ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 居間の方へ寝返りを打った状態で茉莉花は目を覚ました。

 顔を半分ビーズクッションに埋め、開き切っていない目でぼんやりと縁側から居間にある座卓を見ている。

 ――ヤバ……ついうとうとしちゃった……

 洗濯物を畳んだ後に縁側で寝そべりながらスマホを見ているうちに、そのまま寝落ちてしまった様だった。

 起き上がろうと思ったが体が怠くて重い。

 何か悪い夢でも見たのか、眠ったにも関わらず全くすっきりとしない。

 暗闇の中から長い時間をかけて浮き上がって来たように目が覚めたので、夢の内容は全く覚えていない。

 覚えているのは真っ暗な闇。

 とにかく嫌な夢だったことは間違いない。

 夢の中で真斗に説教されていたような気がした。

 ――夢に出てまで説教すんのは勘弁して欲しいんだけど……。

 一体自分は夢の中で何をやらかしたのだろう。

 左腕を摩りながら再びクッションに頭を深く沈める。

 茉莉花は咲也ほど酷くはないが寝起きが悪い方だ。

 一度目が覚めても油断すると二度寝するタイプの寝起きの悪さ。

 そのことを自覚しているので毎日セットしているアラームは五分おきに限界まで鳴るようにしている。

 閉じかけた虚ろな目に写る居間の様子は日中にしては暗かった。

 この暗さは日が落ちる直前――いつも時計がわりに見ているローカルの情報番組で視聴者プレゼントコーナーが始まる時間あたりか。

 ――えっ?!六時前?!

