ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

「あ、おかえり。ぴったり七時半だ」

 帰宅した真斗(まなと)が居間に入ると、きょうだいたちと談笑していた茉莉花(まりか)は立ち上がり彼を出迎えた。
 
「ヨモツが暴れ出す前に解決して良かったな」
「うん。獣撃隊さんのお陰様で」

 茉莉花は笑いながら大袈裟に頭を下げると、軽い足取りで台所へ向かう。

 真斗は普段と変わらず明るく振る舞う茉莉花を見て、安堵し軽く息を吐く。

 きょうだいたちは真斗が帰宅する少し前から先に夕餉(ゆうげ)をしたためていた。

 座卓に並んでいる今晩の献立はチキンカレーとレタスときゅうりのサラダ。厚揚げとキノコのバターソテー。汁物は和風だしの玉子スープだ。

「兄貴も飲む?」

 タンクトップにジャージの長ズボン。部屋着に着替えた彗斗(けいと)が飲みかけの缶ビールを掲げ上機嫌に笑っている。

 明日は休みなので晩酌解禁と言った様子だ。

「ああ、一本もらう」
 
 真斗は持っていた鞄を置き、障子を開け縁側のガラス戸の前に立つ。

 ここに大型のヨモツが張り付いていのか――彼は過去に遭遇して来た似た形態のヨモツを思い浮かべ、昼間の状況を想像する。

 真斗の背後から歩み寄ってくる茉莉花の姿がガラス戸に映り込む。

 右手に皿に盛った真斗の分のチキンカレー、左手に缶ビールを持っている。
 
「ヨモツが張り付いていたのはここか?」

 真斗はガラス戸に目を向けたまま、自分のすぐ後ろに立っている茉莉花に言った。

「うん。ここから剥がして祓除したんだ。凄かったんだから。カメラに録画されてた映像見たんだけど、何か縄?紐?そんな感じのを引っ掛けて剥がしたんだ」

 摘んだ草を変化させ縄鏢(じょうひょう)のように放ち、突き刺してヨモツを引き剥がす。

 後輩の松森の十八番(おはこ)だ。

 昔は力の調整を誤ってガラスを割っていたが、今日処置をしたこのガラス戸には傷一つ付いていない。

「録画したやつ見る?」
「後でな」

 大したもんだと後輩の仕事ぶりを胸の内で労い、真斗は居間へ戻った。

 金曜の夜の食卓にきょうだい五人が揃うのは珍しい。

 茉莉花は真斗と彗斗に今日の一大事について興奮気味に話していた。

 咲也と九郎は彼らが帰宅するまで茉莉花から何度もそのことを聞かされていた。

 咲也はげんなりとした様子でフォークでサラダをつつき、九郎はいつも通り黙々とカレーを頬張っていた。

 食後はそれぞれ席を立ち、居間にいるのは真斗と茉莉花だけになった。

 彗斗は見たいテレビ番組があるから先に入浴をすませると言い風呂場へ行き、咲也と九郎は台所で皿洗いなど後片付けをしている。

 二人で九時前のローカルニュースを見ていると、数頭のヨモツが出没した宮城野区の住宅地の映像が流れて来た。

「これもしかして兄さんたちが祓除した?」
「ああ」
「結構大掛かりだったんじゃない?ケガ人出なくて良かったね」
「そうだな」
「さすがにうちにテレビ局は来なかったな」
「来ない程度で済んだ」
「来ない程度で済んで良かった――あ、ドーナツどうする?食後のデザートにする?」
「明日の朝飯にする」
「で、そのドーナツなんだけど。咲也に立て替えてもらってて――」

 茉莉花はポケットから取り出したドーナツ店のレシートを名刺のように両手で持ち、仰々しく真斗に差し出した。

 真斗は片眉を上げたがこれは想定内。受け取ったレシートの金額を確認し、折りたたんでズボンのポケットに入れる。

「後で咲也に払っておく」
「ご馳走様でした」

 茉莉花は歯を見せて笑い、軽く頭を下げた。

「岡田さんと松森さん、良い人たちだったなぁ」
「二人とも人当たりが良いからな。断トツで市民受けが良い」
「だろうね。見た目も優しそうでゴツくないし」
「二人がうちに行ったと聞いて安心した。俺の身内に対して変な詮索しないだろうし」
「変な詮索しそうな人いるの?」
「いる」
「やっば。まさかその人に恨みとか買ってんじゃないでしょうね?」
「女子高生の妹がいるってことで揶揄(からか)われる。何を思ってんだか。十歳下とかただのガキだろ」

