ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

【仙台市青葉区中央】

「悪霊はぶん殴って黙らすって訳にいかねぇからなぁ」
「一番怖いのは人間」

 映画を見終えた咲也と九郎は、そう言いながら入場待ちで混雑しているロビーを後にし、下りのエスカレーターに乗った。

 途中で一旦エスカレーターを降り、海外法人のファストファッション店に立ち寄る。

 しばらく流し見たが特に欲しいものはなく、持ち合わせもあまりないので二人は何も買わずにこの商業施設を後にした。

 二階の出入り口抜け、駅と直結している巨大な歩道橋――ペデストリアンデッキに出る。

 前方に城壁のようにそびえ立つ駅舎の左方向にある、商業施設が入った高層ビルを目指して咲也と九郎は歩き出した。
 
 そのビルの一階にある書店に向かっている。

 咲也と九郎は自宅から徒歩圏内の県立高校に通っている。

 仙台駅周辺にある女子校に通う茉莉花とは違い、彼らが仙台駅まで行くとなるとその都度交通費がかかる。

 市営地下鉄の運賃は全国的にも高い方だ。初乗りの運賃は二百十円。

 二人の場合は始発駅から乗車するので運賃は片道三百十円。往復で六百二十円。

 高校生にとってこの出費は痛い。

 そんな懐事情もあり、滅多に行かない「街」まで出る時にはせっかくなので地元にはない店に立ち寄りたい。咲也も九郎もそう思っていた。

 昼食を取ったファーストフード店も、映画館が入っているビルにあったファストファッション店も地元にはない。

 これから行く書店も東北最大の売り場を持ち、本の品揃えも豊富だ。

 他にも寄りたいところはあったが、現在気温は三十三度。暑さには勝てず、書店に寄ってからそのまま地下鉄に乗り帰宅することにした。

 ペデストリアンデッキから交差点に止まっている一台のバイクが見えた。

 両サイドに赤色灯が付いていて白バイのようだが一回り小さい。

 白い車体に黒とマゼンタのラインが施され、乗車している人間が着ている服も白バイ隊員とは違う上下とも濃紺の隊服だ。
 
「桃バイ、久々に見たわ」
「機祓(きふつ)隊か」

 咲也と九郎がそう呟いていると、信号が変わりバイクは右折して南の長町(ながまち)方面へ走って行く。

 このバイクは獣撃隊の車両だ。

 ほぼピンク色と言っていいマゼンタ色のラインが入っているので、警察の「白バイ」と同じように「桃バイ」と呼ばれている。

 バイクに乗った隊員の所属は「機動祓除(きどうふつじょ)隊」だ。

 警察の機動警ら隊と似たような部隊で地域を巡回し、司令からヨモツ出現の一報を受ければそのまま現場へ向かう。

 既に現場にいる隊員から要請を受けて応援に駆けつけることもある。

 隊員は大体は二、三人で行動しているが、バイクに乗り単身で動く隊員もいる。

 兄の真斗もこの機動祓除隊に所属している。

 二人はペデストリアンデッキから直結している高層ビルの二階に入った。

 下りのエスカレーターに乗り一階にある大型書店のフロアに到着するとそこで一旦解散し、それぞれ目当てのジャンルの書棚に向かう。

 咲也はガジェット系の雑誌や漫画、九郎は歴史書や文庫本の書棚の前で立ち読みをしたり書籍を物色したりしていた。

 文庫本のコーナーを回っていた九郎は、恋愛小説が平積みされている書棚の前で立ち止まる。

 その中に見覚えがある表紙を見つけた。

 以前に茉莉花がこの本を読んでいた事があった。

 昨日のように居間で真斗の帰宅を待っていた茉莉花から「最近読んだ本」の話を振られた。

 話をしているうちに彼女の前に置かれた一冊の文庫本に目が留まった。

 花や宝石が描かれたキラキラした「女子」っぽい装丁(そうてい)の表紙。おそらく女性作家の著作だろう。

「それ面白い?」

 何となく聞いてみると茉莉花は素っ気なく九郎に返した。

「恋愛物だから、あんた向きじゃないと思う」

 そう言うのが好きなのかと尋ねたら、茉莉花は顔を顰めた。
 
「警察物のミステリーとかアウトローのアクション物とかも好きだし……女だからって別に恋愛物ばっか読んでる訳じゃないんだからね。たまたま読みたい気分だっただけ」

