすら熊谷市を目指して北上していた。
看板ばかりで嫌になったが見ているだけで満腹になってしまって食欲がなくなっていた。
夜中のまったく知らない田舎の、林を抜けていて
熊谷市の手前の知らない町のセンスのよいキャンプ場で泊まれると期待したが満員だったが
高級の亀屋ホテルも満員だったのだかそれはそれでよかった。 高いホテルなどに泊まる必要はなかったけど、その前のキャンプ場に泊まれなかったからアウトドアの旅にはならないと、思った。
ラブホテルと道の駅での夜営になると思いながら
熊谷市まで知らな道を走っていた。
すでに小雨が降ってきて雨に濡れて体が冷えてしまってきたのですぐに目についた温泉に立ち寄る事になった。
10時くらいだった。
天の川みたいな綺麗な日本庭園のあるジブリにでてくる温泉だった。
ワインがやたら飲みたくなったが我慢した。
それまではオオクワガタと赤と白ワインなどの誘惑が多い旅になっていたが、かなりの雨にやられていた。
温泉からでてすぐに方向音痴になり
同じような道を行ったり来たりしながら迷いながらも看板を見ながら、なんとか二車線の高速道路に入り 本庄市内をひたすら北上していた。
雨が降り注いでいてどこでもいいから居酒屋に
行き酒が飲みたくなった。
もう走りながらガンの事などどうでもよく酒が飲みたくて仕方がなく、自暴自棄になりながら爆走していた。
11時くらいに寄居町という綺麗な町に到着した。
寄居町には和洋折衷でセンスのよい店や旅館が
たち並んでいる商店街が昭和の市川大門の商店街みたいに思えて懐かしくなり寄居町に立ち寄った。
駅馬で話しこんでいた優しい3人組に話かけて
しばらく雑談していた。
寄居駅周辺はすでに夜遅くてチェックインできる宿は周りにはなかったから夜営する事になった。
寄居駅の駅前の建物は撮影に使えると思ったが
長いツーリングで疲れていて
階段の下でそのまま寝てしまった。
終電の電車もなくなり雨の中体を丸めて寝てしまった。
一日目 埼玉県寄居町 寄居駅 の優しい3人組
〚〛Windowsのエキスパート3人組〚〛
悪いサンタクロースさんからの誘惑の多い
プレゼント
一日目 埼玉県 寄居駅
夜中の3時に寒くて目が覚めて近くのホテルを検索して寄居駅の外観撮影をして雨の中近くのホテル本庄ホテルに移動。
花園ICの近くのホテルにチェックインして
風呂に入りビールを飲んでいやらしいエロビデオを鑑賞しながら、ビデオカメラとスマホの充電だけはしっかりしといた。
撮影機材を充電するのにホテルが必須だった。
が旅の経験から食事などもラブホテルで充分だった。
エロビデオをみながら寝てしまった。
寝てたらでかいTVのエロビデオがいきなりついてしまい驚いて目を覚ました。
雨にやられながらのさすらいの放浪の旅から
エロい旅になって行いった。
エロい旅もまんざらではない。
2日目は朝から
10時前にホテルを出てあいにくの雨の中のロケになった。
初日は夜中に寄居駅ついて夜営をするまで。
本庄ホテルからバイクで出発するシーンだけとり花園道の駅で雨宿りをしていた。
雨が止むまで雨宿りのシーンを撮影しながら
スマホでお母さんに電話したが相変わらず留守電にされていた。お父さんのスマホも繋がないから
ミサに電話してお父さんとお母さんに花園道の駅に到着したと報告しといた。
2時間ほど雨が止むのを待ちながら撮影をしていた。
スマホで水上に電話したら簡単に繋がった。
結局どこに行っても水上には繋がるのは
不思議だ。
で雨の中新潟県のホテルをリサーチしていて
日本海の海岸線のホテルを探していたら
村松海岸を見つけて村松海岸を目指すことにした。
2日目は夕方に村松海岸に素泊まりしながら
3日目の雨上がりの村松海岸の浜辺では
たき火を焚いたりしながらアウトドアをしながら釣りをしたり海で泳ごうとしていた。
かならず海の家があるから夜営できると想定していた。
連休ともあって花園道の駅も人で混雑していた。
雨の中花園道の駅を出てはすぐに
花園ICからは高速道路に入った。
群馬県高崎市から新潟県まで向かう長い道のりになった。
道の駅では雨対策で防寒やらガソリンを補助したりタバコを吸いながら新潟美人の女が散歩している犬のケツや女のケツを眺めていた。
やはりケツばかり見ている旅になった。
やはり散歩している犬は可愛いと思った。 渋沢栄一のイラストをみながら花園市は
渋沢栄一の発祥の土地だとわかった。
花園市はやはりエロい町だと思った。
エロい旅は続く。
雨の中昼過ぎに花園ICから高速道路をひたすら走っていったがスピードを出すと雨が、顔にあたり
痛くてスピードが出せないからすぐに高速をおりて群馬県の県道の田舎道を走っていた。
すぐに広い県道に入ったが相変わらず看板ばかりで嫌になったが、朝鮮飯店の朝鮮料理が食べたかっが腹は減ってないからガソリンがなくなるまで走りながら群馬県の高崎市を目指しながら群馬市内をひたすら北上していた。
看板の嵐だったが他に見るものはなかった。
群馬県の高崎市を抜けて田舎道のみなかみ町に入ったが、以前マザーSOSにマーボーたちと行ったレイブ会場の近くを走っていた。
みなかみ町の坂道をひたすら走っていた。
温泉街で猿なんとか温泉に行こうとしたがスルーするしかなかった。
みなかみ町を超えてひたすら北上していた。
雨で視界がかなり悪い群馬県から新潟県の県境の苗場までの峠にさしかかり滑らないように慎重にゆっくり走っていた。
途中ガソリンランプが点灯してしまい峠の小さいパーキングでガソリンを補充しながら
服を着替えたりして寒さを堪えながら少し撮影をしていた。
2日目の撮影はそこまでにするしかなかった。
本庄ホテルから群馬県のパーキングまでの撮影が2日目のロケだった。
雨で曇っていて暗くなるまでに苗場に行く予定で苗場には温泉街やビジネスホテルがあると安心していた。
苗場は長野県の白馬スキー場みたいな町だと思っていた。
雨の中で走りながら雨のバイクは寒さとの戦いで
あった。スピードを出すと寒いからエンジンブレーキをきかせてゆっくり走っていた。
視界の悪さは半シールドよりフルフェイスの方がよほどよいと、わかりながらもハーレーなので半シールドだが雨の水滴との戦いだった。
荷物をたびたびチェックしながら立ち寄るコンビニでは缶コーヒーを飲んで身体を温めていた。
群馬県から新潟県までのかなり長い峠を
霧もやの中、ハイビームを使いながら対向車に注意しながらカーブばかりの峠を
サイドブレーキをきかせて走るしかなかった。
ガソリンランプが点きっぱなしだったから急いで
群馬県の峠の最後のスタンドでガソリンを入れた。
ガソリンを満タンにできたら苗場までひたすら走っていった。
視界の悪い雨の中を峠を越えて苗場にようやく到着した。
新天地であり苗場スキー場の高層ビルのたち並んんでいた温泉街で温泉宿に泊まろうとしながら
フジロックの開催地の舞台を探していたがフジロックの季節ではなくて廣瀬社長みたいな不審な軽井沢にでもいそうな不倫夫婦などがビジネスホテルのレストランにいたから山梨県のフジロックのOpeningthemeの富士山を爆音で聞かせてやった。苗場の不倫団体たちに本場の富士山やら応援ソングを聞かせてやった。
苗場は季節外れみたいで少し見て苗場は帰り道に立ち寄る事にしてまた夕方の県道をした。
幸い新潟県の苗場市に入るとずっと降っいた雨もあがり晴れてくれたが服はずぶ濡れになっていてコンビニで缶コーヒーを飲んで寒さに振るえながらそこから一番近くで安いビジネスを検索して予約を入れておいた。新潟県の南魚沼市にあるビジネスホテルのタブラッカを目指してまた走りはじめた。 長い一本道の県道を看板をみながら1人フジロックをしながら爆走していた。
県道の標識は忘れたけどとにかく走るしかなかった。雨に濡れてとにかく風呂に入りたいだけだっ
た。
ホテルを予約したので安心して看板を頼りに魚沼市に入った。魚沼市にもホテルはかなりあり
上杉謙信の縄張りに突入した。夜だったから山梨県より栄えていると上州越後もまんざらでもないから暫く滞在しようかと思っていた。
マグロ寿司を食いたかったが諦めて日本海の海岸沿いの村松海岸の前に南魚沼市まで走った。
高速はないのでひたすら一本道だった。
途中BOOWYと布袋さんを流しながら爆走していた。
夜の8時くらいにやっと南魚沼市に到着したがホテルを通り過ぎてしまい、スマホでホテルの場所を検索したらやはりソフトバンクのスマホは
検索してマークをつけといたホテルがマップ上からなくなっていたりグーグルマップまでいたづらされていた事からマップは頼りにならなくてとりあえずタブラッカホテルに到達したが寒さのあまりホテルについた時にはすでにトンガっていて
ホテルの駐輪場やら付近に不審な宿泊客でもいたらバイクに付けていあロープをムチ変わりにして縛り付けてからシバいてやるか、見つけたらぶん殴ってやろうとしたが旅先だから遠慮しといた。
ホテルのスナックはやはり休業中であった。
チェックインだけして5階の部屋に入った。
