キスして入れ替わったら、美形部長の秘密の本音は俺への「好き」でいっぱいでした

 合宿2日目。

 午前、午後とホール練習に向けて通しでコンクールの自由曲を演奏していたのだが、15時を回ったあたりで顧問はとうとう我慢の限界を迎えたようだ。

 俺は1人で音楽室の隣の、音楽準備室に呼び出されてしまった。

「朝倉…!そのまま吹いていても身につかない。今日はソロだけ、一人で練習してこい!」
「は、はい…」
 
 顧問は俺に視聴覚室の鍵を渡すと音楽室へ戻って行った。

「よし、今からもう一度合わせるぞ!」

 隣の音楽室から、顧問の声が聞こえてくる。本当に俺抜きで、練習が始まるようだ。

 まさか、メンバーを外される、なんてことは…。俺は去年の悔しさを思い出し、一気に不安になった。でも、今できることは練習することしかない。

 俺は視聴覚室で練習するため、音楽準備室を出ようとした。

「いた…っ!」

 朝倉のでかい体に慣れない俺は、机にぶつかってしまった。そこには顧問の荷物が置いてあったようで、楽譜がバラバラと床に落ちる。

 拾おうとして、その楽譜に目が釘付けになった。

 楽譜に書き込まれていたサックスソロの「朝倉」の名前が赤ペンの二重線で消され、その横へ「三浦」と書き直されていたのだ。

 瞬間、息が止まる……。

 自由曲の『マードックからの最後の手紙』の中間にある、アルトサックスソロはタイタニック最後の航海の哀愁を表現する重要な部分だ。当然、求められるレベルも高い。

 中の人が俺じゃ、やっぱり朝倉のようにはいかない…!

 顧問に直接言われなかったが、今この時間もアルトサックスソロを後輩の三浦さんにスイッチするため、練習しているのかもしれない。

 俺はその事実に打ちのめされ、楽譜をそっと戻すと音楽室を出て視聴覚室へ向かった。

 廊下をトボトボと歩いていると、後ろからバタバタと騒々しい足音が聞えてきた。

 その音はどんどん近づいて来る。

「黒瀬ーー!」
「朝倉…?!」

後ろから俺を追いかけてきたのは朝倉だった。

「朝倉、ごめん、俺…!」
「ど。どうしたんだよ…?!」

 顔面蒼白な俺をみて、朝倉は驚いた顔をした。俺は朝倉の顔を見るなり、堰を切ったように先ほどあったことを話す。

「さっき音楽室で、顧問が書いた楽譜を見ちゃったんだ。俺のせいでアルトサックスのソロが、後輩の三浦さんに書き換えられてて…!本当にごめん…!」
「顧問の書いた楽譜を見た…?おい黒瀬、人のもの勝手に見たらだめだろ!」

共感して欲しかったのに、朝倉にぴしゃりと叱られてしまった。

 確かに勝手に人のものを見たことは俺が悪い。けど、あれは事故みたいなものだ。今はとにかくこの焦燥や悲しみ、悔しさを共有して欲しかったのに…!

「第一、相手が公表してないことを決定事項みたいに言って悩むなんて、意味ないだろ?」
「まあ、そうだけど……」

口籠る俺を無視して、朝倉は捲し立てる。

「それより黒瀬、雷注意報がでたんだ!」
「え、、まじで…?!」
「すぐに行こうぜ!」
「でも、練習が…」
「先生には、朝倉と練習してきますっていったから大丈夫だよ!たぶん…!」

 でも合宿を抜けるなんて…。躊躇する俺に、朝倉はスマートフォンを取り出して画面を俺に見せた。

 それはこの先一週間分の天気予報だった。

「入れ替わってから半月以上なかった雷注意報がきた!この先もコンクールまでずっと、晴れの予報なんだ!これが戻れる、最後のチャンスかもしれない…!」
「朝倉…」
「黒瀬、俺とお前は同じ気持だ。練習したくないとか逃げたいとか、そんな後ろ向きな気持じゃない。コンクールに出て本気で金賞とりたいんだ。だから賭けようぜ!怒られたとしても…!」

 朝倉の真剣な訴えに、俺は思わず頷いた。

「じゃ、行こうぜ…!」

張り切っている朝倉の背中を追いかけて、走り出す。




 そして、朝倉と向かった先はというと……。

「さあ、乗れ!」
「乗れって、これ…?」

朝倉は駐輪場にとめた、自分の自転車を指差す。

「ヘルメットは黒瀬にかしてやる♡」
「かしてやる♡じゃねーよ。自転車の二人乗り、禁止だよ」
「え…?じゃ、この後部座席、なに?飾り…?」
「これは荷台だよ」
「でもよく、お母さんが子供乗せてるじゃん…!」
「幼稚園児までは乗れるんだよ。小学生からだめ」
「何その差別……?!」

差別じゃねーよ。法律だよ!

 まさかお前、俺と二人乗りでバックハグ♡とかするつもりだったんじゃないだろうな…?

 朝倉って賢いくせに俺が絡むと知能が幼稚園児並みにならない…?

「知能が幼稚園児でもだめだから」
「へ…?」
「とにかくダメってこと!雷注意報の場所はどの辺り?遠いの?」
「そんな遠くないよ。『あずき野学園前駅』の少し先だから、ここから10kmちょっと?」
「え゛……?」

 自転車で10kmって…。しかもこの先は坂だし二人乗りなら50分くらいかかるだろう。雷注意報ってそんなに余裕を持って出されるのか…?

