ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

【仙台市地下鉄・泉中央駅】

 咲也と九郎が乗った地下鉄の車両が終点の泉中央駅に到着した。

 二人はドアが開くと同時に改札へと続く階段を駆け上る。

 広い改札を抜け、バスプール側出口の左にあるエスカレーターに乗り二階に上がった。

 泉中央駅の二階は仙台駅よりも規模が小さいペデストリアンデッキ――大きな歩道橋になっている。

 北側と東側に病院と商業施設があり、南側の県道を跨いだ先には図書館とサッカースタジアムがある。

 東側の商業施設の手前にある、ルーブル美術館にあるものと似たピラミッド型のガラスのモニュメントの横で咲也と九郎は足を止めた。

「がっつりヨモツが関わってるから、これ付けときゃ家まで飛んだって大丈夫だろ」

 咲也はポケットから黒地に桃色のラインが入った腕章を取り出し、シャツの左袖に付けた。

 白い丸型のワッペンが付いており、中心に黒糸で「祓(はらい)」の一文字が刺繍されている。

 その文字を囲むように同じく黒糸で縫われているのは、蔦の葉と蔓(つる)。

 これは伊邪那岐(いざなぎ)が死んだ伊邪那美(いざなみ)に会うために黄泉国(よみのくに)を訪れた際に身につけていた黒御鬘(くろみかづら)――つ蔓草(つるくさ)で作られた冠(かんむり)だ。

 追っ手の黄泉醜女(よもつしこめ)に向け、黒御鬘を投げると蔓から葡萄(ぶどう)が実った。

 黄泉醜女たちがその葡萄を食べている隙に伊邪那岐は逃げたと言われている。

 そのエピソードから「桃」と同じく「蔓(かずら)の冠」は魔除けのモチーフとなっている。

 この腕章は一般の天津人がヨモツ祓除(ふつじょ)をする際に付けるものだ。

 ヨモツ・ヨモツメ祓除以外で特殊能力を使うことは法律で禁止されているが、これを付けていれば能力を使ってもヨモツ祓除のためで違反行為ではないと周囲に意思表示が出来る。

 獣撃隊(じゅうげきたい)での祓除講習を受け、ある程度の技術を有した天津人にはこの腕章が与えられる。

 咲也と九郎は天津人の「青年会」の下部組織――中高生が所属する「少年部」に入っており、そこを通して祓除講習を受けていた。

 九郎も同じ腕章を持っている。彼は天津人ではないが祓除能力があるので同じカテゴリーの者とされている。

「先行くわ。ドーナツ頼んだ」
「わかった」

 咲也は助走を付けてジャンプをし前方のデッキの手すりに上に飛び乗ると、そのまま左足を宙へ踏み出す。

 手すりの上で体を支えていた右足も手すりから離れ、咲也は吸い込まれるように下にある商業施設の駐車場へと落下した。

 停まっている車の車高と同じくらいの高さ、地面に衝突する寸前に彼の爪先から旋風(せんぷう)が湧き起こった。

 風の中に身を沈めた次の瞬間、咲也の体は弾かれたように前方斜め上に跳ね上がる。

 前触れなく吹き起こった突風と、宙を翔(か)ける少年。

 駐車場を歩いていた買い物客は一瞬立ち止まりその姿を目で追ったが、すぐに何事もなかったかのように停めている自分の車の方へと歩いて行く。

 突然のことに驚いたが、飛ぶ天津人はたまに目にする。まじまじと見るほどではない。

 駐車場の向こう、通行量の多い県道の手前で咲也の体はさらに勢いよく跳ね上がる。

 片側二車線の道路を跨ぎ向かい側にある雑居ビルの高さまで到達すると、その高度を保ったまま川面を跳ねる飛び石のように旋風を蹴り空中を突き進む。

 兄の真斗も彼と同じ「空中跳躍(ちょうやく)」能力を持っているが、背が高く体が重いので空中の移動の際は三歩進むごとに屋根や電柱などを足場にし一旦止まらないと高度を保つことが出来ない。