安いけどバッテリーを充電してそれまで撮影してきたSDカードを撮れているか全てチェックしたら
全て撮れていたから、それまではまったく遠隔操作はされていないとSONYと万台書店の2台のビデオカメラはまだその時点ではビデオカメラのタッチパネルの遠隔操作はされていないとかなりビデオカメラやスマートフォンをチェックしていたり不審者には警戒しながらの旅であった。
タブラッカホテルでは食事はコンビニで済ませて缶ビールを飲みながらTVをつけたら
生放送で生放送中の歌番組で覚醒剤を使用中の激ヤセした浜崎AYUMIがテレビにでていてバックダンサー全員覚醒剤を使用しているのがテレビを見ながら簡単にわかった。
禁煙室だったからベランダでタバコを吸いながら、ホテルに着く前に村松海岸をリサーチしたからタブラッカホテルにもNHKの新潟支店の放送局がホテルに仕掛けてないはずないと、ベランダから景色を見ながら新幹線ホームやら白い照明などに、元助監督の私ならタブラッカホテルの一室のベランダに向けて望遠カメラでどこにカメラを仕込んでいるか、ヘッドライトとビデオカメラを使い5台くらいのカメラをベランダに向けているくらい予想はついた。
で甲府NHKと同じくらい本社には就職できないローカル職員に国営放送局の本社や電通やらTBS
やSEPなどのアシスタントディレクターや都内の助監督との実力を見せてあげた。
上杉謙信などに武田軍は 川中島では引き分けだまったから、武田信玄公の血を受け継いでいて武田二十四将の軍師の山本勘助が武田軍の中では一番好きな私が山本勘助の仇討ちで越後の虎の上杉謙信軍より甲斐の国の武田軍の方が上杉軍より
強く汚くセコい事をわからしてやり新潟放送局も甲府放送局も本社のADには勝てない事をエックスを使いわからせてやった。
本社や電通に合格しているADだったら地方局の職員になど勝てない事をまずタブラッカホテルで
ビデオカメラやバッテリーを充電しながら
遊んでいた。
新潟放送局がどんな仕込みを本社から依頼されているか試してあげてきた。
天気予報を見ながら翌日は午前中が雨で午後が晴れだったから前の日にカレンダーにスケジュールを書いて翌日ね予定を書いておいた。
タブラッカホテルでスマホに書いていた
スケジュールをMazdaの不審者たちは見ていた事もよくわかった、
カレンダーのスケジュールを見て不審者たちは翌日から、知らない土地なのに待ち伏せしていたり
していたわけだ。
ある意味予想通りだった。
2日目のホテル 南魚沼市タブラッカホテル 。
新幹線のホーム。
〚余談〛
旅ガラスのアウトサイダーはこれからもたまに旅にでますが、偶然のトラブルをトラブルシューティングしていた上海ではホテルからの日本への
国際通話ができないホテルで、公衆電話を使おうとしたら公衆電話にスクーターが置かれていて公衆電話も使えなくさせられていたから
新宿のパソコン屋から新品で購入したダイナブックというノートパソコンで上海から日本にメールをしたがイオングループはクレジットカードの
フィッシングの事実を、WEBサイトの
明細取り引き履歴を改ざんしていた。
上海の日本大使館にメールは届いたが、届く機関と妨害されている人などが、はっきりしている事もわかった。
上海では良くも悪くも上海ナンバーワンのマフィアの蛇頭の不良たちがスティーブンマックイーンの〚グレートエスケープ〛みたいな映画みたいな制作スタッフのアシスタントやらエキストラなどや防犯のセキュリティなどまで中国の公安局の
人たちが協力してくれて案外楽しんでいるようにも思えた。
上海でわはハリウッドで成功している〚ポリスアカデミー〛など〚酔拳〛のジャッキーチェーンなどや 〚霊幻道士〛などは馴染みがあるみたいで
今だに半日感情はかなりあり、反日デモなどがあった商店街の近くに滞在していたけど
俺が、日本人だとわかる人はいないで、中国公安局は北朝鮮からの脱北者だと間違えられていた。
上海の貿易ビルには北朝鮮から脱北してきた北朝鮮人が留置されていて、時間にはタバコを喫煙してくれたりお散歩の時間がある事もわかった。
喫煙所には上海の公安局がライフルを持って脱北者には近づかせないように注意された。
中国公安局まで蛇頭は殺害してしまうヒットマンたちであったが、そんな蛇頭に間違えられていた事やなんでか脱北者や蛇頭に間違えられていたこどそれ程嫌ではなかった。
上海の公安局ビルでは公安局がみんなタバコをふかしている程タバコは親しみがあるみたいだ。
〚余談 〛上海で経験して
本社がエックスを脚本や企画書やら報告する時など番組制作の企画書にしろと大使館や領事館の降籏さんを通してたまに本社しかわからないサインを送ってくる事がある。
よくわかるな。と俺が不思議に感じていると
所どころ、たまに助っ人みたいな知らない中年が現れては通行人などにまぎれて 俺に
〚よくやった〛などと独り言を投げかけてくる人が現れる。
よくやったはTVKの社長の口ぐせだからなんとなくTVK繋がりだと受けとっておく事にしておく。
〚余談〛
タブラッカホテル
夜中には酔っ払いながら人で相変わらず一人で
騒いでいた。
就寝
新潟県 南魚沼市 タブラッカホテル にて早起きして身の回りの物を洗濯したり荷物を全て確かめながら整理整頓してバイクに荷物を乗せていた。
バイクにイタヅラされていないか確かめてから早朝の曇り空の下にバイクを走らせた。
途中小雨が降っきてバイクのグローブが塗れていたからコンビニで軍手を購入して苗場に向かった。
新潟県の南魚沼市の朝方の県道を苗場に向けて走った。
道が舗装されていないで山梨県民が無駄な公共事業の工事ばかりしていて税金の無駄使いだから
新潟県に公共事業費を国が新潟県に回しても良いと思った。新潟県の主要の県道は道が悪くバイクは特に穴凹があり危ないのでアスファルト工事くらいJRAに今まで便乗して他人や国の予算を
盗んでいた企業から徴収してJRAの競馬の費用はそういう為にある国の補正予算を個人の懐にいれている悪い連中の金を公共事業に回す事が本来のJRAであるから俺は以前に負けても国に寄付していると泣き寝入りもしていた。
便乗していた窃盗犯罪者たちから容赦なく回収した所で誰も文句は言えないはずだ。
まったく山梨県民の薄汚さがよくわかった旅になった。
走りづらい道をガソリンスタンドを頼りにガソリンを満タンにしてFUJI ROCKの聖地の苗場スキー場に向かっていた。
昼過ぎに雨がやみとても良い天気になって道が綺麗でとても気持ちがよく撮影日和になった。
ミツマタ道の駅で休憩していて売店でアウトドアグッズを買ったり、かなり美味かった醤油ラーメンを食べたり池に鯉やヤマメがいて、池のほとりでお天気雨のなか3時ほど雨宿りしながら一人ロケをしていてたまには共演者も欲しかったので綺麗なスーパーカブで一人旅していた人に許可を貰って少し出て貰っていた。
HARLEYは動いている撮影が今までことごとく妨害されていたので走るシーンを雨の中かなり撮影していてストーリー性はないけどPVではかなり編集が楽しみなロケだった。
ミツマタ道の駅までの3日間は問題なくSONYのビデオカメラ1台で撮影していて何回も撮影できているか確認していたからミツマタ道の駅から苗場に向かうところまで撮影していて、午後の快晴の苗場プリンスホテルやら苗場の看板から撮影していた。
それまで順調に行っていた矢先だった。
前の晩にホテルでフル充電していたわりにはまた
SONYのビデオカメラのバッテリーの減りがいきなり少なくなった。
不審に感じながらそれまでリュックの中に入れておいて使っていなかった予備の万台書店で購入したビデオカメラにそれまでのSDカードを入れて
苗場プリンスホテルの駐車場で撮れているか確認したら、そるまての3日間のファイルが万台書店のビデオカメラに入れ途端になくなっていた。
その前にSONYのビデオカメラは録画ボタンがいきなりフリーズした。
苗場の看板を撮影していた時だった。
周りを見たら人通りが少ない季節はずれの
苗場プリンスホテルの道にかなり不審なMazdaの白いSV車アンテナ車の宮崎ナンバーが停車していた。
不審すぎて近づかいたら車内からそいつのスマートフォンで俺を撮影しているように見えた。
近づいたらとんでもない気持ちの悪い乞食みたいなオッサンだった。
でそいつが今までに撮影していた大事な素材が
よく削除されていたからそいつたちが犯人であるとわかった。
スマホの遠隔操作できるアプリで仕込みをした
ビデオカメラの遠隔操作を簡単にしていたと気がついた。
で万台書店のビデオカメラで少し証明撮影を
10分だけしていたら、3台程不審な車が
停車していて苗場の交番に俺が行くかを偵察していたとしか思えなかった。
苗場の交番の巡査も不審者たちを取り逃がすような警察官に思えた。
で少し新潟県県警魚沼署の交番の巡査に報告したが、あまりあてにならない感じがしていきなり
