忘れた涙も、私だった

お昼過ぎ、自分の受付シフトを終えた私は、校庭の隅にある木製ベンチに一人で座っていた。

少し離れた体育館や校舎からは、楽しげな喧騒や吹奏楽の演奏が風に乗ってかすかに届いてくる。
頭上を見上げると、満開の金木犀が秋の日差しを浴びてキラキラと橙色に輝いていた。昨日の雨に濡れて地面に踏みつぶされていた花びらとは違い、枝に咲く小花たちは誇らしげに咲き誇り、風が吹き抜けるたびに甘く爽やかな香りを周囲に振りまいている。

手にした紙コップの温かい紅茶から、ほのかな湯気が立ち上っていた。それを少しずつ口に含みながら、私は静かに自分の心と向き合っていた。

昨日の夜、涙を流して本音を言えたからといって、魔法みたいに一瞬で完璧な自分に生まれ変われたわけではない。


きっと明日も、あるいはこれから先も、人の顔色を伺って言葉を呑み込みそうになる瞬間はあるはずだ。
「嫌われたらどうしよう」と怖くなって、逃げ出したくなる夜だって、一度や二度じゃないだろう。
長年かけて身につけてしまった逃げ癖や不安は、そう簡単に消えてはくれない。

でも——私はもう、二度と「私」を置き去りにはしない。

誰かに嫌われないための「透明で完璧な良い子」になんて、最初からならなくてよかったんだ。
自分の気持ちを押し殺してまで、自分を削り取ってまで守らなければいけない居場所なんて、この世界のどこにも存在しないのだから。

歪んでいたのは世界ではなく、自分を一番嫌って傷つけていた私の心だった。
周りの目を気にして自分を切りつけ、血を流しているのに見て見ぬふりをしてきた私自身だった。

自分が自分を一番愛して、一番の味方になって、大切に抱きしめてあげること。
自分の痛みに寄り添い、「辛かったね」「寂しかったね」と涙を流すことを許せた時、初めて人は、大切な人たちの手をまっすぐに、嘘偽りなく握り返すことができるのだと知った。

正解なんて、大人たちが決める教科書の中にも、SNSの画面の中にも落ちてはいない。
自分の「好き」や「嫌い」を誤魔化さず、泣きたい時に泣いて、嫌な時は嫌と言って、大切な人と素顔で笑い合うこと。

不器用で、面倒くさくて、傷つきやすくて、ちょっと泣き虫な——等身大の、このままの自分の足で生きていくこと。
それこそが、私が絶望の夜を超えて見つけた、本当の私。

「美緒ー! 何一人で黄昏れてんの! パンケーキ焼き上がったよー!」

遠くから、莉子たちが紙皿を手に持って、笑顔で手を振りながら走ってくる。
葵も、結衣も、田中さんも一緒だ。

「いま行く!」

私は手に持った紙コップを少し強く握り直し、ゆっくりと、けれど確かな足取りで立ち上がった。
秋のどこまでも高く、どこまでも澄み切った青空の下へ、私は自分の足で一歩を踏み出す。
忘れていた涙も、不器用に痛む心も、私を愛してくれた大切な友達も——そのすべてを愛おしく胸に抱きしめて。

「ねぇ、今度またあのカフェ行ったらさぁ、店員さんにどうしても窓際の席がいいですってお願いしてみようか」
「いいねぇ」
「さんせーい」
「やったぁ!念願の窓際!」
「まぁ、行ってみないと座れるかどうかわからないけどねぇ」
「だよねぇ。しょうがないよねぇ。まぁ、そんときは別にどこでもいいか。美味しいパフェ食べられるなら!」
「そうだよ!そんときはそんとき! 今を楽しもう!」
「あはははっ!」


(完)