キュッ、キュッ、とゴム底が磨かれたフローリングを噛む高い音が、体育館の天井に跳ね返る。
オレンジ色のボールがコートをバウンドし、指先から離れ、綺麗な放物線を描いてゴールネットを揺らす。ザシュッ、という乾いた音が空気を切り裂く。
「うわ、マジかよ! 今の体勢から決めるか!?」
「流石浬! 今日もキレキレだな!」
叫び声と歓声が入り交じるコートの中央で、瀬川浬は前髪をかき上げ、胸を張ってニッと笑ってみせた。
「当たり前だろ! 俺の頭に『外す』なんて文字はねえんだよ」
冗談めかして言うと、周りの部員たちがドッと沸いた。後輩たちが憧れの眼差しで自分を見上げ、同級生が背中をポンと叩いてくる。
物心ついた頃から、ボールはいつでも手の中にあった。
バスケットボールの実業団選手だった父親と、実業団のマネージャーだった母親。
二人の遺伝子と環境をサラブレッドのように受け継いだ浬は、小学校のミニバスに入った頃には、すでに周囲の同年代とは次元の違うプレーを見せていた。
中学でも、そしてこのバスケの強豪校である高校でも、浬はずっと「主役」だった。
試合を支配する洞察力。相手のディフェンスをあざ笑うかのような鋭いドライブ。土壇場のプレッシャーを跳ね返す3ポイントシュート。コートに立てば、全員の視線が自分に集まるのが分かった。
期待、喝采、嫉妬、敬意。
それらすべてを背中に浴びながらプレーすることは、浬にとって最高の快感であり、生きがいそのものだった。
クラスでも同じだった。
背が高く、運動神経が良く、いつも笑顔で明るい。男子からも女子からも頼りにされ、話の中心にはいつだって浬がいた。場の空気が沈めば冗談を言って盛り上げ、悩み事がある奴がいればポンと肩を叩いて励ます。
「瀬川がいると、なんか安心するんだよね」
「お前はいつだって明るくていいよな!」
そう言われるたびに、浬は「だろ?」と笑って答えていた。
エースで、ムードメーカーで、頼れる存在。
それが「瀬川浬」という人間の完璧なパブリックイメージだった。
——だけど。
高校二年生の春を過ぎた頃から、何かが狂い始めていた。
インターハイ予選が近づくに連れて、周囲の「期待」の質量が、日ごとに増していくのを感じていた。
「今年のチームは浬の出来次第だな」
「お前が三十点取れば勝てる。頼んだぞ、エース」
顧問の何気ない一言。
部員たちの無邪気な信頼。
両親の熱を帯びた視線。
それらが、目に見えない重石となって、ひとつ、またひとつと浬の両肩に積み重なっていく。
夜、自分の部屋でベッドに入ると、天井が静かに落ちてくるような錯覚に襲われた。
一度目を閉じると、自分がシュートを外し、試合に敗れ、全員から失望の目で見られるイメージが脳裏を支配する。
激しい動悸と発汗。喉の奥がキュッと縮こまり、呼吸が浅くなる。
(怖い)
コートに立つのが、ボールを握るのが、本当は怖くてたまらなかった。
けれど、誰にも言えなかった。「頼れるエース」「明るいムードメーカー」という役割を演じ続けてきた浬には、弱音を吐くための言葉も、逃げ込む場所も用意されていなかったのだ。
試合の日の朝は、洗面所で何度も吐き気に襲われた。冷水を顔に叩きつけ、鏡の中の自分を睨みつける。
「大丈夫だ。俺は瀬川浬だ。いつも通りやれば勝てる。できるよな。」
ひきつる口元を無理やり歪め、笑顔を作る。教室へ行けば、いつもの軽快なトークでみんなを笑わせる。コートに入れば、誰よりも声を張り上げてチームを引っ張る。
自分の内側で、何かが悲鳴を上げて擦り減っていく音を殺しながら。
限界は、とっくに超えていた。
だから——
あの事故が起きた瞬間。
浬の頭をよぎったのは、信じられないことに「あ、これで休める」という、底なしの解放感だったのだ。
