今日は朝までゲームしねえ?

「わりぃ、俺そろそろバイトだから抜けるわ」

 ヘッドホン越しに響いた、卓也(たくや)の声で、右手のコントローラの指が止まる。

「ああ、お疲れ。最近働きすぎじゃね?」
「そうか? ま、色々入用でな。晃(あきら)も手に職付けろよ」
「バイトの癖に調子乗んな」
「ニートに言われたくないね。じゃ、和樹(かずき)にも言っといて」

 プツっと音が聞こえる。あいつの安物のヘッドフォンはいつもノイズ交じりなので、ひと時の静寂が訪れた。

「ただいまー。よし、次行くか。あれ? 卓也(たくや)落ちてね?」

 飲み物を取って戻ってきた和樹(かずき)が呟く。
 通話アプリを介して、夜な夜な朝までゲームするのが、俺たちの日課だった。

「明日バイト早いから落ちるってさ」
「はあ? あいついなきゃ面子揃わねえじゃん。今から野良探すのも面倒だしよお」

 ふざけるなよ、と言わんばかりに和樹が愚痴る。
 俺たちがプレイしている対戦ゲームは三人揃わないとスタートボタンが押せない。
 野良=知らない人を誘うのは気を遣うし、面倒だ。

「卓也、最近付き合い悪いよな」

 思わず俺の本音がこぼれる。
 バイトというのは建前で、本当の理由はまた別にある。

「彼女ができてから、ずっと忙しい忙しいって、嬉しそうにウザイよな」

 和樹は、嘲笑とほんのちょっとだけ羨ましさもあるような声色で言った。
 おそらくだが、俺とまったく同じ気持ちを抱いている。
 十七歳になって少しして、卓也に念願の彼女ができた。
 なんと一つ下の後輩で、帰り道にたまたま意気投合したらしい。
 惚気話も何度も聞いたが、最近はそれすらも話してこなくなった。
 ただ、こうやってすぐ彼女を優先するようになったのだ。

「同感。でもこれ本人に言うとひがんでると思われるしな」
「間違いない。でもまあ、ちょっとは羨ましいけど」
「おい卓也、お前も彼女ほしいとか言い出すのか?」
「いらねえよ。でも、そういうのも経験してたほうがいいんじゃないかって思うだけ」

 俺たちは中学から仲がいい。いっつもゲームして、漫画やアニメの話に花を咲かせていた。
 だけど卓也が忙しくなってからはめっきりそういうことも減ってきている。

「それでどうする? 野良募集しようか?」
「いや、なんか疲れたし寝るわ。じゃあまたな」
「ああ、おやすみ」

 プツっとまた音が消える。誰もいない通話アプリに、ただ俺だけが取り残された。
 俺たちの中で卓也の存在は大きい。別に誰が上とか下とかあるわけじゃないが、ムードメーカーというか、何かするとき、一番に声を上げる奴なのだ。
 今やっているゲームも、和樹がやりたいと言い出して、俺たちを泥沼にはまらせた。
 和樹と二人で深い話をすることもあるし、リアルで遊ぶこともある。でも、やっぱり一人欠けるだけで突然お開きになることが増えた。

「野良募集……いいや俺も落ちよ」

 プツッとゲームの電源を落とす。
 部屋の電気はいつも消しているので、そのままベッドへ横になった。
 三人の中で、俺はどちらかというと受け身なほうだ。
 自分から何かしようということはないし、どこか飯に行こうとかも誘うことはない。
 いや、誘う必要がなかったとも言える。
 卓也が和樹、二人のどっちかがいつも声を上げるからだ。
 でも、それがめっきり減ってしまった今、なんというか、疎外感を感じている。

「彼女か……」

 欲しくないと言えばウソになる。でも、明確に好きな人なんていない。
 自分から動こうと思えるほどやる気もない。こんな考えでは、誰も好きになってくれないだろうが。

 中学のときは良かったな。バイトもなかったし、将来へのことは何も考えず、ただひたすらに楽しかった。
 でも、こんな考えをしている自分が子供なんだろうな。
 十八歳になると、今や成人扱いされる世の中。つまり俺はもう、大人の一歩手前まで来ている。
 こんな幼稚な考えは、誰にも言えないが。

