翌日、駅で彼と待ち合わせた。
「おはよ。早くない?」
「お前が遅いんよ」
「約束の5分前ですけど」
「俺は10分前からおった」
「知らんがな」
彼は笑いながら、スマホをポケットにしまった。
「で、何買うん?」
私が聞くと、彼は鞄からメモを取り出した。
「これ。頼まれたやつ」
「メモまであるん?」
「買い忘れたら面倒じゃん」
「意外と真面目」
「お前が適当すぎるんよ」
「はあ?」
また笑った。
*
買うものは思っていたより多かった。
彼がメモを読み上げ、私が棚を探す。
見つからなければ店員さんに聞いて、かごに入れていく。
途中彼が違う商品を手に取った。
「こっちでよくない?」
「いや、書いてあるのと違うじゃん」
「似たようなもんじゃろ」
「そういう問題じゃないんよ」
「じゃあ、お前が選んで」
「最初からそうしろや」
彼ははいはい、と適当に返事をした。
彼は私の選んだものを見て、何も言わずにうなずいた。
「なあ、昼どうする?」
彼の声で、考えが途切れた。
「何食べるん?」
「お前、前にあそこ行きたいって言っとったじゃん」
彼が指さしたのは、駅前の飲食店だった。
前に一度、通りかかったときに話した店だ。
覚えていたんだ。
「……行く」
「じゃ、決まり」
彼は歩き出した。
*
食事を終え、店を出た。
買ったものを袋にまとめ駅へ向かう。
「今日、ありがとな」
彼が言った。
「別に。私も暇だったし」
本当は、友達との約束を来週にずらしてもらった。
それでも彼にそう言った。
「そういえばさ」
彼が歩きながら言った。
「この前、友達に聞かれたんよ」
「何を?」
「好きな人おるんかって」
心臓が跳ねた。
「……で?」
「おるって言った」
私は、袋を持ち直した。
「ふうん」
「誰なんって、めっちゃ聞かれたわ」
「言ったん?」
「言うわけないじゃろ」
彼は笑った。
私は笑えなかった。
彼に好きな人がいる。
その事実がずっと頭の中に居座っている。
誰なのか知りたい。
でも、知りたくない。
聞いたら、きっと後悔する。
聞かなかったら、ずっと気になる。
「……その子とは、仲いいん?」
気づけば、口にしていた。
彼は少し考えた。
「まあ、普通に」
「2人で遊んだりする?」
「それは、まだないかな」
まだ。
それが引っかかった。
これから、2人で遊ぶことがあるのかもしれない。
休日に会って、今日みたいに一緒に歩くのかもしれない。
「そっか」
それ以上聞けなかった。
彼は私の顔を見た。
「気になる?」
「何が?」
「その子のこと」
「別に」
「ふうん」
彼は、それ以上追及しなかった。
助かった。
どうして、さっきから笑えていないのか。
気づいてほしかった。
私が言わなくても。
私が何も決めなくても。
彼なら、分かってくれるんじゃないかと期待していた。
そんなの、無理に決まっているのに。
*
電車が来るまで少し時間があった。
私たちはベンチに座った。
彼はスマホを見ている。
私は、彼の横顔を見ていた。
何を見ているのだろう。
誰と連絡しているのだろう。
もしかして、好きな人だろうか。
そんなことを考えている自分に気づいて私は視線をそらした。
「なあ」
彼がスマホをしまった。
「ん?」
「お前ってさ、俺のこと好きなん?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……は?」
「いや、だから」
彼は少し困ったように笑った。
「前から、そうなんかなって思うことはあったんよ」
私は、何も言えなかった。
「でも、聞くのも違うかなってさ。俺の勘違いだったら気まずいし」
彼は膝の上で手を組んだ。
「だから、ずっと聞けんかった」
喉が渇いた。
今、答えたらどうなるのだろう。
彼は私を好きになってくれるのだろうか。
どちらも想像できた。
「……好き」
声が小さくなった。
彼がこちらを向いた。
「ほんまに?」
「うん」
「いつから?」
「知らん気づいたら」
彼は黙った。
私は、慌てて言葉を足した。
「でも、付き合いたいとか、そういうのとは違うんよ」
言ってから、しまったと思った。
まただ。
聞かれてもいないのに、逃げ道を作っている。
彼は、少しだけ目を伏せた。
「……そっか」
それだけだった。
私は膝の上で指を絡めた。
「嫌だった?」
「いや。嫌とかじゃないよ」
「何?」
ホームに電車が入ってくる音がした。
「俺も、前はお前のこと好きだったけん」
聞き間違いかと思った。
「……え?」
「お前とおるの、楽しかったし」
彼は、照れたように笑った。
「たぶん、好きだったんだと思う」
過去形だった。
