ヴァージン・スキャンダラス・エンゲージ〜天津の姫は世界と彼氏のために呪われた兄と禁忌の契約を結ぶ〜

 朝食を食べ終え、後片付けを済ませてから三人は掃除に取り掛かる。
 
 茉莉花は台所とダイニング、咲也はトイレと廊下、九郎は居間とその奥の和室。それぞれモップや掃除機をかける。

 寝ぼけ眼(まなこ)で朝食を取っていた咲也は、顔を洗い掃除に取り掛かる頃には完全に目が覚めた様子だった。

 掃除を終えてから茉莉花と咲也は居間でテレビを見ていた。

 居間にあるテレビはインターネットに接続されているスマートテレビで、動画サイトやサブスクの配信を視聴することが出来る。

 茉莉花と咲也は動画サイトで人気配信者のチャンネルを見ている。

 茉莉花はこのチャンネルの菓子や駅弁、テイクアウトの商品などの「食べ物」を扱った回が好きで視聴登録もしていた。
 
 今視聴しているのは全国展開しているドーナツショップの商品の食べ比べだ。

 九郎は縁側にあるビーズクッションに寝そべって漫画の単行本を読んでいる。

 読んでいるものは昨日と同じタイトルの別の巻。

 時計が十一時を回ると咲也は「そろそろ行くわ」と席を立った。

 縁側にいる九郎も彼の声を聞いて起き上がる。

 二人はこれから地下鉄に乗って映画を見に行く。

 彼らが向かう映画館は昨日茉莉花が訪れたところだ。

 見る映画は彼女が見て来た実写のファンタジー物とは違う。邦画のホラー物らしい。

 久々に「街」――仙台駅まで出るので、昼食は駅前にしかないファーストフード店に行くと言っていた。

「帰りにドーナツ買って来て。家族分二個ずつ。合計十個」

 茉莉花は玄関で靴を履いている咲也に言った。

 ――絶対言うと思ったわ。

 ドーナツの動画を見てた時点で咲也は察していた。

 馬鹿正直に影響され、ドーナツを食べたくなった茉莉花から「帰りに買ってこい」と言われるだろうと。

「金は?」
「立て替えといて」
「誰が払うんだよ」
「兄さん。あの人甘いの好きじゃん。ドーナツ久々だし奢ってくれるよ」
「ちゃっかりしてんな……」
「あんた程じゃないって」
「忘れなかったらな」
「忘れないで」

 茉莉花は引き戸の前でぼんやりと立っている九郎に対しても念を押す。

「忘れないでよ」
「……わかった」

 流れ弾を食い連帯責任を負わさせた九郎は「俺もかよ」と焦った様子だったが、すぐに観念して頷いた。

 忘れたら絶対に茉莉花はブチ切れる。

「変なの来たらすぐ警備呼べよ」

 靴を履いた咲也は振り返って茉莉花にそう言った。

 高野原家はホームセキュリティを導入している。

 道路に面した門柱と玄関に警備会社のステッカーが貼ってあり、数ヶ所に防犯センサーが設置されている。

 幸い今までタチの悪い不審者などはなく、警備会社直通の非常ボタンを押した事は一度もない。

 わかったと頷く代わりに、茉莉花は腰に手をあてて咲也に言う。

「今、不審者よりもヤバイのはクマ」
「は?」

 二人が出た後に引き戸に鍵を掛けるため、茉莉花もサンダルを足に引っ掛けて土間に降りる。

 引き戸を開け、先に表へ出た咲也は茉莉花に向かって言った。

「クマは警察」
「わかってるって。兄さんにも言われた」
「身内に無駄手間取らせんなよ。兄ちゃん昨日のと合わせて今年三回クマと鉢合わせてんだからな」

 咲也は昨日の晩、食事を終えキッチンで背中を丸めて使った皿や箸を洗っていた真斗(まなと)からクマの件を聞いていた。

「えっ?三回とか聞いてないんだけど。ウケる」
「ウケんな。九郎も二回遭遇してる」
「は?二回とか聞いてないんだけど。マジで?」

 茉莉花は視線を咲也から手前に立つ九郎に移す。

「で?逃げた?」
「……うん」

 クマから逃げた件は覚えていた茉莉花に対し、九郎はきまりが悪そうに肩をすくめた。

「咲也は?クマ見たことあんの?」
「ねぇよ」
「だとすると、クマヴァージンは私とあんたと――多分お姉ちゃんもか」
「クマヴァージンって……グロい言い方すんな」

 咲也は苦り切った表情で言い捨てる。

 茉莉花は胸の上で腕を交差させ、自分の肩を抱きながら少し芝居がかった口調で言う。

「このまま守れたらいいんだけどねぇ……富谷台(とみやだい)に出たって言うからウチもヤバそう」
「クマよりヨモツの方が出現率高いだろ?先月庭にいたし」

 夏休みに入って間もなく庭先にヨモツが出た。

 猫くらいの大きさで、庭を彷徨(うろつ)いた後、しばらくガレージに居座っていた。

 このような小型で比較的弱いヨモツは人気(ひとけ)がない場所に潜んで留まる習性がある。

 一人で留守番をしていた茉莉花は母屋の二階にある自室の窓からその様子を見ていた。

 その習性を知ってはいるが、人の家の日陰でのうのうと涼んでいるようにも見え「厚かましいやつだな」と思った。

「まぁね。でも家の周り人気(ひとけ)ないから出ない方だけど」
「出たら俺に連絡しろよ。前みたいに帰って来たら消す」
「あんたと九郎でこの辺のヨモツメは潰してるから、多分大丈夫でしょ」

 家の近隣に出るヨモツメ――ヨモツの芽は咲也と九郎が今日のように駅に向かう時や近所のコンビニに行く時など見つけ次第、踏んで祓除(ふつじょ)している。

 ヨモツでも猫サイズの個体なら獣撃隊に任せるほどではない。
 高野原のきょうだいたちなら余裕で祓除することが出来る。

「――気を付けて」

 咲也に続いて開いた引き戸から外へ出た九郎は振り返って静かな声で茉莉花に言った。

 彼女は開いた引き戸に手を掛け、じっと九郎を見据える。

「ドーナツ、忘れないでよ」
「……わかった」
「よろしく」

 茉莉花は重ねて念を押し、眉を上げて微笑んだ。

 九郎は彼女の目を見て小さく二回頷いてから、先に歩いて行った咲也の後を追った。

 いつもと変わらない面持ちで彼を見送った茉莉花は、引き戸を閉め鍵を掛ける。

 九郎は咲也と家を出た。

 彼女の胸を騒がせた「男」をその身に隠して。