17歳の教室




「――では、授業を始めます」

 眩しい西日が教室に差し込む中、吹き込んだ風がカーテンに命を与えたかのようにゆらゆらと揺れる。

 「これから始まるよ」というかのように小鳥がちゅんちゅんと鳴いた。

 生徒たちも「よろしくお願いします」と小鳥に負けない挨拶をする。

 皆が集う教室で行なわれる授業ではあるけれど、放課後のこの時間だけは姿を変える。

 ――ここは、十七歳の教室。

「では、本日もよろしくお願いします。今回から新しい議題を考えることにしましょう。議題を黒板に書きます。皆さんは目で追っていってください」

 そう言うと、十七歳の教室を運営している先生が黒板に議題を書き出していく。チョークをカリカリと走らせていくたびに文字の数が増えていく。

 十七歳の教室は、放課後に行われる特別な授業。各クラスから数名ほどの参加希望者を募り、学年関係なく「青春を生きていくために考えるべき」議題について深めていく。

「では皆さん、議題を一緒に読んでみましょう」

「恋人を作るべきか、作らないべきか」

 皆が淡々と読み上げていく。今回の議題は「恋人を作るべきか、作らないべきか」というものだ。青春と言えば恋愛という声が上がるように、青春を彩るのには必要な存在なのかもしれない。支えてくれる大きな存在にもなる。でも、近年は作らない人も増えていると聞いたことがある。タイパやコスパの観点から必要ないとする人もいるのだろう。

 そしてこの私自身も、実は今日の朝、部活の後輩に告白されたばかりなのだ。私もその後輩くんのことが気になってはいたけれど、私はまだ答えを保留にしている。だからこそ、私のためにあるような議題だとどこかで感じた。胸の高鳴りは誰にも聞かれたくはない。

 大きく深呼吸してから、机を合わせていつものように班で議論を始める。でも、まだこの段階では多くの人の頭にはクエスチョンマークが浮かんでいた。私もどちらかに決めることはできず、恋人がいるメリットといないメリットを述べるに留まった。

「どのような方法でも構いません。次回までに考えてきて再度議論しましょう」

 チャイム音が響き、先生がそう告げると今日の十七歳の教室はこれにて終了。先生は静かに、でも余韻を残すかのようにこの教室を去っていった。ここに集まるのはまた二日後。それまでに私はこの議題の答えを出し、保留している告白も首をどう振るか決めなくてはいけない。

「ねえ、柚音(ゆずね)ちゃんは今回の議題、どうやって考える?」

 前の席にいた同じクラスの詩音(しおん)ちゃんが私にそう声をかけてくる。ちゃんづけで呼ばれている通り、私たちは普段から話す仲ではない。十七歳の教室だけの関係といえば大げさかもしれないけれど、おおよそそんな感じ。

「んー、どうしようかな。詩音ちゃんはいい方法なにか思いついた?」

「ふふっふ……」

 私が尋ねると、詩音ちゃんは妙に悪巧み顔をする。

「どうしたの?」

「こういうのは当事者に聞くのが一番いいんですよ」

 右手に持っていた鉛筆を時計の針のようにチクタクと動かしてからそう答えた。たしかに的を射ていると思う。とはいえ、誰かに直接聞きづらい内容でもある。そう思って曇り顔をしていると、詩音ちゃんは早速当てがあると言って私を十七歳の教室から引きずり出した。

 詩音ちゃんが連れてきたのはクラスの教室だった。放課後ということもあり、一時間ほど前まで多くの生徒がここで勉強していたのが嘘かのように静かだ。ただ、誰かが電気を消し忘れたのか明かりだけは灯っていた。

「教室に来たけど、どうするの?」

「もうじきね、委員会が終わるからあの子たちが帰ってくるはず。じゃあ、ここに隠れてよ」

 詩音ちゃんに言われて狭い教卓の下に隠れた。詩音ちゃんの整った顔がすぐ傍にある。なんだか悪いことをしている気分。ただ、自然とここから出たいという気持ちはなかった。

 二、三分ほどその場で身を寄せていると、廊下の方からひそひそと会話する男女の声が聞こえてきた。すると突然、後ろのドアが開いた。二人が教室に入ったことでその声が私たちの耳まではっきりと届く。

