ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 市営地下鉄北仙台駅から十五分歩いた先に「秋津会(あきつかい)仙台病院」がある。

 病床数約四百の総合病院で昼間は外来患者の往来が絶えない。現在、午後三時。

 一階の総合受付の先、奥の健診施設のさらに向こう。薄暗い渡り廊下を抜けると別館がある。
 本館とは打って変わって患者の姿はなく長期休暇中の学校のように静かだ。

 高野原家の双子の姉の方、茉莉花(まりか)はこの別館の診察室にいた。

 白いフレンチスリーブのブラウスに涼しげなブルーのシフォン生地の膝下丈のフレアスカート。長い髪を同じ色味の大きなリボンがついたヘアクリップで纏めている。

 足首の華奢さに目が行くアンクルストラップのサンダルから覗く爪には控えめな水色のペディキュア。今は夏休みなので手の爪も同じ色にしていた。

 病院によくある丸椅子に座っている彼女は血色も良くこれと言った体調不良もないように見えた。

 彼女の名前「茉莉花」は「マツリカ」とも読みそれは「ジャスミン」の和名でもある。
 名前が示す通り彼女は優美で愛らしい無邪気に咲く花を思わせる少女だ。佇んでいるだけでその場が華やぐ。

「お盆明け早々こっちに出張とか大変ですね」

 向かい側に座る白衣を着た女性に向かって茉莉花は言った。

「この仕事は半分が出張みたいなものだから。それにしても東京よりはマシだけどこっちも暑いわね」

 白衣の女性はそう言って彼女に微笑んだ。

 グレーヘアーを後ろで纏めて長い前髪をサイドに垂らしている。丁番(ちょうばん)にビジューをあしらったメタル素材のスクエア型の眼鏡を掛けていた。眼鏡には同じような質感のチェーンがついておりそれ自体がアクセサリーのように見える。

 目鼻立ちがハッキリとした美人だが――その年齢はわからない。

 遠目では四十代に見えるが間近だと五十代に見える。表情によってはやっぱり四十代に見える瞬間があるが時折六十代でないと出ないような貫禄が顔からも滲む。

 彼女とは小学生の頃からの付き合いなのだが、気になっていても何となく実年齢を聞けずにいた。

 兄の真斗(まなと)も彼女と面識があるが彼が中学生の頃から「髪色以外はほとんど変わってない」と言っていた。

 その話を聞いてから何となく聞けずにいた。真斗も何となく聞けないままで、実年齢は知らぬままだった。

「そのうちこっちも四十度とか行っちゃいますよ。昔はエアコンなし、扇風機だけで過ごせたって学校の先生が言ってたけど信じられない」

 暑いなどと言いながら茉莉花は持ち歩いていた薄手のカーディガンを鞄から取り出して肩に羽織る。

 真夏日寸前の屋外とエアコンがきいた室内の温度差が大きく体が冷えてきた。自分の腕を抱いて摩っていると女医らしき女性が彼女を見て言った。

「エアコンの温度上げようか」

 長袖の白衣を着ている自分に合わせてるから低いのよね、と女医は立ち上がろうとしたが茉莉花は「あ、平気です」と引き止めた。

「女の子は体冷やしちゃダメよ」

 軽く眉を上げて微笑むと彼女は椅子から立ち上がりエアコンの操作パネルがある方へ向かった。

 はだけた白衣から見事な「砂時計型」のスタイルが露わになる。

 身体にフィットし、胸元が大胆に開いたグレーのタイトワンピースを身に纏っていた。

 ダイアモンドネックの襟ぐりから溢れそうなくらいに豊満な胸はもはや畏怖(いふ)の念を抱くくらいだ。谷間の少し上に留まっているネックレスの赤い天然石をがまるで「もう一つの目」のように鈍く光っている。

 スカートから伸びた脚は腿から膝、膝から足首、それぞれのパーツが長く全体的に張りがある。夏場にも関わらずバックシームが入った黒のストッキングを履き、足元は同じく黒のハイヒール。

 立ち上がった姿から見ると、その身長は一七〇センチを軽く超えている。

 首から下げた病院の身分証に記されている名前は「蛇台原麗虎(じゃだいはられいこ)」。「麗虎」と書いて「レイコ」と読む。

 威厳すら感じさせる堂々とした佇まいはその名の通り「麗しい虎」。

 茉莉花と彼女が並ぶとその姿はまるで物語の中の「無邪気なお姫様」と「百戦錬磨(ひゃくせんれんま)の魔女」のようだ。

 診察室は奥の壁に大きな窓があり明るく開放感がある。窓の外の夏の陽射しを受けた木々の緑が鮮やかな彩りを加えていた。
 二人はしばらくこの「診察室」で「世間話」をしていた。

