これにて、恋を卒業します。

翌朝、友達は私の席に来なかった。
いつもなら、教室に入って鞄を置いたあたりでどうでもいい話をしに来る。

今日は、別の子の机に座って笑っていた。
私が来たことには気づいているはずだった。

一度だけ目が合った。
友達は小さく手を振った。
私も振り返した。

昨日なんか、帰りに一緒に帰れなかっただけだ。
日曜日の約束を断ったのも私だし、友達が別の予定を入れたって文句を言える立場じゃない。

「おはよ」
後ろから声がした。

彼だった。
「おはよ」

「なんか元気なくない?」
「普通だけど」

「そう?」
彼は机に置かれた消しゴムを転がした。

「今日、小テストあるの知っとる?」
「……え?」

「終わったな」
「ちょっと待って、何のテスト?」

「英単語」
「聞いてないんだけど!」

「昨日、先生言っとったじゃん」
「聞いてない!」

「それはもう、お前の問題だろ」
彼は笑いながら、自分の席へ戻っていった。

私は慌てて教科書を開いた。
こういうところは変わらない。


昼休み、友達が私のところへ来た。
「ねえ、今日って放課後空いとる?」

「うん。たぶん」
「じゃあ、ちょっと付き合ってくれん?」

私は箸を止めた。
「どこ行くん?」

「買いたいものがあって」
「いいよ」
今度はちゃんと約束しようと思った。

彼から誘われても、予定があると言えるように。
そう決めた直後、教室の入り口から彼が顔を出した。

「いた!」
私を見つけると、彼は手を振った。

「今日さ、ちょっと頼みたいんだけど」
友達が私を見る。

私は彼を見た。
「何?」

「文化祭のことで、実行委員に一緒に来てほしいんよ。昨日のアンケート、お前がまとめてくれたじゃん。あれ、もうちょっと詳しく聞きたいって」
「ああ……」

「放課後、時間ある?」
返事をする前に、隣の友達が口を開いた。

「今日、うちと出かける約束しとるんよ」

彼は「あ、そうなん?」と私を見た。
「じゃあ、別の日でもいいけど」
彼はそう言って、返事を待った。

私は友達を見た。
友達は何も言わなかった。
いつもなら、ここで私が決めるのを待ってくれる。
私が彼を選んでも、笑って「いってらっしゃい」と言ってくれる。
そういう子だった。