「予定時刻とか分かるの?」
「気象庁の雷ナウキャストによると、1時間後くらいかな…?」
「1時間?!」

あと1時間しかないのかよ…!それを自転車って、追いかける気、ある…?!

「『あずき野学園前駅』の近くなんだろ?あずき野学園前駅まで電車なら15分じゃん。どう考えても電車一択だろ!」

 俺を呼びに来た時はかなり切羽詰まってたはずだが。自転車でバックハグしたい欲望のために切羽詰まってた、なんてことはないよな…!?

「いやでも…」
「いいから、行くぞ…!」

二人乗りに未練たらたらな朝倉を急かして駅まで走った。学校から駅まで徒歩で10分のところ、走って5分で到着した。

「次の電車、10分後だ…」

電車のホームから空を見ると、曇ってはいるがまだ雨は降っていない。

「まだ雨降ってないし、間に合うかなぁ?」
「どうかな、あれ積乱雲だよ」

 朝倉は目的地の方向を指差した。たしかに指差した方角の雲はかなり厚くなっている。

「10kmくらいで、そんなに違う?」
「積乱雲は直径数kmのこともあるらしい」
「朝倉、詳しいじゃん!」
「…そりゃ調べるだろ。そのくらい…」

 俺が「調べてえらいなー」というニュアンスで言ったことが伝わったようで、朝倉は少し赤くなった。照れ隠しなのか、俺にスマートフォンを見せる。

「これ雨雲なんだけど…。あと30分くらい…?」
「え、なんか早まってない?!」
「確かに…!あ、雨雲が反対側…、こっちに向かって動いてるんだ…!」
「じゃあ、もう一つ手前の駅で降りないと!」

俺たちは電車に乗り、予定していた『あずき野学園前駅』の一つ手前の駅で降りた。

 駅の改札をでると、辺りは暗くなっているがまだ雨は降っていない。

「朝倉、雷の音聞こえない?雨雲の位置どうなってる?」

耳を澄ますと、降りる予定だった『あずき野学園前駅』の方角から微かにゴロゴロと雷のような音が聞こえる。

「雷ナウキャストによると、『あずき野学園前駅』の先、向かってきてるんじゃなくて、反対に進んでるっぽい」
「え、さっきはこっち側に来るって…。それなのに、なんで…?!」
「風の影響かなぁ…」

 なんてことだ。雨雲がこちらに来ていると思って一駅手前で降りたら、電車の進行方向通りに進んでる…?!

 予定通り、『あずき野学園前駅』で降りればよかったんだ…!

「嘘だろー?!」

電車は今行ったばかりだ。あと15分は来ないはず…。

「とりあえず、走って追いかけよう!」
「えええ…」

俺はあんまり運動が好きじゃない。朝倉は俺になってから体力作りのため自転車通学してるようだが、俺はずっと電車通学だった。

 毎日ランニングしていた朝倉は、今俺の体にいることを忘れているのか、張り切って走り出した。

 ……しかし。

「ぜーは、ぜーはぁ…!」
「朝倉、急げー!」

俺の体の朝倉は、走り始めて少し経つと肩で息をはじめた。スピードも落ちている。さっきも学校から駅まで走ったのだから、無理もない。

 一方、朝倉の体の俺はまだまだ走れそうだ。流石、朝倉が毎日ランニングしてただけはある…!体に羽がついているようだ。

「ひゅー…」
「朝倉、なんかやばい息してるよ?」
「ごめん、もう走れないかも。黒瀬だけでも行ってくれ…!」
「それ超~、意味ないやつ!」

朝倉は何とか歩いているが、かなりつらそうだ。俺の体、なんで情けないんだ…!

「ごめん。朝倉…!」
「いや、朝倉の体を鍛えきれなかった俺のせいだ!俺、黒瀬になってから自転車通学したり無理のない範囲で体力作りはしてたんだよ。だからほら、お尻はちょっとぷりんっ、て上がってきたろ…?」
「……人が真面目に謝ったのに変なこと言うなよ」
「胸筋もちょっとついただろ?乳首がつんっ…て」
「それ以上言うんじゃねえ…っ!」

俺は朝倉の前に腰を下ろした。背を向けてしゃがんで、後ろを振り向く。

「背中に乗れよ!」
「え……っ♡?!」

 まだ雨雲まで距離はあるが、限界の朝倉を背負って俺が走れば何とかなるかも…。

 図らずも、バックハグになってしまった……!

 しかし、今はそれをどうこう言ってる場合じゃない。俺は俺の体の朝倉を背負って走り出した。

 朝倉の体が頑丈だからそう感じるのかもしれないが、中肉中背だと思っていた俺の体は想像より軽い。

 ーーいけるかも知れない…!

 少しして、雨が降ってきた。更に進むと雷の音が大きくなる。雨の中、俺は朝倉を背負って必死に走った。

 もう少し、もう少しだ…!

 けれど次第に風が出てきた。積乱雲は風に流され、徐々に空にかかった雲が散り散りになっていく。

 雷鳴も音量が小さくなり、その距離が少しずつ開いていった。

 そしてとうとう、雲の隙間から日が差し、雨が止んでしまった。

「あ……」

気づけば頭上には夏の日差しが降り注ぎ、追いかけていた雲はすっかり遠ざかっていた。