 ……寝よ。

 ◇ ◇ ◇

「よ、晃! こんな早いの珍しいじゃん!」

 俺の背中を思い切り叩いたのは卓也だ。
 ちょっとだけムっとして振り返ると、爽やかそうな笑顔が飛び込んでくる。

「うるせえ。てか、お前こそ早いな」
「最近は早寝早起きがブームなんだよ。てか、怒ってんの? この前ブチッたこと」
「別に? でも、和樹は少し怒ってたかもな」
「はは、あいつが不機嫌になるのはいつもだろ」

 爽やかな笑顔で、悪びれなくいつものように軽口を叩く。
 二駅先で、和樹とも合流した。

「お前、この前ブチりやがって」
「ごめんって。バイトってこと忘れてたんだよ」
「まあいいけど、今度レート上げ手伝えよな」
「もちもち。でも今日は勘弁な」
「はいはい。理由は聞かねえし、言うなよ」

 和樹の言葉が前振りになったのか、卓也はサプライズでディズニーランドを計画していることを話してきた。
 どうやら彼女が誕生日らしく、それでお金を貯めているらしい。
 俺はその輪の中に入らず、横でほとんど聞いているだけだ。別にやっかみがあるわけではなく、ただ、この面子で立ち位置はいつもこうってだけ。
 特別、口数が少ないとは思わないが、二人が話しているのを聞きながら茶々を入れるのが好きなのだ。いや、これはなんか違うか。
 二人とも俺と違ってコミュ力が高いのだ。例えは悪いが、内容のない話でもずっとラリーを続けられる。
 俺は、いつもなんか考えてしまう。

「なあ晃、お前もそう思うだろ?」

 すると卓也が俺に同意を求めてきた。
 ちょっと考えごとをしていたが、耳にぼそっと入ってきたのは、「彼女は高校生のうちに作ったほうがいい」だ。
 で、和樹は否定派。

「どっちでもない。彼女がいてもいなくても、人生は楽しい」

 俺の冷静な結論に、二人がまた議論を交わす。
 この時間が好きだ。俺が何か話題を振るわけでもなく、それでも、俺が中心になっているような、そんな気分さえ思わせてくれる。

 だから俺は、この三人でもっと、もっと時間を過ごしたかった。

 でも、そんなこと言えるわけない。

「お、じゃあまたな!」

 校門前、卓也が振り返らずに小走りする。
 いつも朝が遅いコイツが、こんなに早起きした理由は、やっぱり彼女だった。

「ったく、幸せオーラ全開ってああいうこと言うんだな。マジでずっと顔ニヤけてやがる」
「だな。でも彼女がいるだけであそこまで幸せになれるのかなと思うと、ちょっと気になるけど」
「おい晃、お前だけは俺を裏切らないでくれよ」

 さあな、と返す。和樹は少し焦るような声を出すが、あいにく、俺にそんな予定はない。

 教室へ着く前に和樹と別れる。俺たちは同じクラスではないので、放課後まであまり話すことはない。
 昼はクラスメイトの連中と飯を食うので、わざわざ集まるようなこともない。まあ、女子だけはクラスを超えてよく集まっているが。

「さて、と」

 自分の席に座って、教室を見渡す。
 一年生のときよりも少し大人びているのは、髪を染めていたり、メイクを覚えていたり、シンプルに身長が伸びているからだろう。
 後は、卓也のように経験の差だろうな。

 はあ……なんか、俺だけ時間止まってねー?

 和樹は、間違いなく青春真っただ中にいる。
 休日は彼女と遊び、放課後はバイト。たまの休みに気の合う俺たちとゲーム三昧。
 成績は中の下だったが、それもまた青春ぽい。
 ちなみに俺は普通。中の中、まさに平凡だ。

 で、和樹は……凄いんだよなあ。

「よし、ホームルーム始めるぞ。そろそろ文化祭だ。ただ、浮かれすぎるなよ。三年生になったらあっという間だからな、二年のうちから進路は少しでも考えておけよ」

 先生の言葉に背筋が伸びる――わけもない。
 でも、大学はどこへ行こうかなと考えるぐらいに頭は過った。
 親は自分の母校に行ってほしいというが、割と遠いし、実家暮らしの良さは身に染みてわかっている。

 授業は退屈だが、国語の時間は好きだ。
 昔から本を読むのが好きで、今でもそのおかげで物語を読むことが楽しい。

 時間はあっという間に過ぎていく。食堂で日替わり定食を頼んで、学校の中だけの友達と他愛もない話をする。
 当然だが、こいつらの中にも彼女がいる。
 たまに話題に出てくるし、それに対して軽く茶々を入れることも。
 だけどやっぱり、卓也に向けているほどの感情は湧いてこない。たまに自分がキショく感じて、これってもしかして……と検索したことすらある。でも、それは違う。