私は、その言葉を聞き逃せなかった。
「……今は?」
彼は私を見た。
「……分からん」
電車のドアが開き、人が降りてくる。
「お前が俺のこと好きって言ってくれたのは嬉しいよ。でも、付き合いたいわけじゃないって言われたら、俺はどうしたらいいんか分からんわ」
彼は、少しだけ笑った。
「好きって言ってくれたら、俺も好きって言えばいいんかなって思ったこともあった。でも、それで付き合うってなって、お前が嫌になったら、俺はどうしたらいいん?」
私は、返事ができなかった。
彼も、怖かったのだ。私と同じように。
失うのが嫌で、変わるのが怖くて、何も言えなかったのかもしれない。
「……ごめん」
私が言うと、彼は首を振った。
「謝らんでいいよ」
「でも」
「俺も、ちゃんと言わんかったけん」
彼は立ち上がった。
「電車、来るよ」
私は立てなかった。
彼が手を差し出した。
私はその手を見た。
それから、手を取った。
彼は私を引き上げると何事もなかったかのように歩き出した。
*
窓の外を流れる景色を見ながら、私はずっと考えていた。
好きだ。
一緒にいたい。
それなのに。
「なあ」
彼が言った。
「俺ら、これからどうする?」
私は窓から目を離した。
「どうするって?」
「今までどおりでいいん?」
今までどおり。
私が一番欲しがっていたもの。
「……分からん」
正直に答えた。
彼は少し驚いたようだった。
「そっか」
「うん」
「じゃあ、分かったら教えて」
私は彼を見た。
「……いいん?」
「何が?」
「分からんままでも」
彼は少し笑った。
「別に、今すぐ決めんでもええじゃろ」
私はうなずいた。
嬉しかった。
待ってくれるのだと思った。
でも、彼は続けた。
「ただ、俺もずっと同じ気持ちでおれるかは分からんけん」
その言葉に、胸が痛んだ。
私だって、そうだ。
ずっと好きでいられるかなんて、分からない。
明日、彼が誰かと付き合うことになるかもしれない。
それでも私は、彼がいつまでも私のために待っていてくれるような気がしていた。
彼が私を好きだったことがあるなら、今もどこかに、その気持ちが残っているのではないか。
私が何も決めなくても、いつかまた、私を好きになってくれるのではないか。
そんな期待を、勝手に抱いていた。
「……うん」
私は答えた。
「分かったら、言う」
彼は笑った。
「おう」
*
駅で彼と別れたあと、私は友達にメッセージを送った。
『来週、どこ行く?』
すぐに返事が来た。
『え、覚えとったん?笑』
『覚えとるわ』
『じゃあ、前に言っとった店行こうや』
『いいよ』
私はスマホをしまった。
家に帰ると、母が夕飯の支度をしていた。
「おかえり」
「ただいま」
私は手を洗い、食卓についた。
もし母に彼のことを話したところで、何と言われるか分からない。
話をしたら、母は何と言うだろう。
「じゃあ、付き合えばいいじゃない」
きっと、そう言う。
簡単に。
私は、その簡単なことができない。
*
夜、ベッドに寝転んでスマホを開いた。
彼とのトーク画面には、今日の買い出しの写真が送られてきていた。
彼が私を選ばなくても、私は「付き合いたいわけじゃないから」と言えばいい。
その言葉は、便利だった。
彼に選ばれなかった自分を見なくて済む。
本当は、彼が私を一番にしてくれることを望んでいたのに。
スマホが震えた。
彼からだった。
『また明日な』
私は少しだけ笑った。
『また明日』
送信して、画面を閉じた。
好きだ。
彼が好きだ。
彼を失いたくない。
彼に選ばれたい。
私はずっと、恋をしているつもりだった。
けれど、もしかしたら。
私は恋をしていたんじゃなくて、彼が私を好きでいてくれる可能性を、手放せずにいただけなのかもしれない。
そう考えたら、急に、彼の顔を見られなくなった。
もう知ってしまった。
好きでいることと相手を選ぶことは同じじゃない。
そして、選ばないことだって、ひとつの選択なのだ。
私は、布団を頭までかぶった。
明日になったら、また考えよう。
そうやって先延ばしにする自分を、今夜だけは許すことにした。
だって私はまだ、彼が好きだから。
そして、彼が好きな自分を、まだ卒業したくなかったから。
私は、机の上の小説を片づけた。
明日の準備を終えて、部屋の電気を消す。
ベッドに入る直前、スマホを確認した。
新しい通知はなかった。
私は画面を伏せた。
明日も、彼に会う。
そして、きっと笑う。
何もなかったみたいに。
何も変わっていないみたいに。
――私は、恋を卒業したかった。
彼を好きなままで。
彼に選ばれないままで。
彼を失わないままで。
