大正サアカス恋愛奇譚~薄幸少女は運命の糸を纏って踊る~

○サーカスの舞台裏・早朝
薄汚れたテントの中。
サーカスの小道具や大道具が置かれている。
<光の当たらないテントの隅>
<固くて冷たい地べた>
テント内の地面を鼠が這う。
 ※薄汚い感を出す描写。
<これが私に与えられた居場所なのだと、思っていた>
地面にへなりと座り込んでいる澄子。
【澄子(すみこ):18歳。紺色の髪の少女。長髪だがボサボサで、見るからに幸薄そうな風貌。】
目を見開いて、視線を上げている。
<でも――>
テントの破れた隙間から、朝日が差し込む。
 ※希望を暗喩。
緋埜「君の舞台は、こんな暗がりじゃない」
澄子の視線の先、手を差し伸べる緋埜。
【瀧上(たきがみ)緋埜(ひの):21歳。黒髪の美男。後ろ髪が長く、ひとつに結んでいる。凛々しい顔つき。】
<彼の手を取っても、良いのだろうか>
緋埜に手を伸ばす澄子。

○街中・昼
<大正二十二年>
賑やかな通り。
店が多く並び、人々も大勢行き交っている。
男性「さあさ! 定番評判のサアカス団、神森座(かみもりざ)は本日! 本日、夜の公演だよ!」
女性「お兄さん、ぜひ来ておくれよ!」
ビラ配りをする神森座の若いサーカス団員たち。
派手な衣装を着て、笑顔でアピールしている。
澄子「…………」
サーカス団員たちからは見えない位置を、早足で歩いて行く澄子。
両手には沢山の荷物を持っている。
 ※買い出しに来ているとわかる。
青年①「サアカスか……流行ってるなあ」
青年②「西の方にある日ノ出座ってとこなんか、最近できたのに凄い人気だぜ」
子ども「ねーえー、僕も行ってみたいよ母ちゃーん」
母親「だーめ。うちにそんな余裕はありませんよ」
何気なく会話をする通行人たち。
澄子はうつむいて、彼らの横を通っていく。
女学生①「あーあ、素敵な殿方との出会いって、中々無いものね。もうそろそろ妥協を覚えるべきかしら」
女学生②「あら、私は望みを高く持ちますわよ。例えば、瀧上家の嫡男様とか」
カフェで談笑する身なりの良い女学生たち。
女学生①「それは夢を見すぎよ、あなた。華族様が私たち程度に見向きするとでも?」
女学生②「うふふ、夢は見た方が楽しいものですわ」
みすぼらしい服の澄子が女学生たちの居るカフェを通り過ぎていく。
 ※裕福な女学生たちと貧しい澄子との対比。
老人「おっと」
澄子「あっ」
ふらついて、老人とぶつかってしまう澄子。
澄子「すみません……! お怪我は?」
パッと顔を上げる澄子。
老人「平気だよ。むしろ君……」
はたと気付く老人。
老人「そんな大荷物で、大丈夫かい」
両手で荷物を抱えている澄子。
 ※たくさんの荷物を持っていることを改めて強調。
澄子「は、はい。お気になさらず……」
恥ずかしそうに俯き、そそくさと去る澄子。
澄子(もうこんな時間……。早く戻らないと)
店先に掲げられた時計を見て、焦る澄子。

○神森座のテント裏手
木箱などが積まれたテントの裏手。
近くに「神森座」と書かれた看板が立っている。
女性団員①「遅いっ!」
テント裏手に、女性団員①の怒鳴り声が響く。
澄子「も、申し訳ありません」
頭を下げる澄子。
横には今まで抱えていた荷物が置かれている。
澄子の前に仁王立ちする女性団員①と②。
【女性団員①・②:スタイルの良い美女。ややけばけばしい風貌。】
ぱしん、と女性団員②が澄子を平手打ちする。
澄子「あっ」
よろめく澄子。
女性団員②「みんな今夜の公演に向けて準備してるの。忙しいの! あんたが遅れるとみんなに影響が出るんだから」
澄子「こ、心得ております」
怯えた様子で更に深く頭を下げる澄子。
英造「何だ、騒々しい」
声を聞き付け、英造がやってくる。
【神森(かみもり)英造(えいぞう):恰幅の良い中年男性。神森座の座長。】
女性団員①「座長! この女、また戻りが遅かったんです!」
澄子「おっ、お許しください! 二度と、もう二度とこのようなことは!」
必死に謝る澄子。
英造は彼女をキッと睨みつける。
英造「黙れ!」
澄子「きゃあっ!」
英造に鞭で打たれる澄子。
英造「遣いすらまともにできないのか! さては貴様、わしを困らせて楽しんでいるのか!?」
澄子「け、決してっ、そのようなことは……!」
英造「ふん。みなしごの貴様なぞ、わしが拾ってやらねば、今ごろ野垂れ死んでいたのだぞ。わかっているだろうな」
澄子「は、い……」
か細い声で答える澄子。
英造は気が済み、去っていく。
女性団員①「ああ、やだやだ。埃が立っちゃったわ」
わざとらしく言う女性団員①。
澄子「も、申し訳……」
女性団員①の服に付いた埃を払おうと、手を伸ばす澄子。
女性団員①「ちょっと、触んないでよ」
澄子を蹴り飛ばす女性団員①。
女性団員①「澄子のスミは、炭汚れのスミ! あははっ」
女性団員②「澄子のスミは~、隅っこのスミ!」
けらけらと笑う女性団員①と②。
女性団員①「テントの隅で、惨めったらしく汚れて可哀想! でもそれがあんたの人生よ!」
2人は笑いながら去っていく。
澄子「…………」
残された澄子は暗い表情で地面を見つめる。