 茉莉花は焦り、弾かれたように飛び起きた。

 かなり長い時間眠ってしまった。夕飯の支度をしないと。
 
 時間を確認しようとクッションの側に置かれたスマホに手を伸ばす。

 その時、何かが動いたような気配が左の目尻を掠めた。

 振り向いてガラス戸を見ると、室内の暗さの原因が茉莉花の目に飛び込んできた。

 外の光を遮断していたのはガラス戸に張り付いた真っ黒で巨大な多足類の虫――ムカデだ。

 茉莉花は座ったまま息を呑み、ガラス戸越しで目の前にいる異形の特徴を一つ一つ確かめる。

 頭の大きさはバレーボールほど。

 同じ太さを持つ長い胴部は腹に収まる腸のように胴節を曲げ、四枚あるガラス戸を塞ぐように張り付いている。

 真っ直ぐ伸ばしたら十メートルは軽くありそうだ。

 普通のムカデならガラスによじ登ったり張り付いたりすることは出来ないはずだが、このムカデは巨大な体にも関わらずピッタリと張り付いている。

 脚に当たる歩肢を見ると、先端が割れて中からナメクジと似た質感の黒い触手が出ている。

 それが吸盤の役割を果たしガラスに張り付き静止していた。

 体の周りに黒い霧が漂い、その中で微かに雷線が光っている。

 ――ヨモツだ。

 主に獣(けもの)の姿をしているが、蛇やムカデの姿をしているものもいる。

 ムカデ型のヨモツを目にするのは初めてではないが、これほど大きなものは獣型でも間近で見たことはない。

 茉莉花は虫は苦手ではない。

「昆虫」のムカデくらいなら顔色ひとつ変えずに追い払うくらいは出来る。

 だが目の前にいるのはムカデの姿をした巨大なヨモツだ。

「さすがに無理……デカいし「ヨモツ」だし……」

 茉莉花はゆっくりと腰を上げ、張り付いているヨモツを注視しながらガラス戸から離れ居間の奥へと後退(あとずさ)る。

 茉莉花は手に持っていたスマホの画面を見た。

 午後三時過ぎ――咲也と九郎は映画を見終えた頃だろう。以前のように早めに帰宅するよう事情を話し祓除してもらおうか。

 通話アイコンに触れる前に、もう一度ガラス戸に張り付いているヨモツに目を向ける。

 念のために咲也に画像も送ろうとカメラを起動した。

 ヨモツに焦点を合わせ拡大し二回シャッターを切る。

 撮影したヨモツの画像を見ると、細い雷線が体の外だけでなく薄い殻に覆われた腹の中にも見えた。

 ――体の中に雷線を宿してるパターンもあるのか。

 真っ黒な胴体の中で血管のように走る細い光。

 再びカメラを起動し拡大された画面を見ると、その光の筋はゆっくりと枝分かれし、広がっている。
 
 初めて見るその様子は素人目でも「マズい」気がした。

 二人の帰宅を待っている余裕はない。

 このヨモツは今まで見て来たものとは違う。

 ――通報しないと駄目なヤツか。

 ヨモツを見たら「刺激をせず」「その場を離れて」「1XXへ通報」

 何度となく見聞きして来たフレーズだが、まさか自分がそうしなければいけない状況になるとは思いもしなかった。

 ――獣撃隊の身内が獣撃隊に通報することになるとはね……警察官の家に空き巣が入って110番に通報するようなもんか……

 茉莉花はガラス戸に張り付いているヨモツから視線を落とし、ため息を吐く。

 左手でズレたカチューシャの位置を直し、そのまま額を押さえ顔を顰めた。

 ――面倒なことになるな。

 茉莉花は天津人だがヨモツやヨモツメを祓除(ふつじょ)する特殊能力を使えない。

 能力を「持っていない」のではない。「使えない」のだ。

 他の天津人のように能力を持って生まれてきたが、一度も使うことがないまま封じられている。

 能力を封じられている天津人は彼女一人だけだ。

 所謂(いわゆる)「国家機密」ほどではないがこの事を知るのは家族と従姉妹の牛越華(うしごえはな)など一部の親族、国の関係者のみで、それ以外の者に対しては口外禁止となっている。

 天津人にも国津人(くにつびと)にもこの事を知られてはいけない。

 天津人は中学生以上の者は全員ヨモツに対抗出来る能力が備わっている。

 その能力には個人差があり、ヨモツに変わる前の物体――ヨモツメを消す程度の能力しか持たない者も多くいる。

 ヨモツが出た時は能力を持たない国津人と同じように、天津人が自ら祓除せず獣撃隊に任せることは珍しいことではない。

 だが、「高野原家」は国の監視対象にもなっている非常に高い能力を持つ血筋の家だ。

「高野原」の人間なら大型でも静止しているヨモツくらいは、わざわざ獣撃隊に通報しなくても単独で祓除できるはず。

 実際、稀に自宅にヨモツが出ても茉莉花以外のきょうだいたちが祓除してきたので獣撃隊を呼ぶような事はなかった。

 通報すれば茉莉花は獣撃隊の人間と対面することになる、

 住所と名前から彼女が獣撃隊に所属している獣撃士であり、「高野原家」の家長でもある「高野原真斗」の家族であるとわかるだろう。
 
 駆けつけた獣撃士たちは「高野原真斗」の妹――茉莉花をどう見るか。
 
 ――絶対変だと思われる……

 過去に何度か自分が「天津人」で「高野原の娘」であるにも関わらず、何故ヨモツやヨモツメを祓除しないのかと同じ天津人から不審に思われたことがあった。

 茉莉花は即興で「臆病で鈍臭い」「力の加減やコントロールが下手クソ」「過保護に育てられたお嬢様」などと言った設定を作り、それを演じて切り抜けて来た。

 彼女の風貌が「お淑やかで、か弱そう」に見えることも幸いし、その後は特に疑われることはなかった。

 また、何も出来ない「箱入り娘」を演じるしかない。

 ガラス戸に張り付くヨモツを見据え、唇を噛んだ。

 自分の代わりに咲也たちがヨモツを祓除する姿を見ていた時。

 能力を持たないことを隠すために何も出来ない「箱入り娘」を演じている時。

 茉莉花はその度に、天津人であるにも関わらず自分だけヨモツメ一つ消せないことに疎外感を感じていた。

 自分のだけ何も出来ないことが悔しかった。

 守られるだけの女なんてダサい。

 でもその事に負い目を感じるばかりで卑屈になるのは、もっとダサい。

 ――だったら出来ないなりにベストを尽くすしかない。

 茉莉花は自分を奮い立たせるように顔を上げ背筋を伸ばし、意を決して通話のアイコンをタップする。

 ――下手に手を出したらヨモツが暴れて家まで壊しそうだから、そこはプロに任せるってことで通報しました……よし、これで行く。

 さて、今回はどう演じるか。

「女優」の腕の見せ所だ。

 ――「臆病で鈍臭い」要素は抜き、獣撃隊の人たちの「足手纏い」にならず「守りやすい」ように上手く立ち回る。

 演技のプランを固めながら三桁の数字――獣撃隊緊急通報番号を打ち、スマホを耳にあてた。

 ――模範的「箱入り娘」として、身内(兄さん)の顔も立てとかないとね。