駅から学校までの通学路は、同じ制服を着た生徒たちの波で埋め尽くされている。自転車のベルの音、落ち葉を踏みしめる靴音、とり止めのない笑い声。
優月は歩幅を少し狭め、周囲の生徒たちの歩調に自然と溶け込むように歩いた。
「ゆづ〜! おはよ〜!」
校門の手前で、私を呼ぶ甲高い声が聞こえた。同じクラスでテニス部員の朱理と、そのグループの女子二人だ。優月は瞬時に表情を「学校用の明るい副キャプテン」へと切り替え、振り向いた。
「朱理、みんな、おはよう! 今日も寒いね」
「本当それ! 今朝マジで布団から出られなかった〜。あ、ねえねえ、昨日のドラマ見た?」
「見たよ! 最後の展開、びっくりだったね。まさかあの人が犯人だったなんて思わなかった」
「それな!? 私さ、絶対違うと思ってたから推してたのにほんとショックでさー、、、」
朱理が身振り手振りで興奮を語る。
優月はその言葉に「うんうん」「分かる」「確かに」と完璧なタイミングで相槌を打つ。相槌の角度、笑うトーン、相槌の挟み方。脳内のコンピューターが自動的に計算し、朱理が一番気持ちよく話せる空間を構築していく。
嫌な会話ではない。朱理のことも好きだ。話の内容も面白いと思っている。
それなのに、喉の奥がカラカラに乾いていく感覚があった。
優月は知っている。自分が小学生の頃、陰で何と呼ばれていたかを。
『優月ちゃんって、誰にでも良い顔するよね』
『八方美人っていうかさ、なんか本心が見えなくて怖い』
放課後の下駄箱で、偶然耳にしてしまった同級生の会話。あの時の、足元から冷え込んでいくような感覚を、優月は今でも鮮明に覚えている。
でも、と優月は心の中で呟く。
八方美人にならざるを得ないじゃないか。誰かの意見に100%同意して、誰の感情も逆撫でしないように立ち回らなければ、この狭い学校というコミュニティでどうやって生き残ればいいというのか。
誰かの味方をすれば、必ず別の誰かを傷つけることになる。だったら、自分が透明なクッションになって、衝突する全員の衝撃を吸収すればいい。
それが、優月が見つけた生き残るための「最適解」だった。
二時間目の体育が終わり、休み時間に入ると、教室はざわめきに包まれた。
優月は自分の席に戻り、次の授業の教科書を机の上に並べる。ふと、教室の前方に視線を向けた。
そこには、男子生徒たちの中心で、バスケットボールを指先でくるくると回しながら笑っている瀬川浬の姿があった。
「まじで!? 瀬川、あの距離から入れたの!?」
「当たり前だろ、俺を誰だと思ってんだよ」
浬は得意げに笑い、周りの男子たちの肩をポンと叩いた。クラスのムードメーカーで、男子バスケ部の絶対的エース。身長が高く、整った顔立ちをしていて、運動神経も抜群。いつも周囲には人が集まり、彼の発言ひとつで教室の空気が明るくなる。
(すごいなぁ……)
優月は遠くからその光景を眺めていた。自分のように計算して作られた明るさではなく、内側から溢れ出るような本物の太陽。
それが、優月の抱く「瀬川浬」という人間への印象だった。
自分とは住む世界が違う、光の中にいる存在。
そう思っていた。
だが、その直後だった。
友達のひとりが浬の背中を少し強く叩いた瞬間、浬の笑顔がほんの一瞬だけ、奇妙に歪んだ。
本当に、一秒にも満たないわずかな時間。
浬の目から光が消え、口元がピクリと不自然に引きつった。
しかし次の瞬間には、彼は何事もなかったかのように「痛ぇな、おい!」と笑い飛ばしていた。周りの男子たちも、誰もその違和感に気づいていない。
(……え?)