テンションがさがり、嫌になり、午後のから苗場で撮影してから、夕方には村松海岸に行く予定だったがビデオカメラが操作されていて台無しにされたからロケができなくなり山梨県に帰る事にするしかなかった。
苗場プリンスホテルから身軽にして荷物だけはクロネコヤマトで郵送しようとしてクロネコヤマトを探しながら走っていたら、新潟県の苗場から峠を越えた高崎市との県境の道でその不審車がゴミ屋敷の前で停車していた。そこに住んでいるのかと思ったくらいの不審車だった。
よく職質されないと尾行をした。
そいつが、明らかに撮影の妨害をしていた主犯格の犯人と思った。
で不審車がたびたび停車していていたから
声をかけたが、相当見たもかなり危ないオッサンだった。 精神に異常があるとしか思えない程だった。でその不審車が走りだしたらちょうどミニパトカーが走ってきたから職質してもらったが、
仲間のように感じた。
で新潟県の魚沼署さんはあてにならないと思い、
高崎市の渋沢署に報告したら、高崎市の沼田署に
連絡してくださいと言われて沼田署の生活安全課の清水に詳細を報告しておいたら、清水さんはソフトバンクのスマートフォンが相当怪しと話ていた。
ここ数年間にAmazonで購入したビデオカメラのSDカードが削除されていたり新しいSDカードが
WonderShareに対応していないとか、
まさかビデオカメラ本体やタッチパネルが遠隔されていたとやっとわかり今まで相談してきた人までやたら適当なウソを助言していた事まで
わかってしまった。
それまで自分でもプロにまで理解できなかった。
妨害行為の犯罪の手口やらそれに加担していた
Amazonや万台書店の横山まさのり店長や
担当の店員たちが仕込んでいた事まで明確になった。
指摘してもすっとぼけるだけだが、それら今まで撮影の時の全ての妨害行為の全容が明かになってきた。
あとは文章と証明できる動画や写真で犯罪者たちを検挙できる証明になる事は決定的になった。
ジャマすればトラブルシューティングにて犯罪者たちの妨害行為が浮き彫りになっていくだけだからメリットがない妨害などしたら自分たちが
逮捕されたり自分たちがのちのち立場が悪くなったりするので仕事の妨害はただちに辞める事しか
解決策にはならない。
業務威力妨害やら他の犯罪行為の重罪に匹敵する
犯罪だとしかいえない。
だからNHK本社やその関係する理解してくれる人にしか理解する事はかなり難しいが
解明するまでまだまだ時間がかかる。
壊されたり破壊された物を、修復したり犯罪行為を証明する方が時間がかかってしまうが、ジャマしている方は他人を妨害して自分たちは楽しんでいるというとんでもない悪党たちというしかない。
でたまにインスタグラムやら動画を見ていると
うまく犯罪者たちを比喩してコミカルにマンガみたいに表現してくれるクリエイターもいる事、救いにも感じるがそれらも警戒しながら
あまりインスタグラムも見すぎるのは注意した方がよいとも感じた旅になったが、トラブルシューティングによる収穫は自分の表現や実力で補っていくしかない。根気のいる仕事や遊びだがやりがいはあると頑張るしかないみたいだ。
苗場プリンスホテルのMazdaの不審車数名。
3日目の午後15時に高崎市市内のホームセンターから沼田署の清水さんに報告しておいて、急いで山梨県に帰るしかなかった。
SONYのビデオカメラでは苗場までは撮影できていてそれもホテルでは確認していた。
SONYのビデオカメラは以前に芝生でベースボールサッカーで取り直す事ができない大事な2シーンが削除されていて、その後の四尾連湖で4時間もダイブしていた貴重な映像も削除されていて
苗場では3回連続の遠隔操作による素材の削除であった。 SONYのビデオカメラの販売元の業者をリサーチすれば、本体に仕込みをした主犯格が
確定できる。
もう1台は万台書店のビデオカメラだから万台書店の店長や担当していた中沢たちの店員の犯行だとはすべにわかっている。
SONYのビデオカメラでも、四尾連湖の撮影を削除されたり、その前も、サバイバルシリーズの時にはまだ編集する前に、撮影していた貴重な映像をMACに取り込む前に削除されていたから、
すべてアマゾンで購入した、あのビデオカメラであった。
アマゾンに対しては千代田区や他の人から
MACの画面を見ている事を指摘しても、ウソをつくだけで弁護士事務所などにもかなりの賄賂を渡しているはずで、先回りをしていた事が他の弁護士にわかれば、他の弁護士が賄賂を渡されて受け付けなかった今までの山梨県内の弁護士をリサーチしたら裏工作していた企業がわかる。
だから山梨県弁護士会に必ず、関係ないアマゾンやらアップルカスタマーが必ず連絡をしているはずでそんな裏工作しても追々立証に結びつく証拠になるわけだ。
アマゾンやアップルカスタマーなどはこれからは、なんとでもしてやる事ができるわけだ。
3日目の夕方 〚〛返り咲きサンダーロード〚〛
沼田市から高崎市の峠の県道をバイクで、ひたすら走り、赤城インターの高速道路の手前で休憩して、すぐに高速道路に入った。
ひたすら東京まで走った。
すぐに暗くなってきたので途中のパーキングで仮眠をとって休憩していた。
1時間程眠っていた。
起きてカツ丼を食べたがやたら美味かった。
夜6時くらいに赤城のパーキングから関越道の高速道路を東京方面に向かい爆走していた。
3車線でかなりスピードをだして快走できた。
130キロが限界だったがそれ程出す必要はこの歳ではないので120キロくらいが安全速度であった。
夜の関越道を八王子方面に向かいひたすら爆走していた。
かなり気持ちよかったがやはり暫くしてランナーズハイになっていた。
すぐにテンションが高くなるが安上がりでちょうどよい時もある。
( 回想)
22歳の時には談合坂パーキングエリアの前の長いカーブの坂道あたりではプライベートの白バイ隊が当時883ccに乗っていた俺の横を180キロくらいの50キロオーバーで追い越していった白バイ隊の人は時速80キロくらいで高速で転がりながら俺の横を転がっていた。
若い内はみんなスピードを出したがるのは万国共通みたいだが俺も若い頃はかなりスピードを出していた方だった。
今はかなり安全走行にしている
免許証など10回も取りに行っていたはずだ。
その辺の教官より色んなアドバイスやら助言に関してはかなり教え方が上手くなっているはずだ。
宮内庁職員で機動隊だった餃子の王将さんはのバイクはガードレールに激突して停止していた。
そんな談合坂パーキングは俺が国民栄誉賞を貰えるはずであり俺のにとっては特別な領土でもあり
高校時代に都内の強豪校との対戦しに遠征にいく帰りに必ず立ち寄っていた特別なパーキングエリアであり、大抵良い試合の帰りであった。
高校時代はソーセージとフランクフルとをよく食べていた。
20代ではフランクフルトから牛串しにバージョンアップしていた。
その頃は大抵がレイブパーティーの帰りだったが
自動販売機の光がやたら綺麗に見えて目がランランしていた事もあった。
そんな想いでのある談合坂パーキングエリアに
立ち寄る事にした。
かなり時間、関越道を走り八王子方面に向かっていたが知らない間に反対方向の埼玉県まで戻っていて急いで八王子方面に向かった。
途中に高速道路を降りてコンビニで職人さんに中央道を尋ねた。やはり困った時は職人さんに聞くのが一番頼りになる。
また高速道路を走りながら八王子のトンネルをいくてか抜けて中央道に入った。
中央道にさえ入ってしまえばこっちのものだ。
すぐに予備タンクを補充してから談合坂パーキングに向かった。
かなり久しぶりの談合坂パーキングについて
トイレの隣のレストランで仮眠をとっていた。
周りには数人の人たちが食事や話をしていたがまったく気にしないで寝ていたが、それまでの旅の疲れと寝不足とランナーズハイであまり眠れなかったが30分程仮眠していたが寝ながら、周りに話をしている声が聞こえていたから周りに人がいると思ったら周りには誰もいなくなっていた。
人がいないのに会話がやたら聞こえてきて会話していたのが誰たちなのかリサーチしていたら案の定輩どこにでもいる輩たちが他の食堂で話ていた会話を多分いつも俺の会話などを自分たちのスマートフォンで盗聴しているからスマホを持っている輩の会話を食堂のスピーカーが拾っていたと思った。だからたまに周りに誰もいないのにどこからか会話している声が聞こえてくる事があるが探ると周りに必ずサル芝居をしている輩の団体がいて埼玉県や新潟県でも意味不明な事があり談合坂パーキングも何か必ず隠している何かがあるはずだとリサーチしていた。
お見上げ売り場には宮内庁コーヒーがあったので大丈夫だと思った。 帰って宮内庁に報告する何かがあると直感した。
喫煙所にはSUSというシールが貼ってあった。
SOSだから SOS武田に雰囲気がにていて、多分あの辺りは創価大学の近くで八王子だと思っていた。八王子の輩だと最初は思ったが、マーボーの友達や自衛隊予備隊やら顕正会まで現れていた。
顕正会が現れると必ず反応して人が、入れ替わり
見張りや偵察が増えていた。