「今日の放課後はどこにデート行く?」

「久しぶりにカラオケデートとかはどう?」

「いいね! 最近流行りのあの曲も歌いたい。一緒に歌おう」

「もちろん!」

 チュロスのような甘い声が私たちのところへ到達した。私は知らなかったけれど、洋平(ようへい)くんと夕芽(ゆめ)ちゃんは間違いなく付き合っている。まさか、詩音ちゃんはこの二人に聞こうとでもいうのだろうか。

「お二人さーん」

 かくれんぼをしていたけれど、制限時間がきてしまったかのように詩音ちゃんは自ら飛び出して二人のもとへ駆け寄る。二人は驚いたような顔をしながらもどうしたの? と声をかけた。詩音ちゃんが私だけに見えるように手招きしているのを見て私も姿を現す。

「あのね、さっきまで私たち十七歳の教室に行ってたんだけど今回のテーマが『恋人を作るべきか、作らないべきか』なんだよね。そこで、実際に恋人がいる人にも聞いてみたくて」

 詩音ちゃんは事の趣旨を話す。二人は目を合わせてどうしようかと小声で話し合う。全く乗り気ではないというわけではないが、進んで乗るような目でもなかった。

「カラオケで、ワンドリンクとかどうかな?」

 これでは危ないと思ったのか詩音ちゃんは指を一本立ててそう言った。ワンドリンク奢ることを言うと二人の目はわかりやすく変わり、それならばと頷いてくれた。

 恋人の二人についていくよそ者は果たして何者か。二人にはいつも通りにしてもらい私たちは少し距離を取って二人を観察することにした。たしかに、二人が一緒に教室から出ていくところを何度か目撃したことがあるし、付き合っていると言われれば違和感はないのかもしれない。二人は今日の授業であったことを話しているようだった。二人の手は一本の糸のように繋がっている。

「恋人ができるとこういう風に手を繋げるよ。何気ない時間も充実させることができそうだね」

「たしかに。一人で通学路を歩くと、周りの景色を見るぐらいしかすることないしね」

「でも、恋人じゃなくて友達でも似たことはできるとも言えるね」

「そうだね。でも、同性の友達と手を繋いだりは少し恥ずかしいな……」

 恋人がいることのメリットとして日常を充実させることができる。一人寂しくなる夜も恋人に電話をかけて寝落ちする。そんな恋人がいない人からしたら夢で見たような世界すらも現実になってしまう。でも、その一部は同性の友達であってもできるのかもしれない。もちろん、全てではないけれど。

 駅前のカラオケボックスに到着する。ここでも詩音ちゃんが動いてくれて、私たちは詩音ちゃんについていくだけだった。カラオケルームに入ると、私は詩音ちゃんと一緒に手前に座った。奥にはカップルの二人。ワンドリンク制のため早速メニュー表を開いてドリンクを選ぶ。カラオケに来たのなんて何年ぶりだろうと辺りをキョロキョロと見渡す。

「……じゃあ、僕はメロンソーダアイス」

「私もそれにしよう」

「じゃあ、私はレモネード。柚音ちゃんは? もちろん柚音ちゃんのも私が奢ってあげるよ」

「……ホットコーヒーにしようかな」

 奢ってくれるのは嬉しいけれど、あまり高いのを選ぶのはなんだかためらわれたのでこの中では比較的リーズナブルなホットコーヒーをお願いした。夕芽ちゃんは洋平くんの真似をしていた辺りやっぱり恋人とはそういうものなんだと認識してしまう。

