『黒猫になった元人間、嘘が見える魔族少女と人間界を旅する ~魔族から見た人間社会、だいぶおかしい~』

「これが薬になるんですか?」

孤児院の庭で、女が一株の草をつまんでいた。

『なるぞ』

クワンリは得意そうだ。

(おい、それ昨日も道端に生えてたぞ)

『だから何だ?』

(誰も拾ってなかった)

『なら、たくさん採れるな』

そういう話ではない。

昨日まで、この庭で俺が知っていたことは二つ。

子供たちは元気がない。

そして、俺の尻尾はおもちゃではない。

後者については、まだ誰にも理解してもらえていない。

「ノル、こっち!」

盗みを働いた少年が、俺の前にしゃがんだ。

手には木の皿。

中には、昨日より少し濃いミルク粥が入っている。

「これ、僕の分だけど」

――食べてほしい。

――怒ってないかな。

思念が伝わってきた。

(……ありがとな)

当然、少年には聞こえない。

俺は皿に顔を寄せた。

少年の肩から、ほんの少し力が抜けた。

どうやら謝罪には、言葉以外の方法もあるらしい。

◇

『まず、似た草を混ぜるな』

クワンリが庭の地面に三つの束を並べた。

『見た目が近くても、働きは違う。分からないものは使わない。それから、薬にする前に状態を確かめる』

子供たちは真剣だった。

昨日まで病気で寝ていた子も、毛布を肩に掛けて椅子に座っている。

「これは?」

『ダンデ草。乾かして使えば虫を遠ざける香になる』

「じゃあ、これは?」

『カスミレ草。痛みを和らげる薬に使う。眠くなりにくいのが利点だ』

「熱の薬は?」

『それは別だ。症状を見ずに何でも飲ませるな』

俺は思わずクワンリを見た。

ちゃんとしている。

この女、猫を見ると頬ずりするくせに、薬の話になると急に先生だ。

女が手を挙げた。

「でも、教わっても、あの器具は買えません」

庭が静かになった。

そうだ。

問題はそこだ。

クワンリの持っている魔性石も、精製器具も、人間にとっては高価らしい。

材料が雑草でも、作る道具が宝石では話にならない。

クワンリは首を傾げた。

『なら、器具は貸そう』

「借りたまま壊したら……」

『直せばいい』

「直すお金が……」

『私が直す』

「でも、それでは申し訳なくて」

『なぜだ!』

出た。

魔族と人間の押し問答。

俺は粥を食べ終え、前脚を舐めた。

(クワンリ。まずは器具がなくてもできることを教えよう)

『効率が悪いぞ』

(でも、俺たちが出ていったあとも続けられる)

クワンリの手が止まった。

『……なるほど』

ようやく伝わった。

俺たちは旅人だ。

ここにずっといるわけじゃない。

魔族の便利な道具を見せて終わりでは、子供たちはまた困る。

『では、採取と乾燥から始めよう』

クワンリはそう言って、草の束を持ち上げた。

子供たちが歓声を上げた。

俺も少し安心した。

これなら、少なくとも俺の出番はない。

「ノルも探そう!」

あった。

出番が。

「猫なら草の匂い分かるでしょ!」

分かるけど。

それと薬草を見分けられるかは別問題だ。

(俺を薬草探知機にするな!)

『いい考えだな』

お前まで乗るな。

◇

昼過ぎ。

庭には、採ってきた草が山になっていた。

クワンリが一束ずつ確かめる。

使えるもの。

使えないもの。

似ているだけのもの。

そのたびに子供たちが一喜一憂する。

俺は日陰で見守っていた。

仕事をしていないわけではない。

監督だ。

立派な仕事だ。

「何をやってるんだい?」

塀の向こうから声がした。

買い物籠を下げた年配の女だった。

孤児院の女が事情を説明すると、年配の女は草の山を見て笑った。

「そんなの、うちの裏にもいくらでも生えてるよ」

『なら採ってくるといい』

クワンリが答える。

「何に使うんだい?」

『虫除けだ』

年配の女は笑うのをやめた。

「虫除け?」

『ダンデ草を乾かして、適切に処理する。煙を使うから、換気と火の扱いには気をつけろ』

「……それ、売れるのかい?」

クワンリが俺を見た。

俺もクワンリを見た。

(売る?)

『草をか?』

年配の女が今度こそ笑った。

「草じゃないよ。虫除けをさ」

ああ。

そういうことか。

この街には、雑草がある。

虫に困っている人もいる。

でも、その二つが結びついていなかった。

(クワンリ)

『なんだ?』

(これ、孤児院の仕事になるかもしれない)

『仕事?』

(作って売るんだよ。必要な人に)

クワンリはしばらく考えた。

『欲しい者に渡せばいいのではないか?』

(材料を集めるにも時間がいる。乾かす場所もいる。器も必要だ。売れれば次の分を作れる)

『なるほど』

クワンリが頷く。

『人族は、助け合うにも金を挟むのだな』

(……そういう言い方されると、ちょっと嫌だな)

だが、間違いでもない。

女が恐る恐る尋ねた。

「本当に、私たちでも作れますか?」

『教えると言っただろう』

「でも、もし売れなかったら」

クワンリが答えるより早く、年配の女が口を開いた。

「一つ、私が買うよ」

孤児院の女が目を見開いた。

「まだできてもいないのに?」

「できたら持ってきな。虫が多くて困ってるんだ」

――少しでも足しになれば。

年配の女の思念が、ふっと伝わってきた。

ああ。

まただ。

口では商品を買うと言っている。

心では、孤児院を助けたいと思っている。

クワンリが俺を見る。

『ノル。今のも嘘か?』

(……どうだろうな)

『虫に困っているのは本当だ』

(うん)

『助けたいのも本当だ』

(うん)

『では、どちらも本当ではないか』

俺は顔を上げた。

なるほど。

そうか。

言葉と心が違うように見えても。

一人の人間の中に、本当の気持ちが二つあることだってある。

(クワンリ)

『なんだ?』

(今のは、たぶん正解だ)

『何の正解だ?』

(人間の見方)

クワンリは不思議そうにした。

それから、少し嬉しそうに笑った。

◇

夕方。

庭の端には、乾燥させるための草がきれいに並んでいた。

子供たちは疲れて眠そうだ。

俺も眠い。

というか、猫なのでいつでも眠い。

孤児院の女が、小さな板を持ってきた。

「値段は、どのくらいにしましょう?」

クワンリが即答する。

『無料でいい』

(だめ!)

『なぜだ!』

(さっき説明しただろ!)

女が笑った。

今度は、心の中でも笑っていた。

俺はその音を聞きながら、庭の隅で丸くなった。

何もなかったところに、仕事が一つ生まれようとしている。

雑草だったものに、値段がつく。

人間社会というのは、やっぱり妙だ。

だが、その夜。

孤児院の門を叩いた男は、草の値段など気にしていなかった。

「ここに、魔性石を使って薬を作る旅人がいると聞いた」

男の声は穏やかだった。

けれど、クワンリの表情が変わった。

俺にも聞こえたからだ。

――高純度の石を持っているなら、居場所を確かめておけ。

俺はゆっくり顔を上げた。

どうやら。

雑草の商売より先に。

俺たちは、もっと高いものに値札をつけようとする人間に見つかったらしい。