桜の咲くころに笑う。

 あれから咲也は、三日に一回は女子と帰るようになった。

 毎回違う女子。
 俺に名前を言ってもちんぷんかんぷんなのが分かっているのに、一緒に帰る女子の名前をちゃんと報告してくれる。
 それに、どんなに遅くなっても『ただいま』のLIMEをしてくれるし、俺の彼氏ってもしかしたらスパダリなのかもしれない。

 「で?寝不足なわけ?」

 廊下の窓に背中を預けて、ひなたぼっこする。
 日に当たるとセロトニンという幸せ物質が出ると聞いて、急遽、ぼっこ部が結成された。今のところ部員は二人だけだし、セロトニンよりも汗の方が出そうだけど。

 大あくびをする俺の口を、友紀のでっかい手のひらが覆った。

 「だって、おかえりLIMEしたいじゃん?せっかくわざわざLIMEくれるんだし」

 「永桜、健気かよ。ていうか、そんな遅くなるって何してんの?」

 「家にお呼ばれして、ご飯食べさせてもらってるんだって。せっかく作ってもらったの断れないからって。相変わらず優しいよな」

 「それさぁ、外堀埋められてねぇ?」

 「ん?」

 首を傾げるとまた大きく口を開く。
 友紀は俺のあくびのタイミングを完全に掴んだらしく、当たり前のように俺の口を塞いだ。
 ゆっくりと瞬きすると、目尻に涙が浮かぶ。

 「永桜」

 次の瞬間、甘く俺を呼ぶ声にカッと目を開けた。

 咲也だ!
 俺のスパダリ彼氏くんの咲也。
 ひなたぼっこなんか必要ないくらい、目尻を下げた柔らかい笑顔は幸せに包まれている。
 うんうん、咲也は今日も健やかなり。

 「ふぁふひゃ、ほーひふぁふぉ?」

 友紀の手に覆われたままの口からは、モゴモゴとした呻き声のような音しか出なかった。
 咲也が目を細める。

 ごめん、これじゃ聞き取れないよな。
 でも、頭上にクエスチョンマークを浮かべたよう顔、国宝級なんだけど!

 友紀の手を乱暴にひっぺがすと、俺は息巻いて喋りだした。

 「咲也!どうしたの?なんかあった?!」

 咲也は少し俯いて、口をぎゅっと引き結んだ。
 綺麗なピンク色の唇がなにかを堪えるように歪む。

 「どうしたんだよ!」

 友紀と変わらない身長の咲也を下から覗き込む。咲也は驚いたように目を丸くしてから、いつもと同じように口角をゆるりと上げた。

 「永桜、美術の教科書、貸してくれない?」

 「あ……」

 少しの間、沈黙が流れる。
 俺が躊躇っているうちに、友紀が後ろ髪をガシガシとかいて、大きくため息をついた。

 「貸せねーだろ。次の授業、お前んとこのクラスと合同じゃん。なに?忘れたん?」

 「いや、俺は持ってる。けど忘れたって子が何人かいて、一緒に見せてって言われたから、一冊じゃ足りないと思って」

 「……はぁ?なに言って――」

 声を荒らげる気配に、俺は慌てて友紀の胸を押す。締めつけられるような痛みを飲み干すと、咲也の真似をして口角を上げた。

 「いいよ、いいよ!貸すよ!咲也は優しいな」

 言いながら教室に入り、机の上に用意しておいた教科書を掴む。端を握ったら少しだけ指先が震えた。

 咲也が困ってるんだ。俺は彼氏だから頼りにされてるんだ。こんなことで笑ってくれるならお安い御用じゃないか。

 廊下に戻ると、咲也と友紀の間に妙な空気が流れているような気がしたけど、俺が教科書を渡したらまた笑ってくれた。

 「永桜、ありがとね」

 咲也がそう言って、友紀よりも骨ばったでっかい手で俺の頭をなでてくれる。それだけで俺のセロトニンは満タンだ。

 くるっと背を向けた咲也の後ろ姿を見つめながら、友紀がやけに大きい声を出した。

 「永桜!俺が教科書貸すから!一緒に見ような!」

ぎょっとして見上げた友紀は、俺を横目に見るとなぜか寂しそうに笑った。

 「お、おう!サンキューな、友紀。そろそろ行こうぜ」

 ペンケースとノートを取りに行くため、また教室に戻る。
 首の後ろがジリジリとして落ち着かなかったけど、俺は友紀の肩に手を乗せたまま振り返らなかった。