「ガキ」呼ばわりにカチンと来た茉莉花は不貞腐れて頬杖を付く。

「……そのガキにお昼のお弁当作ってもらってるくせに」

 ガキはガキだと真斗は仏頂面のまま、缶に残っていたビールを飲み干した。
 
「――自分で祓除出来ないこと、上手く誤魔化せたみたいだな」
「うん、虫も殺せぬ「箱入り娘」作戦大成功ってとこだね」

 頬杖を付いたまま茉莉花は真斗に視線を向け、ニヤリと笑う。

「班長も松森も、お前のこと礼儀正しくてしっかりしてたって言ってたな」
「えっ?褒められた?褒められた?」

 思いがけない褒め言葉を聞き、茉莉花は目を輝かせ真斗に向かい身を乗り出す。

「兄さんのメンツ潰さないように頑張ったんだからね。女優ですから。かえって評価上がった?みたいな?いやぁ、兄孝行の妹がいて良かった良かった」

 実際は記憶が飛ぶくらい緊張していた茉莉花だが、真斗の言葉を聞いて得意げに胸をそらす。

 調子づいてケラケラと笑う妹を冷めた目で見ながら真斗は呟いた。

「お前が人見知りの猫被りで助かった」
「はぁ?!」
「そう言う煩いところがバレなくて良かった」
「別にバレてもいいじゃん。礼儀正しくてしっかりしてて、その上明るいっていいことずくめじゃない?!」
「礼儀正しさが消し飛んでるだろ、今」
「身内とサシで話すのに礼儀もクソもないでしょ」
「女がクソとか言うな」
「何?男だったらいいってわけ?はいはい出た。出ましたよ、天津(あまつ)男の男尊女卑」
「何だそれは」

 真斗は眉間の皺を深くして言った。

「ネットでボロクソ言われてんだからね。天津の男は保守的で男尊女卑傾向が強いって」

 茉莉花は真斗を見据えて捲し立てる。

「九州男児と天津男は女性蔑視のクソ男だってフェミニストからぶっ叩かれてんの。時代錯誤な家父長制のゾンビだって。ったく、身内がこれだから反論しようがないわ」
「……ネットは本当にロクでもないな」

 好き勝手言いやがって、と真斗が渋い顔をして吐き捨てる。

 まだ何か言いたげにしている茉莉花に対し真斗は先手を取って話題を変えた。

「明日、昼前に出るからな」
「――あ、うん」

 振られた言葉を受けた茉莉花は急に大人しくなる。

「線香、まだあったよな?あと――」
「あ、あのさ」

 淡々と話を進める真斗を遮るように茉莉花は言った。

「……うちらだけで行ってもいいんだけど」
「車がないと行けないだろ」
「バスかタクシー使えば……」

 自信なさげに彼女は言い澱んで視線を落とす。

「兄さんは関係ないし。もう自分たちだけで――」

 膝に置いた手をぐっと握り締め、茉莉花は以前から考えていたことを真斗に告げるために顔を上げる。

「あの人と俺は関係ないが、お前たちの今の保護者は俺だ」

 先程とは逆に、今度は真斗が茉莉花の言葉を遮った。

 語気が若干強くなってしまったせいか、責められたと感じた茉莉花がまた下を向いてしまった。

「気にしなくていい。もう十年兄妹やってるんだ」

 真斗はなだめるように静かな口調でそう続ける。

 茉莉花は「うん」と頷いて顔を上げた。

「ごめんね」とも言いかけたが、それは飲み込んで打ち消した。

 言ってしまったら真斗はもっと複雑な気持ちになるだろう――彼女はそう思った。

 テレビに映る番組は九時の全国ニュースに変わっていた。

 黙ってニュースを見ている真斗に自室に戻ると告げ、茉莉花は席を立った。

 薄暗い廊下に出ると台所に通じるドアの前に咲也が立っていた。

「――やっぱ無理か」

 台所から茉莉花と真斗のやり取りを聞いていたようだった。

 茉莉花は視線を落とし小声で咲也に答える。

「急に言ってもね……兄さんもそのつもりで休み取ったんだし」
「だよな……」

 咲也はため息混じりに呟き、ドア開け台所へ戻って行った。

 明日は茉莉花と咲也、真斗の三人で盆に行った墓地とは違う場所へ墓参りに行く。

 毎年行くこの墓参りは茉莉花と咲也にとって、普段は互いに胸の内にしまっている「高野原家のきょうだい」の複雑な事情をまざまざと思い知らされるものだった。

 二階の自室に戻った茉莉花は閉めたドアに寄りかかり深く息を吐く。

 ――気にしているのは私と咲也だけなのかな。

 咲也も行けるなら二人だけで行った方がいいと言っていたが、結局つい先程茉莉花が切り出すまで二人とも真斗にそれを伝えることが出来なかった。

 前日の夜に言ったところでどうにもならない。日程を真斗に決められた時にそう伝えても彼は二人だけで行くことを許可しなかっただろう。

 真斗は茉莉花と咲也の兄であり保護者――現在は親代わりの存在でもある。学校の保護者面談にも彼が顔を出している。

 気にするな――茉莉花は真斗の言葉を信じ腹を括(くく)り顔を上げ、部屋の奥にあるベッドに向かった。