中2の夏のコンクール。俺は初めて吹奏楽部のメンバーになり、ソロを担当することになった。
しかし、3年は最後の夏。先輩を差し置いて選ばれたことに、気まずさを感じていた。
「フツー3年がソロだよな~。なんで2年の朝倉なの?」
「さーね?顧問のババアのお気に入りだからじゃね?」
「えっ、まじで?」
「うん。よく顧問のつまんねー話に大げさに笑ったりしてるじゃん…!」
音楽室の扉を開けようとしたが、直前で手が止まる。聞こえてきた会話の中に、俺が憧れてサックスを始めた先輩の声があって、動けなくなってしまったのだ。
中学に入学して、先輩の演奏に憧れてサックスを始めた。俺は先輩が好きだったし先輩後輩以上だと感じたこともあったけど、先輩にとって俺はソロを取られたくらいで悪口を言う程度の関係だったんだ。
やっぱり男に恋しても、報われない…。
失恋と、失望と、色んなものが一気に襲ってきて耐えられなくなり、俺は職員室へ向かった。
「ソロをやめたい…?」
「は、はい。先輩は3年で、今年最後だから俺じゃないほうがいいと思って…」
「朝倉くん…。先生は、朝倉くんがソロを演奏するのがうちの吹奏楽部のベストだと思ってるの。今のベストを尽くして賞をとることが3年生の為でもあると思う」
「……」
先生に説得され、俺は結局ソロを務めた。賞も取ったけどそれ以降、あまり人前で笑うことがなくなっていった。
今まではただ、好きな先輩と部活が出来て楽しかったから毎日笑って過ごしていた。けど、それを『媚を売っていた』と言われてしまったから。
高校で吹奏楽部に入るかは迷っていたのだが、中学が同じ女子に誘われて、見学に行った。
「黒瀬奏です。中学の時はマリンバ弾いてました。高校でもマリンバ希望です」
「そっか。でも、マリンバはいるんだよね…。黒瀬くん、シンバルかドラムやらない?」
「いえ、俺はマリンバ弾きたいので…!」
見学に来た男子は、俺以外には一人だけだった。しかも、黒瀬はマリンバ希望だという。
「パーカッション希望って、珍しいね」
俺のいた中学でパーカッションはずっと女子だけだったから、珍しいね、と言ったのだ。しかし黒瀬は『パーカッションを希望するなんて珍しいね』という嫌味として受け取ったらしい。
「はぁ?バカにしてんの?」
黒瀬は俺をジロリと見上げた。柔らかそうな眉毛と、くりっと丸い目が少し吊り上がっている。
「え、違うけど…」
俺の返事を聞かずに、黒瀬は顔を背けた。
黒瀬の横顔を見ると、頬が膨らんで唇が前に出ている。
わかりやすく、怒ってる…。
あまりにも分かりやすくて、同時に安心した。好かれなければ、好きになって嫌われる心配もない。それで俺は入部を決めた。
その後黒瀬は、壁にぶち当たっていた。
一つ上にマリンバ担当が既にいたのだ。彼女がレギュラーメンバーのため、そもそも楽器になかなか触れない。
そこで黒瀬は先生に頼んで、居残り練習や朝練をしていた。
ある日、部長が黒瀬と話をしたいからと、俺も一緒に呼んだ。2人だと気まずいし同じ学年の男が2人だけだったので、仲がよいと誤解されたようだ。黒瀬も事情を察したのか、特に何も言わなかった。
「黒瀬くん、2年になったらシンバルとドラムやらない?」
「……俺、マリンバが好きで。マリンバをやりながら両立できるならいいですけど…」
「でも、マリンバはもうずっとやってる子がいるからさ。黒瀬くん、控えになっちゃうよ?」
「それ、俺が下手ってことですか?」
「そうじゃなくて、黒瀬くんは2年だけど…」
マリンバの現メンバーの先輩は来年3年生。心情的にも譲れってことだ。しかし、黒瀬は部長を真っ直ぐに見つめる。
「俺は来年2年だけど、今年1年間、できる限り頑張ってきました。それは俺も先輩も同じだと思います。だから選ばれないのは仕方ないけど、3年生で最後だから譲るっていうのは考えてません」
俺も中学のとき、先輩に近付きたくて真剣にサックスを練習した。その結果ソロ担当に選ばれたのだから、必要以上に後ろめたく感じる必要は、無かったのかもしれない。
事情も知らない黒瀬に、中2の俺が励まされたような気がして、心がすこし軽くなった。
実際黒瀬は努力していたし、実力もあった。黒瀬のマリンバを聞くのが楽しみになるくらいに。
けど、翌年、2年のコンクールの時も、黒瀬はメンバーに選ばれなかった。
夏のコンクールが終わり、3年が引退して俺は部長になった。
「今日は、秋の演奏会の楽譜を配ります。パートリーダー、集まってください!」
夏のコンクールが終わると、新メンバーで秋の演奏会に出る。いわゆる新人戦のようなものだ。
3年がいなくなってようやく正式メンバーになった黒瀬は、口角をあげ嬉しそうな顔で俺のところにやって来る。
「はいこれ、パーカッション分」
「……」
パーカッションの楽譜を受け取った黒瀬は、眉を下げ、ついでに口角も下がっている。どうも気分を害したらしい。
「楽譜、間違えてた?」
「いや…別に…」
気になって楽譜を覗き込むと、マリンバの楽譜に前担当していた先輩の名前が書いてあった。顧問が間違えたか、以前書いたものをそのままにしていたのか…。
これが原因で不機嫌になっていたようだ。
「ちょっとかして…!」
理由に気がついて、黒瀬の手から楽譜を抜き取った。書いてあった名前を消して、新しく名前を書くため鉛筆を持つと、黒瀬が覗き込んで来る。
「朝倉、ローマ字にして!」
「ローマ字…?」
「その方がかっこいいだろ?『k.kanade』!」
ローマ字がかっこいいなんて、中2か…?