どちらにも、今までどおり接してほしい。

「……ごめん。今日、実行委員のほうに行ってもいい?」
言ってから、友達の顔を見た。

友達は一瞬だけ黙った。
「そっか」

それから、いつもの調子で笑った。
「じゃあ、また今度ね」

彼は「ありがと!」と嬉しそうに言った。
私は、その声に救われた。

放課後、実行委員との話し合いは思ったより長引いた。

企画の内容を決めるだけのつもりだったのに、予算や準備まで話が広がってしまった。

「じゃあ、飾りつけは誰が担当する?」
「買い出しは?」
「当日のシフトはどうする?」

質問が飛び交うたび、彼が私のほうを見る。
私は分かる範囲で答えた。
分からないことは、分からないと言った。

話し合いが終わるころには、窓の外が暗くなり始めていた。

「いやー、助かった」
教室を出て、彼が背伸びをした。

「お前がおらんかったら、もっと時間かかっとったわ」
「それは盛りすぎ」

「いや、ほんまに」
彼は笑った。

「頼りになるな」
その言葉を聞いて、私は嬉しかった。

誰かの役に立てたことが。

けれど、駅へ向かう途中、彼はスマホを見て言った。
「やば。今日、部活のやつらと連絡するの忘れとった」

「何の?」
「日曜日の予定。人数確認するって言っとったんよ」

「……ああ」
私は足を緩めた。

「日曜日、何時に集合なん?」
「まだ決まってない。昼くらいかな」
彼は歩きながら、メッセージを打っていた。

「お前、来れるよな?」
「うん」

「よかった。人数多いほうが楽しいし」
彼は画面を見たまま言った。


人数が多いほうが楽しい。

それは、きっと本当だ。


「どうした?」
彼がスマホをしまった。

「なんか静かじゃん」
「疲れただけ」

「そっか。今日、ありがとな」
彼は改札の前で手を振った。

「また明日!」
「うん、またね」
彼が改札を通っていく。
その背中を見送った。


家に帰ると友達からメッセージが来ていた。
『今日、何時まで話し合いだったん?』

私は鞄を下ろした。
『結構遅くなった』

『そっか、お疲れ!』
それだけ。

私はスマホを握ったまま、しばらく考えた。

友達は約束を断っても、別の予定を優先しても。
嫌な顔をすることはあっても怒鳴ったりはしなかった。

だから私は、きっと大丈夫だと思っていた。
何度断っても、また誘ってくれる。

私が戻りたくなったら、いつでも戻れる。
友達なら、それくらい許してくれる。

私はトーク画面を開き、今度の日曜日の予定を確認した。
彼との約束は、まだ具体的には決まっていない。
友達との約束も、まだ別の日に決め直していない。

どちらも曖昧なままだった。
私は友達に送った。
『今度、ほんまに遊ぼうね』

しばらくして、返事が来た。
『うん!』
その後に、別のメッセージが続いた。
『最近忙しそうだし、無理せんでね』

私は画面を見つめた。
優しい言葉だった。
気遣ってくれているのだと思う。
でも、そこには少し距離があった。

***

翌週、文化祭の準備が本格的に始まった。

教室には段ボールが運び込まれ、普段は静かなクラスメイトまで騒がしくなっていた。
彼は飾りつけの担当になったらしく、男子数人と黒板の前で作業していた。
私は買い出しのリストを作っていた。

「これ、どこで買うん?」
彼が紙をのぞき込む。

「百均でよくない?」
「だよな。じゃあ、帰りに買ってくるわ」

「私も行こうか?」
言ってから、私は自分の手元を見た。

彼がこちらを向いた。
「いいの?」

「うん。どうせ帰り道だし」
「助かる!」

彼は笑った。
私は、その笑顔が好きだった。
でも、最近は気づいてしまう。

彼の笑顔が見たいから手伝うのか。
彼に頼られたいから手伝うのか。
それとも、彼と一緒に帰る理由が欲しいからなのか。

「ねえ、これも買ってきてくれる?」
友達がリストを差し出した。

私は受け取った。
「いいよ」

「ありがと。じゃあ、お願いね」
友達は別の作業に戻った。

私はリストを折りたたんで、ポケットにしまった。


放課後になって、彼が私のところへ来たとき。
「ごめん、今日俺ちょっと用事できた」

私は一瞬何を言われたのか分からなかった。
「……え?」

「買い出し明日でもいい?」
彼は申し訳なさそうに笑った。

「ほんまごめん。急に呼ばれてさ」
「ううん、いいよ」
私はすぐに答えた。
「大丈夫。気にせんで」

彼は「ありがと!」と言って、教室を出ていった。

私は手元のリストを見た。


教室を出ると、友達が廊下にいた。
「帰るん?」

「うん」
「一緒に帰ろうや」
私は顔を上げた。
友達は、いつもどおりの顔をしていた。

「……いいの?」
思わず聞いてしまった。

友達はきょとんとした。
「何が?」

「いや、なんでもない」
「変なの」

友達は笑った。
私も笑った。
2人で階段を下りた。

途中、友達が文化祭の話を始めた。
飾りつけが間に合わないとか、クラスの男子がふざけてばかりいるとか、そんな話だった。
私は相槌を打ちながら歩いた。

彼と一緒に帰るときより会話が途切れることが多かった。
それでも、友達と話を続けた。

駅に着くと、友達が言った。
「そういえば、日曜日のことなんだけど」

私は足を止めた。
「うん」

「別の日にしようって言っとったじゃん。来週なら空いとる?」
「……空いとるよ」

「じゃあ、来週にしよ」
友達はスマホを取り出し、予定を確認した。

「また連絡するね」
「うん」

友達が改札を通っていく。


電車がホームに入ってきた。
私は乗り込んだ。

スマホが震えた。
彼からだった。

『明日、買い出し行こうな!』
私は画面を見て、返信した。

『うん、行こう』