ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

【地下鉄仙台駅・南北線ホーム】

 長いエスカレーターに乗りホームへ向かう途中、発車を知らせるアナウンスが聞こた。

「あークソ、タイミング悪いな……」

 咲也(さくや)はそう呟き舌打ちをする。

 咲也が九郎(くろう)とエスカレーターから降りると同時にホームドアが閉まり、先発の列車は走り出した。

 二人は発車した列車を見送りながらホームの右奥へ向かい、先頭車両が停車するホームドアの前に並んだ。

 次の列車が来るのは八分後。
 
 九郎はポケットから取り出したスマホを操作しアプリを開いた。

 このアプリは獣撃隊のもので、全国のヨモツの出没状況を確認出来るものだ。

 アイコンをタップし自宅周辺の情報を確認する。

「……これじゃないか?」

 少し身を屈め、九郎は咲也にスマホの画面を見せた。

「富谷台南か。でもサイズはデカくねぇな」

 富谷台南は高野原(たかのはら)家の敷地の隣側にある団地だ。

 九郎は夜に「ランニング」をしている時、この団地の緑地帯を通って県道に出ている。

 昨晩にこの団地の路肩で「ムカデ小型」の目撃情報有り。危険指数は一番低い。

「一晩経ってデカくなったんだ……茂みの中を移動してウチの庭に出た……」
「そーいや最近、後から形態変わるやつ多いって兄ちゃん言ってたな」
「昨日雨が降っていても、いつも通り走りに行ってたら……そのヨモツを見つけて消せたかも知れない……」
「別にお前のせいじゃねぇし。行ったところで必ず遭遇出来た訳じゃねぇだろ」

