パート練習を終え、今日の練習の最後に全員通しで課題曲と自由曲を演奏したのだが…。
「今日はここまで。朝倉、ちょっといいか…?」
「は、はい…!」
部員たちは俺をチラチラみながら、音楽室を出ていく。
その流れにさからって顧問のところへ行くと、心配そうな顔で話しかけられた。
「朝倉、何か心配ごとがあるのか…?」
「え…?」
「黒瀬のことは解決したはずだが。他にも何か、体調が悪いとか…」
「いえ、特には…」
「そうか。じゃ、緊張かな…?まぁ、無理もない。最後の大会だし部長だからな。でもお前の実力なら絶対できるから。自分を信じろ!」
ニコッと微笑んだ顧問は、ぽんぽんと俺の肩を叩いた。顧問が出て行った後、俺は大きなため息をつく。
朝倉は『出来ない』と思われていない。不調はメンタルのせいで、実力が無いからじゃない。
なんてすごいプレッシャー掛けるんだ!相手俺だぞ?!朝倉、お前すげえな。このプレッシャーに加えて、部長なんて…。更にソロも弾かなきゃいけないなんて、できる気がしないんだけど…?!
これは、一刻も早く入れ替わらないとまずい……。
しかし、窓の外は綺麗な夕焼け。雷が来そうな気配がない。スマートフォンで一週間予報をみるが、降水確率の低さにまた溜め息が出た。
「黒瀬、すっごいため息…。顧問に何か言われた?」
「あ、いや…。特には」
みんな出て行ったはずだが、朝倉が戻ってきた。俺が顧問に呼ばれたから心配してくれたようだ。
「そっか…。夕食の当番、今日は一年だけど、食堂の用意は手伝わないとだから…。そろそろ行こう」
「うん」
「食べた後、自主練だろ?その時、パーカッションの練習付き合ってほしいんだ」
「え、でも…」
正直、今はそれどころじゃない。サックスの練習をしないと…!
そう思ったのだが、朝倉に頭を下げられてしまった。
「黒瀬はマリンバとティンパニも兼任してるだろ?その上シンバルってなると、かなり忙しいから。シンバルは今のままがいいと思うんだ。頼むよ…!」
「わかった…」
それ以前に俺、マリンバに戻れるのか?
そう口にするのが怖くて、わかったと返事をした。
夕食後、音楽室へ行くと自主練習にはほぼ全員が集まっていた。
パーカッションパートは集まって、ズレる一小節を繰り返し練習する。
「シンバルが少し走ってる。半拍待つくらいの気持ちで…」
音を聞きながらアドバイスしたが、なかなか上手くいかない。繰り返すうち、シンバル担当の後輩女子は泣き出してしまった。
そういえば前からここ、上手くいってなかったんだ。ひょっとしてもう、彼女は限界なのかも…。
無理に彼女に練習させるより、俺が代わった方がいい。その方が、早くサックスの練習に戻れる。
「じゃあ、黒瀬にシンバルもやってもらう…?」
「え…?」
「曲的に、無理ではないよね」
パーカッションで楽器の掛け持ちは普通に行われる。俺もマリンバがメインだけど、ティンパニも叩く。だからあくまで提案したつもりだった。しかし全員の非難めいた視線が俺に集まり、まずい事を言ったと気がつく。
そしてシンバル担当はわっと声を出して泣き出してしまった。
ーーやばい。よりによって朝倉の姿でやらかしてしまった…!