○神森座のテント・夜
明るいライトで照らされるテント。
男性団員①「皆様、今宵はこの神森座へ、ようこそお越しくださいました!」
テントの中、集まった客たちが拍手を送る。
男性団員①「最初の演目はこちら! 美女たちの華麗なる舞踏でございます!」
昼間に澄子をいじめていた女性団員①と②が舞台に出て、踊りを披露する。
澄子「きれい……」
テントの裏手にて、幕の隙間から踊りを覗き見る澄子。
羨望の表情。
澄子「たん……たらら……」
女性団員①と②を真似て、歌を口ずさみながら踊る澄子。
煌びやかさは全く無いが、素朴で美しい動き。
<光の当たらないテントの隅>
<固くて冷たい地べた>
<こんな惨めな私には、十分な居場所だ>
ライトの当たらない薄暗がりで、独り踊り続ける澄子。
 ※明るい舞台や女性団員たちとの対比。

○数日後・神森座のテント・朝
英造「諸君、先日はご苦労だった。全ての演目はつつがなく終えられ、客の評判もなかなかだったと聞く」
テントの中で、ふんぞり返って話す英造。
座長である彼の話を聞くため、女性団員①②を含めた団員たちが集まっている。
澄子は座長たちの方を気にしつつ、幕で半ば隔てられた場所で、道具の整理をしている。
 ※座の仲間として扱われていない。
英造「しかし、残念な知らせがある。近頃、勢いを増している日ノ出座というサアカス団のことは、既に知っているだろう」
オホンと咳ばらいをする英造。
英造「単刀直入に言う。今、我々神森座は、奴らに客を取られつつある」
面白くない顔をする団員たち。
英造「ほんの2年前にできたばかりの一座に、歴史ある神森座が負けるわけにはいかない。そこでだ」
テントの入り口に向かって、手招きをする英造。
その合図に応え、緋埜がテントの中に入ってくる。
 ※やや暗いテント内に美男が現れる、印象的な場面。
緋埜の上品で美しい佇まいを見て、団員たちがざわつく。
特に女性たちは黄色い声を上げる。
澄子(わ、きれい……! なんだか華族の方みたい……)
緋埜に目を奪われる澄子。
英造「こちらは不破くん。欧米に渡り、猛獣使いの修練を積んできたそうだ」
笑顔で緋埜を紹介する英造。
 ※「不破」は緋埜が使っている偽名。
英造「彼を迎え、神森座に猛獣を使った演目を増やす。そして日ノ出座に対抗するのだ」
緋埜「よろしく、お願いします」
礼儀正しく頭を下げる緋埜。
歓迎の拍手をする団員たち。
澄子は彼らに背を向け仕事に戻るが、その後姿を緋埜がちらりと見る。

○神森座のテント・昼
ライオン「グルルル……」
唸りながら歩くライオン。
緋埜「止まれ」
指を差し、ライオンに命令する緋埜。
ライオンはピタリと動きを止める。
緋埜「そのまま」
指をくるりと回す緋埜。
ライオンは座り込む。
緋埜「よし」
ライオンを撫でてやる緋埜。
女性団員①「すっごーい!」
英造「うむうむ。わしの見立て通りだな」
感心する女性団員①と英造。
澄子は緋埜が猛獣使いの腕前を披露する横で、木箱の整理をしている。
女性団員①「ねえねえ、不破さんってどこから来たの?」
女性団員②「不破さんのことよく知りたいなあ。私のことも教えてあげるからさ!」
緋埜にすり寄る女性団員①と②。
下心が丸見えの彼女らを無視し、緋埜はスタスタと歩き出す。
緋埜「君」
立ち止まり、澄子に声をかける緋埜。
澄子「え」
目を丸くする澄子。
 ※緋埜に話しかけられたことに驚いている。
緋埜「そんな大きな物、女性1人では運べないだろう」
澄子が運ぼうとしていた、大きく重たそうな木箱を、ひょいと持ち上げる緋埜。
澄子「えっ! あっ、あの」
緋埜「適材適所だ」
澄子「あ……ありがとうございます!」
恐縮しながら、緋埜に運び先を案内しようと彼に付いて行く澄子。
女性団員①・②「…………」
面白くなさそうな目で澄子を見る女性団員①と②。