 咲也はうんざりした面持ちで九郎を軽く睨(にら)んだ。

 何かと自責に持って行くのは九郎の悪い癖だと思っている。正直鬱陶しい。

「デカいのだって出る時は出るんだ。たまたまあいつが一人でいる時だったってだけで――」

 面倒くさそうにそう言いうと、咲也は大きく息を吐く。

 鬱陶しいと思いつつも、強く突っぱねることは出来ない。

 九郎が人一倍「家族思い」で心根の優しい男だ。

 咲也はそれをわかっている。

「マリは何も出来ねぇけど図太いから、まぁ平気だろ。こう言う時は獣撃隊(プロ)に任せときゃいいんだ」

 咲也は眉を上げ軽い口調で九郎を宥(なだ)める。

「――そうだな」

 咲也の言葉を受けた九郎は小さく頷(うなず)きスマホをポケットに入れた。

 ――俺はいつも肝心な時に何も出来ない。

「九郎は「家族」で、この家の「守り神」だよ」 

 九郎は父の言葉を思い出す。

 ――父さんからずっと言われて来たのに。

 それに応えられない自分がもどかしく、目を伏せて奥歯を噛み締めた。

「俺は「神様」じゃないよ。「なりそこない」だし、強くないし」
「強くなればいいんだよ。がんばれば九郎は必ず強くなる」

 幼い頃、自信なさげに俯(うつむ)く九郎を鼓舞するように父はそう言って彼の背中を叩いて励ましてくれた。

 九郎と父には血の繋がりがない。この父は彼の養父にあたる。縁があって九郎は七歳の頃に高野原家の養子になった。

 養父は四人いる実子と同じように分け隔てなく養子の九郎を育てて来た。

 父も母もいなかった九郎にとって高野原の養父は唯一知る「親」と言える存在で、今も「本当の親」だと思っている。

 九郎が小学六年になり暫(しばら)く経った後、養父は神妙な面持ちで彼にこう言った。

「――「王子様」の元へ行くまで、茉莉花(まりか)を守ってくれ」

 この時、九郎はまだ「子犬」だった。

 大人しい性格で体も咲也と茉莉花より少し小さかった。

 九郎にとって茉莉花と咲也は「眩しい光」のような存在で、内気な彼は二人に手を引かれながら共に育って来た。

 養父にそう言われる前から、二人に助けられてばかりの自分に対して九郎は焦燥感を抱いていた。

 二人を、茉莉花を守るために強くなりたい、強くなる――九郎は「子犬」のような黒い瞳に決意を宿らせ養父に頷(うなず)いた。

 それから五年経ち、九郎は茉莉花を見下ろすほど身長が伸び、茉莉花を覆い隠せるほど体も大きくなった。

 自分が大きくなったのだが、彼は「茉莉花が小さくなってしまった」ように感じていた。

 彼女の弟である咲也も同じくらいの身長だが、彼に対してはそう思ったことはない。
 
 咲也は「男」だ。

 小柄だが体つきはしっかりしているし、持っている特殊能力も腕っぷしも強い。

 茉莉花は「女」だ。

 今朝、台所であらためてそう思った。

 自分の胸の下で、茉莉花の華奢な肩が微かに震えているように見えた。
 
 九郎を言い負かすほど気が強く陽の光のように明るく生命力に満ちた茉莉花だが、あの時の彼女からは扱いを誤れば簡単に壊れてしまいそうな儚さを感じた。

 守らなければならない「弱い女」の形になっていた。

 華奢な肩、柔らかそうな髪、雪のように白い肌。

 守らなければならない「弱い女」の体は、男が本能的に求めてやまない形をしている。

 鼻をくすぐる温かくて甘い匂いを思い出し、また心と体が騒ぐ。

 ――何でまた……こんな時に……

 先程立ち寄った書店でも今朝の茉莉花を思い出し、やましい感情に囚われていた。

 こんな風に気持ちを乱されたのは「今朝の茉莉花」にだけではない。

「昨日の茉莉花」に髪を触られた時も擽(くすぐ)るような扇情的な痺れが全身を走った。

 無防備な頭皮に、首筋に触れる女の指。

 彼は黙って耐えることしか出来なかった。

 茉莉花はどう思っているかは知らないが、九郎はもう子供の頃と同じ感覚ではいられなかった。

 彼は十七歳の高校二年生。
 
 女に対して何かと過敏になっている思春期――「オオカミ」で言うなら「発情期」の真(ま)っ只中(ただなか)だ。

 義理のきょうだいである茉莉花から「女」を感じてしまう自分が疎ましくてしょうがなかった。

 同じ義理の女きょうだいの彗斗(けいと)に対してはそう思うことはほとんどない。

 茉莉花より胸が大きく露出の高い服装を好んで着ているが、彗斗は九郎にベタベタ触って来ない。

 タバコを吸い胡座(あぐら)をかいて酒を飲む様は「女の姿をしたおっさん」で、怒らせると義兄の真斗(まなと)より遥かに怖い。

 女要素より男を萎えさせる方の姉要素が強いのだ。

 九郎は更に強く歯を食い縛り、体に走ったのぼせるような甘ったるい痺れに耐えていた。

 ――マリを守るんだ。
 
 何から彼女を「守る」のか養父は具体的なことは言っていなかった。

 ヨモツ、言い寄って来る余計な男――茉莉花にとって害をなす存在から守る。そう思っていた。

「子犬」から「オオカミ」へと成長するにつれ、九郎は気付いた。

 ――「俺」からマリを守らなければ……俺はマリにとって一番危険な存在だ。

 九郎は天津人(あまつびと)ではない。

 葦原中国の人草(日本国民)の危機に備え、特別な務めを果たす「お姫様」になる天津人の少女――茉莉花は同じ天津人の「王子様」と結ばれなければならない。

 茉莉花が天津人ではない男に処女を奪われた場合、彼女は男の腕の中で死ぬ。

 茉莉花を失うことは国の危機に対抗する切り札を失うことでもある。
 
 九郎は茉莉花の一番近くにいる「女」を犯す「男」であり、「花」を枯らす「毒」だ。

 茉莉花を守ってくれ――この言葉には天津人の男ではない自分に対する「牽制(けんせい)」の意味合いも含んでいたのだろう。

 だが、九郎を信じているからこそ出た言葉であることには違いない。

 ――大丈夫だ、父さん。俺は絶対にマリを守る。

 体に触りそうになって興奮しただけだ。

 体を触られて興奮しただけだ。
 
 最低で最悪だが、それ以上茉莉花に対して思うことはない。

 自分から彼女に触れたいとは全く思っていない――だから、大丈夫だ。

 必ず茉莉花を無事に「王子様」の元へ送り出す。

『――二番線に泉中央行き電車が到着します。危ないですからホーム柵から離れてお待ちください』

 ホームアナウンスが構内に響く。

 九郎は顔を上げ左方向に視線を向けた。

 トンネルのカーブを抜けホームへ地下鉄の車両が入って来る。

「降りたら速攻ダッシュな」

 咲也からそう言われ、九郎は静かに頷(うなず)いた。

「ドーナツ、忘れないでよ」

 自分を見据えてそう言った後に眉を上げて微笑んだ「きょうだい」の茉莉花の姿を思い出す。

 一刻も早く彼女が待つ家へ帰ることが、今の九郎に課せられた使命。頼まれたドーナツもちゃんと確保している。

 二番線ホームにアイボリーの車体にグリーンのラインが入った車両が到着する。

 北の終着駅「泉中央」行きの車両は少し固い表情をした咲也と九郎の前に止まり、ゆっくりとホームドアが開いた。