オレンジ色のボールがコートをバウンドし、指先から離れ、綺麗な放物線を描いてゴールネットを揺らす。ザシュッ、という乾いた音が空気を切り裂く。
「うわ、マジかよ! 今の体勢から決めるか!?」
「流石浬! 今日もキレキレだな!」
叫び声と歓声が入り交じるコートの中央で、瀬川浬は前髪をかき上げ、胸を張ってニッと笑ってみせた。
「当たり前だろ! 俺の頭に『外す』なんて文字はねえんだよ」
冗談めかして言うと、周りの部員たちがドッと沸いた。後輩たちが憧れの眼差しで自分を見上げ、同級生が背中をポンと叩いてくる。
物心ついた頃から、ボールはいつでも手の中にあった。
バスケットボールの実業団選手だった父親と、実業団のマネージャーだった母親。
二人の遺伝子と環境をサラブレッドのように受け継いだ浬は、小学校のミニバスに入った頃には、すでに周囲の同年代とは次元の違うプレーを見せていた。
中学でも、そしてこのバスケの強豪校である高校でも、浬はずっと「主役」だった。
試合を支配する洞察力。相手のディフェンスをあざ笑うかのような鋭いドライブ。土壇場のプレッシャーを跳ね返す3ポイントシュート。コートに立てば、全員の視線が自分に集まるのが分かった。
期待、喝采、嫉妬、敬意。
それらすべてを背中に浴びながらプレーすることは、浬にとって最高の快感であり、生きがいそのものだった。
クラスでも同じだった。
背が高く、運動神経が良く、いつも笑顔で明るい。男子からも女子からも頼りにされ、話の中心にはいつだって浬がいた。場の空気が沈めば冗談を言って盛り上げ、悩み事がある奴がいればポンと肩を叩いて励ます。
「瀬川がいると、なんか安心するんだよね」
「お前はいつだって明るくていいよな!」
そう言われるたびに、浬は「だろ?」と笑って答えていた。
エースで、ムードメーカーで、頼れる存在。
それが「瀬川浬」という人間の完璧なパブリックイメージだった。
——だけど。
高校二年生の春を過ぎた頃から、何かが狂い始めていた。
インターハイ予選が近づくに連れて、周囲の「期待」の質量が、日ごとに増していくのを感じていた。
「今年のチームは浬の出来次第だな」
「お前が三十点取れば勝てる。頼んだぞ、エース」
顧問の何気ない一言。
部員たちの無邪気な信頼。
両親の熱を帯びた視線。
それらが、目に見えない重石となって、ひとつ、またひとつと浬の両肩に積み重なっていく。
夜、自分の部屋でベッドに入ると、天井が静かに落ちてくるような錯覚に襲われた。
一度目を閉じると、自分がシュートを外し、試合に敗れ、全員から失望の目で見られるイメージが脳裏を支配する。
激しい動悸と発汗。喉の奥がキュッと縮こまり、呼吸が浅くなる。
(怖い)
コートに立つのが、ボールを握るのが、本当は怖くてたまらなかった。
けれど、誰にも言えなかった。「頼れるエース」「明るいムードメーカー」という役割を演じ続けてきた浬には、弱音を吐くための言葉も、逃げ込む場所も用意されていなかったのだ。
試合の日の朝は、洗面所で何度も吐き気に襲われた。冷水を顔に叩きつけ、鏡の中の自分を睨みつける。
「大丈夫だ。俺は瀬川浬だ。いつも通りやれば勝てる。できるよな。」
ひきつる口元を無理やり歪め、笑顔を作る。教室へ行けば、いつもの軽快なトークでみんなを笑わせる。コートに入れば、誰よりも声を張り上げてチームを引っ張る。
自分の内側で、何かが悲鳴を上げて擦り減っていく音を殺しながら。
限界は、とっくに超えていた。
だから——
あの事故が起きた瞬間。
浬の頭をよぎったのは、信じられないことに「あ、これで休める」という、底なしの解放感だったのだ。