○神森座のテント・夜
物が沢山置かれたテントの中で、澄子が独り幕を畳んでいる。
 ※澄子には自室はおろか寝床すら無い。
檻も置かれており、その中ではライオンが眠っている。
澄子(あんなに優しくしてもらえたの、初めてだ……)
嬉しそうに微笑む澄子。
澄子「たらら、らん……」
幕を畳み終え、こっそり踊り始める。
するとそこへ、緋埜が現れる。
緋埜「少しいいか」
澄子「はいっ!?」
意識外から話しかけられ、びっくりする澄子。
澄子「な、なんでしょう……」
緋埜「今のは、踊りか」
澄子「あ、す、すみません、お見苦しいものを」
羞恥心から顔を赤くし、縮こまる澄子。
緋埜「いや、見事だった。本格的に練習をすれば、舞台にも出られるだろう」
至極真面目な顔で言う緋埜。
緋埜「君は出演しないのか」
澄子「わ、私なんかが出演だなんて……」
暗い表情でうつむく澄子。
緋埜「そうか」
何か言いたげな顔をしつつ、緋埜は去っていく。
澄子(せっかく褒めてくださったのに……卑屈なことばかり言ってしまった。気を悪くしてしまっただろうか)
木箱を背に、座り込んで膝を抱える澄子。
澄子「でも、本当のことだもの……」
ぽつんと淋しげに、澄子は目を閉じ眠りにつく。

○神森座のテント・明け方
澄子「ん……」
ふと目を覚ます澄子。
ガタン、ずり、と物音がしており、澄子は前を見る。
澄子「え……っ」
驚愕する澄子。
澄子の目の前には、ライオンが佇んでいる。
澄子(どうしてライオンが……!?)
困惑し、後ずさる澄子。
視線を巡らせた先で、檻の扉が開いていることに気付く。
澄子(檻が開いてる! まさか、閉め忘れた……?)
女性団員①「あははっ!」
上から笑い声が聞こえてくる。
女性団員①「莫ァ迦! 畜生に食われちゃいなさい!」
女性団員②「あんたが死んだら、不破さんを呼んできてあげるわよ!」
張られたロープに器用に座り、澄子を見下ろす女性団員①と②。
①の手には檻の鍵が握られている。
ライオン「グルルルル……」
澄子「ご、ごめんなさい。檻に戻って……お願い」
徐々に澄子に接近するライオン。
涙目になり、じりじりと後ずさる澄子。
澄子「お願い、します……! 大人しく檻に……!」
ライオン「ガアアッ!」
とうとう澄子に飛びかかろうとするライオン。
澄子「ひっ……!」
ぎゅっと目を瞑る澄子。
緋埜「止まれ」
声が聞こえると同時に、ライオンがピタリと止まる。
ハッと顔を上げる澄子。
緋埜「そのまま」
ライオンに命令をしながら、ゆっくり歩いて来る緋埜。
緋埜「檻に戻れ」
ライオンは大人しく檻に帰っていく。
緋埜「よし」
軽く息を吐く緋埜。
緋埜「大丈夫か」
澄子「は、はい……」
膝を付き、澄子を気遣う緋埜。
その後、緋埜は上にいる女性団員たちを睨み上げる。
緋埜「そこの女。鍵を返せ」
女性団員①「っ……」
たじろぐ女性団員①。
女性団員①「あらいやだ! 違うわ、そこのノロマが失くした鍵を、私が見つけてきてあげたのよ」
女性団員②「そうよ! 私が証言するわ」
媚びた笑みを浮かべながら、地面にすとんと下りる女性団員たち。
緋埜「呆れたものだな」
冷たい視線を送る緋埜。
女性団員たちはびくりとひるむ。
緋埜「猛獣を利用し、気に入らない者を殺そうとするなど……サアカス団員の風上にも置けない」
女性団員①から鍵を奪い、ライオンの檻を閉める緋埜。
それから緋埜は、澄子の方へと向く。
緋埜「君、名前は」
澄子「す、澄子……です」
びくびくしながら答える澄子。
緋埜「澄子」
優しい表情で澄子の名を呼ぶ緋埜。
緋埜「君の舞台は、こんな暗がりじゃない」
真っ直ぐに、緋埜が澄子に手を差し伸べる。
緋埜「俺と一緒に来い。もっと、明るい場所へ君を連れて行こう」
澄子は迷いながらも、緋埜の手を取り立ち上がる。
澄子「あ、あなたは……」
緋埜「瀧上緋埜。華族・瀧上家の嫡男にしてサアカス団・日ノ出座の座長だ」
堂々と名乗る緋埜。