すっかり夜の闇に包まれた帰り道を、優月は一人で歩いていた。
街灯の白い光が、アスファルトの上に優月の長い影を落としている。リュックサックの重みが肩に食い込み、歩くたびに体力が削られていく。
ふと、中学二年生の秋の記憶が蘇った。
あの頃も、今のようにつらさの限界がきていた。クラスの人間関係、部活動のプレッシャー、そして母の体調が少しずつ悪化し始めた時期。誰かに酷いことをされたわけではないのに、毎朝起きるたびに胸が押し潰されそうになり、家でも学校でも涙が止まらなくなった。
見かねた当時の担任の先生に連れられて、放課後、学校のカウセリングルームに行った。
柔らかい暖色系の照明が照らす部屋で、温かいハーブティーを出された。カウンセラーの女性は、優しい眼差しで優月の話を聞いてくれた。
『誰かにいじめられているわけじゃないんです。友達もみんないい子だし、先生も優しいし……。でも、私が勝手にみんなの顔色ばかり気にしちゃって。一人で勝手に疲れて、勝手に苦しくなって……。そんな自分がすごく嫌なんです。どうしたらいいか分からないんです』
優月は涙をボロボロとこぼしながら、自分の「欠陥」を打ち明けた。
カウンセラーの女性は、優月の小さく震える手を自分の両手で優しく包み込み、ゆっくりと頷いた。そして、慈愛に満ちた声でこう言ったのだ。
『南さん。とても辛いのね。でもね、覚えておいて』
『……え?』
『「明けない夜はない」のよ。そして、「止まない雨はない」わ』
カウンセラーは優しく微笑んでいた。
『今はまだ、心が大人になる途中で、雨が降っているだけ。心が成長すれば、そんな細かなこと気にしなくなるときが絶対にやってくるから。時間が解決してくれるわ。だから焦らなくても大丈夫。今は深く考えすぎずに、朝が来るのを待ちましょうね』
その言葉を聞いた瞬間。
優月の頭の中で、何かが冷たく冷え切っていく音がした。
(朝が来るのを待つ……?)
言葉はとても美しかった。詩的で、希望に満ちていて、誰の耳にも心地よく届く言葉。
けれど、あの時の優月には、その言葉が恐ろしい「突き放し」にしか聞こえなかったのだ。
明けない夜はない。止まない雨はない。
それはつまり、「今はあなたのためにできることは何もないから、大人になるまでただ一人で痛みを耐え続けろ」と言われているのと同じではないか。
今、この瞬間に胸が引きちぎれそうなほど苦しい私は、どうすればいいのか。
今、雨に打たれて溺れかけている私は、いつ訪れるとも知れない「朝」のために、ただ息を止めて耐え続けなければいけないのか。
「大人になれば……気にならなくなる……」
誰もいない夜道で、優月は呟いた。
高校二年になった今でも、何も変わっていない。
夜は明けていないし、雨も止んでいない。それどころか、雨足は強まり、夜は深くなる一方だ。
あの言葉は、希望なんかじゃない。今を生きる人間を見捨てるための、綺麗な諦めの言葉だ。
「……嘘つき」
呟いた言葉は、冷たい秋の夜風にかき消された。
家に辿り着き、玄関の鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえり、優月。遅かったね」
「うん、ちょっと部活の片付けが長引いちゃって」
優月はすぐに「いつもの微笑み」を顔に貼り付け、手洗いうがいを済ませて台所に立った。
手際よく炒め物を作り、味噌汁を温め直す。テーブルに料理を並べると、母は「美味しそう、ありがとうね」と嬉しそうに微笑んだ。
台所の頭上にある蛍光灯が、白く、眩しすぎる光で部屋を照らしている。影を一切作らないその光は、優月の逃げ場をどこにも残してくれなかった。
母の向かいに座り、ご飯を口に運びながら、優月は心の中でじっと耳を澄ませていた。
心の中で、何かがポロポロと擦り減り、崩れ落ちていく微かな音に。
夜は、まだ明けない。
雨も、止む気配すら見せない。