トイレの前にアウトドアの上着をきたおじさんが
深刻な顔をしていてトイレに入って出てこないから不審に感じトイレに行ったら不審な用具入れのドアを見つけた。
トイレの周りをチェックしていたら慌てて電話をしている人がいて近いて会話を聞いていたら、
〚絶対に気づかれているから、早くしろ。〛
という会話をしていて、盗聴犯人たちは自分たちのスマートフォンを必ず近くに置いてあるからそれで自分たちの会話をスピーカーか拾っていたとわかった。
トイレの周りの従業員たちは脱会者を殺害する
処刑係で談合坂パーキングのトイレの用具室の
後ろに勝手に処刑場を従業員たちが作っていた
みたいだった。それで今まで仲間を処刑されていた脱会希望者や脱会した顕正会や自衛隊予備隊やマーボーの仲間まで現れてきた所に偶然立ち寄った通行人であった。
通行人だから帰ってもよいとバイクに乗ろうとしたら雨が降ってきてしまった。
でまたアウトドアさんを探していたがいなかった。がその人の奥さんと2人の子供を、見張り役が車に乗せていたがナンバーまでは分からなくて他の車を見ていた。 案外いい車がたくさんあった。
暫くは休憩しながら話をしたりしていたが、
不審者の巣窟だとわかった。
少ししたらなぜかトイレから、散髪して着替えてきたアウトドアさんが食堂にいたが周りに見張り役がたくさんいたから顔を見といてあげた。
脱会者の処刑室があり助かる時は散髪で免れるという事だが脱会者は殺害される為に未亡人の女は処刑係たちに腹まされて自分たちの子供を作らされているような妊婦の女の子もいた。
だからヤンキーにはなれない変にグレてしまう
すれたヤンキーみたいなのが八王子や山梨県には
多い事もわかったがグレて当然だと思った。
そんな子供たちや女たちが、可愛そうだから
処刑係たちや実行犯や偵察係や見張り役をリサーチしてやり宮内庁に報告する事にした。
で八王子だと思ったが上野原市で山梨県とわかったからリサーチしてやった。
脱会者の奥さんは仕方がなく処刑係に腹まされるしか助かる方法はないみたいだが、殺人と誘拐や強姦になるような事を談合坂パーキングエリアに
作ってしまうが被害者のサインがあちこちに
貼ってあった。 殺人されたらサインを送り他に助けを呼ぶしかないと思った。
だから 20年前の市川三郷町高田にあるなんかの施設の時の、寝ていたら頭の中に
聞こえてきた、SOS武田が、それと同じ現象だったが、狙っていなく偶然だから周りもすっとぼけているサル芝居だから名演技もできるの演出家のディレクターにはかなわない。
単なる通行人で通用して助けるか助けないかも
俺の判断で自由だからだ。
〚〛談合坂パーキングエリア〚〛 パート2
夜遅くの小雨がパラついていた談合坂パーキングエリアの芝生には清楚で金持ちそうであり男にはまったく抵抗する事ができいようななお嬢様の妊婦が犬と遊んでいたのを見ていた。
知らない人でも少しだけ人間観察をしているだけでわかってしまう事がある。
野球部の規則はかなり極端であり理由はあえて教えて貰えなく大人になれば監督さんや部長の言っている事が理解できるようになるが高校生には話ても理解できないとミーティングでよく聞かされていた。
高校時代には野球部以外とは関わらないように素振りなどの練習以外での夜の外出は基本的に禁止されていた。
若い時は勉強はしないで1人で考えこむ事が多く眠れなくて不眠症になってしまう程厳しい部であったみたいだ。
高校を卒業してからはなんとなく、そういった人たちは部外者でありそれ程関わらなくてもいいと思って自然に一人で過ごす事が増えていった。
アメリカの大学に留学した事もあって若くして日本の社会にはかなりの疑問を感じる事が多い多感な青春時代を過ごしてきたというのも色んな原因になっている。
日本の大人の社会の事に関しては、今でも理解でにくい事が多い。
中学時代の同級生たちは俺に対して、よく
「健さんは違う」と言っていたけれど
俺からしたら一体何が違うのかが理解できなかった。そしてそういう同級生に対して
聞いてみると 「私たちはねぇ。」 と会話を濁すような答えをするしかなかったみたいであった。
そんな市川大門町で産まれ育ってきた同級生なんかは、特に進学や上京する必要がない様子でなぜか地元に残る事にこだわっていた様子であった。
で就職やら専業主婦になるからと言いながら勉強しないで地元の高校に入学しないでなぜか他校にばかり進学して行きすぐに疎遠になっていった。
そんな同級生たちも大人になると、かなり不自然であると最近になりよくわかった。
高校に入るとそういう同級生たちとは一切関わらせないように規則の厳しすぎたうちの硬式野球部は徹底して周りに壁を作らされていた。
監督さんたちは勝負の世界では闘いづらくなるから情けはかえって相手にも失礼になるという教えであり3年間は友を作るなと言われていたくらい
厳しすぎた。 色んな規則があったけどなんの為にそれ程厳しくされていたのかは、意味がわからないで俺はそんな事で22歳まで苦しめられていた。
同級生の仲でも特に在日朝鮮人の西本がそういう話しになると中間に入っていた。
西本よく笑いながら突然泣き出してしまう事もあった。そんな純粋で剛健な圭ちゃんの反応の方がなんかわかりやすかった。
自分が在日朝鮮人だとカミングアウトした頃であったが周りの俺たちはそんな事はまったく気にしていなかった。そしたら圭ちゃんは号泣して
そんな嬉しい事を言ってくれてありがとう。
いい友達を持ったと大笑いしはじめていた。AB型の二重人格は俺に似ている所があって西本圭一郎とはかなり仲がよい方だった。
大人さん同士も幼なじみだったというのがあったからだと思う。
高校時代にまったく遊ばなかった友達とは実際にはそれ程、遊ぶ必要はなかったみたいだ。
何かをする時に友達はジャマという事を感じでいて1人で遊んでいるのが気楽な人間だったみたいだが、女好きは子供の頃から変わっていなく
女と遊ぶ事や他の遊ぶ事が、単純に好きである
自由奔放な自由人であり束縛や命令されると自然に歯向かってしまう反骨精神が強い性格に育ってきてしまった。
青春時代のかなり複雑な人間関係の中で育ってきたからだと言える。
談合坂パーキングエリアでの短い仮眠中には旅の疲れでこんな夢を見ていた。
短い仮眠からさめたら周りには誰もいなかった。
雨もやんでバイクで談合坂パーキングを後にした。
中央高速道路をひたすら山梨県に向かって
走っていた。
苗場までは難なくよい旅だったが、苗場からは
スケジュールやら予定など色々な予定やら他の事
まで台無しになってしまい、嫌になりながら
山梨県に戻っていった。
追伸 明日のケンゃん。
前の晩に荷造りをしていた。
夏から秋に変わる一番過ごしやすい季節で
初日は夜営でもよいと、寝袋のかわりに
ブルーのパイロットスーツをコンパクトにリュックに入れていた。
一日目
旅の予定はノープランだった。
知らない土地だから行き当たりばったりで
ガソリンスタンドやらの近くや道の駅で夜営できると経験から道の駅には必ず立ち寄る事になった。
当初は4泊5日から一週間以内を予定してそれなりの服や撮影機材などをまとめておいた。
早朝にソフトバンクの2台のスマートフォンのうち1台の充電を妨害されていて充電ができなくて
2台のソフトバンクのうち、1台を持って行った。 予備でインターネットは使えるauのTORQUE
のスマートフォンの2台と充電器などコード類や洗面用具などの生活用品をカバンにつめていた。
HARLEYのスポーツスターでの遠征ははじめてだったかので、バイクの後ろにPatagoniaのリュックの中に荷物をつめてバイクにくくりつけて準備をしていた。 NORTH FACEのリュックには撮影の為の三脚やら撮影のビデオカメラ2台などを入れていつでも出せるようにしといた。
Patagoniaのウエストポーチには財布やらタバコなどタオルやガムや飴やマスクを入れておいた。
バイク移動になるので不必要は持っていかないで
必要な物はコンビニで購入する事にしておいた。
初日の昼間にスマホと2台のビデオカメラのバッテリーの充電が、終わったので13時過ぎに
バイクで出発した。
市川三郷町の町中を抜けて農道をひたすら勝沼市までブドウを横目にひたすら走っていた。
アクセル操作にてドリフタースのズンドコ節などを流しながら走る事になった。
山梨県なのでブドウの旗ばかりで嫌になった。
甲州街道に入りすぐにまた勝沼の農道を走りながら塩山市を抜けて牧丘町の坂道を秩父国立公園の秩父トンネルの前の道の駅を目指して埼玉県に向かい一本道や曲がりくねった峠を走っていた。
自宅を出て3時間程で秩父トンネルの前のダムのある休憩所のトイレに立ち寄る所から撮影をする事にして、パーキングに立ち寄りトイレから出てからのファーストシーンだった。
すぐに牧丘町のコンニャクの看板のある道の駅
に立ち寄り、30分程 五平餅の販売カーの前で
