ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 ――どうして謝るの?

 九郎が何に対して謝っているのか、茉莉花にはわからなかった。

 何故そんな目で自分を見つめているのか、わからなかった。

 何もわからないのに、ただ胸だけが痛い。

 痛む胸から溢れるこの感情が「悲しみ」と言うことだけはわかる。

 ――どうして……

 大切な何かを失ってしまった様な気がした。

 失ったにもかかわらず、それが何なのかはわからない。

 茉莉花はただ痛む胸を押さえることしか出来なかった。

「九郎は駄目だ」

 背後から聞き覚えがある、低く鋭い声がした。

 真斗の声だ。
 
 今、一番顔を合わせたくない人間だ。

 どうしてこんな時に――茉莉花は奥歯を噛んで俯いた。

 頭から押さえつけるような圧を感じる。

 振り返らなくても彼がどんな目で自分を見下ろしているのか茉莉花にはわかる。
 
 氷のように冷え切った黒翡翠(くろひすい)の瞳。

 真斗に背を向けたまま、茉莉花は心の内を隠すようにその身を強張らせた。

 頑なに口をつぐんで無視を決め込む妹を見据えながら、真斗は更に揺さぶりをかける。

「異性に対する興味を、手近な男で解消しようとするな」

 そう言われた瞬間、茉莉花の頭に一気に血が上った。

 薄っすら感じていた「後ろめたさ」の正体を露骨に指摘された気がした。

 茉莉花は恥ずかしさのあまり顔を紅潮させ振り返り、声を荒げて否定する。

「違う!そんなんじゃない!」

 真斗から見ればそれは想定済みのあからさまな「逆ギレ」だった。

 思ったより効いているようで、茉莉花はかなり狼狽えた様子で真斗に向かって言い返す。

「九郎はきょうだいじゃん!何言ってんの?人を欲求不満のアバズレみたいに言わないで!」

 彼は血の繋がりはないが、きょうだいだ。

 真斗がよく思っていない距離の近さは、身内に対する気やすさからそうなっているだけだ。

 眠っていた九郎に近付こうとしたのは、普段気付かなかったことに対する好奇心だ。

 だが、そう断言できない「後ろめたさ」が茉莉花の中にある。

 実際よくわからないまま、恐らく「いけないこと」をしそうになった。

 彼女の中に生まれた、よくわからないが「よくない」感情を真斗は容赦なく暴いて来る。

 茉莉花は座ったまま九郎の方に向き直る。

 彼は真斗とのやりとりを全部聞いていた。

 このまま真斗が言う通り、キスも知らない処女のくせにアバズレだと思われたら恥ずかしくてたまったもんじゃない。

「違うから!兄さんが何か誤解していやらしいこと考えてるだけで、私別にあんたのことなんか何とも思ってない!」

 茉莉花は九郎に向かってそう捲し立て、真斗が言ったことを否定する。
 
 九郎は茉莉花を軽蔑したり拒絶したりする様子はなく、ただ悲しそうに、寂しそうに彼女を見つめていた。

 ――どうしてそんな顔するの?

 茉莉花の胸に再び悲しみが走る。

 彼女の肩が切なげに震えていることに気付いた真斗は、更に険しく眉を顰めた。
 
 思った以上に不味いことになっている。

 真斗は身を屈めると片手で茉莉花の左腕を掴み上げ、九郎の傍から引き離した。

 折れるかと思うほど強い力で掴まれ、そこから彼の憤りが焼けるように伝わって来る。

 真斗が茉莉花の動向を忌々しく思うのには理由があった。

 女の癖にはしたないとも思ってはいるが、それだけではない。

 彼女が禁忌(タブー)を犯す危険があるからだ。
 
 真斗は右膝を付いて腰を下ろし、茉莉花に視線を合わせ張り詰めた声で言い聞かせる。

「お前は「剣比古(つるぎひこ)」に相応しい天津(あまつ)の男と番(つが)うために生まれた女だ」

 掴んだ茉莉花の腕を自分の胸元に寄せ、一言一言わからせるように真斗は続ける。

「それ以外の男――ましてや「天津人(俺たち)とは違う」九郎が相手になったら家や国にとっても、お前と九郎にとっても最悪の結果になる。どんな事になるか、お前自身もわかっているはずだ」

 真斗は俯く茉莉花の腕を引き、目を覚ませと言わんばかりに強く体を揺すった。

「諦めろ」

 真斗は何度も茉莉花にそう言って来た。
 茉莉花も彼にそう言われることに慣れていた。

 茉莉花に女優になることを諦めさせたときの真斗は彼女を不憫に思い、慰撫する気遣いすら見せてたが今は違う。

 彼が発した言葉は今までにないくらいに鋭く、重い。

 諦めること以外は許さない「命令」だ。