放課後。クレーコートには、硬式テニスボールがラケットに当たる乾いた音が響いていた。
パカーン、パカーン。
「はい、次! 打ったらすぐ戻って!」
副キャプテンである優月は、コート脇で球出しをしながら声を張っていた。秋の日は落ちるのが早く、既に空は茜色から濃い紫へとグラデーションを描き始めている。
「よし、今日の全体練習はここまで! この後はダブルスのペア分けをして、ゲーム練習に入ります」
顧問の先生の声が集会を告げ、部員たちがコート中央に集まった。
「今日の参加者は……十五人か。奇数だな」
先生が私たち見ながら呟いた瞬間、部員たちの間に薄氷を踏むような緊張感が走った。
ダブルスは二人一組。十五人ということは、必ず一人「余る」人間が出る。
「どうする? 誰か一人、交代で入るか?」
先生の言葉に、誰もすぐには答えなかった。
優月の部活の仲間たちは、誰も悪い子ではない。露骨な仲間外れをするような性悪な人間もいない。
けれど、「誰かとペアを組みたい」「一人になりたくない」という本能的な自己保身の感情は、誰もが持っている。隣の部員と顔を見合わせ、探り合うような沈黙。空気中に、目に見えない気まずさの圧力が満ちていく。
誰かが犠牲にならなければいけない。
誰かが「私は一人でいいよ」と言わなければ、この気まずい空気は解消されない。
(ああ、まただ)
優月の脳が、恐怖にも似た速度で計算を始める。
ここで私が黙っていれば、一年生の誰かが気を使って言い出すかもしれない。でも、それだとあの子たちが傷つく。朱理たちがペアを組めずに気まずい思いをするのも嫌だ。だったら、一番立場が上の、副キャプテンである自分が名乗り出るのが「全体にとっての最適解」だ。
嫌だ、と心の一番深い場所で声がした。
私だって、みんなとダブルスがしたい。一人で壁打ちなんてしたくない。
けれど、その声が唇に届く前に、優月の口は勝手に動いていた。
「先生! 私、今日の試合は外れていいですか? 最近サーブのコントロールが乱れてて、一人でサーバの調整したいんです」
弾けたような明るい声。完璧な笑顔。
その瞬間、コートを覆っていた重苦しい圧力が、潮が引くように霧散した。
「えっ、優月ちゃんいいの? 申し訳ないよ」
「ううん、全然! 本当に個人的にやりたい練習があるだけだから! みんなは気にせずゲームして!」
手を振って笑ってみせると、部員たちの顔にパッと安堵の色が広がった。
「ありがとう優月ちゃん! 流石副キャプテン!」
「助かる〜!」
感謝の言葉が飛んでくる。優月は「いいっていいって!」と笑顔で返し、コートの隅へと移動した。
ボールを高く投げ上げラケットを勢いよく振り落とす。
パンっ。
ボールはネットを越え、相手コートの深い位置に落ちた。素晴らしいコントロールだった。けれど、胸の中に爽快感は一切なかった。
ポーン、パカーン。ポーン、パカーン。
機械的にサーブ打ち続けながら、優月の視界が徐々に滲んでくる。
(なんで……なんで私、また笑って譲っちゃったんだろう……)
本当は一人になりたくなかった。本当は「優月ちゃん、一緒に組もう!」って誰かに手を引き留めてほしかった。
でも、自分が我慢すれば丸く収まるという悪癖が、長年の訓練によって骨の髄まで染み付いてしまっている。
他人の安堵した顔を見るたびに、自分の心が削り取られていく。
私はみんなが好きだ。部活も好きだ。
なのに、どうしてこんなにも惨めで、寂しくて、自分が嫌いなんだろう。
カゴに入れたボールが尽きた時、周囲はすっかり暗くなっていた。ナイターの設備がないコートには、校舎から漏れる蛍光灯の明かりだけが届いている。
部員たちが「お疲れ様〜!」と言って片付けを終え、引き上げていく。優月は「お疲れ様!」と最後まで見送り、一人でコートのグランド整備のブラッシングをかけた。
トンボを引くたびに、砂の上に真っ直ぐな筋がついていく。 消しても、消しても、明日になればまた誰かに踏みつけられる砂。まるで、自分の人生そのものみたいだと思った。
