ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 二人を送り出した後に茉莉花(まりか)は軽めの昼食をとり、居間でテレビを見ながら編み物をしていた。
 
 今日は一日家にいるので束ねていた髪を解き、黒いカチューシャを付けている。

 夏場は暑いので出かける時は結って纏めているが、髪を下ろしたスタイルの方が好きだ。

 カチューシャやリボンなど、お気に入りのアクセサリーを付けると気分が上がる。
 
 真斗(まなと)と彗斗(けいと)は出勤。咲也(さくや)と九郎(くろう)は出掛けたので、現在家にいるのは彼女一人。
 
 まだ八月で三十度を超える暑さが続いているが、空調が効いた室内で秋冬に向けて膝掛けを編んでいる。

 数種類のモチーフ編みを繋ぎ合わせて一枚に仕上げるもので、彼女はかぎ針を器用に動かして花のモチーフを次々と編みあげていた。

 料理と編み物が得意だが、あまり公言はしていない。

 いかにも「女」らしいからだ。

 今のご時世、「女」が「女らしい」ことをすることは「男への媚び」だと同性から嫌厭されている。

「女」だから「女らしく」している訳ではない。

 自分が向いていると思ったものが、たまたま「女らしい」ものだった。それだけのこと。

 別に男のためにやっている訳でもない。

 料理は日々こなす家事であり、編んで作ったハンドカバーやクッションカバーなどは自分で使っているものだ。
 
 それでも「美少女」である彼女が「料理と編み物」が得意だと言ったら、あざと過ぎて同性から反感を買う。

 勝手に鼻の下を伸ばす異性も面倒臭いが、勝手に敵視して来る同性も面倒臭い。

 なので特技を聞かれたら「虫を触(さわ)れる」と答えている。
 嘘ではない。

 異性には常に警戒心を持ち、同性には常に配慮を心がける――面倒だがそうした方が余計なトラブルを避けることが出来る。

 テレビから流れて来た音楽に合わせて、茉莉花は鼻歌を口ずさむ。

 画面に映っているのは、ハードディスクに録画いていた好きな歌劇団のミュージカル。

 何度も見ているお気に入りの演目でBGM代わりに流している。

 台詞も曲もほぼ覚えているので、かぎ針を動かしながら宴者に合わせて台詞を言ったり歌ったりしていた。

 このような「なりきり」は一人で留守番しているときだけの密かな楽しみでもある。

 モチーフを五枚編み上げたところで、茉莉花は縁側のガラス戸越しに庭に干してある洗濯物を見る。

 今日も日差しが強いのでもう乾いているはず。早めに取り込んでしまおう。

 そう思い持っていたかぎ針を手芸道具入れにしているクッキー缶に、毛糸と編み上げたモチーフは雑貨店のショッパーにしまった。

 茉莉花はテレビの電源を切って立ち上がり、居間から縁側に移動する。
 
 ガラス戸の前に置いていたプラスチック製の洗濯カゴを持ち、鍵を開けて庭へ出た。

 八月も下旬に入ったが気温は三十度を超える日が続いている。
 
 朝に洗濯物を干しに出た時は昨晩降った雨で少しぬかるんでいた地面は、今はすっかり乾いていた。

 トンボが数匹飛び交う中、茉莉花はタオルやシーツが干されている物干し台へと向かった。

 歩くたび下ろした長い髪とワンピースの裾が軽やかに揺れる。

 照りつける日差しが眩しく、茉莉花は目を細めて額の上に右手を翳(かざ)した。

 すると人差し指に風に流され飛んで来た一匹のアゲハ蝶がとまった。

 彼女は立ち止まり、目の高さまでゆっくりと手を下ろして指先の蝶を見つめる。

 この庭は花を植えていない――正確には山茶花(さざんか)や沈丁花(じんちょうげ)などの花をつける低木はあるが、サルビアやマリーゴールド、向日葵(ひまわり)や朝顔(あさがお)と言った一年草の花は植えていない。

 高野原家では代々「花を枯らす」ことを避けてきた。

 植えなければ、枯れることはない。

 時期が来たら枯れてしまう一年草は避け、散ってしまっても季節が巡れば再び花を咲かせる常緑種の低木だけを玄関先などに植えていた。

 そのせいなのか普段は庭先で蝶を見かけることは少ない。

 だが茉莉花がこうして洗濯物を干したり、取り込んだりしていると何処からともなく飛んで来ることがある。

 茉莉花は甘い香りを放つジャスミンと同じ名前を持ち、顔立ちも体つきも花のように美しい少女だ。

 文字通り「花がない」殺風景な庭先に立つ彼女の姿は、正に「万緑一紅(ばんりょくいっこう)」――緑深い森の中に現れた一輪の花。

 蝶はその香りを嗅ぎつけて飛んで来たかのように見える。

 指先にとまったアゲハ蝶を見つめる茉莉花の元へ、さらにもう一匹のアゲハ蝶が飛んで来た。

 茉莉花は虫を触るのは平気だ。
 過去にこんな事があった。

 中学一年の夏休み前にクラスメイトから「小二の弟が「カブトムシ」を飼いたがってる」と言う話を聞いた。

 女子校に入学して四カ月経ち気軽に話せる子は数人出来たが、茉莉花はまだ人見知りモードから抜け出せずクラスメイトに対して「猫被り」状態が続いていた。

 彼女たちはそんな茉莉花を良くも悪くも「箱入りのお嬢様」と言い過保護に接していた。

 それは一線引く「壁」のように思えて正直居心地が悪かった。

 何とか被ってる猫を脱ぐきっかけはないかと思っていたが、これは絶好のチャンスかも知れない。

「……カブトムシなら家の周りに落ちてるくらい居るから、取ってこようか?」

 私の家、森の中にあるし――茉莉花は思い切って彼女にそう言った。

「い、いいの?って言うか高野原さん、虫……平気?」

 毛虫を見ただけで悲鳴を上げて逃げそうな「か弱いお嬢様」から意外な提案をされた彼女は戸惑った様子で茉莉花を見る。

 茉莉花は目を輝かせて、今まで学校で見せたことがない溌剌(はつらつ)とした表情で答えた。

「うん!虫用のケージ持って来てよ。いっぱい取ってくる!」