 俺はただ、心地の良い時間を守りたいだけなのだ。
 自分にとって都合のいい、毎日変わらない日々。それが、たまらなく楽なんだと思う。
 
 昼食を終えると眠くなる。五限目は睡眠の時間と割り切り、社会についての知見が減る。それでも、体調は頗る良くなった。
 放課後、これは自覚しているのだが、自分から一緒に帰ろうぜと誘うことはない。
 ただひたすらに待ちの姿勢、こればかりは自分でも悪癖だと思う。
 なぜなら誘われないと寂しく感じるからだ。なのに、動けない。
 いつもは卓也がやってくる。帰りながら、この後の戦術(ゲーム)について議論を交わそうというわけだ。
 しかしその時間はもうほとんど来ない。理由は、もう考える必要もない。
 早々に荷物を片付けて廊下に出る。
 二組の教室、横目で和樹を探す。
 卓也と違って、あまり社交的なタイプではなく、どちらかというと俺に近い人種だと思っている。
 ほかに友達はいるが、深い付き合いは少ない。
 だけど芯を持っている。多分、俺みたいにウジウジ考えごとなんてしていないだろう。
 なぜそう思うのかは、いつもの軽口だ。俺は何か言うのに考えてしまうが、あいつは嫌なことをはっきり言う。それが、たまらなくうらやましくてカッコイイ。もちろん、そんなことは死んでも言わない。

 ――和樹、一緒に帰ろうぜ。
 
 その言葉が出かかって、やめる。でもきっとあいつは「ああ」と返事してくれるだろう。そして卓也の愚痴をいいながら、戦術(ゲーム)について語りだすのだ。
 でももし、断られたらどうしようと思いが過る。
 ゲームよりも大事なことが、あいつにも生まれるかもしれない。いや、そんなことは当たり前だ。俺たちは、いつまでも子供ではいられないのだから。

「ねえ、帰りにパフェ食べて帰ろー」
「いいよ。あ、その前にコンビニで金下ろしていくわ」

 全然知らない後輩が、俺よりも先に色々なことを経験している。
 友達同士ではない。男女の付き合いでしかありえない、何とも言えない甘い空気。

 電車に揺られながら考える。俺はなぜこうも卑屈というか、変なことを考えてしまうのか。
 ただ普通に思っていることを言えばいいだけだ。卓也には、彼女なんかよりも俺たちをもっと優先しろよ、とか。
 和樹には、二人でもいいからゲームしようぜ、なんて。

 でも、それが言えないのだ。

「ただいま」

 自宅へ戻ると母が夕食の準備をしていた。
 用意が随分と早いのがうちのウリで、おかげでゲームの時間は多く取れる。
 手洗いうがいは言われなくてもした。なぜなら、言われるとイラッと来るから。

「晃、今日かえって来るの早いわね」

 それ、何度目だよ、と言いたい。
 今までは卓也と和樹と議論をかわしていたので、電車を何本も逃していた。
 ほんで、あそこのコンビニにでも寄って帰ろうぜ、となるのがオチだったからだ。
 なので、最近はめっきり早い。
 しかしこれは一度目ではなく、もう数ヵ月も続いている。
 なのに母の中では、まだまだ新しい出来事なのだろう。
 答えるのもおっくうなので、軽く無視したような返事で冷蔵庫を開ける。
 夕食前のおつまみ、母もそれをわかっているので、扉に手をかけた時点で食料を伝えてくれる。