休憩していた。 お母さんに公衆電話で連絡を入れようと公衆電話に入ったら、ジーンスに財布がなくて落としてしまったと焦りながら電話をしているフリをしていて、公衆電話からでてリュックを調べたらリュックの中に財布がありなくさないようにウエストポーチに入れておいた。
上海ではウエストポーチの中に入れといたパスポートを空港で盗まれたからかなり警戒しながら
バイクのツーリングの旅になった。
山梨県の県境から埼玉県に抜ける秩父トンネルの前で撮影して山梨県から埼玉県に入るシーンを撮影した。
長いトンネルをひたすら走りトンネルを抜けると埼玉県の秩父国立公園のカーブの続く曲がりくねった道を走っていた。
30分程で道の駅みたいな営業していない
BMXのコース場に立ち寄り、バイクや自撮りをしていた。BMXののコースを徒歩で歩いたり走っていたら野生の鹿がいたが埼玉県にもキャプテンスタッグは入る事はわかったがツキノワグマは
あまり出没しないとスタッフの人が行っていた。
埼玉県の秩父国立公園はオオクワガタやヒメクワガタの産地であり道の駅で販売していたツガイのオオクワガタが欲しくて買いそうになってしまったが我慢した。
走りながら我慢汁が出そうになっていた。
埼玉県に入ってBMXのコースで少し撮影していたけど夕方になったので
初日はそこで夜営という事にして初日の撮影は
終えてからはひたすらバイクで走るしかなく
とりあえず初日に宿泊するホテルを探しながら走っていた。看板しかあてならなかった。
バイクだとスマホで検索できないから
とりあえず山間の温泉街かスパ内藤か味のある旅館を探していたがバイクだと、予約できなかったから行き当たりばったりでガソリンを補給したりコンビニで休憩した時にホテルなどを検索していたり自分の位置や道を確認していた。
夜になってしまい埼玉県の知らない市街地の県道を走りながら宿を探していた。地名などは看板を
見て確認していた。
ホテル内藤がありそうだったがなかったのでひたすら埼玉県の熊谷市を目指して夜中までに到着すると想定してアクセルをふかしながら走しかなかった。
トイレ休憩てコンビニで缶コーヒーを飲みながら
タバコを吸って休憩していた。
看板ばかりで嫌になったが、みんなもそうだから仕方がないと思う事にした。
夜も9時くらいになりコンビニで缶コーヒーを
飲んでいた。
周りには旅館はなさそうでラブホテルなら必ずどこにでもあるから宿がなかったらラブホテルで
よいと思いながら走っていた。
ひたすら熊谷市を目指して北上していた。
看板ばかりで嫌になったが見ているだけで満腹になってしまって食欲がなくなっていた。
夜中のまったく知らない田舎の、林を抜けていて
熊谷市の手前の知らない町のセンスのよいキャンプ場で泊まれると期待したが満員だったが
高級の亀屋ホテルも満員だったのだかそれはそれでよかった。 高いホテルなどに泊まる必要はなかったけど、その前のキャンプ場に泊まれなかったからアウトドアの旅にはならないと、思った。
ラブホテルと道の駅での夜営になると思いながら
熊谷市まで知らな道を走っていた。
すでに小雨が降ってきて雨に濡れて体が冷えてしまってきたのですぐに目についた温泉に立ち寄る事になった。
10時くらいだった。
天の川みたいな綺麗な日本庭園のあるジブリにでてくる温泉だった。
ワインがやたら飲みたくなったが我慢した。
それまではオオクワガタと赤と白ワインなどの誘惑が多い旅になっていたが、かなりの雨にやられていた。
温泉からでてすぐに方向音痴になり
同じような道を行ったり来たりしながら迷いながらも看板を見ながら、なんとか二車線の高速道路に入り 本庄市内をひたすら北上していた。
雨が降り注いでいてどこでもいいから居酒屋に
行き酒が飲みたくなった。
もう走りながらガンの事などどうでもよく酒が飲みたくて仕方がなく、自暴自棄になりながら爆走していた。
11時くらいに寄居町という綺麗な町に到着した。
寄居町には和洋折衷でセンスのよい店や旅館が
たち並んでいる商店街が昭和の市川大門の商店街みたいに思えて懐かしくなり寄居町に立ち寄った。
駅馬で話しこんでいた優しい3人組に話かけて
しばらく雑談していた。
寄居駅周辺はすでに夜遅くてチェックインできる宿は周りにはなかったから夜営する事になった。
寄居駅の駅前の建物は撮影に使えると思ったが
長いツーリングで疲れていて
階段の下でそのまま寝てしまった。
終電の電車もなくなり雨の中体を丸めて寝てしまった。
一日目 埼玉県寄居町 寄居駅 の優しい3人組
〚〛Windowsのエキスパート3人組〚〛
悪いサンタクロースさんからの誘惑の多い
プレゼント
一日目 埼玉県 寄居駅
夜中の3時に寒くて目が覚めて近くのホテルを検索して寄居駅の外観撮影をして雨の中近くのホテル本庄ホテルに移動。
花園ICの近くのホテルにチェックインして
風呂に入りビールを飲んでいやらしいエロビデオを鑑賞しながら、ビデオカメラとスマホの充電だけはしっかりしといた。
撮影機材を充電するのにホテルが必須だった。
が旅の経験から食事などもラブホテルで充分だった。
エロビデオをみながら寝てしまった。
寝てたらでかいTVのエロビデオがいきなりついてしまい驚いて目を覚ました。
雨にやられながらのさすらいの放浪の旅から
エロい旅になって行いった。
エロい旅もまんざらではない。
2日目は朝から
10時前にホテルを出てあいにくの雨の中のロケになった。
初日は夜中に寄居駅ついて夜営をするまで。
本庄ホテルからバイクで出発するシーンだけとり花園道の駅で雨宿りをしていた。
雨が止むまで雨宿りのシーンを撮影しながら
スマホでお母さんに電話したが相変わらず留守電にされていた。お父さんのスマホも繋がないから
ミサに電話してお父さんとお母さんに花園道の駅に到着したと報告しといた。
2時間ほど雨が止むのを待ちながら撮影をしていた。
スマホで水上に電話したら簡単に繋がった。
結局どこに行っても水上には繋がるのは
不思議だ。
で雨の中新潟県のホテルをリサーチしていて
日本海の海岸線のホテルを探していたら
村松海岸を見つけて村松海岸を目指すことにした。
2日目は夕方に村松海岸に素泊まりしながら
3日目の雨上がりの村松海岸の浜辺では
たき火を焚いたりしながらアウトドアをしながら釣りをしたり海で泳ごうとしていた。
かならず海の家があるから夜営できると想定していた。
連休ともあって花園道の駅も人で混雑していた。
雨の中花園道の駅を出てはすぐに
花園ICからは高速道路に入った。
群馬県高崎市から新潟県まで向かう長い道のりになった。
道の駅では雨対策で防寒やらガソリンを補助したりタバコを吸いながら新潟美人の女が散歩している犬のケツや女のケツを眺めていた。
やはりケツばかり見ている旅になった。
やはり散歩している犬は可愛いと思った。 渋沢栄一のイラストをみながら花園市は
渋沢栄一の発祥の土地だとわかった。
花園市はやはりエロい町だと思った。
エロい旅は続く。
雨の中昼過ぎに花園ICから高速道路をひたすら走っていったがスピードを出すと雨が、顔にあたり
痛くてスピードが出せないからすぐに高速をおりて群馬県の県道の田舎道を走っていた。
すぐに広い県道に入ったが相変わらず看板ばかりで嫌になったが、朝鮮飯店の朝鮮料理が食べたかっが腹は減ってないからガソリンがなくなるまで走りながら群馬県の高崎市を目指しながら群馬市内をひたすら北上していた。
看板の嵐だったが他に見るものはなかった。
群馬県の高崎市を抜けて田舎道のみなかみ町に入ったが、以前マザーSOSにマーボーたちと行ったレイブ会場の近くを走っていた。
みなかみ町の坂道をひたすら走っていた。
温泉街で猿なんとか温泉に行こうとしたがスルーするしかなかった。
みなかみ町を超えてひたすら北上していた。
雨で視界がかなり悪い群馬県から新潟県の県境の苗場までの峠にさしかかり滑らないように慎重にゆっくり走っていた。
途中ガソリンランプが点灯してしまい峠の小さいパーキングでガソリンを補充しながら
服を着替えたりして寒さを堪えながら少し撮影をしていた。
2日目の撮影はそこまでにするしかなかった。
本庄ホテルから群馬県のパーキングまでの撮影が2日目のロケだった。
雨で曇っていて暗くなるまでに苗場に行く予定で苗場には温泉街やビジネスホテルがあると安心していた。
苗場は長野県の白馬スキー場みたいな町だと思っていた。
雨の中で走りながら雨のバイクは寒さとの戦いで
あった。スピードを出すと寒いからエンジンブレーキをきかせてゆっくり走っていた。
視界の悪さは半シールドよりフルフェイスの方がよほどよいと、わかりながらもハーレーなので半シールドだが雨の水滴との戦いだった。
荷物をたびたびチェックしながら立ち寄るコンビニでは缶コーヒーを飲んで身体を温めていた。
群馬県から新潟県までのかなり長い峠を
霧もやの中、ハイビームを使いながら対向車に注意しながらカーブばかりの峠を
サイドブレーキをきかせて走るしかなかった。
ガソリンランプが点きっぱなしだったから急いで
群馬県の峠の最後のスタンドでガソリンを入れた。