「おはよ。早くない?」
「お前が遅いんよ」
「約束の5分前ですけど」
「俺は10分前からおった」
「知らんがな」
彼は笑いながら、スマホをポケットにしまった。
「で、何買うん?」
私が聞くと、彼は鞄からメモを取り出した。
「これ。頼まれたやつ」
「メモまであるん?」
「買い忘れたら面倒じゃん」
「意外と真面目」
「お前が適当すぎるんよ」
「はあ?」
また笑った。
*
買うものは思っていたより多かった。
彼がメモを読み上げ、私が棚を探す。
見つからなければ店員さんに聞いて、かごに入れていく。
途中彼が違う商品を手に取った。
「こっちでよくない?」
「いや、書いてあるのと違うじゃん」
「似たようなもんじゃろ」
「そういう問題じゃないんよ」
「じゃあ、お前が選んで」
「最初からそうしろや」
彼ははいはい、と適当に返事をした。
彼は私の選んだものを見て、何も言わずにうなずいた。
「なあ、昼どうする?」
彼の声で、考えが途切れた。
「何食べるん?」
「お前、前にあそこ行きたいって言っとったじゃん」
彼が指さしたのは、駅前の飲食店だった。
前に一度、通りかかったときに話した店だ。
覚えていたんだ。
「……行く」
「じゃ、決まり」
彼は歩き出した。
*
食事を終え、店を出た。
買ったものを袋にまとめ駅へ向かう。
「今日、ありがとな」
彼が言った。
「別に。私も暇だったし」
本当は、友達との約束を来週にずらしてもらった。
それでも彼にそう言った。
「そういえばさ」
彼が歩きながら言った。
「この前、友達に聞かれたんよ」
「何を?」
「好きな人おるんかって」
心臓が跳ねた。
「……で?」
「おるって言った」
私は、袋を持ち直した。
「ふうん」
「誰なんって、めっちゃ聞かれたわ」
「言ったん?」
「言うわけないじゃろ」
彼は笑った。
私は笑えなかった。
彼に好きな人がいる。
その事実がずっと頭の中に居座っている。
誰なのか知りたい。
でも、知りたくない。
聞いたら、きっと後悔する。
聞かなかったら、ずっと気になる。
「……その子とは、仲いいん?」
気づけば、口にしていた。
彼は少し考えた。
「まあ、普通に」
「2人で遊んだりする?」
「それは、まだないかな」
まだ。
それが引っかかった。
これから、2人で遊ぶことがあるのかもしれない。
休日に会って、今日みたいに一緒に歩くのかもしれない。
「そっか」
それ以上聞けなかった。
彼は私の顔を見た。
「気になる?」
「何が?」
「その子のこと」
「別に」
「ふうん」
彼は、それ以上追及しなかった。
助かった。
どうして、さっきから笑えていないのか。
気づいてほしかった。
私が言わなくても。
私が何も決めなくても。
彼なら、分かってくれるんじゃないかと期待していた。
そんなの、無理に決まっているのに。
*
電車が来るまで少し時間があった。
私たちはベンチに座った。
彼はスマホを見ている。
私は、彼の横顔を見ていた。
何を見ているのだろう。
誰と連絡しているのだろう。
もしかして、好きな人だろうか。
そんなことを考えている自分に気づいて私は視線をそらした。
「なあ」
彼がスマホをしまった。
「ん?」
「お前ってさ、俺のこと好きなん?」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
「……は?」
「いや、だから」
彼は少し困ったように笑った。
「前から、そうなんかなって思うことはあったんよ」
私は、何も言えなかった。
「でも、聞くのも違うかなってさ。俺の勘違いだったら気まずいし」
彼は膝の上で手を組んだ。
「だから、ずっと聞けんかった」
喉が渇いた。
今、答えたらどうなるのだろう。
彼は私を好きになってくれるのだろうか。
どちらも想像できた。
「……好き」
声が小さくなった。
彼がこちらを向いた。
「ほんまに?」
「うん」
「いつから?」
「知らん気づいたら」
彼は黙った。
私は、慌てて言葉を足した。
「でも、付き合いたいとか、そういうのとは違うんよ」
言ってから、しまったと思った。
まただ。
聞かれてもいないのに、逃げ道を作っている。
彼は、少しだけ目を伏せた。
「……そっか」
それだけだった。
私は膝の上で指を絡めた。
「嫌だった?」
「いや。嫌とかじゃないよ」
「何?」
ホームに電車が入ってくる音がした。
「俺も、前はお前のこと好きだったけん」
聞き間違いかと思った。
「……え?」
「お前とおるの、楽しかったし」
彼は、照れたように笑った。
「たぶん、好きだったんだと思う」
過去形だった。