「ちゃんと手洗いはしたんでしょうね?」

 した。でも、それも軽く無視したような返事で返す。
 チーズとトマトを重ね合わせたお洒落なおつまみしかなく、若干のテンションが下がった状態で炭酸ジュースを飲む。
 お洒落なおつまみを部屋に持ち込み、夕食の時間まで時間を潰す。
 最近の俺は、何というか気だるくウジウジしている。
 暗い人間ではなかったはずだが、めっきりそんな方向へ向かっていた。
 そういえば友達がアプリで出会い系を始めたと言っていた。もちろんガチなやつではなくて、ゲームとかのコミュニケーション目的で話せるやつ。
 一応学生にも対応しているので、法的は問題ないらしい。
 いっそのこと、そういうのもありか? 俺はゲームが結構うまいし、同じゲームなら会話だってうまく繋げられるだろう。
 スマホでアプリを検索する。うろ覚えの記憶で、何とか辿り着いてダウンロード。
 そこの掲示板では、男女の書き込みがひたすらに羅列していた。
 仮名、年齢、通話アプリのID。そして性別。
 後者の必要性はわからないが、それでも、やっぱり女性とやりたいのが男のさがだろう。
 一人の書き込みを見て、興味がそそる。
 文章が丁寧だし、何より、同じゲームをやっている。
 プロフィールからメッセージが送れるらしい。手紙マークをクリックすると、画面が表示された。
 だがそこで手が止まる。怖いわけじゃなくて、面倒だからだ。
 多分だが、返事はかえってこないだろう。こういうのは男側が必死に女性側にメッセージを送り、女性側はそのメッセージを吟味する。
 いっそのこと、ゲームのレートも書いてみるか? いや、それはさすがにキショイ。

 「やーめた……」

 気だるい。これが、ストレスなのか? いや、マジでなんのストレスかはよくわかんないけど。
 喪失? 友達がいないと、俺はもしかしてやっていけない奴なのか? それは果たして男としてどうだろう。ダサい。間違いなく。

 夕食に呼ばれて下へ降りる。父は夜遅くまで帰ってこず、妹は部活で遅い。
 なので、母と二人きりで食事の時間を過ごす。

「晃、そろそろ進路決めなきゃいけないんじゃないの?」
「そうだね。色々考えてるよ」
「ふうん、お父さんのところへ行くの?」
「どうだろう。あ、この肉じゃが美味しい」

 話を逸らすときは、相手の何かを褒めるのがいい。
 これは、家族の中で得た知恵である。
 母はご機嫌で肉じゃがの秘密を語り、それで俺の進路の話は消え失せた。
 でも本当に、肉じゃがは美味しかった。
 洗い物をして、二階へ戻る。
 風呂はまだ入らない。夜のゲームで汗をかくからだ。

 通話アプリを起動すると、いつものトークルームが起動する。
 和樹は既にログインしていて、卓也はやっぱりオフライン。

 俺から通話をかけることはない。いや、あるにはあるが、それでも限りなく少ない。
 大体は卓也が飛ばししてきて、俺たちが「ういー」と声を上げる。
 すると、和樹からチャットが飛んでくる。
 ちょっとだけ嬉しくなり、急いでメッセージを読む。

『野良入れるの面倒だから別のゲームしね? いいの見つけたんだよな』

 最高の提案に、俺は素早く返事を返す。
 そっけない態度かもしれないが、俺にとっては最高の返事。

『やろう。なんてやつ?』

 和樹の提案してくれたゲームは、正直、ちょっとつまんなそうだった。
 でも、何でも良かった。ただ、何かに没頭できるならと。
 二時間ほど楽しんで、その日は疲れたので落ちることにした。
 いつもなら、あと二時間は楽しんでいたはずだ。
 二人だと、どうしても埋まらない隙間を感じる。
 
 ベッドに潜り込み、それでも今日は楽しかったなと心の中で呟いた。



 ◇ ◇ ◇ ◇

「で卓也、ディズニー楽しんできたのかよ?」

 和樹の質問に、卓也は心底嬉しそうだった。
 朝の登校でのこの時間が、たまらなく幸せなんだろう。
 友達に惚気話を話す。そして幸せを噛みしめる。
 その姿が羨ましくて、そして憎らしかった。

「お前たちも彼女作ったほうがいいぜ。マジで、マジで世界変わるって! ディズニーってさ、マジで夢の国なんだよ!」

 訳の分からないことをいって、俺たちを笑わせようとする。
 こんなことをいってかなりキショイかもしれないが、俺は嫉妬しているんだと思う。
 別に卓也に好意を抱いているわけではないが、友達として好きな卓也が、その彼女に取られていることに。
 でも、和樹はいつもと変わらない。それが、俺よりもかなり大人びて見える。

 じゃあな、と卓也が校門で消える。朝のひと時の時間は、いつも彼女と過ごすのが日課になった。

「そいや和樹、面白いゲームネットで上がってたんだけど」

 俺はめずらしく、和樹に話しを振った。
 この前、和樹は俺にクソゲーだが、四日間は楽しめるゲームを教えてくれた。
 そのお返しに、二人でできる良ゲーを調べてきたのだ。
 これさーと言いながら、画面を見せる。和樹も、おもろそうだなと言った。
 いつもなら、ここで和樹の方から「今日の夜やろうぜ」と言ってくるはずだった。
 俺は、さも当然のように、その誘いの言葉を待っていた。

