ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 入浴を済ませた茉莉花は、浴室から出て敷いてあるバスマットの上に立つ。

 横に取り付けてある棚から用意していたバスタオルを手に取り、広げて頭から被った。

 今日はすぐにドライヤーで乾かしたいので、下着を身に付けず裸で立ったままバスタオルで濡れた髪を念入りに拭う。

 湯上がりで濡れた彼女の体は、ほんのりと赤みを帯びていた。

 華奢な肩と腕、薄い胸。果頂部(かちょうぶ)に淡い紅色が滲んだ白桃のような小振りな乳房。

 白い肌とも相まって無垢な雰囲気を漂わす上半身だが細い腰から下は全く違う印象を与える造りをしている。

 華奢な上半身に対して、下半身は不釣り合いなくらい肉感的なのだ。

 厚く張った下腹部に豊満な尻、肉付きの良い太腿。

 彼女にとってそれは最大のコンプレックスだった。

 唯一の救いは脹脛(ふくらはぎ)から下は細いこと。

 ダイエットを試みても運動で絞ろうとしても、全くその部分は痩せない。

 尻に至っては骨格からそうなっているので、もうどうしようもない。

 太腿を隠すためにスカートは膝下丈のものしか履かないし、尻のラインが出るタイトスカートやパンツスタイルは地雷も地雷。大地雷だ。

 体育の授業で着るジャージは下半身の線を出さないようにワンサイズ上のものにしている。

 着ているパジャマも体のラインを拾わないゆとりのあるサイズだ。

 この体型は「安産型」だと言われるが十代の女子にとってそれは屈辱でしかない。

 尻が大きくて脚が太い方が「抱くには丁度良い」と言う男側からの下衆な評価を知った時、全身に虫唾が走った。

 自分の顔や体は「男が悦ぶように」造られている。

 認めたくはないが、実際にそうなのだろう。

 髪を拭いたバスタオルを肩にかけ、茉莉花は視線を落としあらためて自分の体を見る。

 胸の上、みぞおち、下腹部の三箇所。体の中心線に沿うように薄紅色の花弁(はなびら)のような痣がある。

 物語には書かれていない、天津の言い伝えと戦火を逃れて残った文書に記録されている「花鞘比売(はなさやひめ)」になる娘――「鞘の処女(おとめ)」の体にある三つの痣。

 初潮を迎えた時にあらわれたこの痣は「封印」だ。

 お伽話の眠り姫は王子様のキスで呪いが解け目を覚ました。

 自分は王子様とセックスをすることでこの封印が解かれる。

 ロマンティックもクソもない、よくあるポルノじみた設定――茉莉花は下腹部の痣を撫で溜め息を吐く。

 読書が好きな茉莉花は小学校高学年の頃にはジュブナイルや少女小説を「卒業」していて、一般文芸を読むようになっていた。

 所謂(いわゆる)「大人の恋愛描写」に早々から接していたので性的なものに対して「ませて」いた。

 十二歳で「あなたの使命は剣比古になる男とセックスすること」だと言われても取り乱すようなことはなかった。

 自分もいつかするものだとは思っていたし、すぐにではなく十八歳になってからなので正直あまり実感もなかったからだ。
 
 お見合い結婚のようなもの。お相手は「ハイスペ」かつ「スパダリ」の天津の強者男性らしい。

 まぁ満更でもないな――「耳年増」で「ませて」いた茉莉花はかなり早い段階で割り切っていた。

 バスタオルで体を拭いながら、茉莉花はふと思い出した。

 ――そうだお相手の条件に「最低月に二回は観劇をしたい」って言っておけば良かったなぁ……順調に行けば彩凰(あやお)さんその頃トップ就任するじゃん……しくじった……次の面接の時に追加してもらおっと!
 