 不服そうにそう捲し立て、茉莉花は座卓の下に本を隠した。
 
 あの時見たものと同じ本が、目の前にある。

「あんた向きじゃない」と言われたことを思い出し、九郎は内容を確かめようとその本を手に取りページを捲った。

 さらっと流し読んでいたが、中盤に差し掛かったところでページを捲る九郎の指が止まった。

 ――しれっと際どいシーンがあるな……。

 恋愛小説をまともに読んだことがなかったので「少女漫画」的なキスをして終わるレベルの話かと思っていたが、官能小説一歩手前くらいの激しい性描写が書かれている。

 九郎が読んできた歴史小説や時代小説でも同じくらい扇情的な性描写を目にすることがあったが、茉莉花も「こんなこと」を知っているのかと思うと妙に心がざわついた。

 あくまで小説の内容だが茉莉花の「見てはいけない」心の内まで覗いてしまったような気分になり、九郎は文庫本を元の位置に戻し逃げるように書棚の前から立ち去った。

 茉莉花も自分と同じ年だ。男女の性愛がどんなものか当然知っているだろう。別に驚くようなことではない。

 セックスが挿入後もお行儀良く「裸で抱き合う」だけの行為ではないと言うことも知っているはずだ。

 単純に女体に興奮している男子よりも、女子の方が「耳年増」だからよりエグいことを知っていると聞いたこともある。

 九郎はふと、今朝台所で茉莉花にぶつかりそうになったことを思い出した。

 自分の胸の下で身を屈める茉莉花の姿。

 柔らかそうな長い髪。華奢な肩。シンクの縁を掴む白くて細い指。
 
 彼女が使っているヘアオイルの甘い匂いと、触れていないのにふんわりと感じた体温。
 
 記憶が体感を伴ってよみがえり、九郎はその場で足が止まり動けなくなった。

 何でこんな気まずい思いをしている時に――九郎は困惑し、眉を顰め右手で首を摩った。耳の辺りが熱くなっている。

 先程読んだ恋愛小説の際どい性描写と、触れてはいないが肌で感じた微かな茉莉花の体温と髪の匂い。

 重なり合うと色々と生々しく、艶めかしい。

 九郎はたまらず喉を鳴らした。

「何してんだ」

 突然背後から聞き覚えがある声がした。

 驚いて振り返ると茉莉花と同じ顔があって一瞬焦ったが、そこにいたのは双子の弟の咲也だ。

 同じに見えたのはほんの一瞬。見れば見るほど茉莉花とは違う。咲也だ。
 
 咲也が言う通りだ。何してんだ俺は――九郎は居た堪れない思いに駆られ咲也から目を逸らし、さらに強く首を摩った。

 咲也はそんな九郎の様子を特に気に留めてはいないようだった。

 九郎は物静かだが、ぼーっとしていたかと思ったら急にせかせかしたりする。

 どこか「犬」のようなところがある。いつものことだ。
 
「ぼーっと突っ立って。買うもんあったか?」
「……いや、今日は、いい」

 お互い目ぼしいものがなかったので、そのまま一階の出入り口から店を出ることにした。
 
 レジカウンターの前を歩いてると、二十代くらいのカップルとすれ違った。

 男性が持っていたドーナツショップのテイクアウト用の箱を見た九郎は、立ち止まって咲也に向かって呟く。

「――ドーナツ」

 家を出る前に茉莉花からドーナツが食べたいから帰りに買って来いと頼まれたことを思い出した。

 茉莉花が指定したドーナツショップは駅のターミナルビルの地下にある。

 彼らがいる大型書店があるビルは仙台駅の北側、駅ビルは南側。逆方向に移動しなければならない。

「あー、忘れてた。こっから行くのめんどくせぇな……」
「今思い出して良かった」

 九郎は「危なかった」と続けるかわりに息を吐く。
 手ぶらで帰宅したら絶対に面倒な事になっていた。
 
「俺、パイ食いてえ。ウインナー入ったやつ」
「俺も」
「姉ちゃんの分もパイ入れとくか。甘いのよりしょっぺぇの好きだし。グラタンのやつ」
「兄さんは丸くて甘いやつ」
「砂糖まみれでクリーム入ったアレな」
「マリはチョコとクリームのやつ」
「あの二人クリーム好きだもんなぁ。ホイップとカスタード両方チョイスしねぇと」

 九郎はきょうだいが好きなものを覚えている方だが、意外と咲也もその辺は割と正確に把握している。

 二人は書店を後にし、ドーナツショップがあるターミナルビルの地下へと向かった。