ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

【仙台市宮城野区・西×××二丁目付近(1)】

 近隣に丘陵地がない、比較的平坦で低層家屋や小規模事業所が並ぶ住宅地。

 この辺りは四十分前から警察が一帯を封鎖し、付近住民に屋内待機勧告が出されていた。

 左側にフェンスに囲まれた業者の倉庫。右側に月極の駐車場と二階建ての木造住宅。

 張り詰めた静けさが漂う中、大柄な男がその間の路地に立っている。

 濃紺の制服にマゼンタのラインが入った防護ベストとヘルメットを身に付け、右手に黒い三段伸縮式警棒を握っている。

 振り出してシャフトを伸ばすフリクションロックタイプで、その長さは約七十センチ。

 柄の先に一文字鍔(つば)とストラップが付いている。

 隆々(りゅうりゅう)とした佇まいの大柄な男――高野原真斗(たかのはらまなと)の視線の先にあるのは近隣住民が利用しているゴミ集積所。

 高さ一メートルほどで緑色のネットが張られた金属製の柵の上に、真っ黒な「大型犬」サイズの獣(けもの)がいる。

 犬のようだが頭部には耳がない。尾は猫のように細く長い。

 真っ黒な体の回りには小さな稲光が瞬く薄い霧が漂っている。

 黄泉(よみ)から湧き出た死の穢(けが)れ――ヨモツだ。

 真斗からヨモツがいるゴミ集積所までの距離は約五メートル。

 ヨモツを見据えながら彼は右手に持った警棒を頭上に掲げ、前方に振り下ろした。

 その先端から細い蔦(つた)のような雷線がヨモツに向かい真っ直ぐに走り、その左脚を掠める。

 雷線は獣の表層で弾け、そのまま消えた。

 ――固い。

 そう思った瞬間、ヨモツは低く身を沈め集積所の柵を蹴り彼に向かって飛びかかって来た。

 こちらから追う姿勢を取ると逃げ出したヨモツは路上から逸れて周辺の家の敷地へ入り込む可能性がある。

 単独でヨモツと対峙した場合は敢えて威嚇し興奮させ、自ら囮(おとり)になりヨモツを引きつけてから叩く。

 斜め上から向って来るヨモツに対し、真斗は警棒を横に振り横一文字に雷線を走らせる。

 先程よりも強い光を放つこの雷線は目眩(めくらま)し。

 そのまま再び警棒を掲げ、力を込めて振り下ろしヨモツの頭部を殴打した。

 警棒が接触したヨモツの頭部から全身に焼き付くように雷線が走る。

 アスファルトの上に叩き付けられたヨモツの体から、厚さ一センチ程の真っ黒で固い破片が飛び散った。
 
 真斗はヨモツの頭を踏み付け、胴体の割れた体表に警棒の先を捻じ入れ柄を強く握り締める。

 黒翡翠(くろひすい)の瞳に青みを帯びた光が宿り、右腕に青白い閃光が走る。

 光は腕から握っている警棒をつたい、ヨモツの体内に入った。

 刃のような鋭い光を撃ち込まれたヨモツは激しく体を痙攣させる。

 それを押さえ付けるように真斗はさらに力を込め、より深くヨモツの体内に警棒の先端を刺し入れた。

 再び右腕から閃電(せんでん)を放つ。

 とどめの一撃を受けたヨモツの体は「光」に蝕まれるように消えて行った。

 周囲に散った破片を含めヨモツが消滅したことを確認すると、真斗はすぐに顔を上げインカムで別の場所で祓除処置をしている加瀬省吾獣撃副司令(かせしょうごじゅうげきふくしれい)に報告をした。