ガソリンを満タンにできたら苗場までひたすら走っていった。
視界の悪い雨の中を峠を越えて苗場にようやく到着した。
新天地であり苗場スキー場の高層ビルのたち並んんでいた温泉街で温泉宿に泊まろうとしながら
フジロックの開催地の舞台を探していたがフジロックの季節ではなくて廣瀬社長みたいな不審な軽井沢にでもいそうな不倫夫婦などがビジネスホテルのレストランにいたから山梨県のフジロックのOpeningthemeの富士山を爆音で聞かせてやった。苗場の不倫団体たちに本場の富士山やら応援ソングを聞かせてやった。
苗場は季節外れみたいで少し見て苗場は帰り道に立ち寄る事にしてまた夕方の県道をした。
幸い新潟県の苗場市に入るとずっと降っいた雨もあがり晴れてくれたが服はずぶ濡れになっていてコンビニで缶コーヒーを飲んで寒さに振るえながらそこから一番近くで安いビジネスを検索して予約を入れておいた。新潟県の南魚沼市にあるビジネスホテルのタブラッカを目指してまた走りはじめた。 長い一本道の県道を看板をみながら1人フジロックをしながら爆走していた。
県道の標識は忘れたけどとにかく走るしかなかった。雨に濡れてとにかく風呂に入りたいだけだっ
た。
ホテルを予約したので安心して看板を頼りに魚沼市に入った。魚沼市にもホテルはかなりあり
上杉謙信の縄張りに突入した。夜だったから山梨県より栄えていると上州越後もまんざらでもないから暫く滞在しようかと思っていた。
マグロ寿司を食いたかったが諦めて日本海の海岸沿いの村松海岸の前に南魚沼市まで走った。
高速はないのでひたすら一本道だった。
途中BOOWYと布袋さんを流しながら爆走していた。
夜の8時くらいにやっと南魚沼市に到着したがホテルを通り過ぎてしまい、スマホでホテルの場所を検索したらやはりソフトバンクのスマホは
検索してマークをつけといたホテルがマップ上からなくなっていたりグーグルマップまでいたづらされていた事からマップは頼りにならなくてとりあえずタブラッカホテルに到達したが寒さのあまりホテルについた時にはすでにトンガっていて
ホテルの駐輪場やら付近に不審な宿泊客でもいたらバイクに付けていあロープをムチ変わりにして縛り付けてからシバいてやるか、見つけたらぶん殴ってやろうとしたが旅先だから遠慮しといた。
ホテルのスナックはやはり休業中であった。
チェックインだけして5階の部屋に入った。
安いけどバッテリーを充電してそれまで撮影してきたSDカードを撮れているか全てチェックしたら
全て撮れていたから、それまではまったく遠隔操作はされていないとSONYと万台書店の2台のビデオカメラはまだその時点ではビデオカメラのタッチパネルの遠隔操作はされていないとかなりビデオカメラやスマートフォンをチェックしていたり不審者には警戒しながらの旅であった。
タブラッカホテルでは食事はコンビニで済ませて缶ビールを飲みながらTVをつけたら
生放送で生放送中の歌番組で覚醒剤を使用中の激ヤセした浜崎AYUMIがテレビにでていてバックダンサー全員覚醒剤を使用しているのがテレビを見ながら簡単にわかった。
禁煙室だったからベランダでタバコを吸いながら、ホテルに着く前に村松海岸をリサーチしたからタブラッカホテルにもNHKの新潟支店の放送局がホテルに仕掛けてないはずないと、ベランダから景色を見ながら新幹線ホームやら白い照明などに、元助監督の私ならタブラッカホテルの一室のベランダに向けて望遠カメラでどこにカメラを仕込んでいるか、ヘッドライトとビデオカメラを使い5台くらいのカメラをベランダに向けているくらい予想はついた。
で甲府NHKと同じくらい本社には就職できないローカル職員に国営放送局の本社や電通やらTBS
やSEPなどのアシスタントディレクターや都内の助監督との実力を見せてあげた。
上杉謙信などに武田軍は 川中島では引き分けだまったから、武田信玄公の血を受け継いでいて武田二十四将の軍師の山本勘助が武田軍の中では一番好きな私が山本勘助の仇討ちで越後の虎の上杉謙信軍より甲斐の国の武田軍の方が上杉軍より
強く汚くセコい事をわからしてやり新潟放送局も甲府放送局も本社のADには勝てない事をエックスを使いわからせてやった。
本社や電通に合格しているADだったら地方局の職員になど勝てない事をまずタブラッカホテルで
ビデオカメラやバッテリーを充電しながら
遊んでいた。
新潟放送局がどんな仕込みを本社から依頼されているか試してあげてきた。
天気予報を見ながら翌日は午前中が雨で午後が晴れだったから前の日にカレンダーにスケジュールを書いて翌日ね予定を書いておいた。
タブラッカホテルでスマホに書いていた
スケジュールをMazdaの不審者たちは見ていた事もよくわかった、
カレンダーのスケジュールを見て不審者たちは翌日から、知らない土地なのに待ち伏せしていたり
していたわけだ。
ある意味予想通りだった。
2日目のホテル 南魚沼市タブラッカホテル 。
新幹線のホーム。
〚余談〛
旅ガラスのアウトサイダーはこれからもたまに旅にでますが、偶然のトラブルをトラブルシューティングしていた上海ではホテルからの日本への
国際通話ができないホテルで、公衆電話を使おうとしたら公衆電話にスクーターが置かれていて公衆電話も使えなくさせられていたから
新宿のパソコン屋から新品で購入したダイナブックというノートパソコンで上海から日本にメールをしたがイオングループはクレジットカードの
フィッシングの事実を、WEBサイトの
明細取り引き履歴を改ざんしていた。
上海の日本大使館にメールは届いたが、届く機関と妨害されている人などが、はっきりしている事もわかった。
上海では良くも悪くも上海ナンバーワンのマフィアの蛇頭の不良たちがスティーブンマックイーンの〚グレートエスケープ〛みたいな映画みたいな制作スタッフのアシスタントやらエキストラなどや防犯のセキュリティなどまで中国の公安局の
人たちが協力してくれて案外楽しんでいるようにも思えた。
上海でわはハリウッドで成功している〚ポリスアカデミー〛など〚酔拳〛のジャッキーチェーンなどや 〚霊幻道士〛などは馴染みがあるみたいで
今だに半日感情はかなりあり、反日デモなどがあった商店街の近くに滞在していたけど
俺が、日本人だとわかる人はいないで、中国公安局は北朝鮮からの脱北者だと間違えられていた。
上海の貿易ビルには北朝鮮から脱北してきた北朝鮮人が留置されていて、時間にはタバコを喫煙してくれたりお散歩の時間がある事もわかった。
喫煙所には上海の公安局がライフルを持って脱北者には近づかせないように注意された。
中国公安局まで蛇頭は殺害してしまうヒットマンたちであったが、そんな蛇頭に間違えられていた事やなんでか脱北者や蛇頭に間違えられていたこどそれ程嫌ではなかった。
上海の公安局ビルでは公安局がみんなタバコをふかしている程タバコは親しみがあるみたいだ。
〚余談 〛上海で経験して
本社がエックスを脚本や企画書やら報告する時など番組制作の企画書にしろと大使館や領事館の降籏さんを通してたまに本社しかわからないサインを送ってくる事がある。
よくわかるな。と俺が不思議に感じていると
所どころ、たまに助っ人みたいな知らない中年が現れては通行人などにまぎれて 俺に
〚よくやった〛などと独り言を投げかけてくる人が現れる。
よくやったはTVKの社長の口ぐせだからなんとなくTVK繋がりだと受けとっておく事にしておく。
〚余談〛
タブラッカホテル
夜中には酔っ払いながら人で相変わらず一人で
騒いでいた。
就寝
新潟県 南魚沼市 タブラッカホテル にて早起きして身の回りの物を洗濯したり荷物を全て確かめながら整理整頓してバイクに荷物を乗せていた。
バイクにイタヅラされていないか確かめてから早朝の曇り空の下にバイクを走らせた。
途中小雨が降っきてバイクのグローブが塗れていたからコンビニで軍手を購入して苗場に向かった。
新潟県の南魚沼市の朝方の県道を苗場に向けて走った。
道が舗装されていないで山梨県民が無駄な公共事業の工事ばかりしていて税金の無駄使いだから
新潟県に公共事業費を国が新潟県に回しても良いと思った。新潟県の主要の県道は道が悪くバイクは特に穴凹があり危ないのでアスファルト工事くらいJRAに今まで便乗して他人や国の予算を
盗んでいた企業から徴収してJRAの競馬の費用はそういう為にある国の補正予算を個人の懐にいれている悪い連中の金を公共事業に回す事が本来のJRAであるから俺は以前に負けても国に寄付していると泣き寝入りもしていた。
便乗していた窃盗犯罪者たちから容赦なく回収した所で誰も文句は言えないはずだ。
まったく山梨県民の薄汚さがよくわかった旅になった。
走りづらい道をガソリンスタンドを頼りにガソリンを満タンにしてFUJI ROCKの聖地の苗場スキー場に向かっていた。
昼過ぎに雨がやみとても良い天気になって道が綺麗でとても気持ちがよく撮影日和になった。