しかし、茶化すほど仲が良くないので、俺は促されるまま、ローマ字で名前を書いた。書いている途中、あまりにも黒瀬が楽譜をじっと見てくるので、横目でチラリと様子を窺う。
黒瀬は目尻を下げ、嬉しそうに口元に笑みを浮かべていた。
……名前だけで、そんなに喜ぶ…?
しかも名前はまだ『k.kanad』までしか、書かれていない。
「やったー!朝倉、ありがとう!」
「いや、名前書いただけだし…」
「でも、名前書いてもらえるって、嬉しいよ!」
名前が紙に書かれ可視化される事で、メンバーになったという実感が生まれた、ということだろうか。
黒瀬は楽しそうに楽譜を持ってパーカッションのパート練習に戻って行った。
今にもスキップしそうな後ろ姿。
…………なんだあれ、かわい…。
……。
……。
多分さっき、黒瀬の名前を書いたからだ。可視化されると、目を背けたはずの気持ちが溢れてくる。
k.kanadまでしか書いてないのに。eまで書いたら、どうなってしまうんだ…?
——『e』は、封印しておこう。
好きが溢れて、傷つかないように。
しかし、3年は最後の夏。先輩を差し置いて選ばれたことに、気まずさを感じていた。
「フツー3年がソロだよな~。なんで2年の朝倉なの?」
「さーね?顧問のババアのお気に入りだからじゃね?」
「えっ、まじで?」
「うん。よく顧問のつまんねー話に大げさに笑ったりしてるじゃん…!」
音楽室の扉を開けようとしたが、直前で手が止まる。聞こえてきた会話の中に、俺が憧れてサックスを始めた先輩の声があって、動けなくなってしまったのだ。
中学に入学して、先輩の演奏に憧れてサックスを始めた。俺は先輩が好きだったし先輩後輩以上だと感じたこともあったけど、先輩にとって俺はソロを取られたくらいで悪口を言う程度の関係だったんだ。
やっぱり男に恋しても、報われない…。
失恋と、失望と、色んなものが一気に襲ってきて耐えられなくなり、俺は職員室へ向かった。
「ソロをやめたい…?」
「は、はい。先輩は3年で、今年最後だから俺じゃないほうがいいと思って…」
「朝倉くん…。先生は、朝倉くんがソロを演奏するのがうちの吹奏楽部のベストだと思ってるの。今のベストを尽くして賞をとることが3年生の為でもあると思う」
「……」
先生に説得され、俺は結局ソロを務めた。賞も取ったけどそれ以降、あまり人前で笑うことがなくなっていった。
今まではただ、好きな先輩と部活が出来て楽しかったから毎日笑って過ごしていた。けど、それを『媚を売っていた』と言われてしまったから。
高校で吹奏楽部に入るかは迷っていたのだが、中学が同じ女子に誘われて、見学に行った。
「黒瀬奏です。中学の時はマリンバ弾いてました。高校でもマリンバ希望です」
「そっか。でも、マリンバはいるんだよね…。黒瀬くん、シンバルかドラムやらない?」
「いえ、俺はマリンバ弾きたいので…!」
見学に来た男子は、俺以外には一人だけだった。しかも、黒瀬はマリンバ希望だという。
「パーカッション希望って、珍しいね」
俺のいた中学でパーカッションはずっと女子だけだったから、珍しいね、と言ったのだ。しかし黒瀬は『パーカッションを希望するなんて珍しいね』という嫌味として受け取ったらしい。
「はぁ?バカにしてんの?」
黒瀬は俺をジロリと見上げた。柔らかそうな眉毛と、くりっと丸い目が少し吊り上がっている。
「え、違うけど…」
俺の返事を聞かずに、黒瀬は顔を背けた。
黒瀬の横顔を見ると、頬が膨らんで唇が前に出ている。
わかりやすく、怒ってる…。
あまりにも分かりやすくて、同時に安心した。好かれなければ、好きになって嫌われる心配もない。それで俺は入部を決めた。
その後黒瀬は、壁にぶち当たっていた。
一つ上にマリンバ担当が既にいたのだ。彼女がレギュラーメンバーのため、そもそも楽器になかなか触れない。