「一体祓除完了。すぐに向かいます」
『――なるはやで頼むわ。四十過ぎると多頭同時はキツいのよ』

 いつもと同じ軽い口調だが、イヤホンを通じて聞こえる荒い息づかいが差し迫った状況を物語っている。

「一分以内に合流します」

 真斗は踵(きびす)を返し、ゴミ集積所の逆方向へと走り出した。

 先程のヨモツと対峙する直前に加瀬からの通信を受けていた。

 北側にある空き地にヨモツを二体誘導し祓除処置を開始。

「大型犬」サイズだが、うち一体が誘導中に百五十センチクラスの「熊型」に変形した。

 ヨモツの中には時間が経つと形態が変化する物もある。

 加瀬は昔から「接近戦(タイマン)」を得意としているが、一人で大型犬と熊を同時に相手にするのはさすがにキツい。

 真斗は彼から応援を頼まれたが、その時目の前にヨモツが現れたのでそれを祓除してから合流することになっていた。

 最初に通信を受けてから五分以上経過している。

 加瀬がいる空き地までの距離は四百メートル程。

 平坦な道でその距離なら、浮上まで手間がかかる空中跳躍で移動するよりも普通に走った方が早い。

 走りながら真斗は右手に持った警棒を握り直した。

 右腕を覆う制服の半袖の側面に、警察の物と似たワッペンが付いている。

 上部に県章と県名が入っており、中心には全都道府県獣撃隊共通のエンブレムが施されている。

 このエンブレムは警察や消防と同じ旭日章(きょくじつしょう)。その中央にあるのは簡略化された「剣」。

 この「剣」は日本神話に登場する長剣――「十握剣(とつかのつるぎ)」だ。

 特定の剣の名称ではなく「拳十個分の長さの剣」を示すもの。

 伊邪那岐(いざなぎ)が所持していた神剣「天之尾羽張(あめのおはばり)」も十握剣に分類されている。
 
 妻の伊邪那美(いざなみ)が出産の際に大火傷を負い、命を落とす原因となった「火の神」迦具土(かつぐち)の首を刎(は)ねた剣が、この天之尾羽張。

 迦具土を斬った後、その剣の元から滴った血から生まれたのが武神・建御雷(たけみかずち)だ。

「剣」であり「神」でもある天之尾羽張は建御雷の父神。

 建御雷は武神・雷神に分類される神だが、父と同じ「剣の神」でもある。

 伊邪那岐が黄泉国から脱出する際に、追っ手の黄泉軍(よもついくさ)を払った剣もこの天之尾羽張だと言われている。

 建御雷が所有し後に神武天皇の手に渡った「布都御魂(ふつのみたま)」や、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)退治の時に須佐之男(すさのお)が使った「天羽々斬(あめのはばきり)」も十握剣だ。

 様々な脅威を撃ち倒す「剣」はヨモツ祓除の任務に携わる獣撃隊のシンボルとなっている。

 天津人(あまつびと)もかつては神と同じように剣を振るいヨモツと戦ってきた。

 現在西暦二〇二X年――ヨモツ祓除の最前線に立つ獣撃隊(彼ら)は剣に代わり「警棒」でヨモツを撃つ。

 二つ目の四叉路を右に曲がった先に加瀬がいる空き地がある。

 その角を抜けた真斗がまず目にしたのは、後ろ脚のみで立ち上がっているヨモツの背中だった。
 
 体長は百五十センチほど。後方に加瀬の姿が見える。

 彼は自分に向けて振り下ろされるヨモツの前脚を雷線を走らせた警棒で払っている。

 体表の破片が散っているが、まだ完全に割れてはいない。かなり固いようだ。

 その左側には大型犬サイズのヨモツが体を横にし倒れている。

 脇腹にサブの警棒が突き刺さり、かなりのダメージを受けているがまだ消える様子はない。
 
 ――後ろから叩き撃つ。

 真斗が走りながら警棒を構えると、後方から自分を呼ぶ声が聞こえた。

「おいボン!背中貸せ!」

 ぞんざいな口調。刺々しく荒い声。

「ボン」とは「高野原家の御曹司(ボンボン)」の略称だ。

 揶揄(からか)いの意味合いで彼をそう呼ぶ人間は一人だけ。

 その人間から「背中を貸せ」と言わたのは今回が初めてではない。

 真斗は苦り切った顔で立ち止まると、前を向いたまま中腰の姿勢を取り頭を低く下げる。

 ――クソ、またかよ。

 心の中で毒付きながら真斗は、これから背中に来る衝撃に備え膝を曲げ歯を食いしばった。