 飲み物が届く間にまずは洋平くんが最近流行りの映画主題歌を歌い始めた。夕芽ちゃんはテーブルに置かれていたタンバリンで参加する。私たちもサビ部分は手拍子で加わった。お世辞にも上手とは言えない歌声ではあったけれど、洋平くんはこの場を頑張って盛り上げてくれた。洋平くんが一曲歌い終わったところでちょうどドリンクが到着する。カランコロンという氷の音が詩音ちゃんのコップから響く。私のコップだけは湯気が天井に吸い込まれるようにして立ち上がっている。

「二人は仲いいよね。でも、恋人でも常に分かり合えるわけじゃないじゃん? 喧嘩したこととかあるの?」

 詩音ちゃんがレモネードを二口飲むと、コップに映った二人を眺めるようにしてそんなことを尋ねる。私に向けられたものではないのに、コーヒーを飲んでいた手が止まる。

「……普段は私たち、仲良しだもんね。でも、たしか一度だけあるよ」

 夕芽ちゃんはメロンソーダの上に乗っていたアイスを一口食べてから一拍間を空けて答えた。唇に真っ白なアイスクリームがついていた。私はその姿にお人形さんみたいと思いながらも今それを言うべき状況ではないと思い、口を閉じた。

「どんなときか聞いてもいい?」

「もうかなり前のことだけどね。僕は前回の試験の点数が振るわなかったから勉強したかったけど、夕芽は付き合ったばかりだからデートをしたいって。結局デートはしたけど雰囲気はよくなかったし、テストに手がつかなくなって喧嘩になっちゃったんだよね」

 夕芽ちゃんが答える前に、洋平くんが口を開いた。もうすでに終わったことだから気にしてはいないのかその口調は先ほどと特に変わりない。喧嘩の内容を話し終えると洋平くんは夕芽ちゃんの唇にアイスクリームがついていることに気づき、ティッシュペーパーで拭きとった。夕芽ちゃんは最初は何をしているのかわからない様子だったが、拭き終えると洋平くんに対してにっこり笑顔を見せた。

「柚音ちゃん。友達ならこういうことありそうかな?」

「んー、起こりづらいと思うな。恋人と友達は別物だから」

 それは、その存在に何を求めるのかが異なるからなのかもしれない。友人にはその場所での居場所や楽しさを求め、恋人には独占欲や癒しを求める。友人と恋人は似ているようで別物。

 ――私は恋人に求めるようなことを誰かに望んでいるのだろうか。

「だよね。……じゃあ、次は柚音ちゃん、歌って!」

「えっ……私? どうしようかな。もう、これでいいや!」

 詩音ちゃんは表情をころっと明るいものに変えて私を指名する。私は端末から急いで曲を選ぶ。選んだ曲はオススメに載っていたラブソング。この場で歌うのは少し似合わない曲だっただろうか。とはいえ、ここで引き下がれるわけもなく曲はかかってしまった。マイクを両手で握りしめて立ち上がる。

 知っている曲のはずなのに改めて歌ってみるとかなり純度の高いラブソングなんだと気づかされた。そんなわけで、皆の表情を見られなくなってしまう。なんで「キス」とか「好き」という言葉を何度も歌にすることができてしまうのだろうか。

 ――でも「君と共有したい喜び」「ダメな時には君がいた」という歌詞は私の心の中に訴えるほどの何かがあった。

「おー。柚音ちゃんの歌声、すごく好き」

「すごくきれいな歌声。聴いてて惹き込まれた」

「うん、すごく上手」

 気づけばいつの間にか一曲歌い終えていた。私の曲を聴いてくれていた三人にはどのように映ったのだろう。そう思って顔を上げると、三人は私にそんな言葉をかけてくる。とある感情を抱くときの癖が出てしまう。首や頭をしきりにかくという。

 得点も発表される。表示された得点は九十点を超えていた。それを見て三人はさらに大きな拍手を送ってくれた。意外と才能があるのかもしれない。

 私が歌った後、詩音ちゃんは私とは対照的に失恋ソングを歌っていた。その曲の歌詞はメリットはデメリットにもなるということを教えてくれるようだ。まだまだ私は答えを導けそうにはない。