 割り切ってはいるが、茉莉花はどこまでも図太い女である。我を通せるものは通せるだけ通すつもりだ。

 濡れたバスタオルを洗濯機に入れ、下着を履きパジャマに着替え洗面台に向かう。

 ドライヤーで髪を乾かしブラシで軽く整えてから茉莉花は風呂場から廊下に出た。

 家族全員がそれぞれの自室にいるので風呂場がある母屋の一階は明かりを落とし静まり返っている。

 茉莉花は暗い廊下を歩き二階の部屋へ向かった。

 階段がある玄関前に差し掛かった時、引き戸が開く音がした。

 ――ああ、また走って来たのか。

 その音で彼女はこれから目にする状況を察した。

 玄関に着くと土間に立って引き戸を閉める九郎の姿があった。

 ハーフパンツを履いて上半身は裸。足元は裸足。

 今夜もオオカミに姿を変えてアスファルトの道を走っていたのだろう。

 鍵を閉め、振り向いた九郎が階段の前に立つ茉莉花に気付いて顔を上げた。

 闇夜が入って来た――彼女はそう感じた。

 暗い影ではなくて晴れた日の夜空のような穏やかな闇。その中で黒い瞳が小さな星のように静かに瞬いている。

 外から聞こえる虫の声も相まって不思議と澄んだもののように思えた。

「おかえり」

 茉莉花はいつもと同じ明朗な声で九郎に言った。

「ただいま」

 一つ瞬きをし、九郎は穏やかな声で彼女に返した。

 彼の手や足は土埃で煤けていて、汗ばんだ頸(うなじ)に長めの襟足が張り付いる。

 汗水漬(あせみず)く褐色の肢体(したい)は刃物のような光沢を帯び、それが妙に艶めかしい。

 目のやり場に困る――まさかこいつに対してこんな感情を抱くようになるなんて。

 九郎は夏休み中、ほぼ毎日のように夜に走りに行っているのでハーフパンツ一丁の半裸の姿は何度となく見ていた。

 見慣れていたはずの九郎の体を、もう直視することができなかった。

 風呂上がりだからだろうか一気に頬に熱が帯び、上がった脈でふやけた体が波打つ。

 灯りが消えていて良かった――茉莉花は誤魔化しが効かないくらい顔が紅潮していた。闇に紛れどうにか気付かれなくて済む。

 九郎はいつもと変わらない「ぼんやり」とした表情で、土間に立ったまま茉莉花を見ていた。

 人の気も知らずに――恥じらいと苛立ちが混ざり合う濁った心情を隠すように茉莉花は唇を噛んだ。

 九郎から目を逸らし、低い声で彼に尋ねる。

「……あのさ」
「ん?」
「前々から思ってたんだけど、何で上脱いでんの?」
「えっ?」

 間の抜けた九郎の反応がもどかしく、茉莉花は眉を顰(しか)めた。

「変化する時、服は体に取り込まれるんでしょ?」
「うん」
「だったら……上も何か……その……Tシャツとか着ればいいのに」
「着てもいいけど、服が体と同化すると「いずい」んだよ」
「いずいんだ……」

「いずい」とは宮城県で使われている方言(スラング)である。

 靴の履き心地が悪い。歯の詰め物がしっくりこない。セーターの襟首がチクチクする。そんな状況の時に使う。

 フィットしない。違和感がある。むず痒い。

 主にそれらに対して使う表現だが、イコールで結ばれる意味合いかと言うとそれはそれで微妙に違う。

「いずい」は「いずい」としか言いようがないのだ。

 九郎は「いずい」から上に何も着たくない。

 そう言われても茉莉花は合点(がてん)がいかなかった。

「でも緊急時は上も着たまま変化してんじゃん」
「緊急時は最低限しか脱がない。我慢してる」
「……だったら夜も上に何か着た方がいい」
「夜は家で変化するし、楽な格好で走りたい」
「……下は履くんだ」
「何かあって元に戻った時に全裸だとキツい」
「ぜ、全裸……」

 ハーフパンツに覆われた引き締まった厚い腰回りに目が行き、茉莉花は息を呑んだ。

「公然猥褻(こうぜんわいせつ)罪――」

 呟いた直後、茉莉花はハッとして口を押さえた。

 罪名とは言え九郎に対し「猥褻」と明言してしまった。

 九郎を「猥褻」だと思っているとバレたかも――茉莉花は恥ずかしさのあまり卒倒しそうになったが彼は特に気に留めていないようで、その反応は薄かった。

「うん。警察に通報されたらマズい」

 ぼけっとした奴で助かったと茉莉花は胸を撫で下ろした。

「……だから、やっぱ上も一枚着た方いいって」
「何で?」

 今夜に限ってしつこく自分の着衣に対し口出しをして来るので、さすがに「おかしいな」と九郎は怪訝(けげん)そうに口を尖らせる。

「何でって……帰って来た時、汗がその辺にボタボタ落ちるし……それに……」
「それに?」

 いい加減察しろ「無自覚猥褻物」――と茉莉花は思ったが察したら察したでこちらの立つ瀬がない。

 頭に浮かぶ言葉はどれもこれも彼に直接伝えるわけにはいかないものばかり。

 少し不満そうにこちらを見ている九郎の視線に急かされ、思った中で一番雑そうな言葉を選んだ。

「――むさ苦しい」

 そう呟くと茉莉花は彼の反応を待たず、逃げるように二階の自分の部屋へ戻って行った。