私は、その言葉を聞き逃せなかった。
「……今は?」
彼は私を見た。
「……分からん」
電車のドアが開き、人が降りてくる。
「お前が俺のこと好きって言ってくれたのは嬉しいよ。でも、付き合いたいわけじゃないって言われたら、俺はどうしたらいいんか分からんわ」
彼は、少しだけ笑った。
「好きって言ってくれたら、俺も好きって言えばいいんかなって思ったこともあった。でも、それで付き合うってなって、お前が嫌になったら、俺はどうしたらいいん?」
私は、返事ができなかった。
彼も、怖かったのだ。私と同じように。
失うのが嫌で、変わるのが怖くて、何も言えなかったのかもしれない。
「……ごめん」
私が言うと、彼は首を振った。
「謝らんでいいよ」
「でも」
「俺も、ちゃんと言わんかったけん」
彼は立ち上がった。
「電車、来るよ」
私は立てなかった。
彼が手を差し出した。
私はその手を見た。
それから、手を取った。
彼は私を引き上げると何事もなかったかのように歩き出した。
*
窓の外を流れる景色を見ながら、私はずっと考えていた。
好きだ。
一緒にいたい。
それなのに。
「なあ」
彼が言った。
「俺ら、これからどうする?」
私は窓から目を離した。
「どうするって?」
「今までどおりでいいん?」
今までどおり。
私が一番欲しがっていたもの。
「……分からん」
正直に答えた。
彼は少し驚いたようだった。
「そっか」
「うん」
「じゃあ、分かったら教えて」
私は彼を見た。
「……いいん?」
「何が?」
「分からんままでも」
彼は少し笑った。
「別に、今すぐ決めんでもええじゃろ」
私はうなずいた。
嬉しかった。
待ってくれるのだと思った。
でも、彼は続けた。
「ただ、俺もずっと同じ気持ちでおれるかは分からんけん」
その言葉に、胸が痛んだ。
私だって、そうだ。
ずっと好きでいられるかなんて、分からない。
明日、彼が誰かと付き合うことになるかもしれない。
それでも私は、彼がいつまでも私のために待っていてくれるような気がしていた。
彼が私を好きだったことがあるなら、今もどこかに、その気持ちが残っているのではないか。
私が何も決めなくても、いつかまた、私を好きになってくれるのではないか。
そんな期待を、勝手に抱いていた。
「……うん」
私は答えた。
「分かったら、言う」
彼は笑った。
「おう」
*
駅で彼と別れたあと、私は友達にメッセージを送った。
『来週、どこ行く?』
すぐに返事が来た。
『え、覚えとったん?笑』
『覚えとるわ』
『じゃあ、前に言っとった店行こうや』
『いいよ』
私はスマホをしまった。
家に帰ると、母が夕飯の支度をしていた。
「おかえり」
「ただいま」
私は手を洗い、食卓についた。
もし母に彼のことを話したところで、何と言われるか分からない。
話をしたら、母は何と言うだろう。
「じゃあ、付き合えばいいじゃない」
きっと、そう言う。
簡単に。
私は、その簡単なことができない。
*
夜、ベッドに寝転んでスマホを開いた。
彼とのトーク画面には、今日の買い出しの写真が送られてきていた。
彼が私を選ばなくても、私は「付き合いたいわけじゃないから」と言えばいい。
その言葉は、便利だった。
彼に選ばれなかった自分を見なくて済む。
本当は、彼が私を一番にしてくれることを望んでいたのに。
スマホが震えた。
彼からだった。
『また明日な』
私は少しだけ笑った。
『また明日』
送信して、画面を閉じた。
好きだ。
彼が好きだ。
彼を失いたくない。
彼に選ばれたい。
私はずっと、恋をしているつもりだった。
けれど、もしかしたら。
私は恋をしていたんじゃなくて、彼が私を好きでいてくれる可能性を、手放せずにいただけなのかもしれない。
そう考えたら、急に、彼の顔を見られなくなった。
もう知ってしまった。
好きでいることと相手を選ぶことは同じじゃない。
そして、選ばないことだって、ひとつの選択なのだ。
私は、布団を頭までかぶった。
明日になったら、また考えよう。
そうやって先延ばしにする自分を、今夜だけは許すことにした。
だって私はまだ、彼が好きだから。
そして、彼が好きな自分を、まだ卒業したくなかったから。
私は、机の上の小説を片づけた。
明日の準備を終えて、部屋の電気を消す。
ベッドに入る直前、スマホを確認した。
新しい通知はなかった。
私は画面を伏せた。
明日も、彼に会う。
そして、きっと笑う。
何もなかったみたいに。
何も変わっていないみたいに。
――私は、恋を卒業したかった。
彼を好きなままで。
彼に選ばれないままで。
彼を失わないままで。