 恋人二人のデュエット。詩音ちゃんのロック。そろそろ声がやられそうになると、最後は四人で曲を歌った。ただ、今日の歌の中での過去最低を更新してしまい、四人で大笑いした。最後の曲を終えたときにはいつの間にか皆のコップは空になっていた。

 約束通りワンドリンクは詩音ちゃんが払い、私たちはカラオケルームの部屋代だけを支払った。外に出ると、誰かが間違えて黒色の絵の具を撒いてしまったかのように空は黒一色。どこまで行ってもこの景色が変わることはないのだろう。行きと同じように私たちは後ろからカップルの二人を見守る。

「恋人がいるとこういう日常が待ってるんだね。私も勉強になったよ」

「そうだね。恋人がいる人には話が聞けたけど、いない人はどうするの?」

「ふふっふ……」

 私が尋ねると、詩音ちゃんはあの時と同じように妙に悪巧み顔をする。

「もう一人、いい人がいるんだ。その人には明日聞いてみようか」

「そうだね。そもそもなんで私を誘ってくれたの?」

「んー、なんでだろうね」

 詩音ちゃんは首を傾げて頭にクエスチョンマークを浮かべた。でも、そのしぐさにほんの少し違和感を覚えた。明日の子は、どんな子なのだろうか。でも詩音ちゃんのことだ、きっと大丈夫。

 駅に着くと私だけは三人と違う方向の電車なのでここで別れる。皆に「バイバイ」と言って私は一人違うホームへ向かう。でも、誰かが追いかけてくるようなそんな足音がした。

「……あの! 最後に一ついいかな?」

「あ、夕芽ちゃん」

 夕芽ちゃんは忘れ物をしたかのように私を追いかけてきてくれた。夕芽ちゃんが追いかけてきた方を見ると、洋平くんが遠くで待っていた。彼氏を待たせてでも私を止める理由があったのだろうか。

「私、彼氏ができて一番よかったと思ったことは自分に自信が持てるようになったことだよ。洋平くんは私の悪い所も含めて応援してくれたんだ。彼氏ができる前までは自分に自信が持てなかった――それだけ伝えたかったの。参考にして」

 私の耳に吹き込むようにそう教えてくれると、私が何かを言う前に彼氏のもとへ駆けていった。夕芽ちゃんの言ってくれたことが私の耳の中で反芻される。今の私は、自分に自信を持てているのか。そういわれれば、答えはNOだ。でも、自信を持つことを望んでいるのかといわれれば、答えがYESなのかはわからない。私がホームにたどり着いたところで三人のいるホームに電車が到着した。



 翌日の放課後、私は詩音ちゃんに連れられて校庭に向かった。すると、葉っぱがゆらゆらと揺れている木の陰には、一人の少女が足をのびのびと伸ばしながら本を読んでいる姿があった。あの子? と聞くと詩音ちゃんはうんと頷いた。

 その人のことが綺麗だと思った。その理由を言葉にするのは難しいけれど。でも、やけに大人びている、これだけは言えると思った。雪乃(ゆきの)さんはいつも休憩時間、何かに思いを馳せるように青空を眺めているのを私の瞳は覚えている。

 詩音ちゃんが雪乃さんに声をかけると、どこかの世界から帰ってきたかのように静かに本を閉じた。その本のタイトルは一体何なのだろうか。カバーがかけられていて見えそうにない。