ミツマタ道の駅で休憩していて売店でアウトドアグッズを買ったり、かなり美味かった醤油ラーメンを食べたり池に鯉やヤマメがいて、池のほとりでお天気雨のなか3時ほど雨宿りしながら一人ロケをしていてたまには共演者も欲しかったので綺麗なスーパーカブで一人旅していた人に許可を貰って少し出て貰っていた。
HARLEYは動いている撮影が今までことごとく妨害されていたので走るシーンを雨の中かなり撮影していてストーリー性はないけどPVではかなり編集が楽しみなロケだった。
ミツマタ道の駅までの3日間は問題なくSONYのビデオカメラ1台で撮影していて何回も撮影できているか確認していたからミツマタ道の駅から苗場に向かうところまで撮影していて、午後の快晴の苗場プリンスホテルやら苗場の看板から撮影していた。
それまで順調に行っていた矢先だった。
前の晩にホテルでフル充電していたわりにはまた
SONYのビデオカメラのバッテリーの減りがいきなり少なくなった。
不審に感じながらそれまでリュックの中に入れておいて使っていなかった予備の万台書店で購入したビデオカメラにそれまでのSDカードを入れて
苗場プリンスホテルの駐車場で撮れているか確認したら、そるまての3日間のファイルが万台書店のビデオカメラに入れ途端になくなっていた。
その前にSONYのビデオカメラは録画ボタンがいきなりフリーズした。
苗場の看板を撮影していた時だった。
周りを見たら人通りが少ない季節はずれの
苗場プリンスホテルの道にかなり不審なMazdaの白いSV車アンテナ車の宮崎ナンバーが停車していた。
不審すぎて近づかいたら車内からそいつのスマートフォンで俺を撮影しているように見えた。
近づいたらとんでもない気持ちの悪い乞食みたいなオッサンだった。
でそいつが今までに撮影していた大事な素材が
よく削除されていたからそいつたちが犯人であるとわかった。
スマホの遠隔操作できるアプリで仕込みをした
ビデオカメラの遠隔操作を簡単にしていたと気がついた。
で万台書店のビデオカメラで少し証明撮影を
10分だけしていたら、3台程不審な車が
停車していて苗場の交番に俺が行くかを偵察していたとしか思えなかった。
苗場の交番の巡査も不審者たちを取り逃がすような警察官に思えた。
で少し新潟県県警魚沼署の交番の巡査に報告したが、あまりあてにならない感じがしていきなり
テンションがさがり、嫌になり、午後のから苗場で撮影してから、夕方には村松海岸に行く予定だったがビデオカメラが操作されていて台無しにされたからロケができなくなり山梨県に帰る事にするしかなかった。
苗場プリンスホテルから身軽にして荷物だけはクロネコヤマトで郵送しようとしてクロネコヤマトを探しながら走っていたら、新潟県の苗場から峠を越えた高崎市との県境の道でその不審車がゴミ屋敷の前で停車していた。そこに住んでいるのかと思ったくらいの不審車だった。
よく職質されないと尾行をした。
そいつが、明らかに撮影の妨害をしていた主犯格の犯人と思った。
で不審車がたびたび停車していていたから
声をかけたが、相当見たもかなり危ないオッサンだった。 精神に異常があるとしか思えない程だった。でその不審車が走りだしたらちょうどミニパトカーが走ってきたから職質してもらったが、
仲間のように感じた。
で新潟県の魚沼署さんはあてにならないと思い、
高崎市の渋沢署に報告したら、高崎市の沼田署に
連絡してくださいと言われて沼田署の生活安全課の清水に詳細を報告しておいたら、清水さんはソフトバンクのスマートフォンが相当怪しと話ていた。
ここ数年間にAmazonで購入したビデオカメラのSDカードが削除されていたり新しいSDカードが
WonderShareに対応していないとか、
まさかビデオカメラ本体やタッチパネルが遠隔されていたとやっとわかり今まで相談してきた人までやたら適当なウソを助言していた事まで
わかってしまった。
それまで自分でもプロにまで理解できなかった。
妨害行為の犯罪の手口やらそれに加担していた
Amazonや万台書店の横山まさのり店長や
担当の店員たちが仕込んでいた事まで明確になった。
指摘してもすっとぼけるだけだが、それら今まで撮影の時の全ての妨害行為の全容が明かになってきた。
あとは文章と証明できる動画や写真で犯罪者たちを検挙できる証明になる事は決定的になった。
ジャマすればトラブルシューティングにて犯罪者たちの妨害行為が浮き彫りになっていくだけだからメリットがない妨害などしたら自分たちが
逮捕されたり自分たちがのちのち立場が悪くなったりするので仕事の妨害はただちに辞める事しか
解決策にはならない。
業務威力妨害やら他の犯罪行為の重罪に匹敵する
犯罪だとしかいえない。
だからNHK本社やその関係する理解してくれる人にしか理解する事はかなり難しいが
解明するまでまだまだ時間がかかる。
壊されたり破壊された物を、修復したり犯罪行為を証明する方が時間がかかってしまうが、ジャマしている方は他人を妨害して自分たちは楽しんでいるというとんでもない悪党たちというしかない。
でたまにインスタグラムやら動画を見ていると
うまく犯罪者たちを比喩してコミカルにマンガみたいに表現してくれるクリエイターもいる事、救いにも感じるがそれらも警戒しながら
あまりインスタグラムも見すぎるのは注意した方がよいとも感じた旅になったが、トラブルシューティングによる収穫は自分の表現や実力で補っていくしかない。根気のいる仕事や遊びだがやりがいはあると頑張るしかないみたいだ。
苗場プリンスホテルのMazdaの不審車数名。
3日目の午後15時に高崎市市内のホームセンターから沼田署の清水さんに報告しておいて、急いで山梨県に帰るしかなかった。
SONYのビデオカメラでは苗場までは撮影できていてそれもホテルでは確認していた。
SONYのビデオカメラは以前に芝生でベースボールサッカーで取り直す事ができない大事な2シーンが削除されていて、その後の四尾連湖で4時間もダイブしていた貴重な映像も削除されていて
苗場では3回連続の遠隔操作による素材の削除であった。 SONYのビデオカメラの販売元の業者をリサーチすれば、本体に仕込みをした主犯格が
確定できる。
もう1台は万台書店のビデオカメラだから万台書店の店長や担当していた中沢たちの店員の犯行だとはすべにわかっている。
SONYのビデオカメラでも、四尾連湖の撮影を削除されたり、その前も、サバイバルシリーズの時にはまだ編集する前に、撮影していた貴重な映像をMACに取り込む前に削除されていたから、
すべてアマゾンで購入した、あのビデオカメラであった。
アマゾンに対しては千代田区や他の人から
MACの画面を見ている事を指摘しても、ウソをつくだけで弁護士事務所などにもかなりの賄賂を渡しているはずで、先回りをしていた事が他の弁護士にわかれば、他の弁護士が賄賂を渡されて受け付けなかった今までの山梨県内の弁護士をリサーチしたら裏工作していた企業がわかる。
だから山梨県弁護士会に必ず、関係ないアマゾンやらアップルカスタマーが必ず連絡をしているはずでそんな裏工作しても追々立証に結びつく証拠になるわけだ。
アマゾンやアップルカスタマーなどはこれからは、なんとでもしてやる事ができるわけだ。
3日目の夕方 〚〛返り咲きサンダーロード〚〛
沼田市から高崎市の峠の県道をバイクで、ひたすら走り、赤城インターの高速道路の手前で休憩して、すぐに高速道路に入った。
ひたすら東京まで走った。
すぐに暗くなってきたので途中のパーキングで仮眠をとって休憩していた。
1時間程眠っていた。
起きてカツ丼を食べたがやたら美味かった。
夜6時くらいに赤城のパーキングから関越道の高速道路を東京方面に向かい爆走していた。
3車線でかなりスピードをだして快走できた。
130キロが限界だったがそれ程出す必要はこの歳ではないので120キロくらいが安全速度であった。
夜の関越道を八王子方面に向かいひたすら爆走していた。
かなり気持ちよかったがやはり暫くしてランナーズハイになっていた。
すぐにテンションが高くなるが安上がりでちょうどよい時もある。
( 回想)
22歳の時には談合坂パーキングエリアの前の長いカーブの坂道あたりではプライベートの白バイ隊が当時883ccに乗っていた俺の横を180キロくらいの50キロオーバーで追い越していった白バイ隊の人は時速80キロくらいで高速で転がりながら俺の横を転がっていた。
若い内はみんなスピードを出したがるのは万国共通みたいだが俺も若い頃はかなりスピードを出していた方だった。
今はかなり安全走行にしている
免許証など10回も取りに行っていたはずだ。
その辺の教官より色んなアドバイスやら助言に関してはかなり教え方が上手くなっているはずだ。
宮内庁職員で機動隊だった餃子の王将さんはのバイクはガードレールに激突して停止していた。
そんな談合坂パーキングは俺が国民栄誉賞を貰えるはずであり俺のにとっては特別な領土でもあり
高校時代に都内の強豪校との対戦しに遠征にいく帰りに必ず立ち寄っていた特別なパーキングエリアであり、大抵良い試合の帰りであった。
