ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

【仙台市宮城野区・西×××二丁目付近(2)】

 上空から勢いをつけて降りてきた人影は真斗とほぼ同じ身なりをしていた。

 彼は空中跳躍で移動して来たが、調整する足場が周りにないので高度が下がっている。

 後方斜め上から現れたその男は中腰の姿勢で屈んだ真斗の背中を足場に見立て体重をかけて踏みつける。

 真斗を「踏切板」にした男の体は二階建て住宅の屋根の高さまで跳ね上がった。

 七十キロは軽く超えている体重に加え落下による負荷を背中に受けた真斗は中腰の姿勢を保てず、手を付いてその場に倒れ込む。

 男は加瀬とヨモツがいる空き地手前まで到達すると、両手に持ったミリタリーナイフの柄を強く握り刃(ブレード)に雷線を走らせる。

「省吾さん!避けろ!」

 落下の勢いを付けヨモツに向かい飛び込んで来た男はそう叫ぶと、その真っ黒な背を蹴り飛ばしそのまま地面に押し倒す。

「頼むわ千聖(ちさと)!」

 男諸共倒れ込んで来たヨモツを交わした加瀬は、傍に倒れている大型犬サイズのヨモツに突き刺さった警棒を握りとどめの雷線を撃ち込み祓除処置をする。
 
 倒れたヨモツを押さえつけるように跨(またが)った男は、逆手に持ったナイフを頸椎(けいつい)の辺りに突き刺した。

 刺さった箇所から閃光が弾け、固いヨモツの体表が割れて破片が飛び散る。

 ナイフを握る手に力を込め、彼は自分の身に走らせた雷線を一気にヨモツの体内に撃ち込んだ。

 固い体表に亀裂が走り、その間から光が血のように溢れ出る。

 ヨモツの体は割れて崩れ落ち、破片が地に落ちる間もなく消えて行った――祓除完了。
 
 ヨモツが消えた地面に膝を付いた男は、すぐに立ち上がり飛んで来た方向を振り返る。

「おい、ボン!省吾さん酷使すんじゃねぇよ。出し惜しみしねぇで角曲がった時点で高射(高威力射撃)かませや」

 彼が右手に持ったナイフを突き立てた先に、遅れて駆けつけた真斗の姿があった。

「前の現場で連続で撃ってるんでこれ以上はキツいです」

 酷使されてるのは俺の方だと喉元まで出かかったが、真斗は眉一つ動かさず突き放すような冷静な口調で男にそう返した。

 痩せた浅黒い頬の左側に傷がある、眼光が鋭い「ドーベルマン」のようなこの男の名前は神谷沢千聖(かみやさわちさと)。

 真斗と加瀬と同じ「機動祓除(ふつじょ)隊第三班」に所属している。階級は真斗と同じ獣撃士長。
 
 身長は加瀬より少し高く、真斗より少し低い。年齢は三十歳。

 彼は本部からの指令を受け二人の支援に駆けつけた。

 動きが早い「大型犬」サイズが三頭と通報を受けていたが実際にいたのは「中型犬」サイズを一頭含む計六頭。

 真斗と加瀬なら二人でギリギリ何とか出来そうだが周辺への被害を想定すると支援が欲しいと加瀬は本部に要請した。

 二人がいる現場から最短距離にいたのがバイクで巡回中の神谷沢だった。

 仙台駅前を抜け南方面に向かっていたところで彼に無線が入り五分で現場に到着した。

 先程からの二人のやり取りを見ての通り、真斗と神谷沢は互いに「薄っすら」いけ好かない奴だと思っている。

 片や天津の良家の御曹司、国立大卒の文武両道。

 片や母子家庭育ちの元ヤンキー、高卒の叩き上げ。

 歳の近い「男前」同士だが育って来た世界が全く違うので、互いに第一印象は相容(あいい)れない人間だと思っていた。

「お坊ちゃん」の真斗は可能な限り無視を決め込んでいたが、「ヤンキー」の神谷沢は何かと彼にキツい物言いで絡んで来る。

 真斗は昔からそう言った目上からのキツい「当たり」には慣れていた。

 学生の頃、部活の先輩の中に「環境にも才能にも恵まれた人間」に見える真斗に対して当たりが強い者がいた。

 彼は何を言われても黙って耐えていた――ように見えたが実際は静かに反撃をしていた。

 実力と謙虚さ、素行の良さで組織内での信頼を得ることで味方を増やし、こちらを「悪く扱う」方が「悪く見える」ように立ち回る。

 そうしているうちに、彼の脚を引っ張ることばかりにかまけていた相手は周りからの信用も成果も上げられず勝手に自滅して行く。

 真面目で実直な性格の真斗だが、こうした静かな狡猾さも持っている。

 今までそうやってかわして来た「小物」とは違い、神谷沢には真斗に対する嫉妬心や劣等感がない。

 キツい物言いは単純に「いけ好かない澄ました顔のお坊ちゃん」を揶揄(からか)っているだけで憎悪から来るような悪意はない。

 神谷沢は天津人の中ではごく普通の血筋だが腕っぷしの良さと、失敗を含めた経験を糧(かて)にして得た臨機応変な判断力を持つ心身ともにタフな男だ。

 ガラの悪さはまだ残っているが、周りからの信頼は厚い。

 真斗もそこは認めているし尊敬も出来るが、正直鬱陶しいものは鬱陶しい。