「昨日は夜遅い時間に連絡返してくれてありがとうね」

「うん。二人は十七歳の教室で『恋人を作るべきか、作らないべきか』を考えているんだっけ?」

「はい、それを考えています」

「うん、そうなんだ。案外難しいよね」

 私はなぜか敬語になってしまう。同い年なのに、そういう言葉ではないと跳ね返されてしまうとでも思ったのだろうか。

「早速なんだけど、雪乃さんは恋人を作らない方がいいと思うの?」

「そうだね。私は恋人を作らない方がいいかな。もちろん、私にとっての話だから」

「じゃあ、人を好きになりたいとか思ったことはないの?」

「人を好きになれないわけではないと思うけど、好きになろうと思ったこともないかな。私にとって恋人という存在は必要ないかなって」

「そうなんだ。何か理由みたいのはあったりするの?」

「そうだね。今からなんで私が恋人を作らない方がいいと思うのか教えてあげるよ。私の家に来てくれる?」

 詩音ちゃんと雪乃さんの言葉のキャッチボールが続いていたが、雪乃さんは急にそんなことを言って立ち上がった。私たちはその答えを知るために雪乃さんの家へ向かうことにした。

 どうやら高校のすぐ近くに家があるらしい。羨ましいな、なんて思っていると数分ほどで雪乃さんの住んでいるマンションに着いてしまった。

 雪乃さんは「ただいま」と言って家の中に入る。ただ、玄関には靴が一足も置いていなかったので雪乃さんの家にはまだ誰もいないのだろう。廊下はいたって普通。特に何かが目立つというわけでもない。

 雪乃さんが自分の部屋だと指差してドアを開けた。雪乃さんの部屋の中が私の目に入ると、そこは異世界なのではないかと思ってしまった。見た目に反してそういう面もあるのかとギャップに驚いてしまう。

「私の部屋は見ての通りこんな感じ」

「キャラクターがいっぱい」

「壁に並んでるのは全部ぬいぐるみだ」

 若者の間で人気のキャラクター。そのキャラクターのぬいぐるみやフィギュア、ポスターなどが所狭しと並んでいた。一体総額いくらしたのだろうかと気になってしまう。もう少し中に入ると、机の引き出しなど細かなところまでそのキャラクター関連で埋め尽くされていることがわかった。

「私が恋人を作らない理由の一つ目、このキャラクターにお金をかけているからデート代とかに使いたくないんだよね。恋人って何気にお金がかかるじゃん?」

 雪乃さんはベッドにあったそのキャラクターがプリントされたクッションを抱いてそう言った。たしかにそうだ。恋人にはデート代やプレゼント代などさまざまな費用がかかる。昨日の詩音ちゃんが歌っていた失恋ソングの中にもプレゼントに関して「苦くなった」という歌詞があった。高いお金を出して買ったプレゼントもそういう風に姿を変えてしまうこともある。

「たしかにね。でも、いなければ自分のために使えるお金が多くなるしね。私も今はギターを買うためにお金をためてるんだ。柚音ちゃんは何かそういうのある?」

「んー、二人みたいなものはないかもしれないけど、ライトノベルを最近はたくさん買ってるかな」

 二人みたいにここまで熱中できるものや、高いものを買おうとしているわけではないけれど、最近は本屋さんに行って気になったライトノベルを買うのが小さな楽しみになっていた。数日前も最近はまってしまったラブコメラノベの続巻を買ったばかり。お小遣いが少ない私からすると大部分が恋人との出費に消えてしまうというのは死活問題。

「二つ目は、すでにこのキャラで日常生活が満足しているからかな。だから恋人を作る意味はないんだよね」

「たしかに、お腹いっぱいになって満足してたら、美味しいものがあっても今はいいやってなるしね」

 詩音ちゃんのたとえを聞くと、更に納得してしまう。となると、私が今、日常生活が十分に満足しているのかどうかというのも大切になってくるのか。休憩時間はスマホをいじって、お昼休みは中庭で友達とお弁当。放課後も部活や友達とカフェ巡り。でも、学校への通学時間や夜は空いているな。……これは物足りない、なのか。はたまた自分のために取っておきたい時間なのか。

「えっ、駅前のアニメショップで再入荷!?」

 私たちが雪乃さんのグッズを眺めているところで、雪乃さんのスマホから通知音が鳴った。スマホを開いた雪乃さんからは、雰囲気には似合わない大きな声を上げた。どうやら売り切れてしまっていたアニメグッズが再入荷したらしい。その情報がSNSで流れてきたという。今から行こうとしているのか急いで準備を始めた。恋人を作らないとこういう風に自由に予定を組むことができるのか。