 七夕祭りの前夜祭の花火に従姉妹(いとこ)や友人たちと行ったけど酷い混雑で立ち止まって見れなかった事、夏休み中はいちいち昼ごはんを作るのが面倒くさいので兄弟たちの勝手にさせている事。

 茉莉花は近況報告を兼ねて「平凡な日々の出来事」を麗虎に話す。

 彼女は顔に感情が素直に出る。人形のように整った美しい顔をしているがその事には気にも留めず大きく口を開いて笑ったり、眉を顰(しか)め口を尖らせて不満を言ったりころころと表情を変える。

 人見知りが激しい方だが家族や心を許した人には良くも悪くも裏表のない明るい振る舞いを見せる。

 話題が昨日の「墓参りからの親戚の奇襲」に移った。

「昨日も一昨日もその前も、もうみんな「いいお嫁さんになる」って、そればっかり」
 昨日散々言われたその事をげんなりとした表情で茉莉花は麗虎に伝える。

「茉莉花ちゃんが作ったその大葉の佃煮食べてみたいなぁ……美味しそう」

 麗虎が笑ってそう返すと彼女は苦笑いを浮かべて首を振る。

「先生に出せる程の物じゃないですよぉ。お料理はするけど胸を張って得意って言えるほどじゃないし。手の込んだ物より材料入れてレンジでチンしただけの物の方が美味しいって言われるから正直自信ないんですよね」
「――「お嫁さん」と言えばそろそろ「お見合い」の件、詰めて行かないといけないんだけど」

 そう言って麗虎が話題を変えると茉莉花は少し身構えた。

「茉莉花ちゃんの「好きなタイプ」を教えて欲しいの」
「好きなタイプって……」

 茉莉花は困惑し眉根を寄せる。
 麗虎はさらに続けた。

「これからさらに厳選して絞っていくから参考にしたいのよ。あなたの意思を尊重しないとね――どんな人が良い?」

 そう言われた茉莉花はあまり気乗りしない様子で暫(しば)し黙考(もっこう)し、指を折りながら呟く。

「私より十センチ以上背が高い。年上過ぎるのは嫌。ガツガツしてる人も嫌。家事はするけど女がやるのが当たり前と思ってるような人も嫌。亭主関白なんてもってのほか。ここより都会の人が良い。都会のお金持ちが良い。私の趣味嗜好にとやかく言わない。寝室は絶対別にして欲しい――」

 ぼんやりと思いついたことを一通り口にした後、何か閃いたのか顔を上げてこう続けた。

「それから「強い」――ここ、先生たちにとっても重要ですよね?」

 茉莉花は瞳に強い光を宿らせニヤリと笑う。
 彼女の挑発めいた視線を真正面で受けた麗虎だったが、そこはさらりと受け流す。

 よく出来ました、お利口さん――と口角を上げて微笑む。

「でもそれって好きなタイプって言うか「条件」ね…そうじゃなくて見た目とか雰囲気とか」
「そう言うのは全部お任せしますよ。先生面食いそうだから良い見立てしてくれると思うんで」
「そうねぇ、私にとって上玉でもあなたの好みと違うかもしれないでしょ?あと見た目だけじゃなくて中身を含めた具体的な「好きなタイプ」教えてちょうだい」
「見た目と中身……」

 茉莉花は呟いたきり押し黙ってしまった。

 その質問自体が何かモヤモヤとした霞のようなもので頭の中がそれに覆い尽くされ、具体的なものが何も浮かんでこない。

「わからない、です」

 膝に置いた手に視線を落としたままそう答えた。
 麗虎は少し間をおいて言った。

「じゃあ好きなアイドルとか俳優とか」

 ああそれなら推してる人達がいるんですよと少し色めきだって答えたが、それを聞いた麗虎は拍子抜けした顔をした。

「ガールズグループや歌劇女優じゃなくて…「男性」。好みのタイプってきっとそれに近いから」

 男性、と茉莉花は最近サブスクで見た映画に出ていた俳優の名前を言った。

「あぁ彼ね、私も好きよ。でもアメリカ人よね…五十過ぎてるし……」
「えー!アクションもコメディもできる色男最高じゃないですか!」
「……漫画とかアニメのキャラクターでは?」

 それなら、とずっと単行本を買っている少年漫画の登場人物を一人あげた。

「その漫画読んだことないんだけど、どんな人?」
「一度懐いた相手のためならお使いついでに敵組織の下っ端の指三本持ってくるくらいの忠誠心があるけど幼少期のトラウマでメンヘラ気味の前科三の半グレ」
「……そ、その人とお付き合いしたいとおもってるの?」
「絶対嫌です。壁になって見ていたい感じです」

 全く参考にならない。麗虎は万策尽きたと頭を抱えた。