 だが今までとは違い、下手な返しをしたらこちらが「器の小さい御曹司(ボンボン)」になってしまう。

 嫌悪するまではいかないが「厄介な先輩」だ。

 加瀬(先輩)を軽く扱っていると見たら番犬のように睨みを効かせてくるのも面倒臭い。

 加瀬は神谷沢の「地元の先輩」で子供の頃から可愛がってもらっていたと言う。

 今はのらりくらりと枯れた中年仕草をしているが、加瀬は昔は相当の「やんちゃ」だったらしい。神谷沢が「やんちゃ」になったのも彼の影響のようだ。

「やだなぁ俺、これでも就職氷河期のエゲツない公務員試験の倍率突破したエリートよ」

 過去の話を振るたび加瀬は緩い口調で煙に巻くが、任務中に見せる険しい表情やヨモツに対する立ち振る舞いに昔のガラの悪さが見て取れる。

 ヨモツ六頭の祓除を終え、封鎖している範囲に残頭がないか再度巡回した後に三人は現場から引き上げるため停車していた車両に戻った。

 加瀬は助手席に座り無線で報告。真斗は運転席に座り携帯式の端末を操作している。

 二人ともヘルメットを脱ぎ、装備を下げた腰のベルトも外している。

 ダッシュボードの上にあるモニターには市内とその近郊のヨモツ出現地と各方面を巡回している隊員の位置情報が映し出されていた。

 同じ班に所属している岡田と松森の識別番号と「祓除処置中」のアイコンが二人の目に留まる。
 
 仙台市泉区、東北自動車道の東側、仙台バイパス近くにある住宅地、その裏にある低い丘陵地にぽつんとある一世帯の家。

 思い切り心当たりがあるなと、加瀬は隣に座る真斗に視線を送る。

「――班長が今行ってる泉区×××の現場って、もしかしてお前ん家(ち)?」

 強く吹き出るエアコンの風が乱した前髪を掻き上げながら、加瀬は真斗に尋ねた。

「――自宅(うち)ですね」

 返答する真斗に動じた様子はない。

「隊員の家に通報するレベルが出るとか、警官の家に空き巣が入るくらいレアなんだけど……ホントにあるんだぁ。買い時じゃない?宝くじ」
「サマージャンボはもう販売終了してます」
「この女性一名って「まりかちゃん」だろ?」
「そうですね」
「一人でお留守番中に災難だね。連絡してあげれば?お兄ちゃん」
「祓除中に連絡を入れたらかえって動揺させてしまうんで。それに対処しているのは班長と松森。心配することはないです。戻ったら連絡入れますよ」

 十歳下の妹が通報するような事態にも関わらず、真斗の口調は冷ややかなくらい淡々としていた。

 生真面目を通り越して薄情とも取れるような態度だが、本心はそうでないと加瀬はちゃんと察していた。

 真斗は平静さを取り繕っているが、かなり気を揉んでいる。

 本人は気付いていないようだが、眉間の皺が任務中より深くなっている。
 
 前方に停車しているバイクに跨(またが)り付属のモニターを見ていた神谷沢が真斗と加瀬の方を振り返った。

 彼はバイクから降りると足早に二人が乗っている車両に歩み寄り、真斗が座る運転席の窓を「開けろ」と叩く。

 真斗は億劫そうにドアに付いているウインドウスイッチを押し窓を開けた。
 
 神谷沢はルーフに膝を付いて運転席の真斗を覗き込む。

「お姫様のピンチじゃねぇか、お兄ちゃん。連絡くらいしてやれよ」

 彼は顎でモニターを指してニヤリと笑った。

 真斗は彼から目を逸らし軽く息を吐(つ)いた。
 
 ――駆けつけたのが神谷沢士長(こいつ)じゃなくて助かった。

 神谷沢が自宅(現場)に行った場合、仕事はきっちりやるであろうが問題はその後だ。

 彼は女に対して「軽い」――悪い意味で何もかも軽い。

 十代の小娘にのぼせるような男ではないが、真斗が頑なに素性を隠している下の妹となれば面白がってちょっかいを出すのが目に見えている。

 茉莉花が「人見知りの猫被り」を発動しつつ、上手い具合にそれを受け流せば問題はない。

 だがそのウザさに耐えかねて彼女がブチ切れた場合は、真斗が今まで偽装して来た「気が弱くてヨモツ祓除が苦手な箱入り娘」設定が破綻する。

 ――それに比べたら班長と松森は遥かにマシだ。

「妹も天津の人間です。足手纏いにならないよう、弱いなりに弁(わきま)えた行動を取るようにと普段から言ってます――今連絡しなくても大丈夫ですよ」
「相変わらず「兄貴関白」だな。今どきの女子高生に対してそれじゃ嫌われるぜ」
「――嫌われるくらいが丁度いいんです」

 真斗はそう返すと彼の視線を遮るように、手に取った濃紺のアポロキャップを目深に被った。

 嫌われるくらいが丁度いい――そう思っているが真斗は茉莉花を疎ましく思っている訳ではない。

 腹違いとは言え長年一緒に暮らして来た妹だ。彼女に対する情はある。

 当然心配もしている。かなり差し迫った状況だ。
 
 彼女がいる現場(自宅)の警戒レベルはレッドに近いイエロー。

 先程まで自分たちが対処していたものと比べれば危険度は下がるが、その差はたった一段階だ。