蛍の季節に、キミはまた会いに来る


大丈夫。
ここは私のことを誰も知らない場所。

だから、ゼロからスタートできる。
誰の記憶にも残らない、影の薄い存在でいられますように。

一歩、また一歩。
切実な祈りを込めながら、新しい生活の中へ足を踏み入れる。
東京で味わった、あの、息もできないような最悪の学校生活を二度と繰り返さないために。

——それなのに。

「おいっ!」

担任の冴えないおじさん先生の後ろをトボトボついて教室へ向かっていたとき、背後から不躾(ぶしつけ)な声が飛んできた。

思わず振り返ると、そこに立っていたのは背が高く、光に透けるような茶髪をした男の子だった。
制服のボタンをいくつも外して雑に着崩した、一目で『軽い』とわかるタイプ。

最悪だ……。
別に、私を呼んだわけじゃないのに。

うっかり振り返ってしまったことを猛烈に後悔して、私は気まずさに目を泳がせながら、サッと顔を背けた。

「おい、待てって!」

先生に向かって『おい』だなんて、なんて失礼な人だろう。
しかも、今はもう朝のホームルームの真っ最中だ。
静まり返った廊下には、私たち以外に誰もいない。

早く通り過ぎてほしい。
関わりたくない。
そう祈っていたのに——。

「おまえ、古川だろ」

……え?

今度こそ、弾かれたように勢いよく彼を振り返ってしまった。

どうして?

怪しんで寄せた眉が、ひくひくと痙攣する。

「古川(ふるかわ)、聖菜(せな)。……違う?」

なに?
なんなの、この人。

初対面のはずの男子の口から、私のフルネームが滑り落ちていた。