「でも、今日から夜は無理だわ」
「え? なんで?」
「カテキョある。そろそろ受験も見据えないとヤバいから、親が本腰入れろってさ」

 あー、と情けない声が漏れ出る。これが、和樹と俺の絶対的な違いだ。
 和樹は途中まで私立中学に通っていて、中三のとき、引っ越しを機に地元の公立へ転校してきて俺たちと知り合った。
 頭がいいのになぜ今の高校を選んだのかというと、ただ単に和樹が「家から近い方がいい」とごねたかららしい。
 最終的に立派な大学へ行けば問題はないと、親にプレゼンまでしたそうだ。
『だって、往復で四時間もかかるんだぜ? 通学だけで疲れるとかありえねえよ』
 というのが和樹の本音らしいが、それで親を納得させられるんだから素直に凄いと思う。

 当然、それ以上何も言えなかった。
 またやろうぜ、という月並みな言葉で別れ、心の中では激しく落ち込んだ。
 HRが始まっても、俺の心はざわざわしていた。
 わかっていたことだ。こんな時が来ることを。

 卓也は性格が良いし明るいし、彼女と別れることはないだろう。
 和樹は頭が良くて自分を強く持っている。流されることなく、これからは勉学に励むだろう。

 でも、俺には何もない。
 やりたいことがまったくないというわけではない。ちょっとした夢ぐらいはある。
 ゲーム会社に就職したいだとか、ダメならパソコン関係の仕事に就きたいだとか、そういうグレードを下げた現実感がある夢も。
 だからといって、今からプログラムの勉強に全てを捧げるほどの情熱はない。
 ただもう少し、中学からの余韻に浸っていたいのだ。
 当たり前だが、時間は過ぎていく。ずっと子供でなんていられないし、三年もすれば、俺は選挙にすら行ける歳になる。
 それが嬉しいことなのか、今の俺にはわからない。
 思えば昔は早く大人になりたかった気がする。煙草に憧れた時期もあるし、父が飲むビールにだって興味があった。
 だけど今は、ただ友達と過ごす何でもない時間を長引かせたい。
 それが、多分俺の本音なんだろう。

「じゃあ北山、お前答えてみろ」

 久しぶりに苗字で呼ばれて、ドキッとしながら前に出る。
 黒板の問題に見事正答し、ドヤ顔はせずに席へ戻る。
 俺は頭がそこまで悪くない。だからこそ、今から頑張れば良い大学だって行けるかもしれない。
 だけどやる気が出てこない。これが怠惰なのだろうか。俺は、人一倍怠惰なのだろうか。

 放課後、卓也と和樹の姿はどこにもいなかった。
 少し出るのが遅かったこともあるが、あいつらは既に前を向いて、もしくは今を直視して生きている。
 夕焼けが眩しくて、何だか嫌になる。
 時間だけが過ぎていく。それだけは、ゆるぎない事実だ。

 俺は自宅へ戻って宿題を片付けた。
 こんなに早くしたことはない。時計を見て、少しだけ誇らしい。
 母と飯を食って、片付けも終わらせた。
 今からあるたっぷりな自由時間は、いつもゲームの為に存在していた。
 だけどほんの少し、卓也のことを思い出した。
 あいつが彼女をできたきっかけは、放課後に自分から話したからだそうだ。
 つまり、少なくとも、一歩を踏み出した。
 その勇気は、きっとあの卓也ですら結構な力が必要だったはずだ。
 俺も、少しは見習うほうがいいか。

 昨日のチャットアプリでメッセージを送った。
 性別は女性、年齢は不明だ。通話アプリのIDを記載し、ちょっとキショイがレートも記載した。
 返事は来なかったが、こういうのはすぐには見ないだろう。
 ゲームは立ち上げず、机に向かって参考書を取り出した。
 数ヵ月前、親と本屋へ行ったときに買ってもらったやつだ。いや、別に俺が頼んだわけではないが。
 数学のテストは俺の一番嫌いな科目だ。
 答えがしっかりあって、国語の好きな俺にとってなんだかむずかゆい。