優月は眩しい真夜中の蛍光灯の下で、息を殺しながら、冷たい暗闇の底へと沈んでいった。
街灯の白い光が、アスファルトの上に優月の長い影を落としている。リュックサックの重みが肩に食い込み、歩くたびに体力が削られていく。
ふと、中学二年生の秋の記憶が蘇った。
あの頃も、今のようにつらさの限界がきていた。クラスの人間関係、部活動のプレッシャー、そして母の体調が少しずつ悪化し始めた時期。誰かに酷いことをされたわけではないのに、毎朝起きるたびに胸が押し潰されそうになり、家でも学校でも涙が止まらなくなった。
見かねた当時の担任の先生に連れられて、放課後、学校のカウセリングルームに行った。
柔らかい暖色系の照明が照らす部屋で、温かいハーブティーを出された。カウンセラーの女性は、優しい眼差しで優月の話を聞いてくれた。
『誰かにいじめられているわけじゃないんです。友達もみんないい子だし、先生も優しいし……。でも、私が勝手にみんなの顔色ばかり気にしちゃって。一人で勝手に疲れて、勝手に苦しくなって……。そんな自分がすごく嫌なんです。どうしたらいいか分からないんです』
優月は涙をボロボロとこぼしながら、自分の「欠陥」を打ち明けた。
カウンセラーの女性は、優月の小さく震える手を自分の両手で優しく包み込み、ゆっくりと頷いた。そして、慈愛に満ちた声でこう言ったのだ。
『南さん。とても辛いのね。でもね、覚えておいて』
『……え?』
『「明けない夜はない」のよ。そして、「止まない雨はない」わ』
カウンセラーは優しく微笑んでいた。
『今はまだ、心が大人になる途中で、雨が降っているだけ。心が成長すれば、そんな細かなこと気にしなくなるときが絶対にやってくるから。時間が解決してくれるわ。だから焦らなくても大丈夫。今は深く考えすぎずに、朝が来るのを待ちましょうね』
その言葉を聞いた瞬間。
優月の頭の中で、何かが冷たく冷え切っていく音がした。
(朝が来るのを待つ……?)
言葉はとても美しかった。詩的で、希望に満ちていて、誰の耳にも心地よく届く言葉。
けれど、あの時の優月には、その言葉が恐ろしい「突き放し」にしか聞こえなかったのだ。
明けない夜はない。止まない雨はない。
それはつまり、「今はあなたのためにできることは何もないから、大人になるまでただ一人で痛みを耐え続けろ」と言われているのと同じではないか。
今、この瞬間に胸が引きちぎれそうなほど苦しい私は、どうすればいいのか。
今、雨に打たれて溺れかけている私は、いつ訪れるとも知れない「朝」のために、ただ息を止めて耐え続けなければいけないのか。
「大人になれば……気にならなくなる……」
誰もいない夜道で、優月は呟いた。
高校二年になった今でも、何も変わっていない。
夜は明けていないし、雨も止んでいない。それどころか、雨足は強まり、夜は深くなる一方だ。
あの言葉は、希望なんかじゃない。今を生きる人間を見捨てるための、綺麗な諦めの言葉だ。
「……嘘つき」
呟いた言葉は、冷たい秋の夜風にかき消された。
家に辿り着き、玄関の鍵を開ける。
「ただいま」
「おかえり、優月。遅かったね」
「うん、ちょっと部活の片付けが長引いちゃって」
優月はすぐに「いつもの微笑み」を顔に貼り付け、手洗いうがいを済ませて台所に立った。
手際よく炒め物を作り、味噌汁を温め直す。テーブルに料理を並べると、母は「美味しそう、ありがとうね」と嬉しそうに微笑んだ。
台所の頭上にある蛍光灯が、白く、眩しすぎる光で部屋を照らしている。影を一切作らないその光は、優月の逃げ場をどこにも残してくれなかった。
母の向かいに座り、ご飯を口に運びながら、優月は心の中でじっと耳を澄ませていた。
心の中で、何かがポロポロと擦り減り、崩れ落ちていく微かな音に。
夜は、まだ明けない。
雨も、止む気配すら見せない。
優月は眩しい真夜中の蛍光灯の下で、息を殺しながら、冷たい暗闇の底へと沈んでいった。