優月は息を飲んだ。
他人の顔色や体の動きに過剰なまでに過敏な優月のセンサーが、浬の見せた「崩れ」を正確に捉えていた。
今の笑いは、本物じゃない。まるで、冷たい鉄の面を被り直したかのような——。
「優月ちゃん、どうしたの? 瀬川くんのこと見てた?」
隣の席の女子に声をかけられ、優月はハッと正気に戻った。
「あ、ううん! なんかバスケットボール回すのすごい上手だなと思って」
「あはは、確かに。流石エースって感じだよね」
「うん、そうだね」
優月はいつもの笑顔を貼り直し、会話を流した。けれど、胸の奥につかえた小さな違和感は、消えてくれなかった。
*
優月は歩幅を少し狭め、周囲の生徒たちの歩調に自然と溶け込むように歩いた。
「ゆづ〜! おはよ〜!」
校門の手前で、私を呼ぶ甲高い声が聞こえた。同じクラスでテニス部員の朱理と、そのグループの女子二人だ。優月は瞬時に表情を「学校用の明るい副キャプテン」へと切り替え、振り向いた。
「朱理、みんな、おはよう! 今日も寒いね」
「本当それ! 今朝マジで布団から出られなかった〜。あ、ねえねえ、昨日のドラマ見た?」
「見たよ! 最後の展開、びっくりだったね。まさかあの人が犯人だったなんて思わなかった」
「それな!? 私さ、絶対違うと思ってたから推してたのにほんとショックでさー、、、」
朱理が身振り手振りで興奮を語る。
優月はその言葉に「うんうん」「分かる」「確かに」と完璧なタイミングで相槌を打つ。相槌の角度、笑うトーン、相槌の挟み方。脳内のコンピューターが自動的に計算し、朱理が一番気持ちよく話せる空間を構築していく。
嫌な会話ではない。朱理のことも好きだ。話の内容も面白いと思っている。
それなのに、喉の奥がカラカラに乾いていく感覚があった。
優月は知っている。自分が小学生の頃、陰で何と呼ばれていたかを。
『優月ちゃんって、誰にでも良い顔するよね』
『八方美人っていうかさ、なんか本心が見えなくて怖い』
放課後の下駄箱で、偶然耳にしてしまった同級生の会話。あの時の、足元から冷え込んでいくような感覚を、優月は今でも鮮明に覚えている。
でも、と優月は心の中で呟く。
八方美人にならざるを得ないじゃないか。誰かの意見に100%同意して、誰の感情も逆撫でしないように立ち回らなければ、この狭い学校というコミュニティでどうやって生き残ればいいというのか。
誰かの味方をすれば、必ず別の誰かを傷つけることになる。だったら、自分が透明なクッションになって、衝突する全員の衝撃を吸収すればいい。
それが、優月が見つけた生き残るための「最適解」だった。
二時間目の体育が終わり、休み時間に入ると、教室はざわめきに包まれた。
優月は自分の席に戻り、次の授業の教科書を机の上に並べる。ふと、教室の前方に視線を向けた。
そこには、男子生徒たちの中心で、バスケットボールを指先でくるくると回しながら笑っている瀬川浬の姿があった。
「まじで!? 瀬川、あの距離から入れたの!?」
「当たり前だろ、俺を誰だと思ってんだよ」
浬は得意げに笑い、周りの男子たちの肩をポンと叩いた。クラスのムードメーカーで、男子バスケ部の絶対的エース。身長が高く、整った顔立ちをしていて、運動神経も抜群。いつも周囲には人が集まり、彼の発言ひとつで教室の空気が明るくなる。
(すごいなぁ……)
優月は遠くからその光景を眺めていた。自分のように計算して作られた明るさではなく、内側から溢れ出るような本物の太陽。
それが、優月の抱く「瀬川浬」という人間への印象だった。
自分とは住む世界が違う、光の中にいる存在。
そう思っていた。
だが、その直後だった。
友達のひとりが浬の背中を少し強く叩いた瞬間、浬の笑顔がほんの一瞬だけ、奇妙に歪んだ。
本当に、一秒にも満たないわずかな時間。
浬の目から光が消え、口元がピクリと不自然に引きつった。
しかし次の瞬間には、彼は何事もなかったかのように「痛ぇな、おい!」と笑い飛ばしていた。周りの男子たちも、誰もその違和感に気づいていない。
(……え?)
優月は息を飲んだ。
他人の顔色や体の動きに過剰なまでに過敏な優月のセンサーが、浬の見せた「崩れ」を正確に捉えていた。
今の笑いは、本物じゃない。まるで、冷たい鉄の面を被り直したかのような——。
「優月ちゃん、どうしたの? 瀬川くんのこと見てた?」
隣の席の女子に声をかけられ、優月はハッと正気に戻った。
「あ、ううん! なんかバスケットボール回すのすごい上手だなと思って」
「あはは、確かに。流石エースって感じだよね」
「うん、そうだね」
優月はいつもの笑顔を貼り直し、会話を流した。けれど、胸の奥につかえた小さな違和感は、消えてくれなかった。
*