パカーン、パカーン。
「はい、次! 打ったらすぐ戻って!」
副キャプテンである優月は、コート脇で球出しをしながら声を張っていた。秋の日は落ちるのが早く、既に空は茜色から濃い紫へとグラデーションを描き始めている。
「よし、今日の全体練習はここまで! この後はダブルスのペア分けをして、ゲーム練習に入ります」
顧問の先生の声が集会を告げ、部員たちがコート中央に集まった。
「今日の参加者は……十五人か。奇数だな」
先生が私たち見ながら呟いた瞬間、部員たちの間に薄氷を踏むような緊張感が走った。
ダブルスは二人一組。十五人ということは、必ず一人「余る」人間が出る。
「どうする? 誰か一人、交代で入るか?」
先生の言葉に、誰もすぐには答えなかった。
優月の部活の仲間たちは、誰も悪い子ではない。露骨な仲間外れをするような性悪な人間もいない。
けれど、「誰かとペアを組みたい」「一人になりたくない」という本能的な自己保身の感情は、誰もが持っている。隣の部員と顔を見合わせ、探り合うような沈黙。空気中に、目に見えない気まずさの圧力が満ちていく。
誰かが犠牲にならなければいけない。
誰かが「私は一人でいいよ」と言わなければ、この気まずい空気は解消されない。
(ああ、まただ)
優月の脳が、恐怖にも似た速度で計算を始める。
ここで私が黙っていれば、一年生の誰かが気を使って言い出すかもしれない。でも、それだとあの子たちが傷つく。朱理たちがペアを組めずに気まずい思いをするのも嫌だ。だったら、一番立場が上の、副キャプテンである自分が名乗り出るのが「全体にとっての最適解」だ。
嫌だ、と心の一番深い場所で声がした。
私だって、みんなとダブルスがしたい。一人で壁打ちなんてしたくない。
けれど、その声が唇に届く前に、優月の口は勝手に動いていた。
「先生! 私、今日の試合は外れていいですか? 最近サーブのコントロールが乱れてて、一人でサーバの調整したいんです」
弾けたような明るい声。完璧な笑顔。
その瞬間、コートを覆っていた重苦しい圧力が、潮が引くように霧散した。
「えっ、優月ちゃんいいの? 申し訳ないよ」
「ううん、全然! 本当に個人的にやりたい練習があるだけだから! みんなは気にせずゲームして!」
手を振って笑ってみせると、部員たちの顔にパッと安堵の色が広がった。
「ありがとう優月ちゃん! 流石副キャプテン!」
「助かる〜!」
感謝の言葉が飛んでくる。優月は「いいっていいって!」と笑顔で返し、コートの隅へと移動した。
ボールを高く投げ上げラケットを勢いよく振り落とす。
パンっ。
ボールはネットを越え、相手コートの深い位置に落ちた。素晴らしいコントロールだった。けれど、胸の中に爽快感は一切なかった。
ポーン、パカーン。ポーン、パカーン。
機械的にサーブ打ち続けながら、優月の視界が徐々に滲んでくる。
(なんで……なんで私、また笑って譲っちゃったんだろう……)
本当は一人になりたくなかった。本当は「優月ちゃん、一緒に組もう!」って誰かに手を引き留めてほしかった。
でも、自分が我慢すれば丸く収まるという悪癖が、長年の訓練によって骨の髄まで染み付いてしまっている。
他人の安堵した顔を見るたびに、自分の心が削り取られていく。
私はみんなが好きだ。部活も好きだ。
なのに、どうしてこんなにも惨めで、寂しくて、自分が嫌いなんだろう。
カゴに入れたボールが尽きた時、周囲はすっかり暗くなっていた。ナイターの設備がないコートには、校舎から漏れる蛍光灯の明かりだけが届いている。
部員たちが「お疲れ様〜!」と言って片付けを終え、引き上げていく。優月は「お疲れ様!」と最後まで見送り、一人でコートのグランド整備のブラッシングをかけた。
トンボを引くたびに、砂の上に真っ直ぐな筋がついていく。 消しても、消しても、明日になればまた誰かに踏みつけられる砂。まるで、自分の人生そのものみたいだと思った。



