ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 その週の日曜日、クラスメイトからケージを預かった茉莉花(まりか)は朝四時に起床して虫取り網と籠を持ち、庭に面している雑木林に入った。

 咲也(さくや)と九郎(くろう)にも協力してもらい「落ちている」弱そうな個体ではなく、ちゃんと木にとまっている強そうな個体を探して捕獲した。

 翌日の月曜、茉莉花は預かったケージが入った紙袋を持って登校した。

 教室に入り、ケージの持ち主が席に座っている姿を見ると駆け寄って紙袋を差し出して満面の笑顔で彼女は言った。

「大漁だったよ!」

 茉莉花は紙袋からケージを取り出し彼女の机に置く。
 
 ケージの中には大量のカブトムシがみっしりと詰まっていた。

 それを見たケージの持ち主の少女は驚いて椅子に座ったまま身を逸らし後退った。

 彼女の小さな悲鳴と椅子が床を擦る音を聞いて、遠巻きに二人の様子を見ていた数人のクラスメイトが茉莉花とケージの持ち主の周りに集まってきた。

「キリがいいからとりあえず十匹!強そうなやつを厳選して来た!」

 得意げに胸を逸らす茉莉花に歩み寄ってきたクラスメイトたちが戸惑った様子で彼女に尋ねる。

「……これ、高野原(たかのはら)さんが採って来たの?」
「うん!」
「ヤっバ……売るほどあるじゃん」
「そこの小学校の前で呼び込めば百円で売れるんじゃない?」
「売れる?!」
「茉莉花ちゃん、真に受けちゃ駄目だって。いくらお嬢様でも不審者すぎて捕まる」

 彼女たちは大量のカブトムシを持ってきた茉莉花を面白がり、次々と笑いながら彼女に話しかける。

 茉莉花はそれが嬉しくて、興奮した様子でクラスメイトたちに答えた。

「で、泉崎(いずみさき)さん。どうすんのこれ?全部持ってく?」

 クラスメイトの一人が泉崎――ケージの持ち主に苦笑いしながら尋ねる。

 泉崎は困惑した様子でカブトムシが入ったケージと茉莉花を交互に見ながら、少し申し訳なさそうに言った。

「あ、ありがとう……でも、オスとメスを一匹ずつでいいかな……そんなに面倒見れないし……」

 カブトムシは二匹だけ引き取ってもらい、残りの八匹は近所の小学生に売りつける訳にもいかないので校内の林に逃す事にした。

 素手でカブトムシを掴む茉莉花を泉崎はやや引いた様子で見ていたが、彼女の明るさや気さくさに惹かれて以前より気軽に接するようになった。

 この一件で、クラスメイトたちに茉莉花は見た目ほど「か弱いお嬢様」ではなく「どちらかと言うと活発で逞しい」と印象付けることができた。

 こうして脱「猫被り」は成功した。

 今となっては校内で、見た目は「姫」だが気さくで明るい「面白い女」として通っている。

 カブトムシを引き取った泉崎とは今でも仲が良く、昨日も彼女と一緒に映画を見に行った。
 
「せめて虫くらいは手掴みで追い払えるくらい平気じゃないとね」

 そう呟き、茉莉花は指を振ってとまっていたアゲハ蝶を空に放った。

 物干し台からタオルやシーツを取り込み、洗濯カゴに入れる。

 茉莉花は洗濯バサミを外しながら、先程まで見ていたミュージカルの劇中曲を口ずさむ。

 家の中で歌っていた時よりも高らかに、大きな声で。

 高野原家は住宅地の裏手に広がる小高い森の中にあり、隣接する民家はない。

 青々とした叢林(そうりん)に囲まれているので声を張って歌っても誰かに聞かれることはない。

 よく通る涼やかな風のような歌声。

 その声は、光を受けて七色に煌めく玻璃(はり)のような輝きも持っていた。

 茉莉花は歌いながらヒロインの振り付けを真似てステップを踏み、ワンピースの裾を翻しターンを決める。

 相手役の「貴族の身分を隠した謎の男」の代わりはタオルやシーツが入った「洗濯かご」だ。

 彼と両手を繋ぐ代わりに両手で洗濯カゴを持ち左右に振りながら歌い、軽やかに足を運ぶ。

 茉莉花は走ることや球技は苦手だが運動神経は悪い方ではなかった。

 マット運動や器械体操は得意で柔軟性や体幹の良さには自信がある。

 その特性もあってかバレエやダンスを習ってはいないが、見様見真似(みようみまね)で演者の振り付けをある程度コピーして踊ることが出来る。

 いつの間にか五匹に増えたアゲハ蝶が飛び交う庭で、彼女は上機嫌に栗色の長い髪を弾ませ歌い踊る。

 翠蓋(すいがい)の籠の中で誰の目にも留まることなく、蝶を従え一人輝く歌姫(エトワール)――家を囲う木々は彼女を守っているようにも、閉じ込めているようにも見える。

 一頻(ひとしき)り歌った後、茉莉花は洗濯カゴを小脇に抱え右脚を後ろに引いてお辞儀をする。

 足を戻し、顔を上げた彼女はスッキリとした面持ちで洗濯カゴを持ち直し母屋の中へ戻って行った。

 庭を飛ぶアゲハ蝶の羽の動きが、彼女への拍手のようにも見えた。

 茉莉花は歌うことも踊ることも得意だ。

 だがそれも公言していない。

 今はもう諦めたが、彼女の夢は「ミュージカル女優」になることだった。

 そのきっかけは、小学四年生の時に初めて地元で見た歌劇団の舞台だった。