「一人一個までなんだよね。もし時間があったら二人もついて来てくれないかな? たい焼き奢るから」

 私たちは帰った方がいいだろうかと思っていると雪乃さんはそんなことを言って私たちを誘う。この展開、昨日と少し似ている。特に用事のない私たちは雪乃さんと一緒に駅前のアニメショップに向かった。

 すでに情報を聞きつけた人が多いのか、駅前のアニメショップには列ができていた。雪乃さんいわくこの列で間違いないらしい。友達と話題のクレープを食べたときもこれぐらい並んだことを思い出す。その時は人気ナンバーワンのクレープを食べようとしたけれど、売り切れてしまったからまた今度リベンジしようねなんて話していた。

「今日は少し冷えるね」

「たしかに。昨日よりも最高気温は五度ぐらい下がるとか言ってた気がする」

 雪乃さんはこの後楽しみにしている缶バッジが手に入るということで熱気を帯びているからそうは感じないのだろう。でも私たちはもう秋に近づいていることもあるのかほんの少し肌寒い。朝にもかかわらずにっこり笑顔で迎えてくれる気象予報士のお姉さんも注意喚起をしていたような気がする。私は詩音ちゃんと手を擦り合わせて体を温めた。

「何種類かランダムである缶バッジだから、二人ともよろしくね」

 順番がまもなく来るときに先頭にいた雪乃さんは後ろを振り返って私たちにそう伝達した。透かして見える能力なんていうものはないけれど、雪乃さんのためにもここは違う種類のを当ててあげたい。

「はい、おひとり様一つです」

 私たちの順番が来てかごに入っている缶バッジの袋の中から一つを選ぶ。おそらくこれはレアものなのではないか、そう思って私は一つの缶バッジを手に取った。

 無事に缶バッジを購入し終えると、雪乃さんは約束通り近くにあったたい焼き屋に向かい再度お財布を出した。

「いいにおーい」

「つぶあん、こしあん。それにカスタードだね」

 ガラス越しに見えるたい焼きの群れ。今にでも破裂してしまうのではないかと思うほど中身がぱんぱんに詰まっているのがよくわかる。詩音ちゃんが手で仰いでいるように匂いまでもこちらへ飛んでくる。これだけで幸せになれそうだ。

「どれもおいしそうだね。雪乃さんは何にするの?」

「私はやっぱり、つぶあんかな」

「いいね。今日の私はこしあんの気分だから私はこしあんにしよう。柚音ちゃんは?」

「私は断然カスタードかな」

 私たちの好みは別々なのか、三人ともそれぞれ別の種類のたい焼きを選んだ。ねじりはちまきが似合うおじさんに注文すると「三人は仲良さそうだね」なんてことを言って目の前でたい焼きを袋に入れてくれた。

 同じクラスとはいえ、詩音ちゃんとは十七歳の教室以外での関わりはほぼないし、雪乃さんとは今日まで真面目に話したこともなかった。そんな関係であるのに、このおじさんの目には私たちは「仲良し」に映っているのだろうか。

「おまたせ。熱いうちに食べてね」

「はい、ありがとうございます」

 熱々のたい焼きをそれぞれ手に持って近くの公園に向かった。三人がギリギリ入るベンチがあったのでそこに座った。まずは、たい焼きの口を合わせていただきますをする。

「んー、甘くておいしい」

「ホカホカしててあったまる。カスタードは正義」

「ほんとだ。ここ絶品だね。ねえ、皆で少しシェアしない?」

 詩音ちゃんは私たちにシェアをしないか誘う。食べたものを他の人と共有するのは、恋人ぐらいなんじゃないかと勝手に思っていたけれど、友人であってもありだ。雰囲気に乗せられて、考えることなく私と雪乃さんは詩音ちゃんのアイデアに乗った。