高校時代はソーセージとフランクフルとをよく食べていた。
20代ではフランクフルトから牛串しにバージョンアップしていた。
その頃は大抵がレイブパーティーの帰りだったが
自動販売機の光がやたら綺麗に見えて目がランランしていた事もあった。
そんな想いでのある談合坂パーキングエリアに
立ち寄る事にした。
かなり時間、関越道を走り八王子方面に向かっていたが知らない間に反対方向の埼玉県まで戻っていて急いで八王子方面に向かった。
途中に高速道路を降りてコンビニで職人さんに中央道を尋ねた。やはり困った時は職人さんに聞くのが一番頼りになる。
また高速道路を走りながら八王子のトンネルをいくてか抜けて中央道に入った。
中央道にさえ入ってしまえばこっちのものだ。
すぐに予備タンクを補充してから談合坂パーキングに向かった。
かなり久しぶりの談合坂パーキングについて
トイレの隣のレストランで仮眠をとっていた。
周りには数人の人たちが食事や話をしていたがまったく気にしないで寝ていたが、それまでの旅の疲れと寝不足とランナーズハイであまり眠れなかったが30分程仮眠していたが寝ながら、周りに話をしている声が聞こえていたから周りに人がいると思ったら周りには誰もいなくなっていた。
人がいないのに会話がやたら聞こえてきて会話していたのが誰たちなのかリサーチしていたら案の定輩どこにでもいる輩たちが他の食堂で話ていた会話を多分いつも俺の会話などを自分たちのスマートフォンで盗聴しているからスマホを持っている輩の会話を食堂のスピーカーが拾っていたと思った。だからたまに周りに誰もいないのにどこからか会話している声が聞こえてくる事があるが探ると周りに必ずサル芝居をしている輩の団体がいて埼玉県や新潟県でも意味不明な事があり談合坂パーキングも何か必ず隠している何かがあるはずだとリサーチしていた。
お見上げ売り場には宮内庁コーヒーがあったので大丈夫だと思った。 帰って宮内庁に報告する何かがあると直感した。
喫煙所にはSUSというシールが貼ってあった。
SOSだから SOS武田に雰囲気がにていて、多分あの辺りは創価大学の近くで八王子だと思っていた。八王子の輩だと最初は思ったが、マーボーの友達や自衛隊予備隊やら顕正会まで現れていた。
顕正会が現れると必ず反応して人が、入れ替わり
見張りや偵察が増えていた。
トイレの前にアウトドアの上着をきたおじさんが
深刻な顔をしていてトイレに入って出てこないから不審に感じトイレに行ったら不審な用具入れのドアを見つけた。
トイレの周りをチェックしていたら慌てて電話をしている人がいて近いて会話を聞いていたら、
〚絶対に気づかれているから、早くしろ。〛
という会話をしていて、盗聴犯人たちは自分たちのスマートフォンを必ず近くに置いてあるからそれで自分たちの会話をスピーカーか拾っていたとわかった。
トイレの周りの従業員たちは脱会者を殺害する
処刑係で談合坂パーキングのトイレの用具室の
後ろに勝手に処刑場を従業員たちが作っていた
みたいだった。それで今まで仲間を処刑されていた脱会希望者や脱会した顕正会や自衛隊予備隊やマーボーの仲間まで現れてきた所に偶然立ち寄った通行人であった。
通行人だから帰ってもよいとバイクに乗ろうとしたら雨が降ってきてしまった。
でまたアウトドアさんを探していたがいなかった。がその人の奥さんと2人の子供を、見張り役が車に乗せていたがナンバーまでは分からなくて他の車を見ていた。 案外いい車がたくさんあった。
暫くは休憩しながら話をしたりしていたが、
不審者の巣窟だとわかった。
少ししたらなぜかトイレから、散髪して着替えてきたアウトドアさんが食堂にいたが周りに見張り役がたくさんいたから顔を見といてあげた。
脱会者の処刑室があり助かる時は散髪で免れるという事だが脱会者は殺害される為に未亡人の女は処刑係たちに腹まされて自分たちの子供を作らされているような妊婦の女の子もいた。
だからヤンキーにはなれない変にグレてしまう
すれたヤンキーみたいなのが八王子や山梨県には
多い事もわかったがグレて当然だと思った。
そんな子供たちや女たちが、可愛そうだから
処刑係たちや実行犯や偵察係や見張り役をリサーチしてやり宮内庁に報告する事にした。
で八王子だと思ったが上野原市で山梨県とわかったからリサーチしてやった。
脱会者の奥さんは仕方がなく処刑係に腹まされるしか助かる方法はないみたいだが、殺人と誘拐や強姦になるような事を談合坂パーキングエリアに
作ってしまうが被害者のサインがあちこちに
貼ってあった。 殺人されたらサインを送り他に助けを呼ぶしかないと思った。
だから 20年前の市川三郷町高田にあるなんかの施設の時の、寝ていたら頭の中に
聞こえてきた、SOS武田が、それと同じ現象だったが、狙っていなく偶然だから周りもすっとぼけているサル芝居だから名演技もできるの演出家のディレクターにはかなわない。
単なる通行人で通用して助けるか助けないかも
俺の判断で自由だからだ。
〚〛談合坂パーキングエリア〚〛 パート2
夜遅くの小雨がパラついていた談合坂パーキングエリアの芝生には清楚で金持ちそうであり男にはまったく抵抗する事ができいようななお嬢様の妊婦が犬と遊んでいたのを見ていた。
知らない人でも少しだけ人間観察をしているだけでわかってしまう事がある。
野球部の規則はかなり極端であり理由はあえて教えて貰えなく大人になれば監督さんや部長の言っている事が理解できるようになるが高校生には話ても理解できないとミーティングでよく聞かされていた。
高校時代には野球部以外とは関わらないように素振りなどの練習以外での夜の外出は基本的に禁止されていた。
若い時は勉強はしないで1人で考えこむ事が多く眠れなくて不眠症になってしまう程厳しい部であったみたいだ。
高校を卒業してからはなんとなく、そういった人たちは部外者でありそれ程関わらなくてもいいと思って自然に一人で過ごす事が増えていった。
アメリカの大学に留学した事もあって若くして日本の社会にはかなりの疑問を感じる事が多い多感な青春時代を過ごしてきたというのも色んな原因になっている。
日本の大人の社会の事に関しては、今でも理解でにくい事が多い。
中学時代の同級生たちは俺に対して、よく
「健さんは違う」と言っていたけれど
俺からしたら一体何が違うのかが理解できなかった。そしてそういう同級生に対して
聞いてみると 「私たちはねぇ。」 と会話を濁すような答えをするしかなかったみたいであった。
そんな市川大門町で産まれ育ってきた同級生なんかは、特に進学や上京する必要がない様子でなぜか地元に残る事にこだわっていた様子であった。
で就職やら専業主婦になるからと言いながら勉強しないで地元の高校に入学しないでなぜか他校にばかり進学して行きすぐに疎遠になっていった。
そんな同級生たちも大人になると、かなり不自然であると最近になりよくわかった。
高校に入るとそういう同級生たちとは一切関わらせないように規則の厳しすぎたうちの硬式野球部は徹底して周りに壁を作らされていた。
監督さんたちは勝負の世界では闘いづらくなるから情けはかえって相手にも失礼になるという教えであり3年間は友を作るなと言われていたくらい
厳しすぎた。 色んな規則があったけどなんの為にそれ程厳しくされていたのかは、意味がわからないで俺はそんな事で22歳まで苦しめられていた。
同級生の仲でも特に在日朝鮮人の西本がそういう話しになると中間に入っていた。
西本よく笑いながら突然泣き出してしまう事もあった。そんな純粋で剛健な圭ちゃんの反応の方がなんかわかりやすかった。
自分が在日朝鮮人だとカミングアウトした頃であったが周りの俺たちはそんな事はまったく気にしていなかった。そしたら圭ちゃんは号泣して
そんな嬉しい事を言ってくれてありがとう。
いい友達を持ったと大笑いしはじめていた。AB型の二重人格は俺に似ている所があって西本圭一郎とはかなり仲がよい方だった。
大人さん同士も幼なじみだったというのがあったからだと思う。
高校時代にまったく遊ばなかった友達とは実際にはそれ程、遊ぶ必要はなかったみたいだ。
何かをする時に友達はジャマという事を感じでいて1人で遊んでいるのが気楽な人間だったみたいだが、女好きは子供の頃から変わっていなく
女と遊ぶ事や他の遊ぶ事が、単純に好きである
自由奔放な自由人であり束縛や命令されると自然に歯向かってしまう反骨精神が強い性格に育ってきてしまった。
青春時代のかなり複雑な人間関係の中で育ってきたからだと言える。
談合坂パーキングエリアでの短い仮眠中には旅の疲れでこんな夢を見ていた。
短い仮眠からさめたら周りには誰もいなかった。
雨もやんでバイクで談合坂パーキングを後にした。
中央高速道路をひたすら山梨県に向かって
走っていた。
苗場までは難なくよい旅だったが、苗場からは
スケジュールやら予定など色々な予定やら他の事
まで台無しになってしまい、嫌になりながら
山梨県に戻っていった。
追伸 明日のケンゃん。