 咲也は小柄で体が軽いこともあり、足場で体勢を整えることなく飛ぶことが出来る。真斗よりも生み出す風の質も高い。

 駅から自宅までの距離――二キロくらいなら足場は不要。徒歩では二十分かかるが飛べば約五分ほどで到着可能だ。

 県道の先へ飛んで行った咲也を見送った後、九郎は北側の商業施設と病院の前を駆け抜けてその先に見える区役所の方へと向かう。

 咲也が飛んで行くように、九郎も「オオカミ」に変化すれば彼と同じくらいの速さで移動出来る。

 だが白昼堂々街中をオオカミが走るのは宙を飛ぶ天津人よりも悪目立ちするので、普通に走ることにした。それに荷物(ドーナツ)もある。

 信号もあり狭い歩道を通るので全速力は出せないが、それでも十分以内で到着出来る。

 ドーナツが入った紙の箱は、持ち手を握ったまま走ると千切れてしまう可能性があるので小脇に抱えることにした。

 区役所の前で右折した九郎は県道の交差点の横断歩道を渡り自宅がある東へ向かって走る。

 歩行者にぶつからないように注意を払いながら走っていると、左前方のマンションのエントランス横にある花壇のタイルに張り付いた黒いゲル状の物体が目に留まった。

 ヨモツメだ。放置しておくとヨモツへと変わるヨモツの「芽」にあたる物体。

 ――そんなに大きくない……他の天津人(だれか)が消してくれる……。

 九郎は急いでいることもありそのまま通り過ぎようと思ったが、小さいとは言えヨモツに変わる危険があるので放置しておく訳にはいかず立ち止まり花壇の前に向かった。

 タイルに付いたドロドロとした三十センチほどのヨモツメに右脚の爪先をあて、そこから雷線(らいせん)を放つ。

 放った雷線は黒い表層を覆い、その閃光に蝕まれるようにヨモツメは消えて行った。

 線香花火のように小さくなった雷線は強い光を放って消える。

 それを確認し安堵して息を吐く九郎の背後から、一人の女性が呼び掛けて来た。

「お兄ちゃん!天津の子?」

 マンションのエントランスから出て来た女性は五十代くらい。眼鏡をかけている。

「……あ、はい」

 九郎は祓除能力を持っているが天津人ではない。

 だがいちいち説明するのは面倒なので余程のことがない限り、天津人かと聞かれた場合は天津人だと言うことにしている。

「あなた、マンション(ここ)に住んでるの?」
「いえ、違います」
「そうよね!あたしここに住んでるんだけど、こんな大っきい男前(イケメン)一度見かけたら絶対忘れるわけないもの」
「はぁ……」

 九郎はよく中年以上の男女から容姿を褒められるが、真に受けることはない。

 身内に「美丈夫」と「美少年」がいる。

 この二人と比べたら特に秀でたところはなく、何処にでもいる「平凡」な容姿だと自認している。

 年を取るとおそらく当たり判定が甘くなり、背が高い若い男は皆「男前(イケメン)」見えるようになるのだろう。

 同年代の女子からはそう言われたことはない。

 そもそも何もしなくても女子の方から寄って来る咲也に対し、九郎は男子と連むことが多く女子との接点がほとんどない。

 それが正当な評価だろう。自分は何処にでもいるあまりパッとしない「平凡」な見た目だ。

 そう思い九郎はいつもと同じように受け流す。

「わざわざ通りすがりにヨモツメ消してくれたのぉ?ありがとう助かるわぁ~、偉いわねぇ~」
「たまたま見つけたので……」
「ああっ!ちょっと待って!」

 九郎は軽く会釈し立ち去ろうとしたが、女性は彼の前に回り込んで引き止める。

 無視をする訳にもいかず立ち止まった九郎に彼女は縋るように続けてこう言った。

「駐車場にもあるのよぉ!ヨモツメ!」
「駐車場」
「悪いけどそこのもお願いしていい?すぐ裏だから!」
「すぐ裏……」

 ――すぐって……どのくらいだ……?

 家で茉莉花がどんな状況でいるのか。送ったメッセージに既読は付いているが返信がないので詳細はわからない。

 獣撃隊が対処しているので大丈夫だとは思うし、飛んで行った咲也の方が先に家に到着する。

 しかしそれでも少しでも早く家に戻りたいと思っていた。茉莉花の顔を見るまで安心することはできない。

 親切心が仇となり、かなりの時間のロスを生みそうだ。

「ここにも天津の人いるらしいんだけど、どの部屋に住んでるのかもわからないし、知ってても言いづらいでしょぉ?」
「言いづらいですね……」

 踏んだり棒状のもので突くことで出来るヨモツメ祓除は天津人であれば誰にでも出来る。

 自転車に乗れない天津人がいても、ヨモツメ祓除が出来ない天津人はほぼいない。 

 ヨモツメは天津人の自治会が定期的に見回りをして祓除している。無償のボランティアのようなものだ。

 しかし、現在まともに機能しているのは古くからある住宅地だけ。

 マンションや戸建の敷地や住宅地の路上などは居住している天津人などが見つけ次第祓除して消しているが、それは強制ではない。

 良かれと思ってやったのにちょっとしたことでトラブルに進展し割りを食う場合もあるので、余程のことがない限り天津人は自宅の周り以外で祓除能力を使うことを避けている。

 昔のような「持ちつ持たれつ」の関係は他人からの干渉を嫌い、他人からの搾取を嫌う現代の生活スタイルでは構築することが難しい。

「車持ってなくて駐車場まで見てないのかも知れないし……消せるのは天津の人しか出来ないんだからマンション周りの見回りとかねぇ……やって欲しいんだけど無理強(じ)い出来ないしねぇ……もう昨日からそのまんまだから嫌な顔されそうだけど獣撃隊に通報しようかって思ってたのよぉ」

 現在、九郎がいるマンションの周辺――単身者や転勤族が多く商業施設も立ち並ぶような地域は獣撃隊の「地域課」に頼っている。

 地域課は各分署にあり、主に管轄地域のヨモツメ祓除やインフラ施設や公共施設周辺の見回りなどを担っている。

「あの、ヨモツメは駐車場のどこに……」

 九郎は聞く側に徹していたがこのままだと話が終わりそうにないと感じ、自分からヨモツメの場所を尋ねた。

「ああ!こっちこっち!」

 女性は顔を上げて胸の前で手を叩いた後、九郎に手招きをしてマンションの裏手の方に向かい歩き出す。

 どれくらいかかるだろうか――九郎は内心やきもきしつつ、ドーナツの箱を抱え直して彼女の後を追った。