 私が頼まなかった二種類の味も、気づけば口の中で踊っている。カスタードは正義なのは間違いないが、こしあんやつぶあんも同じぐらい正義だ。どれもおいしいねと私たちは言い合った。

「じゃあ、開封!」

 たい焼きを食べ終えれば、雪乃さんが楽しみにしていた缶バッジの開封だ。缶バッジは全部で四種類あるようで、二種類出たら彼女にとって勝利ラインらしい。まずは、詩音ちゃんから開ける。最初は何が出ても被ることはない。出てきたキャラクターに雪乃さんは大きく頷いた。次は私のようで、雪乃さんは私の目を見て強いアイコンタクトを送った。

「……よいしょ」

 私の袋からも缶バッジが姿を現す。しかし、詩音ちゃんのと同じキャラであった。

「まあ、まあ。そのキャラは好きだからセーフ。セーフにしよう」

 雪乃さんは一瞬ブラックコーヒーのように苦いような顔をしたが、そう言ってこの場を収めた。最後に雪乃さんだ。私たちとは違うキャラが出れば雪乃さんの実質的な勝利。雪乃さんが袋を破って持ち上げると、スローモーションのようにゆっくりと缶バッジが姿を見せる。

「おー!」

 缶バッジの絵柄が判明した瞬間、私たち三人はそう声を上げてハイタッチした。なぜか私も自分事のように嬉しくなってしまったのだ。雪乃さんが笑うところを初めて見たかもしれない。詩音ちゃんは雪乃さんよりも笑っていた。

 今いる友人との時間を大切にしたい。そう感じたのはきっと嘘ではないだろう。恋人を作らないというメリットもたくさん存在することがわかった。でも、恋人が存在するメリットも私には十分にわかっている。



 その日の夜、お風呂から上がり、髪の毛を自室で乾かしているときに誰かから電話が掛かってきた。一度ドライヤーを止めてスマホを見てみると、そこに表示された名前は詩音ちゃん。連絡ならわざわざ電話をする必要もないのに、何か大事な用件なのか。それとも、単に寂しがり屋なのか。とりあえず電話に出ることにした。

「どうしたの、詩音ちゃん?」

『柚音ちゃん、少しだけ時間をくれないかな?』

 今から魔法をかけるよ、なんていう風にだいぶ落ち着いた声だった。その優しい声に温まったばかりの体を再び包み込む。

「少しだけならいいけど……」

『ありがとう』

「どういたしまして……?」

 もちろん電話であるから、詩音ちゃんの姿が見えるはずもないのに、電話の向こう側にいる詩音ちゃんがにっこりと笑っているのはなぜだかわかってしまう。

『――いきなりなんだけど、詩音ちゃんって最近、告白されたでしょ?』

「えっ……。たしかにされたけど、どうしてそれを?」

 スマホを持っている手に急に力が入らなくなる。私は慌ててもう片方の手で支える。たしかに部活の後輩に告白された。でも、その時周りには誰もいなかったはず。それに、どこかから見られていたとしてもそれが告白なんだとはきっと気づかないはず。もしかしたら、詩音ちゃんが仕掛けた嘘告白……? そんなことまで考えてしまう。

『実はさ、告白したの私の弟なんだよね。私としては、弟には幸せになってほしいよ。でも、柚音ちゃんも大切なクラスメートだからちゃんと考えた上でその答えを出してほしいなって思って』

「そうなんだ。詩音ちゃんの弟……」

 それならば辻褄が合う。私がどうして誘ってくれたのか聞いた時に感じたあの違和感はこれだったのか。言われてみれば二人の苗字も同じ。どうにか今の状況を飲み込むことができた。

『今回の十七歳の教室の議題を提案したのも、私なんだ』

 詩音ちゃんは補足するようにそんなことを言った。

 ただ、詩音ちゃんは弟と付き合ってほしいとか、弟と付き合うのはやめた方がいいとかそういうことは一切言わなかった。百パーセント私の意志を尊重してくれるよう。ならば、私も真剣に向き合わなくてはいけない。詩音ちゃんのためにも、後輩くんのためにも。そして、私のためにも。