「シンバルがすごく嫌になっちゃったなら、ってことだよ。な…?朝倉部長…?」
「う、うん…」
「でも、もう少し頑張れる…タイミングが合えば、リズムは問題ないから。あ、そうだ。メトロノームで一定のテンポを覚えて、タイミングを掴むのは…?!」
朝倉は泣きじゃくる彼女に根気強く提案した。具体的な練習内容に納得したのか、彼女は頷いて、涙を拭く。
「部長、メトロノームお願いします!」
「あ、うん」
朝倉はメトロノームに合わせて、彼女と一緒に1、2、3、4…とカウントをとっている。
それを何回か繰り返してから、もう一度楽器で合わせてみた。
「今の、よかったんじゃないか?!な、どうだった?朝倉部長…?!」
「う、うん。合ってたと思う」
俺がそう言うと、部員たちからわっと拍手が上がった。シンバル担当の後輩もようやく笑顔になった。
よかった…。
本当はパートリーダーの俺がやるべき仕事だ。それを朝倉に全部やってもらってしまった。
朝倉は吹奏楽部に必要な人材だ。だから朝倉は部長なんだ。
それに比べて俺は……。自分のことばっかりで、自分が嫌になる。
自主練のあとは風呂の時間になっている。初めは女子で、その後が男子。まだ少し時間があるから、部員たちが音楽室を出て行ったあと、俺は1人でサックスを練習することにした。
「黒瀬、戻らないのか…?」
「うん。もう少し練習する。先戻ってて」
朝倉が声をかけてきたが、話す気になれず、視線を合わせなかった。足音がしたので朝倉は帰ったと思い、薄暗い音楽室で練習を始める。
注意されたソロパートを何回も演奏するが、やはり朝倉のようにはいかない。
「はぁ……」
大きめのため息をつくと、ぽん…と、マリンバの音がした。
「え…?」
音のする方へ振り向いたら、合宿所に戻ったはずの朝倉がマリンバの前に立っていた。
「自由曲の『マードックからの最後の手紙』はさ、マリンバもいた方が練習になるかなって。邪魔だった…?」
「あ、いや…」
「じゃ、少し合わせてみようぜ!」
自由曲で演奏する『マードックからの最後の手紙』という曲は、沈没したタイタニック号の悲劇を描いた曲。中間ではアルトサックスメインのメロディに、マリンバが寄り添うように重なる。
俺がサックスを吹くと、朝倉はゆっくりマリンバを叩く。速度を落としてもらうと分かりやすく、俺は音を合わせることが出来た。
このまま、テンポを上げればいいのか…?朝倉はそう、教えてくれたようだ。
朝倉は優しい。さっきのことと言い、俺にはできない。姿形は朝倉だけど、俺じゃ朝倉になれない。
マウスピースを外すと想いが溢れた。
「ごめん……。俺がお前を呼び出したりしたからこんなことになって…」
「黒瀬のせいじゃないだろ」
「俺のせいだよ。俺は居なくてもなんとかなるけど、朝倉は吹奏楽部の部長として、絶対に必要なのに…!」
「黒瀬だって絶対必要だよ!」
「俺は朝倉みたいにみんなをフォローしたりできない」
「俺だって、上手く出来ない。黒瀬が説明下手っていってたろ?だからさっきのも先輩や先生の真似してるだけだよ」
「でもそれって朝倉が周りを見て、吸収して、努力してきたってことだろ?俺は、自分のことしか考えてなかった。今だって」
「黒瀬……」
感極まって泣きそうになって、後ろを向いた。流石にこのまま泣くのはカッコ悪い。
じっと耐えていると、朝倉は俺のすぐ後ろまでやって来た。
「部長の『俺』は、ちゃんとここにいる。黒瀬と一緒に」
「だけど…」
「それにさ、黒瀬はさっきサックスを合わせられただろ?あれは俺の体がサックスを吹いて、黒瀬の体がマリンバを叩いてるからだよ」
「……」
「黒瀬の一生懸命練習して努力してきた体だから俺はマリンバを演奏できた。黒瀬もそう思わないか?だから、俺の体を信じろよ…!」
朝倉は何をやっても器用にこなしそうだけど、『俺の体のおかげ』だと言ってくれた。俺の練習を評価してくれたその言葉が、プレッシャーでささくれ立っていた心の棘を解いていく。
「朝倉…。ごめん…」
「なんで謝るんだよ…?俺たち同じ目標の、吹奏楽部の部員だろ。だから、さっきみたいに助け合おう。吹奏楽って、1人じゃ出来ない。3年間一緒にやってきた、吹奏楽のみんなも信じよう…!」
ーーそれ、俺に一番足りなかったものかも。
去年メンバーに入れず悔しくて、メンバー入りすること、少しでも長く演奏すること…。そればかりだった。
「だから泣くなよ…」
「泣いてねーよ。朝倉の体で感情表現って難しいんだ。表情筋を鍛えてるけど道半ば…!」
くるっと振り返ると、朝倉は少し元気になった俺を見て安堵していた。
自分の顔のはずなのに、この体が朝倉のものだからか、その朝倉にドキッとした。
向かい合って視線が重なると、何かの引力が働いて俺たちは一歩ずつ近づく。
「黒瀬、あのさ。もう一回、キスしてみない?」
「え…?」
今、雨は降っていない。もちろん雷の音もしない…。それなのに、もう一度…?
「ひょっとして、戻れるかもしれない…」
朝倉はそう言って、俺の手をぎゅっと握った。握られた手からは、朝倉の焦燥感みたいなものが伝わってくる。
それが『早く元に戻らないと』っていうことなのか、期間限定で理由をつけてキスができるうちにしておこうっていう邪な考えなのか、それとも別のことなのか、本当のことは分からなかった。
でもその手は切ないくらい暖かい。
入れ替わってすぐの頃、男が恋愛対象じゃない俺は、朝倉の気持ちを知って困惑していた。自分の体を人質に取られている状態で、怖いとさえ思っていた。
けど入れ替わって時間が経ち、お互いを知りすぎたのか、今は怖くない。それどころか今、朝倉に触れたいと思っている。
「じゃ、してみる…?」
「してみよう…。か…」
2人で囁き合って、どちらからともなく、キスした。