そこで黒瀬は先生に頼んで、居残り練習や朝練をしていた。
ある日、部長が黒瀬と話をしたいからと、俺も一緒に呼んだ。2人だと気まずいし同じ学年の男が2人だけだったので、仲がよいと誤解されたようだ。黒瀬も事情を察したのか、特に何も言わなかった。
「黒瀬くん、2年になったらシンバルとドラムやらない?」
「……俺、マリンバが好きで。マリンバをやりながら両立できるならいいですけど…」
「でも、マリンバはもうずっとやってる子がいるからさ。黒瀬くん、控えになっちゃうよ?」
「それ、俺が下手ってことですか?」
「そうじゃなくて、黒瀬くんは2年だけど…」
マリンバの現メンバーの先輩は来年3年生。心情的にも譲れってことだ。しかし、黒瀬は部長を真っ直ぐに見つめる。
「俺は来年2年だけど、今年1年間、できる限り頑張ってきました。それは俺も先輩も同じだと思います。だから選ばれないのは仕方ないけど、3年生で最後だから譲るっていうのは考えてません」
俺も中学のとき、先輩に近付きたくて真剣にサックスを練習した。その結果ソロ担当に選ばれたのだから、必要以上に後ろめたく感じる必要は、無かったのかもしれない。
事情も知らない黒瀬に、中2の俺が励まされたような気がして、心がすこし軽くなった。
実際黒瀬は努力していたし、実力もあった。黒瀬のマリンバを聞くのが楽しみになるくらいに。
けど、翌年、2年のコンクールの時も、黒瀬はメンバーに選ばれなかった。
夏のコンクールが終わり、3年が引退して俺は部長になった。
「今日は、秋の演奏会の楽譜を配ります。パートリーダー、集まってください!」
夏のコンクールが終わると、新メンバーで秋の演奏会に出る。いわゆる新人戦のようなものだ。
3年がいなくなってようやく正式メンバーになった黒瀬は、口角をあげ嬉しそうな顔で俺のところにやって来る。
「はいこれ、パーカッション分」
「……」
パーカッションの楽譜を受け取った黒瀬は、眉を下げ、ついでに口角も下がっている。どうも気分を害したらしい。
「楽譜、間違えてた?」
「いや…別に…」
気になって楽譜を覗き込むと、マリンバの楽譜に前担当していた先輩の名前が書いてあった。顧問が間違えたか、以前書いたものをそのままにしていたのか…。
これが原因で不機嫌になっていたようだ。
「ちょっとかして…!」
理由に気がついて、黒瀬の手から楽譜を抜き取った。書いてあった名前を消して、新しく名前を書くため鉛筆を持つと、黒瀬が覗き込んで来る。
「朝倉、ローマ字にして!」
「ローマ字…?」
「その方がかっこいいだろ?『k.kanade』!」
ローマ字がかっこいいなんて、中2か…?
しかし、茶化すほど仲が良くないので、俺は促されるまま、ローマ字で名前を書いた。書いている途中、あまりにも黒瀬が楽譜をじっと見てくるので、横目でチラリと様子を窺う。
黒瀬は目尻を下げ、嬉しそうに口元に笑みを浮かべていた。
……名前だけで、そんなに喜ぶ…?
しかも名前はまだ『k.kanad』までしか、書かれていない。
「やったー!朝倉、ありがとう!」
「いや、名前書いただけだし…」
「でも、名前書いてもらえるって、嬉しいよ!」
名前が紙に書かれ可視化される事で、メンバーになったという実感が生まれた、ということだろうか。
黒瀬は楽しそうに楽譜を持ってパーカッションのパート練習に戻って行った。
今にもスキップしそうな後ろ姿。
…………なんだあれ、かわい…。
……。
……。
多分さっき、黒瀬の名前を書いたからだ。可視化されると、目を背けたはずの気持ちが溢れてくる。
k.kanadまでしか書いてないのに。eまで書いたら、どうなってしまうんだ…?
——『e』は、封印しておこう。
好きが溢れて、傷つかないように。