「私なりの答えを出すことにするよ。私と一緒に考えてくれてありがとう」

『うん。柚音ちゃんならきっといい答えを出してくれると思うよ。期待しているね』

 詩音ちゃんはそう言うと小さな声でバイバイと言って電話を切った。今日は窓の外に見えるこの星空を眺めながら私の未来を一緒に考えていこう。



 次の十七歳の教室。前回と同じように班を作り、私は『恋人を作るべきか、作らないべきか』という議題にそれぞれのメリット、デメリットを述べた。

「まずその前提として、どのような答えを選ぶにしても百パーセントの正解はないと思います」

 究極の答えはそれだ。でも、答えから逃げるということはいつまでもできるわけはない。その上で自分なりの考えを話した。班員の多くは納得したようにその考えに頷いてくれた。出た反論に対しても私はしっかりと答えた。詩音ちゃんも私を特別な眼差しで見つめてくれた。この考えこそが、私に思いを伝えてくれた後輩に対する答えなのだろう。

 近くを通ったこの教室を運営している先生も私の意見に対して「柚音さんらしい素敵な意見ですね」と褒めてくださった。でも、まだまだ私は幼稚だ。先生は私の案に対してさらにその答えにした後のことも考えるようアドバイスをくれた。答えが決まってもその先も未来は止まらずに続いていくのだから。



 どういう答えを選ぶか、私の答えは決まった。

 私は、私に告白をしてくれた部活の後輩を放課後、校舎裏に「保留していたものを答えたい」といって呼び出した。

 この夕日が沈むのと、私が答えを伝えるのはどちらの方が早いのだろうか。

「待たせちゃってごめんね。でも、私の答えは決まったよ」

「僕こそごめんなさい。急にあんなこと言って。柚音先輩が出した答えを受け入れるから、ちゃんと自分自身の教えてほしいです」

「それはよかった。なら、安心して私の答えを言うことができそうだよ」

 後輩くんの目は真っすぐ前を向いている。それならば私が恐れるものはない。私はこの夕暮れの空に漂う空気を全部吸い込むと、一気に吐いた。どういう味なんだろうか。甘いような、苦いような。後輩くんは自分の手を触ってもじもじしながら私の次の声を待っていた。そんなに緊張しなくても大丈夫なのに。

「――よろしくお願いします。でも、条件を付けさせてください」

「……はいっ」

「私、自分の時間も友達との時間もやっぱり大切にしたい。だから、必要以上の独占欲は禁止。これでどうかな?」

 二つのいいとこどりだ。私はずるいと思う。それは承知の上だ。でも、その答えが必ずしも選べないものではないのなら、こういう答えも決して悪くはないのだと思う。

「僕からも改めてお願いします」

 後輩くんはそういって頭を下げながら私に向かって真っすぐ手を伸ばしてきた。私はその手を強く握った。ちょうど夕日が沈んだ。まだ今日は続いて欲しいのに。

 後輩くんは頭を上げると私の顔をじっと眺めてきた。その瞳の輝きはずるい。流石の私もドキドキせずにはいられなかった。

 ここからは先生がアドバイスしてくれたこと。その答えを出したとしたらその後に何をすればいいのか。

「あのさ、私、付き合ったら最初にお願いしたいことがあるんだ」

「……どんなことですか?」

「そんな難しいことじゃないよ。――ねえ、君のことを教えてよ」

 それはその人のことをたくさん知ることだ。

 君と人生の一部を一緒に過ごすのだから、少しでも多くのことを知りたい。

 好きな食べ物は?

 好きな言葉は?

 今までで一番幸せだった瞬間は?

 どうして私を好きになってくれたの?

 ちっぽけなことでもいいから、

 ――君のことを教えてよ。