 結論というのは、人それぞれ違うほうが楽しい。
 例えばゲームだってそうだ。
 卓也はあっちへ行くほうがいいと言えば、和樹はこっちだという。
 そして俺もまた違う方向へ声を上げる。
 それが正解かどうかは、毎回、試合によって異なる。
 だけどそれがおもしろい。人によって発言が違うのも、色々と考えさせられるからだ。

 ふと、思う。
 あいつらはどうやって正解を見つけたんだろう。
 現状で彼女を持つことが、卓也にとって幸せだったことは間違いない。
 でも、考えなかったのだろうか。彼女ができればゲームができなくなる。そうなると、あの楽しい時間がなくなる。
 少なくとも、俺たちとの時間は嘘じゃなかったはずだ。でも今は、そんな素振りがない。
 和樹は考えなかったのだろうか。家庭教師を雇うと、ゲームどころか、放課後、コンビニへ行く時間も限られる。
 まあ、和樹のことだ。それぐらい計算して、飲み込んでいるのだろうが。

 俺は将来を考えるのが怖いのか。答えは出ず、ただただショート動画を見あさっていた。
 通知が鳴った。何のことかと忘れていたが、俺の送ったメッセージの返事らしい。
 思っていたよりもそっけない返事だったが、話はわかりそうなやつだった。「レート高いね。いいよ。一緒にやる? 今からできるけど」
 ちょっとした俺への賞賛を入れた上で、さらにノリのいい返事を返してくれた。
 初めてのことで少し不安もあったが、「やろう」と返事を返す。
 ゲームを立ち上げ、言われた通りのIDにフレンドを送った。
 彼女の名前は、mika3355だった。どうやら、年齢ではないらしい。
 VCは標準装備されている。パーティーを誘って、声が聞こえてくる。

『あ、あ、声入ってる?』

 どうやらかなり若い。でも、若すぎるってわけじゃない。
 多分、俺くらい。
 ていうか、敬語とか使わないのか? まあ、俺もできれば使いたくないけど。

『入ってるよ。よろしく』
『よろしく。私、あのアプリでゲームするの初めてなんだけど』
『俺もだよ。ちょっと緊張するけど』
『ちょうどいいね。とりあえず、行こうよ』

 卓也のような明るい感じはないが、和樹のような冷静な安心感がある。
 俺はすぐに出撃を押して、一人は野良でVCもなしで入れてみた。
 普段ならこんなお遊びマッチはしない。俺はランクが好きなガチ勢なので、こういったノーマルプレイは好みではないのだ。
 だが結論からいえばかなり楽しかった。
 女とやるのは、男とやるのと違う感覚がある。
 おそらくだが、彼女とやるゲームはこんな感じなんだろうと思った。
 何というか、気を遣うのも悪くはない。
 彼女がミスをして、俺がカバーをする。
 頼り、頼られ、そして褒められる。もちろん、褒め返す。これが、新鮮で、むずがゆくて、それでいて楽しかった。

『またやろ。それじゃあ――ええと、こういうのゲーム名で名前呼ぶのかな?』
『わかんないけど、おやすみ。ミカサンサンゴゴー』

 俺は最大限のコミュ力で笑いを誘った。相手は少しだけ苦笑して、俺のゲーム名を呟いた。
 電源を押すと、なんというか充実感があった。
 卓也と和樹がいなくても、やっていけるんじゃないかと、そんな気持ちになったのだ。
 明日も、自分から誘ってみるか。

『うん。いいよ』

 その彼女とは毎日ゲームをするようになった。
 頼り、頼られ、そして落ちる。
 自然とリアルの話も増えていった。県がまったく違うところで、行ったこともなければ、知識もないところ。
 年齢は俺の一つ上だった。先輩とタメ口で話してるだなんて、と優越感にも浸った。

 だがある日、突然フレンドから消えていた。知り合って二週間ぐらいだった。
 チャットアプリを見ても、「退出しました」という無機質な文字だけが残っている。
 理由はさっぱりわからない。何か嫌われるようなことを言っただろうか。
 トーク履歴を遡って、固まった。

『今日もやる?』
『明日何時くらい?』
『お疲れー。また明日ね』

 画面に並んでいるのは、ミカからの言葉ばかりだった。
 俺からのメッセージは、いつも『いいよ』とか『分かった』とか、そんな返事ばかり。
 自分から『やろう』と誘ったことは、あの一番最初のメッセージ以外、一度もなかったのだ。
 いつも彼女が声をかけてくれるのを、ただ口を開けて待っていた。
 一歩踏み出したなんて、とんだ勘違いだ。
 俺の根っこにある受け身な悪癖は、何一つ変わっていない。
 相手にばかり気を遣わせて、自分からは動かなかった。そりゃあ、愛想も尽かされる。

 俺はまた喪失感にさいなまれた。
 だけど、不思議と長くは落ち込まなかった。
 別にミカのことが好きだったわけじゃない。ただ、自分のダサさを突きつけられただけだ。
 それでも、少しだけ胸の奥がざわついていた。
 自分から誘うなんて簡単なことのはずなのに、俺にはそれができていなかった。
 何も変わっていないのに、何かを変えた気になっていた自分が、ただ恥ずかしかった。

 卓也は相変わらず彼女と仲が良いらしい。今度は、二人で少し遠出をするそうだ。
 その為にバイトを増やそうかと嬉しい愚痴を零している。
 和樹は家庭教師との折り合いが悪いそうだ。どうやら、相手の口調がちょっと気に食わないらしい。
 だけど担当を変えるつもりはないらしく、成績を上げて、それから口調を改めてほしいというらしい。その根性は、俺にも卓也にもない。
 俺はチャットアプリを立ち上げる元気がなかった。
 また同じようなことを繰り返す気がして、ほどなくアンインストールした。

 再来週、家族で旅行へ行く。
 父が休みを取れたらしく、妹は部活を休むらしい。
 行先は俺の行ったことのないところで、ちょっと楽しみだ。

 気づけば和樹と卓也とゲームをしない日々にも慣れてきた。
 それでも、あの時間が一番楽しかったと心の底から思える。

 本音を言えば寂しい。だが、今も悪くないと思える。
 また新しい楽しみが増えて、そしてそれが過去になる。あせる必要もなく、焦がれる必要もなく。それが、人生かもしれない。

 放課後、いつものように教科書を鞄にしまい込んでいたら、卓也の声が聞こえてきた。

「一緒に帰ろうぜ!」
 
 その隣には和樹の姿があり、久しぶりに見た光景だなと思った。
 帰り道、卓也が突然半べそをかきはじめた。
 どうやら彼女と喧嘩をしたらしい。内容は、マジでどうでも良い小さなすれ違いだった。
 しかし卓也にとっては大きな出来事だったのだろう。
 和樹が冷静に話を聞いて、少し慰める。 
 俺は、隣でそのやり取りを聞いていた。

「俺もマジで辛いんだよな」

 合いの手を打つかのように、和樹が愚痴を零す。どうやらまた家庭教師と折り合いが悪いらしい。
 頭が良い同士だと、色々と揉めたりするんだろうか。
 今日はもう気分が乗らないので、体調不良を理由にキャンセルするという。
 そして、時間がぽっかり空いたと。
 二人は気が滅入っているからか、言葉を交わそうとしない。

 いつもなら、ここでどっちかが「気晴らしにどっか寄ってくか」と口火を切ってくれる。
 そうやって俺は無意識のうちに言葉を待っていた。

 ふと、ミカがチャットルームから消えたときの、あの無機質な画面がフラッシュバックする。

 このまま口を閉じて、誰かが動くのを待っていたら。
 俺たちは明日からまたバラバラの歩幅で歩き出して、いつか本当に、俺の隣から誰もいなくなるんじゃないか。
 そんな強烈な焦燥感が背筋を駆け上がった。

 俺は一言、いや、正直、めちゃくちゃ言葉に詰まった。
 心臓が嫌な音を立てている。でも、喉の奥に引っかかっている言葉を、無理やり外に押し出した。

「だったら、今日は朝までゲームしねえ?」

 不安だった。卓也と和樹の顔を見るのが怖くて、前を向いた。
 でも、すぐに返事が聞こえてくる。

「あり。マジで朝までやってくれよな。俺、一人は寂しいからな!?」
「やろう。家庭教師のことを忘れたい。てか、晃から誘うのめずらしくね?」
「そうか? まあでも、そういうときもあるだろ」

 久しぶりに三人で帰るのが楽しい。戦術(ゲーム)について語りすぎて、つい心が躍る。
 でも来週には、きっとまた前みたいになるだろう。
 でもそれでいいんだ。俺は悲しんで、二人は大股で前に進んで。でも、俺もちょっとだけ前に進む。

 それで、いいんだ。